第3章 花言葉の意味
この章は少し短いです。
ある日の水曜日、ディアナがお嬢様のいるダンスレッスン場へ向かった後、ふと彼女と会話を始めたきっかけのことを思い出した。
私のイメージだと言っていたカルミアとは、一体どんな植物なのだろう。植物図鑑を手にしてその植物のページを開いた。
そしてその挿絵を見て私は驚いた。
カルミアは五角形の珍しい小さな蕾をつける低木だ。そしてやがて淡いピンク色の愛らしい小花がたくさん咲かせ、それがいくつもの塊を作っている。そう、紫陽花みたいに。
花の説明の後で花言葉が記されてあった。
花の集まりがレースの日傘を差している女性に見えることから、「優美な女性」という花言葉になったと。
私が「優美な女性」のイメージ? いくらなんでも違うと思った瞬間、別の花言葉が目に入った。
それは「裏切り」という暗くて後ろめたさを感じる言葉だった。正しく自分のことを指していると、ズシンと心が重くなった。
私はディアナに一番大事なことで嘘をついていたからだ。
そう。それは名前だ。
私の本当の名前はセルシオ=ルシアン=ジルスチュワーだが、彼女には公表していないセカンドネームのルシアンとだけ名乗った。
宰相の補佐を務める上級官吏である私は、城以外の場所で本名を名乗ったり、役職名を明かしてはいけないことになっているからだ。
その役職のために人に利用されたり騙されたりしないための用心だ。
家族でさえ余程信頼のできる者にしか教えてはいけないと言われた。
だから私は父と執事にしかその役職について話してはいない。母は一人息子が総務省の一役人だと思っていることだろう。
おそらくディアナは私が貴族だとわかっているだろう。そして自分と深く関わるつもりがないから家名を名乗らないのだと思っているに違いない。賢い子だから。
彼女は自分が心の底では信用されてはいないと知りつつも、割り切って私と接してくれているのだろう。
だからこそ彼女も治部の両親の雇い主の悪口や愚痴は言っても、その主の名前どころか爵位の話もしない。
つまり彼女も私を信用していないということなのだろう。
改めてその事実に気付き、今さらながら胸が苦しくなった。
私は彼女にとって、いつ裏切るかわからない人間だと認識されているのだ。そのことが辛くてやるせない。
これまで仕事上平気の平左で人を裏切って、必要な情報を入手してきたような人間だというのに。これは国のため、社会のためだからとお題目を唱えて。
それなのに、たった一人の平民の娘に名を偽っている、ただそれだけのことで、なぜこうも胸が苦しいのだろうか。
そしてその理由は、その後母からあるご令嬢との顔合わせを強制された時、ようやく理解した。
これまでも母が持ってくる縁談話には嫌悪感しかなかったが、祖父の名まで使ってそのご令嬢と婚約させようとしてきたことに、激しい怒りと憎しみが溢れてきた。
それと同時にようやく自分の思いに気が付いたのだ。私はディアナが好きで、彼女以外の女性では駄目なのだということに。
彼女への思いを自覚しても、彼女と結ばれることはない。それがわかっていても、彼女以外の女性と結婚することは絶対に嫌だった。
跡継ぎなら親類の次男か三男を養子にすればいいことだ。目ぼしい優秀な子供もいる。
それに気付くと、むしろこの方がジルスチュワー侯爵家にとってはいいことのように思えた。
あの悍ましい祖父と愚かな母の血を引く自分が跡を継ぐよりも。
そう思い立つとすぐに行動に移すことにした。そもそも母の小賢しい思惑など最初からわかっていて、わざとそれに乗ってやっていた。
それが父の望みでもあったからなのだが、もうそろそろいいのではないかと思った。
相手のご令嬢がどこまで母の思惑を知っているのかはわからないが、別にそのご令嬢まで不幸にしたいと願っているわけでもない。いくら因縁のある相手だとしても。
だから早く結論を出してやった方が、彼女も新たな相手を見つけられていいだろう。