第7章 出逢い(ディアナ視点)
十五歳になったばかりのころだった。
その日は待ちに待った水曜日。姉シャーロットのダンスレッスンの日だった。
私はウキウキしながら図書館へ向かった。畑の野菜を食い荒らす毒虫について調べたいと思っていたからだ。
姉は自分の習い事にはいつも教室の中まで私に付き添わせる。後で自分の課題をやらせるためだ。
しかし姉はダンスだけは得意だったので、私の付き添いを必要としなかった。そもそも部外者は中に入れなかったし。
ということで、姉のレッスンが終わるまでの二時間を私は図書館で過ごすことにしたのだ。屋敷にある本は全て読み終えてしまったからだ。
しかし、初日はその書籍の数に圧倒されて、どの本を手に取ればいいのか見当も付かなくて途方にくれてしまった。
仕方なく司書の女性に聞いてみようかと思い立ち、貸出カウンターに近づいた。
すると足元に一枚の紙切れが落ちていたので、それを拾い上げた。
見るとそれは図書の貸出カードで、たくさんのタイトルがズラッと記入されてあった。
面白そうだなと私は直感的に思った。
私はそのカードをカウンターの上に置いて、また書棚に向かった。
そして先ほどの目にしたタイトルの書籍を探し回った。そしてその中にあった一冊の本を見つけ出すと、早速それを借りてみた。
帰宅して夜になってその本を開いてみた。これまで読んだことない難しい本だったが、とても興味をそそられる内容で満足した。
それ以降、私はあの貸出カードに記されていた本を探し出して、次々と読破していった。
なぜ一度見ただけでそんなにたくさんのタイトル名を覚えていたのかというと、私の目(頭?)は特殊みたいで、文字は読むというより見るもので、目にしたものを一瞬で理解してそれが頭の中に焼き付けられるのだ。
しかし書いてあった文字を覚えているからといって、その中身を全て理解できているわけではない。
そのため、理解できないところは別の本で調べた。おかげで知識がどんどん増えていって楽しくてしかたがなかった。
図書館がダンスのレッスン場に近くて本当に良かったと心底思った。
そしてそのうちに本選びや調べ物以外にも、図書館へ通う楽しみが増えた。
というのも、図書館で顔なじみになった青年がいて、彼と色々と話をするようになったからだ。
その人は、元々大分前からよく見かけていた男性で、私は心の中で『カルミアの君』と呼んでいた。
なぜそんな呼び名をつけたのかもいうと、幼いころにたまに面倒を見てくれていた年上の少年によく似ていたからだ。
「あのお兄さんがいると、嫌な思いも悲しい気持ちも、あっという間に消えちゃうの。
それで元気が出るの」
母にそう伝えたら、母は優しく微笑みながら、こう言ったのだ。
「それじゃあ、その方はディアナにとって『カルミアの君』なのね」
そのとき私は『カルミア』という植物の花言葉が『大きな希望』だということを知ったのだ。
しかし、その少年はある日突然姿を消し、その後会うことはなかった。それでも私にとって、その少年とカルミアの花と大きな希望は皆等しく繋がっているものだったのだ。
あの日私は、畑の野菜を食い荒らす毒虫について調べたいと思っていた。
だから、本棚の高い棚にあったその本を取りたくて、つま先立ちをして必死に手を伸ばした。しかし、あと少しのところで届かずに困っていた。
そんな時、後方からさっと腕を伸ばし、望んでいた植物図鑑をさっ取ってくれた男性がいた。
黒髪に黒い瞳、スッと通った鼻梁をした美青年で、その爽やかで知的な笑みに私は一瞬で恋に落ちた。
微笑んでもらっただけで恋をするなんて、小説の中にだけ存在するものだと思っていたのに。自分は一生男の人なんて好きにならないと信じて疑わなかったのに。
その青年はルシアンという名で、王城勤めの官吏だという。水曜日は彼の定休日なのでよく図書館に来るそうだ。
私はディアナと名乗った。本名のフローディア=ロンバードと正直には告げられなかった。
なにせ私は病弱で家から滅多に出ることのできない設定になっているからだ。
それに相手もおそらく貴族だ。しかも貧しい子爵令嬢である私とは違って、相当裕福な高位貴族だろう。シンプルな落ち着いた服装をしているが、かなり上質なものだということは一目瞭然だ。
自分の思いを伝えてもどうせ応じてもらえるはずはない。
この恋が叶うことはありえないのだから、彼の真の名前など知りたくはないし、こちらも告げたくはなかった。
なまじ貴族の娘だとわかって避けられるより、平民として気楽に付き合ってもらえた方がいいから。
ルシアン様はとにかく博識博学だった。本を読んで理解できなかったこと、疑問に思うことを質問すると、嫌な顔一つせずに教えてくれた。
そのうち本の内容について色々と意見を言い合うようになったのだが、身分の低い小娘の意見にも頷きながら聞いた上でご自分の意見を述べた。
しかも自分が絶対に正しいという言い方はしなかった。何においても自分の方が正しい、間違っていないと主張する父や兄とは全く違っていた。
ルシアン様に何かお礼をしたいと思っていたときに、彼が毎週水曜日には昼食を抜いていたことを知り、これだ!と思った。
サンドイッチを作り、それとオレンジをお気に入りのバスケットに入れて、図書館に持って行った。
高貴な方は無暗に他人からもらった物を口にしない。それを知っているので一応二人分の量を作ってきて、私が毒見をするように先に口にした。
彼はとても驚いていたが、結局美味しそうに食べてくれた。お金を渡そうとしてきたからもちろん断わった。お礼なのだから金品はいらないと。
それから私は毎週水曜日にお弁当を持って行った。好きな人が美味しそうに食べてくれて、ありがとうと言ってくれるだけで幸せな気分になれた。
それまで私は、育ての親であるレンネさんとランディーさん以外の人から感謝されたことなんて一度もなかったから。
ところが、そんな私の幸せな日々はその半年後に突然終わりを告げた。
ことの発端は、他愛もないいつもの意見交換だった。
カスタリアブームについて話をしていて、そこからお金の話になって私が生意気なことを言ってしまったのだ。
いつもは鷹揚なルシアン様もさすがに苦々しく思ったのだろう。余計なことを言ってしまった。
お弁当を作ってくるのは下心があるのだと思われてしまった。
なまじ金品などいらないと言っていたのが駄目だったのだろう。ただの平民の娘に過ぎないなのだから素直に貰っていれば邪推されなかったのかもしれないのに。
あはは。そのせいで私が恋心を抱いているのがばれてしまった。
卑しい身分のくせになんて厚かましいやつなのだと思われたに違いない。身の程知らずの恥知らずだと。
もう、恥ずかしくて顔を合わせられない。軽蔑の眼差しで見られたくない。
あの後全速力で走って屋敷に戻ると、私は自分の部屋に鍵を掛けて引きこもった。
ダンスレッスン場に迎えに行かなかったことで姉はひどく怒っていた。
しかも翌朝になっても部屋から出なかったので、ヒステリーを起こしていた。
木曜日はマナー教室の試験があったので、私に注意点をアドバイスしてもらいたかったのだったのだろう。
私はそれを無視した。
しかし姉はなかなか諦めず、翌朝になると今度は父や兄と一緒に、ドアの向こう側から出てこいと叫んでいた。
それでも私が無視し続けていると、やがて父と兄は強引に部屋に入ってこようとしたのだが、レンネさんとランディーさんによってそれを止められた。
「フローディアお嬢様が病弱でベッドに寝たりきりなのはいつものことですよね? それなのに、なぜ急に起きて働けなんて悪魔のようなことをおっしゃるのですか?
シャーロットお嬢様のお供なら私がすればいいのですから、別に問題はないじゃないですか」
「お供はレンネじゃだめなのよ」
(レンネさんじゃ後で宿題をやってもらうわけにはいかないものね。自分でやりなさいよ、身代わりはもうたくさん!)
「女房が駄目だというなら俺が代わりますよ」
「ランディーじゃもっと役に立たないわ」
「それは失礼じゃないですか? 俺は相当腕っぷしが強い。そんじょそこらの護衛騎士より強いと自負していますよ」
「そういう意味じゃないわ!」
「レンネやランディーがシャーロットのお供をしたら、家の仕事をする者がいなくなるじゃないか。それは困る。
食事や掃除や洗濯、それに庭の手入れや私達の送迎にも支障をきたすだろう?」
「旦那様、フローディアお嬢様に無理強いされるのなら、私達はこちらを辞めさせて頂くことになりますよ」
(レンネさん、脅しているわ。珍しい。でも、これでさすがにあの人達も諦めるでしょ。
そうかぁ。今まで下手に出ていたけれど、こうやって脅せば良かったのか。
二人に辞められたら、こんなに優秀な使用人なんて雇えないもの。
今後もこれまでと同レベルの生活を送りたいのなら、四、五人は人を雇わないといけないけど、うちの経済状態じゃ到底無理だし)
部屋の外がようやく静かになった。
私はその後一週間、時々恥ずかしさに悶え、悲しさ、切なさ、寂しさの波に襲われながらも、今後のことを考えていた。
この半年、ルシアン様とのことを考えるだけで毎日楽しくてうっかりしていたけれど、十六歳の誕生日まであと四か月に迫っていた。そろそろ本格的にこの家を出る準備を始めよう、そう思った。
しかし、まさかこの後、それを一層加速させる事態になるとは思いもしなかったけれど。
読んでくださってありがとうございました。




