第67章 家族の再生(ディアナ視点)
言葉を発することもできずに、私はただ正面に座っている人物の顔を見つめた。
まるでお芝居の中のような話だわ。
でも間違いなく目の前にいる女性は母親だとわかった。右の眉毛の端に小さな黒子が三つ並んでいるのに気付いたからだった。
こんなことが実際にあるなんて。
これが現実なのかを確かめたくてスレッタ様の手をギュッとすると、彼女もまたギュッと握り返してくれて、これが夢ではないことを教えられた。
「お母様。お会いしたかったです。ずっと、ずっと」
ようやくそう呟くと、お母様は泣き笑いの表情を浮かべて「私もよ」とい言いながら立ち上がりった。そして私の前まて来て両手を伸ばした。
スレッタ様が手を離し、軽く背中を押してくれたので、私もどうにか立ち上がり、ほぼ同じ身長のお母様に抱き着いた。
「なんて大きくなったの。あんなに小さかった私の天使が……」
懐かしいお母様の声が私の耳殻に響いてきて、ようやく私は涙を零したのだった。
「せっかく家に戻ってこれたのに、お父様やお兄様となかなか話せなくて、ごめんなさい」
「あら? なぜディアナが謝るの?」
「今回はの騒動にお父様達を巻き込んだのは私のようなものだから」
お母様が家に戻ってきてから一週間ほど経ったが、お父様とお兄様は朝早くから夜遅くまで城で働いていた。
とにかく今回捕縛した人数はかなりの数に上った。そのため部署など関係無しに、官吏は全員事件処理のために駆り出されているようだった。
「それは違うわ。これまで大人達が解決してこなかったから、貴女達にそのつけが回ってきただけなのよ。
謝るのは私の方だわ。知らぬ振りをして嫌なことから目を背けてきたのだから」
「お母様は被害者よ。あんな怖い人達相手に夫婦二人だけで立ち向かうなんて不可能だったもの」
「でも、貴女は愛する人を信じ、彼の役に立ちたくて死ぬ振りまでしたのでしょう? すごいわ」
お母様の言葉に私は恥ずかしくなって俯いてしまった。
「ルシアン様のためだけではなかったのよ。
私が殺されたくなかっただけなの。私が殺されたら、さすがにお父様やお兄様が苦しむでしょう?
だから殺される前に死んだ振りをして姿を消そうと思ったの。
お兄様ったら、本当は私のことが可愛くて守ってやりたいとずっと思っていたんですって。信じられる?
でも意気地がなくて何もできなくて、ずっと辛かったんですって。
それなのに自分のせいで妹が殺されたなんてことになったら、一生苦しむでしょ。
お父様なんて後追いをしたかもしれないわ。
お母様を亡くした時のお父様、それはそれは見ていられないくらい苦しそうだったの。
死んでしまうのかと思った。
あの当時はお父様を嫌っていたけれど、それでもそんなお父様を残りして家を出る気にはなれなかったわ。
レンネさん達にスゴッテ男爵家へ行こうと何度も誘われたけれど」
レンネさんはお母様と共にここへ戻ろうとしていたらしい。しかし
「あなた方夫婦には言葉にできなくらいお世話になったわ。本当にありがとう。
でも、あなたにとっての主はニコラス様でも私でもなく、スゴッテ男爵家なのでしょう?
それならここに残って、お母様やお義姉様のために尽くしてくれると嬉しいわ」
と言って断ったのだという。
一緒に王都にまた来る気だったのか、とさすがに呆れてしまった。散々お父様を蔑ろにして苦しめてきたのに。
お母様や私に対する罪悪感はあっても、お父様に申し訳ないという気持ちは、未だに一切ないのだろう。
そんなだから、お母様の言った言葉の意味も全く理解していなかったに違いない。
伯父様は、ランネル夫妻の代わりに農作業をしてくれる人とメイドを二人ずつ、王都で新しい使用人が見つかるまでの期間限定で貸してくれた。
忠誠心よりも仕事だと割り切れる人達らしく、却ってこちらにとっても都合がいい。
「お母様は私がルシアン様のことを好きだってこと、嫌ではないの?」
「嫌なわけがないじゃない。
昔、貴女が好きだった男の子がルシアン様だったのでしょ? 貴女をいつもいじめっ子から助けたくれた初恋の人。
ええと……「カルミアの君」だったかしら?
頭が良くて仕事ができて、優しくて、そしてなによりもディアナを愛して大切にして、一緒に戦ってくれる男性。
お会いしたことはないけれど、お話を聞く限り素敵な方だと思うわ。反対する要素がないわね。
それにフィリップがやたらとルシアン様を推してくるし。あの子の親友なんですってね」
「お兄様が?」
驚いた。あのお兄様が私の味方をしてくれるなんて。
あっ、そういえば、お兄様はルシアン様のことが大好きだったわね。
「でも、お父様にはあと少しだけ黙っていた方がいいかもしれないわね。いざとなったら私がフォローするから心配ないわ」
「でも、ルシアン様のお母様はお母様を……」
マデリーン様はお父様とお母様をずっと苦しめてきた人だ。
しかも、お母様を殺そうとしたのだ。それを思い出す度に、鉛を呑み込むだように胸が苦しくなるのだ。
ところがお母様は優しい顔でこう言った。
「子どもは親を選べない。ルシアン様には何の罪もないわ。
本人が何も悪いことをしていないのに、それを責めるのは理不尽というものだわ。
罪は犯した者自身が背負うべきなのよ。その人以外の人に恨みや憎しみなどを抱いてしまったら、不幸の連鎖が止まらないでしょ?
それに、運の良いことに私は死ななかった。こうして生きている。
ルシアン様だけでなく、お父様、私、フィリップ……私達家族も皆、これからはうんと幸せにならないといけないわ。
そして、これまでの辛かったことと相殺してやるの。
いいえ。きっと幸せの方が大きくなるわ」
その幸せになるべき人の中にお姉様は入っていなかった。
ここに戻る前に、お母様達三人はお姉様のいる修道院へ寄ったのだそうだ。
しかし、お姉様は反省するどころか、全く考えを改めていなかったらしい。
どうにかして自分の仕事を他人にやらせるか、そこにしか頭を使わなず、怠けてばかりいるという。
本人に会う前にまず修道院の責任者に面会すると
「このままだと、いつここを出られるかわかりませんね」
そう言われたという。
それを聞いて、姉が出して欲しいと騒ぎ出すことが予想できたので、三人は顔を合わさず帰路についたらしい。
しかし、今日修道院から、姉が突然態度を改めたという手紙が届いた。
何でも一週間ほど前に突然倒れたそうだ。
最初はいつものように仮病を使っているかと思ったそうだ。
ところがその後二日ほどまるで幽霊でも見たような真っ青な顔をして、何かブツブツ言いながら手を組んで懺悔していたらしい。
そしてその後、まるで人が変わったように与えられた仕事だけでなく、今まで迷惑をかけた人の手伝いまで始めたそうだ。
これがいつまで続くかわからないが、一応報告しておきますと。
きっと、お母様の姿をどこからか見かけたのね。
「私が生きていたこと。そして会いに来たということは内緒にしておいて欲しいと、お願いしておいたの。
正解だったわね。
私が生きていると知ってしまったら、あの子はまた元に戻ってしまうでしょう。
だから、完全に更生したとわかるまで、秘密にしておきましょうね」
お母様はその手紙を読んで、少し悲しげに笑ってそう言った。
お兄様のことは、心から謝罪をしていることがわかったから許した。
けれど、反省もしないようなお姉様のことは、いくら可愛い娘でも許せない。いや、許してはいけないとお母様ははっきりとそう言った。
妹の私をメイド代わりにこき使い、しかもその成果まで全部自分のものにしていたなんて人の道に反すると。
そんな人間が社会に出たら、他人にも迷惑をかけてしまう。だから心を鬼にしても矯正しなければならない、とお母様は厳しい顔で言ったのだ。
いくらあんな姉でも本当は会って抱き締めたいだろうに。
お姉様が早く反省して、今後どう生きるのか、その道筋を真剣に考えてくれればいいな、と私は心からそう思ったのだった。




