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第1章 プロローグ

 

「もし私が殺されたら、いいえ死んだら、その時は私を領地で雇ってくださいますか?」

 

 いつものように王立図書館の中庭にあるベンチに並んで腰掛けているとき、彼女は真剣な目で私を見つめながら、訳のわからないことを言い出した。

 

「誰かに殺されそうなのかい?」

 

「はい。兄に」

 

「そうか。それなら殺される前に雇ってあげるよ」

 

 私がそう答えると彼女は首を横に振った。淡いクリーム色の大きなウェーブの髪の毛が大きく揺れた。

 

「私は未成年なのでそれは無理です。ですから死んだ後にお願いします。

 メイドでも庭師としてでも構いません。きっと貴方のお役に立てると思います」

 

「お父上に助けてはもらえないのかい?」

 

「父は兄を溺愛しているので、私の言うことなんて信じてくれるはずがありません。

 激怒して私を追い出してくれれば、それはそれでよいのですが、未成年の娘を追い出すなんて世間体を気にする父がそんなことをするとは思えません。

 私を病弱設定にしているので修道院へも送れません。全く自業自得です。

 だからこそ、兄は邪魔な私を殺そうとしているのです」

 

 なるほど。

 彼女の身の安全を考えるのならば、一度彼女を死なせた方が安全だということか。

 

 

 この国の貴族には、東方の国々で用いられている戸籍簿に似ている貴族簿というものがある。

 しかし平民にそんなものはない。一人一人が個人で住民登録しているにすぎない。

 彼女が死ねば当然彼女は貴族簿から抹消されるが、平民になって新たに居住する場所で住民登録すれば、完全に別の人間に生まれ変われるのだ。

 

 確かに妙案だ。彼女は元々成人したら平民になりたいと言っていたのだから、それが少しは早まるだけだ。

 しかし、私の胸はズキンと痛んだ。

 彼女が平民になったら貴族の私は彼女と結婚することができない。

 私自身は貴族であることに拘りはないし、穢れた家の嫡男という座にも未練はない。

 しかし、高位貴族の家に生まれてきてしまった以上義務と責任がある。それを放棄することはできない。

 彼女を好きになってからそのことをずっと悩んできた。しかし、彼女はそれを気にする様子もない。

 

 彼女にとって私は、やはり単なる少し年の離れた友人、もしくは相談役なのだろう。

 自分の思いを告げたこともないヘタレ野郎のくせに、私は一人悶々とした。

 しかし、今はそんなことを悩んでいる場合ではない、彼女は命を狙われているのだ、と急いで頭を切り替えた。

 そして彼女が無事安全(?)に死ぬことができるように緻密な計画を立てることにしたのだった。

 

 

 ✽✽✽✽✽

 

 

 私の名前はセルシオ=ジルスチュワー。侯爵家の嫡男で、国の行政府で宰相の秘補佐を務める上級官吏だ。

 毎日激務に追われている私の唯一の癒しの場となっているのは、毎週水曜日に通っている王立図書館だ。

 

 最初のうちは普段通りに朝家を出て、閉館時間までそこで昼食抜きで過ごしていた。

 平日に街中で外食やテイクアウトしているところを知り合いに見られたくなかったからだ。

 

 しかし、三か月ほど経ったころから、顔見知りになった少女が持参したお弁当を分けてもらうようになった。

 いや、彼女は毒見役として食べていたようなものだから、実質恵んでもらっていたようなものだ。

 話をするようになって間もなく、彼女にお腹がなっているのに気付かれてしまい、昼食を抜いている理由を話したら、わざわざ作ってきてくれるようになったのだ。

 もちろんただでは申し訳ないので金を支払おうとしたのだが、色々と教えてもらっているのだからそのお礼です、と言って受け取ってはくれなかった。

 

「お屋敷の農園で栽培している野菜と、飼っているヤギの乳製品で作っているものばかりなので、お金はかかっていないのです。肉とか贅沢な食材は使っていませんし、気にしないでください」

 

 とクリーム色の髪をした彼女は明るく笑った。まるでタンポポみたいな笑顔で可愛いと思った。

 初めて彼女を見たときにもそう思った。

 髪の色や質感は違うが、瞳の色が同じ薄茶色だったので、昔出会った白いタンポポの綿毛のような頭の、小さなご令嬢とその姿が重なった。

 しかしそんなことを言ったら、貴族令嬢でなくても失礼に当たるだろうと口にはしなかった。

 田舎育ちの私は、百合や薔薇よりタンポポの花の方が好きだが、貴族としては珍しい好みだと自覚していたからだ。

 

 それにしても、贅沢や食材は使ってはいないと言いつつ、サンドイッチの他にも毎回違う果物がデザートとして添えられていた。

 イチゴにブルーベリー、ラズベリー、スモモ、アンズ、ブドウ、オレンジ、カキ、ナシ……

 

 これだけの果物を屋敷内に植えてあるということは、さぞかし広大な土地があるってことだ。つまり高位貴族なのだろう。

 しかし、それを彼女に訊ねることはできなかった。こちらだって身分を告げてはいないのだから。

 ところが間もなく私は、自分のこの予想が外れていたということを知った。

 

「お屋敷の収穫物で私の弁当を作ったりしてもいいのかい? 奥様におこられたりしないのか?」

 

「奥様はお亡くなりになっていて、家事一切は私の家族に任されていますからしかられたりしませんよ。それに他に使用人もいませんし。

 あの方達は農園もお庭にも関心なんてありません。

 当然厨房にも入ったことありませんから、私が好き勝手にしてもなんの問題もありません。

 そもそも旦那様からはまともな食費をもらっていないのですから、私達が食べさせてあげているようなものなのですよ。

 文句なんて言われたら、食事に腹下しの実を入れてやりますよ」

 

 彼女の言葉に絶句した。

 

 彼女によると大農園から嫁いできた奥様が存命のころは、農夫を雇って畑を耕し、果樹を育て、収穫した農産物を出荷していたらしい。

 王都ではなかなか手に入らない新鮮な野菜や果物だということで、かなり人気があり、貴族に高値で売れて、先々代が作った借金返済も順調に進んでいたという。

 しかし、夫人が亡くなった後は責任者がいなくなったせいで、農園経営は続けられなくなって、また貧乏暮らしに戻ったらしい。

 

「しかも今では正式な使用人は両親だけで、未成年の私は正式な使用人というわけじゃありません。それなのにタダ働きさせられているのです。

 それなのに、それを当然だと思って、私にありがとうの一言もないのだから本当に腹が立ちます。

 来年成人したらすぐにあんなお屋敷から出て行ってやりますよ」

 

 彼女は話をしていくうちに段々と怒りが増してきたようで、憤慨しながらそう言った。

 

(未成年の子供をタダ働きさせるなんて悪質だな。少し調べた方がいいな)

 

 そう思いながら私は黙々とランチを食べた。相変わらず採りたての野菜と、放し飼いの鶏の産んだ新鮮玉子のサンドイッチは美味しかった。

 今日だけでなく彼女が作ってくれる食事はいつもおいしいのだが、今後も間違っても不満など漏らさないようにしよう。

 腹下し薬でも飲まされたら困るからな、と思った私だった。


読んでくださってありがとうございました。

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