第40章 兄の真意2
父親の責めるような視線を避けるように、俯きながらフィリップはこう言った。
「僕は、いえ私は物心つく前から父が大好きでした。最初は父を大袈裟に褒め称える祖母の影響だったのかもしれません。
しかし、祖母が亡くなってからも、成長して多くの人と接するようになって、さらにその思いは強くなりました。
父は誰より美しく、優しく、そして博学で、多くの人達から愛されて慕われているのを肌で感じたからです。
それに比べて母は祖母の言っていた通りにあまりにも地味で、父とは釣り合わないと思っていました。
それなのに、社交場では多くの男性に囲まれて笑顔を見せて、ふしだらだと感じていました。
だから母には近付かなかったし、母からは何かを学ぼうという気も起こりませんでした」
「ナンシーをふしだらだと! なんてことを言うのだ、お前は!」
ロンバード子爵は怒りのあまりに立ち上がり、ぶるぶると両手を震わせた。
王子殿下がいなければ息子を殴り飛ばしていたことだろう。
フィリップ君、いくらなんでもその思い込みはひどい。
家の借金返済のために必死にロビー活動をしていただけなのに、ふしだらだと息子に思われていたのでは、亡くなった母君も立つ瀬がないだろう。
ふしだらというのは、義父と関係を持ち、妻子ある男性に違法な香料を使って関係を迫るような、私の母親のような女性のことなんだよ。
もちろん、今はもうわかっているのだろうが。
「申し訳ありません。父上。母上には申し訳なさ過ぎて謝罪さえできません。
スゴッテ男爵家の伯父上からは墓参りも許されていませんが、それも当然です。
母上をずっと苦しめて蔑ろにしてきたのですから、許されるとは思っていません。本当に愚かでした」
「謝罪すべき相手は母上だけではないのだろう?」
マッケイン伯爵が優しげに訊ねると、フィリップは力無く頷いた。
「フローディアにもずっと謝りたいと思っていました。あの子の存在をずっと無視してきたことに」
「それは、彼女への嫉妬のせいかね?」
「そうです。父は一見すると三人の子供を皆平等に愛しているように接していました。
それでも私の目には、母に似ているフローディアを一番愛しているように見えたのです。それが悔しくて我慢できなかった。なぜ自分が一番じゃないのだろうと。
しかし成長していくうちに、父がフローディアを愛しているのは、ただ顔立ちが母に似ているからだけではなく、思考や趣向が母と似通っているからだと気付きました。
父は典型的文系人間で法律の専門家でした。でも、自然を大切にする心を持ち、草花や生き物を愛でていました。
それは父が成立に尽力した自然保護法の中身を読めばわかります。
私も遅ればせながら、次第に母から動植物について学びたいと思うようになりました。農業経営についても。
このままだったら後継者の座もフローディアに奪われてしまうのではないか、という恐怖にもかられていたので。
しかし長い間自分を蔑んできたくせに、今ごろ何を言っているのか。そう母に吐き捨てられるかもしれないと思うと、とても言い出せませんでした。
笑えますよね? それまでは母親のことを見下していたのに、いざ見捨てられそうになったら、怖くて何も言えなくなってしまうなんて。
そのせいで余計に母に近寄ることもできなくなってしまったのです。
それはフローディアに対しても同じことで、目を合わせ、声を掛けることすら恐ろしくなって。
あの子が虐めを受けていた時も、助けたくても体が金縛りにあったみたいに動けなかったのです。
せめてシャルロットが助けに入ってくれたらと願いましたが、あいつは、フローディアを利用するのは上手いけれど、妹に対する情なんて持ち合わせてはいませんでした。
自分のことを棚に上げてこんなことを言うべきでないことくらいわかっていますが。私は本当に情けない兄です。
父上にフローディアのことを頼むといつも言われていたので、あの子に何かあったらどうしようと、いつも冷や冷やしていました。
だから、いつのまにかフローディアが、虐められる前に見知らぬ少年とどこかへ姿を消す様になったときは、内心ホッとしていました」
「その見知らぬ少年とは私のことだよ」
私がそう教えると、フィリップとロンバード子爵が喫驚した。そして間を置いてフィリップが呟いた。
「そうか。学園に通っていたころ、僕が話しかけると嫌そうにしていたのは、僕が幼い妹を見捨てるような男だと分かっていたからなんだね」
いや、それは違う。あの綿毛少女が彼の妹だったと気付いたのは、つい最近だからね。でも、今はそれを説明している場合ではない。
「馬鹿だな。ナンシーはお前達のことだって、フローディアと同じように愛していた。もしお前から植物について教えて欲しいとねだられたら、泣いて喜んだだろうに」
父親の言葉にフィリップはポロポロと涙を流した。母親が死んだ時、どれほど彼は後悔したことだろう。それが想像できて胸が詰まった。
たしかに彼は愚かだった。しかし、もし私の母やレイクレス伯爵家が彼の母親に関与しなければ、まだやり直す可能性だってあったかもしれない。そう考えると辛かった。
「母上が亡くなって、嘆き悲しむ父上やフローディアを見ながら、何もできない自分が情けなかった。
そしてその後私にできることといえば、学園の勉強とともに植物学や農業学を独学で学ぶことくらいだったのです。
いつか家やフローディアのために何か役に立つかもしれない。そう考えて必死に学びました」
「それで植物に詳しくなったのだな」
「本当はフローディアに謝って、兄妹としての関係をやり直したかったのですが、すでにもうどうしたらいいのかわからなくなっていました。
フローディアはもう、私だけでなく、父上やシャルロットのことも見限っているのがわかっていたので」
「・・・・・」
フィリップの言葉にロンバード子爵はなんとも言えない顔をしていた。彼も息子と同じような状況だったからだろう。
「君はキンバリーをどう思っているんだい?」
私が肝心なことを訊ねると、フィリップは父親譲りのその美しい顔を歪ませて吐き捨てるように言った。
「妹を殺そうとしている奴ですよ。憎いに決まっているではないですか!
何が幸せになるために二人で力を合わせて、その障害になるものを排除していきましょう……だ!
ふざけるな!
あんな女のことなんて一度も愛したことはない。嫌で嫌でたまらなかった。それなのになぜか愛想笑いをしてしまう。その理由がわからなくて頭がおかしくなりそうだった。
しかしそんな逆らえないような状態であっても、私は彼女に愛を囁いたことはない。どんなに求められても婚約には同意しなかったし。
それなのに、あの女は自分が私に愛されていると信じている。そして婚約者気取りだ。頭がイカれているとしか思えない。
父上と伯爵令嬢の悲恋の伝説も、嘘っぱちなのでしょう? 父上は私と同じ目に遭っていたのでしょう?
我が家を不幸にしたのはあのキンバリーとその一族だ!」
フィリップは決して私に向かって言ったわけではないが、申し訳なさで私は胸がつまり息苦しくなった。
本来私は彼をこうやって追い詰めていい立場にはない。むしろ、彼と彼の父親に責められても文句が言えない人間なのだ。私は両拳を握りしめて歯を食いしばった。
すると私の背をクロフォード殿下がポンポンと叩いてくれた。そしてフィリップに向かってこう言った。
「正直なことを言うと、君をこの会合に呼ぶことを私はためらっていたんだ。
君を信用できるか確証がなかったからだ。同級生とはいえ、特に話をしたこともなかったしね。
でもね、ジルスチュワート卿が君のことを信じているというので、ここへ来てもらったのだよ」
その言葉に、フィリップは信じられないという顔をして私を見た。
そりゃあそうだろう。私はこれまでずっと彼を避けまくっていたのだから。
私はここで初めて、学園時代から思ってきたことを初めてフィリップに告白した。
男の矜持が邪魔をしてできなかったけれど、本当は以前から君と友人になって、悩みを打ち明け、愚痴を言い合いたかったと。
もっと早くに君と友人となって親しく交友さえしていれば、君をキンバリーから守れたのではないかと今とても後悔していると。
しばらくフィリップは私の顔をじっと見ていたが、真剣な顔つきで、
「それなら、今からでも私と友人となっていただけませんか? こんな情けない男ですが」
と言った。そこで、私は反対にこう彼に問いかけた。
「それはこちらの台詞だ。私は君の家族を不幸にした元凶の息子ですよ。それでも友人になってくれるのかい?」
するとフィリップは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「貴方と私は、下らない悲恋の恋人達の噂によって迷惑を被った被害者同士なのですよ。
そんな貴方をあいつらと同一視なんてするわけがないでしょう。貴方は何も悪くないのだから。
だからどうか友人になってください」
「ありがとう。よろしく頼みます」
私が右手を差し出すと、フィリップも手を強く握り返してくれた。するとその上に、なんとクロフォード殿下が右手を被せてきた。
「ついでに私も友人に加えてもらえないかな。
私は農業政策に力を入れているので、農業の知識を持つ助っ人が必要なんでね」
「別に友人でなくても私は文官ですから、命令とあらばもちろん協力させていただきますが……」
彼らのやり取りに私は思わず笑ってしまった。二人とも素直じゃないなと。




