第30章 ディアナ嬢の願い
ここから第一章のシーンの時系列に戻ります。
第二騎士団の若手ナンバーワンと呼ばれている騎士ファスト卿が、ロンバード子爵家から亡き夫人の遺品を持ち帰ってきた二日後、今度はディアナ嬢からの手紙を届けてきた。
彼女がわざわざ手紙を寄越してきたということは、さぞかし何か切羽詰まったことが起きたのだろう。慌てて開封してみると、私の想像を遥かに超えた出来事が二つも記されていた。
一つ目はロンバード子爵家に夜香草と呼ばれる、この地域では生育できないとされている、かなり珍しい貴重な植物が群生していたということ。
この植物には浄化作用があり、魅了に罹った者を正常に戻す効果があるかもしれないという。(これが実証されたら非常に素晴らしい)
二つ目は私の従妹のキンバリーが、フィリップ君に彼女を亡き者にしようと話しているのを聞いたということ。
どうやらキンバリーがイヤリングに仕込んだ香料に魅了効果があるようだと。
この事実を知って私は激しい怒りと共に恐怖に襲われた。
ディアナの命が狙われている。すぐに飛んで行ってどこか安全な場所に匿いたいという衝動に駆られた。
しかし、ディアナが狙われているという確実な証拠があるわけではない。そして彼女の身内でも婚約者でも恋人でもない自分には、彼女を連れ去る資格などない。
しかも私は彼女の命を狙っている人間の身内なのだ。それがひどく腹立たしく情けなかった。
今私にできることといえば、クロフォード殿下や第三騎士団長のマッケイン伯爵に相談することくらいだった。
しかし長い話し合いから導かれた結論は、表立ってはフローディア嬢の警備や保護をするわけにはいかないということだった。
なぜなら今は、レイクレス伯爵家とジルスチュワート侯爵夫人を中心とした、違法麻薬や密貿易を秘密裏に捜査している大切な時期だったので、その動きを敵方に知られたくはないからだ。
そこで密かに王家の影をディアナ嬢とキンバリーに付けよう、と殿下が言った。
しかし、影は屋敷の中にまでは潜り込むことができないので、屋敷の中で何かあった場合は対処ができない。
それを考えると焦りや不安が襲ってきて、私はいたたまれない気持ちになった。
そして手紙を受け取った三日後の水曜日。
私はカツラに口髭、そして眼鏡を装着した。領地で執事をしている幼なじみ、オスカー=ハーモンドのスタイルだ。今は慎重に行動をしなければならない。私はで、はやる気持ちを必死で抑えながら王立図書館へ向かった。
すると、いつものメイドスタイルのディアナ嬢が、入り口の近くで待っていてくれた。母君の形見だというあのバスケットを持って。
私達は図書館の建物の中には入らず、中庭へと足を運んだ。
私は今日も貴賓室へ向かおうとしたのだが、彼女が外で話したいと言ったのだ。
そしてそこでディアナはこう言ったのだ。
「もし私が殺されたら、いいえ死んだ時は私をルシアン様の領地で雇ってくださいませんか?」
と。
最初に目が合った瞬間に、今日のディアナ嬢はいつもとは違う気がした。急に大人びたような。
そう。何か覚悟を決めたかのような、妙に落ち着き払った雰囲気がした。
すでにもう晩秋と呼ばれる時期に入っていたので、昼間はまだ過ごしやすいが、朝晩は冷え込む日も多くなった。
今朝も霜が降りているのではないかと思うほど冷え込んだので、今もまだ肌寒い。しかしそのおかげでこの時間に外に出る者は、私達二人だけしかいなかった。
いつもと同じベンチに並んで腰掛けると、彼女は真剣な目で私を見つめながら、突然わけのわからないことを言い出したのだ。
「誰かに殺されそうなのかい?」
「はい。兄に」
「そうか。それなら殺される前に雇ってあげるよ」
私がそう答えると彼女は首を横に振った。淡いクリーム色のウェーブの髪の毛が大きく揺れた。
「私は未成年なのでそれは無理です。ですから死んだ後にお願いします。
メイドでも庭師としてでも構いません。少しは貴方のお役に立てると思います」
「お父上に助けてはもらえないのかい?」
「父は兄を溺愛しているので、私の言うことなんて信じてくれるはずがありません。
激怒して私を追い出してくれれば、それはそれでよいのですが、未成年の娘を追い出すなんて世間体の悪いことを父がするとは思えません。
私を病弱設定にしているので修道院へも送れませんし。
だからこそ、兄は邪魔な私を殺そうとしているのです」
まさか、彼女が自分を死んだことにして自分を守ろうと考えるとは思いもしなかった。
その発想の転換には舌を巻いた。
彼女の身の安全を考えるのならば、一度彼女を死なせた方が安全なのかもしれないな。確かに妙案だ。
そして死んだと皆に思わせて、王都から離れた場所で新しく平民として住民登録をすれば、ディアナ嬢は別人として生きて行けるだろう。
彼女は元々成人したら平民になりたいと言っていたのだから、それが少しは早まるだけだ。
しかし、私の胸はズキンと痛んだ。彼女が平民になったら、貴族の私は彼女と結婚することができない。
私自身は貴族であることに拘りはないし、穢れた家の嫡男という座にも未練はない。
しかし、高位貴族の家に生まれてきてしまった以上は義務と責任がある。それを放棄することはできない。
彼女を好きになってからそのことをずっと悩んできたが、彼女はそれを気にする様子もない。
彼女にとって私は、やはり単なる少し年の離れた友人、もしくは相談役なのだろう。
自分の思いを告げられないヘタレ野郎の私は、一人悶々とした。
もっとも、母の罪が明らかになれば、我が家は侯爵家ではなくなるだろう。もしかしたら平民に落とされるかもしれない。そうなれば彼女との身分差はなくなって都合がいいのか?
いや、そんなことはない。今度はこちらが釣り合わなくなる。こちらは加害者で彼女は被害者なのだから。
しかし、今はそんなことを悩んでいる場合ではない。彼女は命を狙われているのだと急いで頭を切り替えた。
そして彼女が無事安全(?)に死ぬことができるように緻密な計画を立てなくてはと。
「君を雇うと約束しよう。だが、そのためには君は安全に死ななければならない。それは簡単じゃない。
多くの人達の協力が必要となる。その中には君の好まない人物もいるのだが、どうかそれを受け入れて欲しい。それが君を雇う条件だ。どうする?」
君が心配だからこちらの指示に従って欲しいと素直に言うべきだったが、私は少し腹を立てていた。
たしかにディアナ嬢を囮にすれば、キンバリーを逮捕しやすいのは確かだ。しかし、彼女がわざと挑発してキンバリーに自分を狙わせるように仕向けたことは許せなかった。
それはキンバリーにわざと罪を犯させようとしたからではなく、彼女が自分の命を軽んじているようで。
これまで乳母夫婦しか頼る者がいなかったために、人に頼る術を知らなかったのはわかる。
しかし、今は私がいるではないか! 私の正体はすでに明かしているし、昔から君を守りたいと思っていたことも伝えたよね?
だから少し意地の悪いことを言ってしまった。するとディアナ嬢は怒った私の顔を見てしゅんとしてこう答えた。
「勝手な真似をしてすみませんでした。無謀過ぎました。これからはルシアン様の指示に従います」
と。
今回の計画にはロンバード子爵家の人間の助けがどうしても必要だ。それなのにディアナ嬢は家族を見限っている。
そこで私は、彼女の誤解というか思い違いを指摘し、家族との仲を取り持つことを決めたのだ。
彼女の父親であるロンバード子爵は、亡き妻を本当に愛していた。おそらくそれは間違いない。
そしてディアナ嬢のことも愛していたからこそ側に置いておきたのだったろう。
ただし私の母に目を付けられるのを恐れてメイドの振りをさせて人前に出さないようにしたのだと思う。そのことは彼のエゴであり、決して褒められたものではないが。
間が空いてしまい、申し訳ありません。
完結目指して頑張ります。
読んでくださってありがとうございました。




