第38章 兄と妹
私とマッケイン伯爵、そして後から加わったクロフォード第三王子から事件の概要を聞かされたロンバード子爵は、ただただひたすらに喫驚し、困惑し、そして憤怒した。
そして最後は最愛の娘である次女フローディアが、実の息子である長男フィリップとレイクレス伯爵令嬢によって命を狙われていると知って絶句し、彼はガタガタと恐怖で震え出した。
さらに、私が子爵の上着の内ポケットの中から、怪しげな匂いの染み込んだ薄い布切れを取り出したことで茫然自失してしまった。
「まさか上着内ポケットの中にこんな怪しげな物が仕込まれていたなんて、今の今まで全く気付きませんでした」
しばらくして、ようやく気を取り直したロンバード子爵がまだ青ざめた顔でこう呟くと、マッケイン伯爵も眉間に深い皴を寄せて言った。
「俺だって気付けなかったと思うぞ。まあ、俺の場合、妻が毎日チェックするから見つけられたかもしれないが。
ジルスチュワート卿はどうしてこのことに気付かれたのですか?」
「推理したのです。子爵が普段一番よく身に着けているものは何かと。でも、普通の人なら気付けなくても当然でしょうね。
おそらく、身に付けた人には気付かれず、それでいて魅了の効果が出るようにぎりぎりの調整がなされているのでしょう。
夜香草をハンカチに挟んで携帯されているので、今はその効果は消されていると思いますが。
おそらくそれを仕込んだのは子爵の職場の人間で、母かレイクレス伯爵令嬢にでも利用されたのでしょう」
私の母と子爵の伝説の信者、つまり「悲劇の恋」のファンに。
私の言葉に子爵は思い当たる人物がいたのか顔を顰めた。
あの噂を真実だと信じているということなら、きっと女性職員なのだろう。そうなると数が限られるので、子爵にも目星が付いたのだと思う。
「フローディアが屋敷中に夜香草を飾ってくれるようになってから、私達はようやく物事が正しく判断できるようになりました。
ところが、その後フィリップの様子がむしろ変になったのです。
それは、怪しげな媚薬をし掛けられていたときとは違う別の変化なのですが。
ずっと顔色が悪く、何かにひどく怯えて苦しんでいるようでした。
食事の量も減り、睡眠時間もあまり取れない様子だったので、何度も声をかけたのですが、なんでもないと言うばかりで。
ただ時折ひどく辛そうな目でフローディアをこっそりと見つめていたので、何か妹にやましい思いがあるのではないかと気になってはいたのです。
しかし、まさか妹を殺す算段をしていたなんて、私にはとても信じられません。いくら媚薬によってレイクレス伯爵令嬢の言いなりになっていたからだとしても」
家族を何よりも大切に思っている子爵にとって、これは信じ難い話だろう。
「算段をしていたのはキンバリーだけです。彼女が一方的にフィリップ君に話していただけで、彼はそれに対して何の反応もしていなかったそうですよ。
たとえ彼が洗脳状態陥っていたとしても、さすがにそんなことを受け入れることは本能的にできなかったのでしょう」
「ですが、今はもう正気に返っているのですから私に打ち明けて妹を助けて欲しいと訴えるのが普通でしょう? そもそも妹に手を掛けるつもりがないのなら。
それを未だにしていないということは、妹を見殺しにするつもりだということではないのですか?」
子爵は悲痛な顔をして私に問うてきた。もちろん否定して欲しいのだ。
すると、子爵家と親しい関係にあるマッケイン伯爵がこう言った。
「これはあくまでも俺の私見なのですが、フィリップ君は自分の力だけで妹を助けようとしているのではないでしょうか?
おそらく罪悪感だと思います。あの子は昔から下の妹に対してきつくあたっていたので。
彼女に嫉妬していたのだと思います。母親似というだけで尊敬する大好きな父親に愛されている妹に」
親友の言葉はロンバード子爵にとって思いがけないものだったのだろう。息子が下の娘に対して嫉妬しているだなんて。驚いたような顔をして友人の顔を見た。
多分フィリップは父親に嫌われることを恐れて、彼の前ではそんな素振りを見せないようにしていたはずだ。
そしてディアナ嬢本人も家族に関することは全てを諦めていたので、兄や姉に冷遇されていることをわざわざ父親の前で口に出したりはしなかったのだろう。
「先ほど私は、フローディア嬢と図書館で顔見知りになったとお話しましたよね。
でも子供のころに度々パーティー会場で会っていたのですよ。
そこでフローディア嬢はよく他所の子供達から虐めを受けていました。
からかいや罵声だけではなく、頭の上から土をかけられ、かなり悪質な虐めでした。
そのとき、私はその女の子がロンバード子爵家の令嬢だとは知りませんでした。
フィリップ君とシャルロット嬢が近くにいたのに、それを見て見ぬ振りをして一度も彼女を助けようとはしなかったので、まさか彼らの妹だとは思わなかったのですよ。
フィリップ君はその当時のことを、後になって反省したというか後悔していたのでしょう。
しかし、今さら謝ることも態度を改めることもできず、ずっと苦悩していたのかしれませんね」
私の言葉にロンバード子爵はがっくりと肩を落とした。
最愛の娘が虐めを受けていたことも、それを実の兄と姉が助けもせずに傍観していたことも彼は知らなかったようだ。
「いつも私はフローディアに、パーティー会場では兄と姉の側から離れてはいけないと言っていたのです。二人が付いていてくれれば安心だと思っていたからです。それなのに、まさか面倒を見るどころか苛められているのを放置していたとは……」
父親からすれば、兄や姉の側にいれば安心だと思ったからこそ、そう命じていたのだろう。姉はともかく、兄の方はしっかり者で優秀だと思っていただろうから。
しかし、実のところ、兄と姉は妹のことを無視して守っていなかったのだ。それを今ごろ知らされたのだから、子爵はかなりショックを受けたことだろう。
しかも放置していた理由が妹に嫉妬していたからなんて、普通気付けないよな。しかも自分のことが原因で。
まあ、父親なんてみんなそんなものかも知れない。我が身を振り返ってみても、父親はいつも素っ気なくて話しかけてもこなかったし。
執事(カイル=ワーナードの父親で現在の家令)や母親代わりのメイド長が私達の間に入ってくれていなかったら、自分は父親に嫌われているのだとずっと思い込んでいただろう。
何せ私はあの汚れた母親が産んだ息子なのだから。
それにロンバード子爵家のランメル夫妻は、たしかに良い人達だ。
しかし、彼らは所詮夫人側の人だから、子爵の思いをどれだけ忖度できたかは疑わしいと私は思っていた。
なぜなら、いくらなんでもディアナ嬢とロンバード子爵の思いが互いに一方通行過ぎる。彼らが上手なフォローを入れていたとはとても思えないのだ。
「セルシオの言う通りなのかもしれないが、今回の件はそんな罪滅ぼしみたいな気持ちだけで対処できることではない。命がかかっているのだからな。フィリップ君にも我々の指示に従ってもらわないと」
クロフォード殿下がこう言うと、マッケイン伯爵もこう言葉を続けた。
「ニコラス、さっき説明したとおり、今は彼を責めるのではなく、フローディア嬢をいかに守り、そして無事に死なせるか、その重要性を息子に説くことが君の役目だ。しっかりしてくれよ」
「無事に死なせる……」
親友のその言葉に子爵は青ざめたが、それでも力なく頷いた。
そこで私達四人は、今後の作戦について忌憚のない意見をぶつけ合い、徹夜で計画を立てた。
そして朝一番でロンバード子爵家に伝令を出し、フィリップに急ぎ、登城するように命じたのだった。




