第60章 決断
更新が遅くなり申し訳ありませんでした。
話もようやく佳境に入ってきました。
のんびですが完結に向けて頑張ります。
床の上に横たわっている人間サイズの不気味なもの。それは見世物小屋で使われていた人形だった。
そう。もっとわかりやすく言えば、お化け屋敷の死人役の人形だった。それ故に人間サイズだったのだ。
元々は真っ白であったと思われる髪は黄ばんでいて、それが恨めしいことにディアナ嬢の髪色に酷似していた。
青白くてこけた頬や落ちくぼんだ目の周りは、いかにも闘病生活を続けた後に力尽きて亡くなった感が滲み出ていた。服さえ着替えさせれば、これ以上手を加える必要はないと思えるくらいの状態だった。
正しく完璧なディアナ嬢の身代わりと成りうる人形だった。
私は胸を鷲掴みされたような痛みを覚えた。
母親の死の真相を知りたいから私に協力するのだとディアナ嬢は言った。しかし、死ぬ振りをするとまで言い出したのは、人々のために一刻も早く事件解決を望んでいる私のためだったのだ。
そしてそこには、私への想いを断ち切るためでもあったという。平民になってしまえば私と結ばれる可能性は完全になくなるからと。
クロフォード殿下は、ディアナ嬢のそんな想いを我が家の執事であるカイルから聞かされていたらしい。そしてそのカイルは恋人でもある我が家に侍女のスレッタから教えられたのだという。
スレッタとカイルは私に内緒で護衛しようと図書館へ通っていた。
ディアナ嬢は図書館でよく見る紫色のドレスを着ている小柄なご令嬢と、彼女の護衛と思える立派な体躯をした白いマントを着た男を心の中で「スミレ嬢」「ホワイトオーク卿」と呼んでいたことは知っていた。
その二人がスレッタはカイルだったと知ったのは最近だ。彼らは私の知らないうちに交流を持っていたのだ。
ディアナ嬢は二人を身分違いの恋人達なのだと何故か夢想していて、二人が結ばれるようにと、恋愛が叶うというアイテムをいくつも贈っていた。
たとえば栞だとかポプリとか刺繍入りのハンカチだとか。最近になってそれを知った時には二人に軽く嫉妬した。自分は彼女の手作りなどもらったことがないのにと。二人を悲恋の恋人達にしてしまったのはこの私であるにも関わらず。
すると、ご自分もお弁当を作ってもらっていたでしょう、とカイルに呆れられてしまった。そしてスレッタからはこんな意味深なことを言われて戸惑った。
「形に残る物はルシアン様に贈ってはいけないと、ディアナ嬢は無意識に思っていらっしゃるのでしょう」
いつかは別れが来る。そう。事件が解決したら。そうなったとき、私に彼女の記憶が残らないようにと気を使っていたというのか?
しかもディアナ嬢はそんな覚悟をしつつも自分と会ってくれていたというのか? 辛い未来が来るとわかっていながら。
そう考えて私は胸が切なくなった。しかしそれでもなお臆病者の私は、彼女が私に抱いている感情は恋愛ではない。これまで彼女が得ることのできなかった兄とか、年上の頼れる身内に対して抱くような感情と同じようなものに違いない、と誤魔化し続けてきたのだ。
いい年をして意気地のない私に呆れたのか、その後二人は私にディアナ嬢の話を振ることはなかった。しかしこっそりとその後もディアナ嬢とは接触していたらしい。
ジルスチュワート侯爵家がロンバード子爵家に派遣したシャーロット嬢の家庭教師、それが私の直属の部下だということに賢いディアナ嬢は気付いていたと思う。
しかし、さすがにあの「スミレ嬢」がスレッタだとは思っていなかたようだ。だからこそスレッタと恋愛話を語り合えていたのだろう。
悔しいけれど、スレッタの人の心情を読み取る力はずば抜けている。それに疑問を抱く余地はない。
とすれば、ディアナ嬢が私を思ってくれているということは間違いがないことなのだろう。私はこれをどう捉えればいいのだろう。
哀れな人形をただじっと見つめていると、クロフォード殿下が再び口を開いた。
「ルシアン、いい加減腹をくくれ。目の前の人形を見ろ。
死んだ振りをしてでも彼女はお前の役に立ちたいと思っているのだぞ。誰でも死を連想させることがらを忌み嫌う。それなのにそれに臆することなく、まだ十五の少女が自ら進んでそれを決めたのだ。
フローディア嬢の覚悟は、私の妻メラニーやスレッタ嬢と匹敵するものだと思うぞ。たとえどんな苦しい道であろうと、愛する相手から共に歩いてくれと望まれれば、躊躇うことなく側にいてくれるだろう。
お前は彼女のために自分の気持ちを抑えているつもりなのだろうが、しょせんそんなのは覚悟がないヘタレの言い逃れだ。
カイルはお前のためなら男爵位や公爵家の執事の地位を捨てると、俺に何にも躊躇わずに言ったぞ。しかも、もしそうなってもスレッタ嬢は自分に付いてきてくれると疑いもしていなかった。
まあ私も、彼のような自信が持てずに散々悩んだのだから、そう偉そうにはいえない。しかしお前は悩み過ぎだ」
ああ、そうだったな。
第三王子のクロフォード殿下は、元々メラニー妃殿下と結婚してパルス侯爵家に婿入りする予定だったのだ。それなのに突然長兄の王太子殿下が廃嫡されて事情が変わってしまった。
アルスト第二王子殿下が王太子となったのだが、彼があまり丈夫でなかったために、補佐をするために臣籍降下ができなくなってしまったからだ。
一時は二人の婚約は解消されるのではないかと噂された。しかし、メラニー妃殿下は根気よく父親と妹を説得し、頭を下げ続け、クロフォード殿下の元に嫁ぐ許しを得たのである。
メラニー妃殿下は私にとって最も誇れる女性の友人だ。
そしてスレッタ嬢は部下とか使用人である前に、一番信頼できる女性であり、姉のような大切な存在だ。
そうか。ディアナ嬢はこの二人に匹敵するのか。それなら、彼女を失うわけにはいかないな。そもそも彼女以外に好きになる女性はいないと本能でわかっているのだから。
私よりずっと強いクロフォード殿下やカイルでさえ、片翼では飛べないと自覚している。それならなおさら、彼らより弱いこの私がこの先の人生を彼女無しで飛べるはずがない。
「クロフォード殿下、ジルスチュワー侯爵家が取り潰しになったら、領地領民をお任せしてもよろしいですか?
フィリップ君、私が平民になる可能性があっても、フローディア嬢に思いを告げてもいいだろうか?」
ずっと黙って私と殿下のやり取りを静観していたフィリップ君は、大袈裟なため息を吐くと。困ったように笑みを浮かべた。
「そんなことを訊かれても、僕に反対する資格がないことを知っているくせにずるいなあ」
するとクロフォード殿下が笑いながらフィリップ君の両肩をポンポン叩いて
「君は二人が恋に落ちる手伝いをしたようなものなのだから、責任を取って二人を応援してやってくれ。
ジルスチュワー侯爵は彼らを認めているから、残っている障害は君の父親だけだ。しかし、これがとてつもなく難関不落の要塞となりそうだからね」
と言った。そしてその後で、
「俺がお前を手放すわけがないだろう」
と、殿下が小さく呟くのが聞こえたのだった。




