2-1 Coop(協力)――立川
『――そっちへ行ったぞ! 注意しろ!』
隊長の怒号が頭に響く――。
旧軍立川陸軍飛行場――今は米軍の立川基地だが――から、多摩川へ向かって南下し、さらに西へ下った川沿いの丘陵。基地からはさほど遠くない。
少し行けば多摩川を見下ろせる段丘の上は、人家もまばらで寂しい雰囲気である。辺りには大きな岩が幾つか無造作に転がり、その奥に小さく光差し込まぬ、なんてこと無いただの林がぽつんとあった。
林から僅かばかりの距離を取り、道端にジープが停まっている。私はこのジープの側で佇み、この鎮圧戦闘が無事終わることを祈りながら、独り空を見上げていた。
夕闇濃くして空は浅紫の帳が覆いつくさんとしている。冬の木枯らしは勢いよく。風切り音がびゅうびゅうと吹き、辺り一帯に枯れ葉のさざめきが渦巻き、僅かに耳を聾している。
――パスン。
――ホン。
林の中からは、凡そ銃声とは思えぬ静かな音が断続的に幽かに聞こえてくる。
デービッドは消音器が小銃と一体化している英国製騎銃を使用している。集中して耳を澄ませば、僅かであるが機械的な音が混じって聞こえる。隊長が主に使っているという|消音器付拳銃《ハイスタンダードHDM》に至っては、もはや人工的な音ですらない。
『了解!』
『一発かましてやるぜ――!』
『敵怪異は既存の登録と合致しません。気をつけてください』
脳内に隊長以下4人、男女バラバラに声が響く。僅かに緊張した声色である。今まさしく林の中では、探知された怪異と隊長達の戦闘が続いているのだ。
右手に握った通信機の受話器を僅かに持ち直した。
スイッチ類は弄らないようにとの仰せだが、分からないものを弄る気にはなれなかった。別に受話器を持っていなくても大丈夫なのだが、何かを握っていたい衝動に負けた。
ラヂオに耳を傾けるが如く手に汗握り、戦いの行方に思いを馳せる。
私は隊長達と本部を繋ぐ役割を担わされたのだ。
まだ新人故に――。
昨日。
デービッドは、私にも分かるように自己紹介をしてくれた。
神聖同盟。
それは世界中に点在する、国際的な怪異対処機関。正確には各国にある『霊会組織』と呼ばれる異能者の集まり――、その取り纏めをしている組織。
各国政府に協力し、国民を苦しめる怪異現象を調査、統制することを目的に活動し、国によってはデービッドのように各国軍に所属しながら、実際の指揮系統は独立しているケースが多いという。
秘密結社である。
それは間違いない。
冗談や御伽噺、あるいは陰謀論。耳に聞くばかりではその通りである。
しかし、デービッドは大真面目な眼で、その表情に疑義を挟む余地はない。幸いにしてすぐに物証を彼は見せてくれた。
用意された米陸軍の制服に着替え終わった時、「あぁ、これですコレ」と、意気揚々とポーチから綺麗な指輪を取り出し、私に付けるように催促した。
結婚指輪でもあるまいに――。
訝しむ私を他所に「どの指でも良いので、取り敢えず付けてくだサイ」と勧めてきた。見ると、中指がちょうど良い大きさである。
「これは、もの凄く便利な道具なんですヨ」
『エンタングルメント・ストーンと言います』
「えッ……?」
――声!
デービッドの声とは別に、――いや、紛れもなく当人の声色なのだが、頭の中で彼の声が響いた。
思わず目を見開き、不安そうにデービッドを見遣る。
しかし、彼は表情一つ双眸も唇すらも動かさずに、片眉をつり上げて戯けた。
『ははは――、驚かせてしまいましたね。これもロザリオと同じ、霊的マテリアルの一種なんですよ』
「ま、待ってくれ、――気持ち、悪い」
不慣れな感覚。
反射的に耳を塞いてしまったが声は聞こえ続ける。耳からではなく、頭の中に直接入り込むような感覚はあまりに奇妙である。
『慣れるまでは、ちょっとこそばゆいですが、慣れたら凄く便利ですよ。第一次大戦時に本部で開発されたマテリアルです。話したい人を念じつつ、頭の中で声を発してください。そうすれば勝手に翻訳までしてくれて聞こえるんです』
勝手に頭に進入される感覚は、日本語で――、いや、人類の言葉に相当する語彙など存在しないのではないか。聞くだけでなく話すことも出来ると言うが、言葉とは別に念話を――二重思考する初めての感覚は、怖ず怖ずと言葉を呟くことから始めなければならなかった。
「『あ……』」『あー』
ちらりと見ると、デービッドは頷いている。初めて立ち上がる赤ん坊を見るように、その眼は優しい。
『……これで、良い、か?』
デービッドはニカッと笑った。
『そうそう、良い調子です』
確かに一言も発してない。
部屋は静まりかえっているのに、頭に響く声だけが鮮明に聞こえる。だが一度発音が出来ると――自転車を乗りこなす子どものように、すぐに馴れて会話が出来るようになった。
声をも出さずに相手と会話が出来る神秘の体験である。言語の壁が取り払われたならば、戦争も起きないかも知れない。聖書に曰く、バベルの塔を建造する不遜で傲慢な人間に罰を与えるべく、言語は分かたれた。理解は進まず人は互いに殺し合う。その壁が崩されるなら――この指輪は、石は、世界平和へ寄与するかもしれない。
それほどの奇跡なのだ。
『原理は不明、されど有用……か。ところで、デービッド』
『――なんです?』
『念話だと発音が綺麗だな』
余裕を滲ませた揶揄いに、デービッドは露骨に眉間に皺を寄せ、口角を下げた。
『言わないでくださいよ。気にしてるんです、これでも』
『――はは、すまない。だが、おかげで漸く慣れてきた。礼を言おう』
『いえいえ。でも、これで他の隊員達と問題なく話せますね』
――『神聖同盟』日本派遣支部。
デービッドは『我々の事務所は隣の建物です』と言い、案内をしてくれた。
医務室の外は無機質な廊下。
どう見ても旧軍時代の建物ではない。造りや雰囲気は、まさしく欧米風建築といった風情である。微かに鼻腔を刺激するペンキ臭や、年季を一切感じさせない壁紙と調度品など、その全てが新しい。
窓の向こうに目をやると、様々な白い建物が建ち並んでいる。さらに目をこらすと――航空機の垂直尾翼が幾つか並んでいるのが見えた。
『――ここは、航空基地なのか?』
『あぁ、言ってませんでしたね。ここはタチカワです。元は日本陸軍立川飛行場ですが、進駐に合わせて、急遽色々と施設を拡充してるんですよ』
――初耳だった。
立川と言えば、民間航空の飛行場から陸軍航空隊の基地になり、工場や整備学校も付属し、ついこの間まで日本の一大軍事拠点であった。
昭和二十年の空襲で壊滅したはずだったが……。目の前の様子が全てを物語る。私でも見たことがある輸送機が空を滑り、見たこともない航空機が今まさに離陸せんとしていた。
『立川基地は、色んな資材が集中するような輸送基地なんですよ。中々大きい基地なので、基地や周辺に映画館、衣料品販売や扶養家族住宅、学校や教会まで色々あるんですよ』
『――そうか。場所はどの辺だ』
『まぁ、北のハズレの方ですね。お偉いさんや、士官用居住区域の近くですので、まぁ静かですよ。念話で会話して、ひっそりと静かに仕事をするにはもってこいですよ』
そう言った途端、突然バリバリと轟音が響き渡り、一瞬で遠くへ音が駆け抜けていった。
あからさまな低空飛行である。
『まぁ、偶に煩いのは玉に瑕ですがね。……もう着きますよ』
案内に気を取られ、気がつけば最初にいた建物を出て別の建物に入り、結構な距離を歩いていたようである。
――そこはもう目的地であった。
立川航空基地
かつて陸軍の飛行第五連隊が駐屯していた飛行場。駅にも隣接し、立地に恵まれていた。戦中は様々な鹵獲機のテストなどが行われたが、昭和20年には周辺の地域を含め、激しい空襲を受けた。戦後に進駐した米軍は基地を二分し、米国空軍と極東航空司令部による指揮下に置いた。