第42章 フローディア嬢の意思
「フィリップ君の作戦は素晴らしいと思います。しかし、それを実行する前にやる事がありますよね、子爵……」
私がこう言うと、彼は顔を曇らせた。そして言いにくそうにこう言った。
「たしかに私は、先ほど皆様と共に行動するとお約束いたしました。
しかし、息子の案を聞いて考えが変わりました。そもそも息子があの令嬢に嫌われてしまえば、何もフローディアは殺される振りなどしなくてもいいのですから。
皆様もそう思われますよね?」
「殺される振りとはどういうことですか!」
子爵の言葉に、フィリップはぎょっとして私達に目を向けた。そこで私達は、再び彼の父親にした説明を繰り返すことになった。
そして、あのレストランでの会話をフローディアに聞かれていたと知ったフィリップは、顔面蒼白になって頭を抱えた。
その反応は無理もない。いくら彼がキンバリーの話に同意していなかったとはいえ、彼は彼女と共に妹を殺す話し合いをしていたことになってしまうのだから。
「ああ。これで何もかも終わりだ。私は一生あの子に許してはもらえない……」
彼はそう呟いた。絶望的な顔をしていた。
「過去の君の態度に対して彼女がどう思っているのかはわからないが、少なくともそのレストランでの会話については、君を悪くは思っていないと思うよ。
君が怪しい香りをかがされて操られていたのだということを、フローディア嬢は理解しているからね。
ただし君を味方だとも思っていないから、さっさと死んだことにして、自分の存在を消したかったらしいよ。
そうすればもう自分は命を狙われる心配がないからと。
そもそも病弱設定にされていたので、自分の存在は誰にも知られていないのだから、新しい戸籍を作れば別人として自由に生きられると、彼女はそれを喜んでいましたよ」
かなりきつい話をしているという自覚はある。しかし、私が話さなければ彼らは一生ディアナ嬢の本当の気持ちを知らないまま、彼女との関係修復を試みるだろう。
そしておそらくその溝は埋まらない。そうならないために、彼らは事実を知らなければならないと思ったのだ。
私の告げたディアナ嬢の思いに、ロンバード子爵とフィリップは呆然自失となった。
愛する娘が、妹が、自分の存在を消してまで、家族のもとから離れたいと思っていることを知り、強い衝撃を受けているのだろう。
「どうして彼女にご自分の気持ちを正直に話さなかったのですか?
奥様には通じていたから、娘さんにも話さなくも通じると思っていたのですか?」
私の質問に、子爵はきょとんとした。
「妻に私の思いが通じていたとは、どういう意味ですか?」
「ナンシー夫人は亡くなられる前日まで貴方を愛しておられたのですよ。そして、ご自分が貴方に愛されていることもちゃんとわかっておられた。
夫人は私の母親と貴方の真実の愛の噂なんて全く信じてなどいなかったのですよ。
でも、それは夫婦として貴方との触れ合いがあったからこそなのです。しかし、ろくな会話もなかった父娘の関係ではそれは無理な話だったのですよ」
子爵は驚愕の表情で私を見た。そして恨めしそうにこう言った。
「ナンシーが、妻が私を愛していたというのですか? あんなに辛い目に遭わせ、苦労をさせていたというのに?
信じられない。何を根拠に他人の貴方がそんなことをおっしゃるのですか? 哀れな私への同情ですか?」
「夫人の日記にそう書かれてあったのですよ。不器用な貴方の愛情表現が嬉しいと。
毎朝、貴方が自ら手折って渡してくれる花を受け取ることが、何よりも幸せな時だと。
特にそれが前日に自分の目にとまった花だったりすると、夫も自分と同じ思いで花に目をやったのだと嬉しかったそうですよ。やはり貴方と心が通い合っているのだと。
どんなに言い合って喧嘩をした翌朝でも、必ず貴方は花を贈ってくれた。だから貴方の愛を信じられたと」
「ジルスチュワート卿、なぜそのことを知っているのですか? それは私と妻と二人きりの秘密だったのに。
もしや、本当に妻の日記を読んだのですか? どうやってそれを見つけたのですか? 私がいくら探しても見つけられなかったというのに」
ロンバード子爵は立ち上がり、私の目の前で跪くと、妻の日記のこと教えて欲しいと訴えてきた。
だから私は、子爵夫人の日記はフローディア嬢が見つけたのだと教えた。
彼女は母親の生前から部屋の鍵のスペアを預かっていた。そして定期的に部屋の空気の入れ替えをして、掃除をしていたのだと。
夫人の死には自分の母親であるジルスチュワート侯爵夫人や従妹のレイクレス伯爵令嬢が関係しているかもしれない。
だからその証拠となるものを調査したいと私が告げると、フローディア嬢が自分で探すと言ってくれたのだと。
彼女も母親の死に疑いを持っていて、それを解明したいから、と。
「不審なものは見つかったのですか?」
フィリップの問にマッケイン伯爵が頷いた。
「さすがに実の娘だね。自分の母親が所有するには不似合いだという品をいくつか提出してくれたのだが、そのどれもが証拠品になりうる物だったよ」
「それでは、母に何か悪さをしていた奴らを捕らえることができるのでしょうか?」
青褪めて俯いていたフィリップは、勢いよくガバっと前に身を乗り出した。微かな希望の光が見えた気がしたのだろう。
たしかに微かな光は差し込んだのだが、実際はそれだけなのだ。
「それらの品を贈った相手がたとえ特定されたとしても、それが人に害をなす物だとは知らなかったと言われたら、それ以上は追求できない。
その品を取り扱う元締めを捕まえて、その者達との関係をはっきりさせないと、容疑者を重い罪には問えない」
親友である伯爵の言葉に子爵は項垂れた。法律の専門家である彼にとってそれは当たり前のことだったからだ。
「だから妹を囮にして容疑者を追い詰めようというわけなのですね?
そしてそれを妹が望んでいると」
フィリップがこう問うたとき、子爵は「駄目だ!」と大声を上げた。妻は自分のために娘が危険にさらされることを望むわけがないと。
そのとおりだと思う。しかし、ジルスチュワート侯爵夫人やレイクレス伯爵家の犯罪を明らかにしないと、薬物の蔓延を止められない。
多くの民が薬によって狂人となり、やがて社会不安を巻き起こすだろう。
いや、すでに起きている。中毒患者が暴れ回って人に暴行して殺めたり、建物や物を破壊したり、馬車を暴走させて人身事故を起こしたり。
王都だけにとどまらず、最近では近隣の都市でも同様な事件が起き始めている。
「貴族や裕福な者は護衛を付けられるからまだいい。しかし一般の庶民はそうはいかない。自分達だけで己や家族の身を守るなんて到底できない。
騎士団の下部組織である警邏隊が、王都の見回りに力を入れているが、このまま行けば手が回らなくなるのは確実だ。
ただでさえ、密売摘発の方に人員が割かれているのだからね。
今王都ではその何か得体の知れない不穏な空気が漂い始め、不安にさらされている。しかしその原因が麻薬のせいだなんて、ほとんどの者達はまだ知らない。
何か良くないことの起きる前兆ではないかと怯えている者達が増えている。悪魔や魔女のせいだと噂している者も。こちらはあながち間違いでもないのだが。
とにかく早く麻薬を没滅しなければならない。もちろん魅了魔法擬きの香水の類も」
クロフォード殿下が厳しくなってきている現状についてこう説明すると、ロンバード子爵は言った。
事の重大さは十分に認識している。この国の官吏としてできる限りの協力はする。しかし、娘は巻き込まないで欲しいと。
フローディア嬢の安全は必ず守ると殿下は言ったが、その保証はどこにあるのかと、彼は私達に詰め寄った。
「所詮貴方方にとっては、しがない子爵家の娘一人などどうなっても構わないのでしょう? 多くの人民の方が大切ですからね。
でも、私には娘がフローディアの命が何よりも大切なのです。
だから嫌われていると分かっても、あの子を隠したんですよ。それなのに……」
子爵は嗚咽しながら私達にそう言い放った。
違う。フローディア嬢はしがないただの子爵家の娘などではない。
私にとっては初恋の相手で唯一無二の大切な存在だ。本当はこんなことに巻き込みたくはない。
しかし、彼女自身が真実を知りたがっている。そして彼らの悪事を許せないと思っている。
だからこそ私は彼女と共に戦いたいと思っている。代われるものなら代わってやりたいだなんて、出来もしない綺麗事は言うつもりはない。
それでもずっと側にいることを許されるのならば、彼女の盾になる覚悟くらいはあるのだ。
私の気持ちを知っているクロフォード殿下は、歯を食いしばって堪えている私を見て何か言いかけたが、彼もまたぐっと押し黙った。ここで言うべきではないと判断したのだろう。
そしてマッケイン伯爵も何も言葉を発しなかった。彼は子爵の親友であり、娘を持つ父親であるから、いくら騎士団団長とはいえ、何も言えないのだろう。
暫く何とも言えない重苦しい沈黙が続いた。しかしやがてフィリップがこう口を開いた。
「父上。フローディアに囮になることを止めさせようとすれば、私達はただでさえ嫌われているのに、今度は軽蔑されますよ。一生。
あの子の望みは、何も知らされないでただ守られていることではなく、真実を知りたがっているのですよ。母上の死の原因を。
そして罪を犯した者達を裁きにかけたいと思っている。母上のため、自分のため、そして多くの人々のために。
私達があの子のためにしてやれることはそれに協力し、体を張って彼女を守ることじゃないのですか?」
思いも寄らない息子の言葉に、ロンバード子爵は唖然として固まった。
しかし、やがて力なく笑うと「お前の言う通りかもしれないな」と呟いたのだった。
こうして、どうにかロンバード子爵と嫡男の賛同を得ることができたので、ようやく私達は今後の詳細な計画を立て始めたのだった。




