001 出会い
――今目の前に広がる光景は、本当に現実なのか?
寒空の下の学校帰りのいつもの公園の草地で、まさか変な動物に会うとは思わなかった。というか動物なのか? 捨て猫か何かだってここ数年は見ていない。翼まである。何なんだ。
全身、毛は焦げ茶色。
大きさもそこまでじゃない。成猫くらい? それよりは大きいか?
白い毛並みのないレッサーパンダ……のような生物ではある……んだけど――なぜか薄青紫の翼がある。あと、金色の腕輪もしてる。
いや明らかにおかしい。
え、ロボットか何か?
幻でもない……よな、うん、ほっぺに痛みがあるし、幻じゃない。
あ、触ってみたら結構手触りいいじゃん、毛、軟らかいな、剛毛かと思ってた。
――それにしてもこれ、人に見られたらやばいんじゃ。
こいつ、研究とかされそう。どうしよう。
こんなの見たって言ったら僕も変に思われるし、こいつ、どうなるんだ?
というか鳴きもしないし大人しいな。じっとこっちを見てる。
「とりあえずサブバッグに入れていい?」
質問の意味が分かるワケ……って思ったけど、こいつ、肯いた!
え! 頭良っ! というか怖いとか思ってないのかな。
まあ、何かするわけでもないって解ってくれたのかな?
「じゃあちょっと……色んな意味で人の目が気になるし、入れるね、ごめんね」
と言っても、サブバッグから翼だけはちょっとはみ出ちゃったけど……まぁこのぐらいならいいか。
「息苦しくない?」
「きゃふっ」
大丈夫……なんだろうな、多分。
とりあえず見られずに実家のマンションの駐輪場まで来た。
いつも自転車で帰ってるから前の籠に入れちゃったけど、大丈夫だったかなぁ。道で上下してガタガタ揺れたよな。
「大丈夫だった?」
「きゅ」
なんか余裕そうだな。というか話を理解できるのか? なぜかそんな気がする。
――で、到着したワケだけど。
ベッドに置いたサブバッグから勢いよく飛び出した――有翼焦げ茶レッサーパンダ。
「どういう存在?」
聞いても何も返事はない。あっても「きゅ」くらい。まあそうだよね。
そういえばと思い出した。昨日も妙なことがあったんだ。コンビニから菓子を買って帰る途中。知人から使い走りという名の奢りを命じられて、断ると殴られて――飽きて知人らが帰っていくのを見たあと、眩しい光を見た。
前方からの光。
手をかざして光が収まった頃に見回しても、何もなかった。車の光かと思ったけどその気配すらなかった。
――何だよ。何か不思議なことでも始まるかと思ったのに。
そう思って帰ってから居間で何かを踏んでしまって、足の裏から左手で取って「何だ、米か」と気付くと同時に、左手のひらに変なマークがあることに気付いた。
円の上下左右に矢印が一つずつ。十字キーみたいに円の中心を示している黒いマーク。縁が白い。
――まさか何かの始まり?
マークは、洗っても消えなかった。
……今は昨日よりももっと変な気分。絶対的な何かを感じてる。期待しちゃう。だってこんな生物普通いないからね。昨日のことも気になるし。
「ところで、お前は何を食べるんだい」
って聞かれても――もし理解できても――答えようがないよな。
「きゅ」
やっぱそうだよね。
「ちょっと待ってろ」
冷蔵庫から適当に選んで持ってきたのは、ハムとキャベツ。
「さあどっち」
どっちかに決まるという前提があるワケでもなかったけど、とりあえずキャベツに食い付いた。
――よし、じゃあ、たぁんと食べなよ。
「あ、そうだ、トイレを買ってこないと。カゴみたいなやつでいいよな多分……ちょっと待ってて。あ、ベッドの横に隠れてて。いい?」
「きゅ」
――やっぱり話を理解してるんじゃないか? そんな気がしちゃうんだけどなぁ。
夜や朝を乗り切るのは簡単だった。手のマークだって誰にも見えないようにするのは簡単。
問題なのは昼。
今日も学校があるから、自分が留守の時の分、念のためキャベツを置いておいた。昨日、スマホで調べてトイレ用シートやザル、カゴ、猫砂と一緒に買ったキャベツ。二日経てばまた買う……くらいの間隔でよさそう。ダメだったら一日間隔に切り替えるか。
ベッドの横に皿を置いて、その上に置いてある。多分今もある、アイツが食べ尽くしていない限りは。
あとは、部屋に誰かが入った時が問題。
とりあえずはドアに「入ったらその時は……」と書いた紙をセロハンテープで貼っておいた。父さんも母さんも妹も、多分これで入らない。これで、やれるだけの事はやった。
――こういった事が、この不思議生物のためになればいいんだけどな……
夕食を食べたあとは特に何かするワケでなくても、部屋でくつろぐことが多かった。今日なんかは得体の知れない生物を横目に――たまに撫でたりしながら――本を読んでる。
チラリと見て、ふと気付いた。
――ん? 腕輪に何か彫られてる?
よぉく見てみる。スピルウッド州庁舎 ギーロファルマー。片仮名と漢字でそう書かれてる。
外国で飼われてる改造生物?
でもそんなの非現実的過ぎだ。ここは日本。スピルウッド州ってどこだよ。聞いたことない。しかも日本の文字。
「お前ホントどこから――」
問いが口から出た時、二度ノックが鳴った。
「うぉう、び、びびった……何ー?」
「ギーロのことでお話が」
男の声だった。
瞬間ゾクっとした。父さんの声でもなかった。
母さんや妹は今出掛けてる? だから声を掛けたのか?
誰と会話してるの? って、母さんたちに言われそうだけど、それがないってことは外出中…?
ええい、まあいい。
「あの、どちらさんで」
ドアの前に立って、開けずに聞いてみるのが無難だろう。だって事態が事態だ。そういえばこの男、ギーロって言ったな。名前なのか? 短縮してギーロなんだな。
そのギーロを、飼ってるのか、追ってるのかで対応は違ってくるはず。
僕の対応で誰かが困るのも不本意だ。でもできることは限られてる。
今はこんな風に問うことしか……
――待ってると、男の声が。
「私はギーロの飼い主です、探していたんです。どうか話を」
いや待て。私は飼い主だ、というのが嘘だったら?
僕は疑いがちな性格だと自分でも思ってる。ろくな知人がいないしな。
騙されることなんてあまりない……ように思えて、結構騙されてきた。
……だけどまあ、信じてみるか。事態が動かないことには……。ギーロ、本当にナニモノなんだ。
「じゃあ、ええと……ギーロって何なんです? 公園の木漏れ日の中にポツンとひとりでいた。なんでそんなことに」
「それがですね、実は、うちの庁舎で飼われていたんですが、いつの間にかいなくなっていて――」
「あの。まずは入ってください」
「あ、張り紙があったのでつい」
「律儀なんですね」
とりあえずドアを開ける。
すると入ってきた。男。僕より背が高い。というか僕がチビなんだけど。僕は百六十二センチメートルくらい。
白い短髪をサッと横に流してる。スーツ姿で気品もある。五十代くらいかな。
手には革靴。なぜ玄関に置かない? というかどこから入ったんだ?
まあ、疑問はあるけど――
「ギーロ!」
彼の声を聞いて、不思議生物がほとんど無音で彼の足元へと近寄った。早足だ。
やっぱり名前なんだな。何かの伝言の可能性もあるのかな、とか思っちゃった。
「よかったですね、見付かって」
「ああ、ほんとに――」
――顔が綻んでる。本当に飼い主なんだな。それなら――
「じゃあもうこんな事にならないように、なんとかできたらいいですね」
「……ええ、気を付けます」
男がそう言ってしゃがんだ時、ギーロが僕の方に突進した。しかも何度もぴょんぴょんと跳ねた。僕の膝やベッドが気になっているみたいな変な動き。なんだなんだ?
「ちょ、何、どうしたの」
ギーロをあやしていると――
「そうか」
え、何が?
男の、急に何かに気付いたような口調。ワケが解らない。
「どうしたんですか?」
「あ、いえ。ただ――そうだ、お礼をしますよ。ちょっと時間はありますか?」
「まぁありますけど」
ギーロを抱き上げると、男が受け取りに来た――ので、渡した。
そうしたらすぐに男が――
「では」
と、地面に黒い丸の穴を開けた。別の場所が下に映されているように見える。
「ななな何! 何これ!」
僕は恐る恐る覗き込んだ。
男が言う。
「一緒に来てください」
実際には、それは、丸鏡のような形の、別の場所へワープできる装置……らしきものに見えた。
それを通った――その先は……ギーロに出会った公園のあの芝生の上だった。
「ここにソリョクを込めれば」
男が、空中に手を伸ばしてそんなことを言った。
「……何? ソリョク? ついていけないんだけど何それ」
「とりあえず行きますよ」
男は魔力みたいなものを込めているみたいだった。
直後、白い渦みたいなのが現れて、それがほんの数秒で四角い枠状に。
地面に枠の一辺がつくと、枠の中には別の場所が見えた。明らかに目の前の芝生とは違う。どこかの崖から町の夜景でも見ているかのような光景。
「さあ」
靴を履いた彼に手を引っ張られた。僕が『そちら』へ行ったあとすぐ後ろを見たら、その瞬間その枠が物を映さなくなった。
公園が見えない。
まさか、帰れなくなってないッ?
「ちょっと! 僕、ちゃんと帰れますッ? 誘拐じゃないですよねッ?」
どうも焦ってしまう。肌寒さも不安を増長する。
「大丈夫ですよ。帰す時には同じように込めて、行けるようにします」
――ほっ……大丈夫そうだな、それならいいんだけどさ……
「だとしてもですよ、何なんですこれは。どういうつもりで」
「お礼をすると言ったでしょう」
「そ、そうですけど」
「ちょっと待っててください」
言うと、男は目の前に念じたようで、眼前に別の黒い枠を作った。そしてそれを通って枠ごと消えた。
「ちょっと! え、置き去り」
数分後、彼が戻って来た。戻って来る際のゲートらしき枠を彼がすぐに消して、そして――
「お礼に能力を授けましょう、ソジュツというものです」
「ソジュツ?」
「そうです。礎の星、礎球から来ています。……最初から説明すべきでしたね。まず、ここは地球ではありません。礎球です」
「は?」
「大丈夫です、落ち着いてください」
「いや落ち着いてはいますよ」
「ふう……ならよかった」
――どちらかというとそちらが焦ってるけど…とはまあ言わないけど。
「では」
仕切り直すように男が話を進める。
「礎球には魔法のようなものがあって、映画やゲームの中での呼称と間違えられないようにという流れを受け、この星の者が使う魔法めいた術については昔から礎術と呼ぶ、ということになっています。礎の術で礎術です」
「なるほど……? あ、もしかして。ギーロの腕輪にあったスピルウッド州っていうのは」
「……そうですね、礎球の地名です、ちなみに私はスピルウッド州の州知事です」
「え、マジか」
「偉いんです」
えっへんという態度だ。面白い人だ。
「なんか親近感湧きます」
「それは喜ばしい。さて――」
男はスーツの胸元の内ポケットに右手を入れた。
それから左手を外側の左ポケットに入れて何かを取り出し投げた。
それが大きくなった。本だ。
地面からは浮いた巨大な本。縦に三メートルくらいはある。
男の右手は、内ポケットから出されると、何やら赤い札みたいなものを摘まんでいた。
「どういうこと? え、その右手の札は何?」
「ああ、これは、禁止区域でも礎術を使えるようにするカードです」
「あー……なるほど? つまり――」
「でも今目の前に浮いている本は、私の礎術の効果ではありませんよ。この本は礎術道具と呼ばれるものの一つです。こういったものも禁止区域では使えないんです」
「へぇ~、なるほどなるほど?」
正直、ファンタジーが目の前にあるということに、ドキドキしている。
「とりあえずこっちを向いてください」
「え、あ、はい」
いったい何を? と思いながら州知事の方を向いた。
すると、男がまた左手をポケットに入れた。そして出てきたその手には指輪が。
男はそれを右手の人差し指にはめると――その指で、僕を指差した。
突然、光った。
「わ」
青い光が僕の胸元へと入っていった……。
少し経って、光が消えると。
「今のは礎力です。あなたに……ええっと……お名前なんでしたっけ」
「そういえば互いに知りませんよね、僕は佐伯優珠斗です、優珠斗が名前です」
「どうもユズト君。私はダイアン・ゼフロメイカ。ダイアンでいいですよ」
「ダイアンさん」
「はい。で、ユズト君にさきほど礎力を送りました。言ってしまえば魔力です。そして力を得られるようにしました。実はですね、礎術を使える才能というか特性のようなものを、器で例えるんですが――この考え方を術魂の器と呼ぶんですが――魂には穴が開いている、器のように。二十歳くらいまでに礎術を覚えない場合は、その『穴が埋まった』『器が埋まった』と表現します。二十歳くらいまでに礎術を覚えた場合は、その『穴が才で満たされた』『器が才で満たされた』と表現します。今、その術魂の器を無理矢理作りました」
「僕が術を得るため?」
「そうです」
正直、めちゃくちゃワクワクした。じゃあ何をどうやって覚えるんだ? 次が気になる。
待っていると、ダイアンさんがまた。
「そしてこの本です」
そうだ、目の前に浮いている。
と、僕がその本に目をやると、ダイアンさんが本に向かって手を伸ばした。
直後、浮いたまま巨大な本がパラパラと開かれ――
「このページか……」
ダイアンさんがそう言ったのを聞いて、ふと思った。――多分、どのページが開くかはランダムなのかな。
とにかく覗いてみる。
全部でニ十個。開かれた二ページに十個ずつの礎術が記されている。
1壁をすり抜ける礎術
2靴下を一瞬で履く礎術
3木刀から稲妻を走らせることができる礎術
4触れずにドアを開閉できる礎術
5フォークとナイフを出したり消したりする礎術
6ピーマンを甘くする礎術
7ロウソクに火をつけたり消したりできる礎術
8球体にスポンジボールの性質を持たせる礎術
9一定時間だけ嫌いなものが好きになる礎術
10ジャンプ力が上がる礎術
11指輪の宝石から火の玉を放つ礎術
12肉体だけ一定時間透明になる礎術
13口臭を一定時間無臭に変える礎術
14うちわの風を超強風にできる礎術
15ビーズの色を変える礎術
16対象の触り心地を直前に触れた物と同じにする礎術
17サングラス越しに暗くない世界を見れる礎術
18他人の礎術を奪う礎術
19念じて皿を動かせる礎術
20一瞬でネクタイを綺麗に装着できる礎術
「この中からどれか一つってコトか」
「その通り。だけど、もう一つやることがあります」
「ふむ?」
「このボールです」
ダイアンさんはまたポケットから出したんだろう、その何やら銀色のボールを取り出して念じでもしたのか、本のすぐ横に、今度は巨大なルーレットが現れた。
「さあ運試しです。このルーレット台に触れてください、そして絶対に手を離さないで」
「は、はい」
と、僕が台に触れると。
「ではいきますよ」
投げれられたボールが、ルーレット台の中を跳ねる。コロコロと回って……
止まった。番号は……
「十五番ですね、十五は――」
「ビーズの色を変える礎術」
「まあまあですね」
「まあまあ? えー? ビーズの色を変えるだけですよ? 十四番の、うちわの風を超強風にできるヤツの方がよかった」
「いや、まあ……私もそう思います。まさかこういうものになるとは」
「はは、いやぁでも、面白かった。あ、もう手、離しても?」
「あぁ大丈夫ですよ」
言われてルーレット台から手を離すと、台もボールも本も消えた。
ダイアンさんが念じるのをやめたのかな? そんな感じなんだろう。
そしてダイアンさんが、
「じゃあ帰しましょうか。あ、その前に記念に」
と、ケータイを向けてきた。
礎球のケータイ? 案外発達してるんだな、スマホみたい。
ピースピース。礎球で失礼じゃないならいいけど。
そう思ってたらダイアンさんもピースサインを見せてきた。どうやらいいらしい。
礎球のスマホが光った。そして音が鳴った――ジャビャァンッ。
「どういう音ッ?」
「特殊な生物の鳴き声です」
「あ、そう……」
妙なことばっかりだ。
さて。肩の荷も下りた。あの子も元気にやってくだろ。
まぁ、そんなこんなで送られた。
「ではさようなら。どうもありがとうございました。保護してくれていたおかげです」
「いえいえ」
ダイアンさんは白い枠の中でギーロを抱きかかえたままそう言った。手も振ってくれた。
その白い枠が閉じると、僕の側では、公園の芝生と周囲の木の葉が揺れるだけ。
僕らの関係はもう終わったのかな。だとしても、まあいいか。
ビーズ製品を使って、これから何かできるのか? それとも?
あんまり期待できないけど、でもいい。ほかの人とは違って、ちょっとだけ特別な感じがするもんな。
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私は望んだ。でも思い通りには行かないことも多いものだ。
そしてその通りにならなくても、やりようはある。
「まさか地球にいるとはな。これも運命の導き、か?」
――この状況なら、まずアレが必要だな。
私は念じ、目の前に丸い鏡を出現させた。それが映すのは、ゼフロメイカ家の自室。
帰りながら、ほっとする。
――本当にギーロ、なんて所にいたんだ。まったく。世話が焼ける。何にでも興味を持つんだから。でも……お前のおかげかもな、偶然だとしても。