第32章 母の罪状
クロフォードがまるで遊びにやってくるような体して私の執務室に訪れていたのは、実は違法薬物を捜査していることを周囲に知られたくなかったからだ。
私の方が王子殿下の執務室へ頻繁に報告をしに出向いていたら、何か大きな問題を抱えていると受け取られかねない。
しかし、ジルスチュワート侯爵家の執事がいるときを見計らって足を運んでいるのなら、たとえそれが毎日だったとしても、私との個人的な話なのだろう、と認識されるに違いないと考えたからだ。
まあ実際のところ、私の個人的問題でクロフォードの力を借りていたことも本当だったのだが。
というのも、カイルの言っていたジルスチュワート侯爵家の喜劇のプロローグと同時進行で、それとは別のシリアスでサスペンスな話が進められていたからだ。
なんとディアナ嬢が、フィリップとキンバリーから命を狙われているというのだ。
第二騎士団のファスト卿から手渡されたディアナ嬢のその手紙を読んだとき、私はあまりのショックに自分の心臓が止まるのではないかと本気で思った。
私は急いで返事を書いて、それを折り返し彼女に届けてほしい、とファスト卿に依頼した。
その内容は、次の待ち合わせ日時の知らせと浄化作用があるという夜香草と呼ばれる植物を、すぐに子爵家の屋敷中に飾ってほしいという依頼だった。
その植物が魅了された者を正常に戻す効果が本当にあるのかどうか、君のご家族で試してもらえないかと。
ロンバード子爵とフィリップが正常に戻れば、ディアナを必ず守ってくれるはずだと私は確信していたのだ。
鬼気迫るという事態になったというのに、なぜそんな悠長な依頼をしたのかと言えば、社交シーズンが終えた従妹のキンバリーが、近く王都を離れて領地へ帰ることを知っていたからだ。
そしてここ数年の傾向だと、二か月以上は領地に留まっている。おそらく彼女は父親と共に密輸に関与しているのだろう。
麻薬の原料となる植物は秋に収穫され、それから加工されて商品化して、真冬に密売される。収入が減る冬季の収入源となるので、貧しい地域では昔からこの商売が盛んだった。
それ故に麻薬の広がりを抑えるために、各国では貧困地域の新たな産業作りに取り組んできたのだ。
ところが取り扱う者が減って生産量が減少すれば、皮肉にも商品価値が上がるので、新規に参入する愚か者が出てくる。
しかもそいつらはかつてのような貧しい者ではなく、貴族や裕福な平民が多い。そのために取り締まりからすり抜ける術を持つ者が多く、かなりの数を減らせたとはいえ絶滅させることができないのが現状だ。
レイクレス伯爵領は隣国と接している。それ故に昔から密輸に関わっているという噂が後を絶たなかった。
しかし先代国王時代、麻薬による中毒患者が増大したことで、輸入品の取り締まりが強化された。そのことで、レイクレス伯爵家も一時的に密輸を控えていたようだった。
ところが祖父が悪事を再開させたのだ。しかもそれは黒というより摘発されにくいグレーゾーンを狙った、さらに悪質なものだった。
そう、それは魅了効果のある香料の輸入だ。
麻薬なら使用されれば、それは割と早く表に出るからまだ対処ができる。麻薬中毒患者の症状は顕著だからだ。
しかし、魅了による弊害は分かりにくい。大昔、まだ魔力持ち人間が一般的だった頃は、当然魅了魔法を使える者も少数ながら存在していたという。
そしてその魅了持ちのせいでいくつもの国が滅んだと歴史書には記されてある。
時代とともに魔力を持つ人間が減り、今では魔法というものはすでにおとぎ話の世界のものとなっている。
しかしそれでも人間は、魔法が使えたら良いという願望を持ち続けている。そのために魔法に代わる便利な道具を作り続けているのだ。
そして同様に魅了の力を欲している人間がいて、これまで様々なものが生み出されては規制されてきた。そのために魅了関係の発明品については当然各国が条約を結び、開発や販売、そして使用を禁止しているのだ。
麻薬の栽培や売買している輩は「黒の魔法使い」、魅了グッズを取り扱っている輩は「赤の魔女」と呼ばれている。どちらの関係者にも男や女がいて、性別差はない。しかし、区別するために便宜上そう呼ばれているようだ。
その魅了効果がある香料をレイクレス伯爵家は二十年以上前からその赤の魔女から購入していたらしい。
しかしこれまで巷の噂に上がらなかったのは、その品を個人的に使っていただけだからなのだろう。
これは私の想像に過ぎないのだが、私の母が現ロンバード子爵に恋をしたことが事の発端だったのではないだろうか。
母は絶世の美男子であるロンバード子爵令息に近付こうとしたが、彼には相手にされなかったのだと思う。
子爵が今は亡き夫人を深く愛していたことを鑑みると、彼は女性に対して容姿よりも知性や教養、そして人柄を重視していたのだと推察できる。
そうなると私の母親は彼の好みとは大きく外れていることになる。
母にとって興味のあるものは、ただただ「美」一択だ。まあその一環で令嬢としての教養や礼儀作法、ダンスなども身に付けはしていたが、結局「美」以外のことに関心はあまりないのだ。
少し突っ込んだ話をすれば母の中身が空っぽだということがわかったはずだ。それ故に、ロンバード子爵令息は母の誘いに乗らなかったのだろう。
子爵は結婚した後とても幸せそうで、学園時代になぜマデリーン=レイクレス伯爵令嬢(ジルスチュワート侯爵夫人)を好きだったのがわらないと、親友のビクター=マッケイン伯爵に話していたという。
自分に関心を持たない子爵令息を恋人にしたいがために、母は魅了効果のある香料を欲したに違いない。そして娘を溺愛していた祖父が、娘の願いを叶えるために赤の魔女と接触して手に入れたのだろう。
しかし、祖父は娘のために僅かな量だけを入手していただけだったので、その香料が市井に出回ることがなかったようだ。
そのために母が魅了の力でロンバード子爵令息を虜にしたことに、誰も疑問に思わなかったのだろう。
彼らは絶世の美男美女の組み合わせで、誰もが憧れる存在だったからだ。
ところが三年前に祖父が亡くなると、伯父が世界中で禁止されている麻薬、そして魅了効果のある香水を闇マーケットに流通させてしまったのだ。
祖父は商売上手だったので、先祖達のような悪辣な商売をしなくても、領地経営とジルスチュワート侯爵家との提携している事業で十分に潤っていた。
しかしながら前レイクレス伯爵の死後、まるでその後を追うように前ジルスチュワート侯爵が亡くなると、両家の業務提携は解消されてしまった。
そのせいで伯父であるレイクレス伯爵は単独で商売することになったのだが、残念なことに彼には商才がなかった。
ところがプライドだけは高く、これまでの生活水準が下がることに彼は、いやレイクレス伯爵家は耐えられなかった。
そのために彼らは、先々代までやっていた闇の商売を復活させてしまったのだ。
つまり黒の魔法使いや赤の魔女と手を結んでしまったのだ。
なぜジルスチュワート侯爵である父がレイクレス伯爵との手を切ったのかといえば、レイクレス伯爵の経営者としての能力が低くて共同経営するメリットがないからだった。
そもそも前侯爵が前レイクレス伯爵を共同経営にしていたのも、私の母との関係があって後ろめたい気持ちがあったからなのだろう。
しかし父からすれば、妻マデリーンはずっと自分の父親と関係を持っていた、憎むべき相手である。その実家に手を差し伸べる理由など全くなかったのだ。
さすがに母もそれをわかっていたから、実家を助けて欲しいとは縋らなかった。ロンバード子爵の後妻になれる見込みができるまでは、父に捨てられたくなかったのだろう。




