見捨てられた令嬢。竜の花嫁として捧げられましたが、黙って従う気はありません【短編版】
王都中が影で覆われるほどの、大きな翼を広げて。
金の瞳をした、イェルク山の竜が言った。
「我は代替わりに際し、"ケガレナキ乙女"を、息子の"ハナヨメ"として要求する。
娘の"血"を、我が息子に捧げよ」
それが、火山に囲まれたヴルカン王国を守護する、竜からの要請だった。
◇
「また仮病か、マルティナ・ロストン! いい加減、その怠け癖をどうにかしたらどうだ!」
やっとの思いで出勤した私を迎えたのは、上司であるユルゲン伯爵の轟く罵声。
「昨日は仮病ではなく、本当に体調が悪くて休むしか……」
「医局部に問い合わせたぞ。きみが受診してないことは確認済だ!」
「めまいが酷くて、立ち上がることすら出来なかったのです。それで医局部に赴けず……」
「家に医者が往診に来たとも聞いてないぞ! 子爵家なら、当然お抱え医師がいるだろう!」
「ち、父が。外聞を気にして、私が呼ぶことを禁じ……」
「見え透いた言い訳は結構! ロストン子爵は出来た方だ。父君のことを悪く言うのはやめるんだ。信じる者など誰もいない。
身勝手なきみが開けた穴を、誰が埋めてくれたと思う! ナディア・ロストンがわざわざ来てくれたんだぞ。彼女の担当部署は別だと言うのに」
(ナディアが……)
「まったく。同じ姉妹で、どうしてこうも違うのだ! 姉であるきみは陰気で、サボリの常習犯。対してナディアはいつも笑顔で周囲を気遣える、有能な女性! 本当に雲泥の差だな。子爵家でもきみを持て余し気味だと聞くが、ご家族に同情するよ」
一方的に責め立てられ、重い身体を引きずってどうにか職場に来た私を、ひそひそ声が取り囲む。
"またズル休み?"
"良いご身分ね"
ズル休みなど、一度もしたことがない。
休息も十分に取れない激務とストレスで、身体が悲鳴を上げた。それが真実。
それでもこんな陰口が実しやかに囁かれるのは、ナディアが触れ回っているからだ。
義妹のナディアは、私のことを嫌っている。
彼女が狙うティバルト・オルラウ伯爵令息が、私と婚約していることが妬ましいらしい。
実母が生前、結んでくれた縁談だった。
(この部署に移った当初は、こんなじゃなかったのに……)
差し入れを持って何度も出入りするナディアが、私を孤立させるための悪評を撒き散らした。
そのうえ彼女は権力のある男性に取り入るのが上手く、上司からの私への嫌悪は、周りの嫌がらせも生んだ。
(すごく疲れるわ)
それでも。
もう少しで退職出来る。
数か月後には、私はオルラウ家に嫁ぎ、同時に仕事も辞めることが決定していた。
(あと少しの辛抱だから……)
そうして休んだ分、積み上げられた書類に向かい合った時。
空が、翳った。
「竜だ!」
「イェルクの竜が、降りてきたぞ!!」
職場、つまり王城内は騒然となり、人々の叫ぶ声が響く。
イェルク山の竜。ここ百年以上、山から出なかった竜が、来た?!
──我は代替わりに際し、"ケガレナキ乙女"を、息子の"ハナヨメ"として要求する──
竜が飛び去った後、城では緊急会議が開かれた。
王都に滞在する貴族が急ぎ集い、けれども私は変わらず自分の仕事に忙殺され。
深夜まで拘束されて帰宅したら、父親から耳を疑う言葉を告げられた。
「竜の花嫁として、マルティナ。お前が選ばれた。速やかに旅装を整え、イェルク山に向かうように」
(嘘でしょう──)
「で、でも、私は婚約しています」
「婚約はナディアが引き継ぐ。先方も了承済みだ。我が家としては、何の支障もないばかりか、オルラウ伯爵家にも喜ばれた。評判の悪い姉の方ではなく、器量良しの妹が嫁になるとな!」
「ティバルト様は? 彼は、何と?」
「ティバルト殿もナディアが良いそうだ」
「!!」
「わかりきったことだろう。せっかくティバルト殿が会いに来ても、お前は夜も帰って来ない。お前の代わりにナディアがいつもティバルト殿をもてなしていたのだぞ」
「それは仕事が! 皆さんが、私に業務を回して来るので──」
「夜遊びしていることは、ナディアから聞いて知っている。亡きお前の母が、今のお前を自堕落ぶりを見たら、さぞ嘆くことだろうな!」
ああ!! ここでもナディアが!!
彼女の名前が出たら最後、私がいくら本当のことを話しても取り合っては貰えない。
私はそれを、長年の経験から痛感して学んでいた。
「なぜ……、私なのです……」
「竜が求めたのは"花嫁"だ。おおかた"生贄"と同意だろうが、それでも守護竜から"花嫁"と言われたからには、農民の娘などもってのほか。貴族家の適齢の娘であるべき。既婚者をのぞくと、自然と絞られて来る」
フン、と父が鼻を鳴らした。
「お前は職場でも鼻つまみ者だそうだな。ワシはとても恥ずかしかったぞ。幸い、竜は国内の噂など知らん。お前で良かろうと会議で決定したのだ」
(実の……娘を? そんなあっさりと頷いて……)
私の中で、何かが崩れ落ちた。
私は父親に差し出されたのだ。
おそらくご立派なロストン子爵は国のため。
泣く泣く娘を犠牲にした人物として、めでたく王や貴族たちの記憶に残ったことだろう。
そこから先のことは、よく覚えていない。
父は、「役立たずのお前が、初めて役に立つ」とか何とか、言っていたと思う。
私からの言葉は、「口答えするな」という怒声の前に封じられ、抵抗むなしく部屋に押し込められた。
気がつくと朝を迎え、出勤すると人事が発表されていて、私は。
念願の、"寿退職"とされていた。
荷物をまとめて机を去る時、ナディアが来て笑った。
「お義姉様のお仕事、私が引き継ぐことになりました。この前お手伝いしたけど、なんであんな簡単な作業にいつも時間をかけてらっしゃったの? 必要な項目を入れたら、すぐにデータが揃いますのに。私なら兼任でこなせますわ」
家族でとる最後の晩餐は、あっけないほどいつも通りで。
父も義母も義妹も、ナディアの婚礼衣装の話題で持ちきりになっていた。
結婚を少し先延ばし、豪華なドレスを仕立てるのだそうな。
私は蚊帳の外のまま、声を掛けられることもなく部屋に引き上げると。
これでもかというくらい泣き明かしてベッドを濡らし、真っ赤に腫らした目で翌朝、生家を後にした。
竜に、嫁ぐために。
◇
(せめて! もう少し先まで馬車で送ってくれたなら!!)
私は息も荒く、草を踏み分け、山道を歩いていた。
イェルクの山の中腹。
"花嫁"は満月の日までに、そこに立つ"緑岩"まで来ることが、竜の命令。
王都から馬車で何日もかかる日程を強行軍し、それでもギリギリ間に合うかというところで、「ここからは道が悪いから」と、徒歩になり。
複数の兵に囲まれて歩いた山の途中で、彼らからも放り出された。
"緑岩"まで見届けなくて良いのか気になったけど、私を連れてきた兵士たちは全員、青褪め震えて一歩も進めない状態になっていて。
竜の魔力がまとわりついて、彼らを阻んでいると気づいたのは、その時だった。
そんなわけで現在。
仕方がないので、ひとりで歩いている。
山は、火山とはいえ最後に噴火してから年月が経っており、そこかしこには緑が萌え、美しい湖のある、自然豊かな場所となっていた。
軽やかな小鳥の鳴き声を耳に歩いていくと、だんだん、溜まっていた鬱憤から解放されていくようで、私の心は絶望のドン底から、愚痴を並べ立てるくらいまでは回復していた。
(ふん! ふん! 何が役立たずよ! いま職場で使ってる画期的なシステム、構築したの私なんですからね!!)
データベースに条件を入れると、必要なデータを抽出する魔道具。
職務上、データを揃えるアシスタントをしていた私は、すぐに情報が取り出せるよう、システムをいじったのだ。
おかげで誰でも楽に、データを引き出すことが出来る。ナディアが手伝ったのは、その部分。
このシステムの難点は、そのベースとなるデータを毎日入力しないと、徐々に情報鮮度が落ち、役に立たなくなるということ。
今までは、その作業も私が一手に担ってきた。
各領地から集まって来る膨大なデータを入れ、そのうえで要請に応じて資料作成を行い、提出してきた。
量が量だけに、入力に多大な時間がかかるのだけど──。
(まあ数人で手分けすれば何とかなるわね。皆、仲良しですもの。私の時みたいに、ひとりに押しつけたりしないでしょ。溜め込んだら、もっと大変なことになるもの)
やさぐれながら歩いてくと澄んだ川があり、自分の影が、流れに乱されながらも映っていた。
水面の私は、カナリーイエローの髪色も、薄紫の瞳の色も、まるで判別がつかない。
けれども、とてもくたびれた姿であることは、よくわかった。
(こんなボロボロで、汗だくの花嫁っているかしら?)
本当なら、純白の花嫁衣裳を纏って、教会でお式を挙げるはずだった。
無駄と知りつつ私のトランクには、ティバルト様に嫁ぐために仕立てたドレスが入っている。
売り払らわれて、ナディアのお小遣いにされたくないから、持ち出したのだ。
くすっ。
くすくすくす。ふふふふふ。あはははははは!!
お腹から大声を出して。私は思い切り笑った。
淑女らしくないと咎める人は、もう誰もいない。
(待ってなさい、竜! 私を食べたら、腹痛でのたうち回らせてやるから!!)
木々の隙間から、キラリ、と緑色の光が反射した。
(竜の鱗? じゃないわね。イェルクの竜は紫と聞くし)
木立を抜けて、私はあっけにとられた。
("緑岩"って、これ──??)
名前から、てっきり苔むした大きな岩だとばかり想像していたけれど、これは。
(ほ、宝石……!!)
大きなオリーブ色の宝石が、むき出しの姿で突き立っていた。
火山から橄欖石という緑の石が採れる。そう本で読んだことはあったけど、大抵は黒い岩石の中に含まれる程度のはずで……。
「うっわぁぁぁ……」
大人くらいの大岩が丸ごと宝石だというのは、初めて見る光景だった。
「わあ、わあ、わあ」
もっとよく見たくて、疲労でもつれそうな足を叱咤し、近づくと岩のところに人影がある。
私が気づくと同時に、向こうでも私に気づいたようだった。
ぶかぶかのフードを被った12、3歳くらいの子どもが、顔を上げてこちらを見た。
(かっ、わいい!!)
幼さの残るあどけない顔に、大きなシトリンの瞳。フードからのぞく暗い髪色が、白い肌を一層引き立てている。
(どうして女の子がひとりでこんな場所に……。この子も、花嫁ってこと……?)
何か手違いがあって、私とは別に、"生贄"として捧げられたのかもしれない。
(こんな年端のいかない子を、保身のために差し出す大人ってどうなの?!)
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
笑顔を作って明るく声かけた私に、子どもは控えめに挨拶を返してくる。少しハスキーながらも、愛らしい声だ。
「おうちはどこ? 送っていってあげる。道はわかる?」
「いや、ここで待ってないと"ハナヨメ"……」
「大丈夫よ、お姉さんが"花嫁"だから」
「えっ」
「"花嫁"はきっと、ふたりもいらないわ。私が"花嫁"として残るから、あなたはおうちに帰りなさいな。こんなに綺麗な子を手放すなんて、ご家族もきっと泣いてるでしょう?」
「えっと……」
「私はマルティナ。マルティナ・ロストン。あなたは?」
「エルマー……」
「よろしくね、エルマー」
私はエルマーの手をとると、つないで歩き出した。
そんな私に彼女はちょっとだけ目を見開いたけど、とても嬉しそうな顔をして、道を示したのだった。
(可哀そうに。きっと死にたくなかっただろうし、ひとりで不安だったに違いないわ)
歩きながら、心に問う。
"花嫁"が減ると、竜は怒るかしら。
怒って、皆が困ることになる?
それにこの子を送っていると、満月に間に合わなくなるかも。
……知らないわ。
他者の犠牲の上に、自分たちだけ助かろうと考えること自体、浅はかなのよ。
これは、私の意見を何も聞いてくれなかった人たちへの、ささやかな抵抗。
"花嫁"にならないわけじゃない。
この子を送ったら、私は戻ってくるから。
人生の最期に、自由にさせて?
◇
と、思った願いは、わりとあっけなく砕かれた。
「なななな、なんでここに山犬の群れが……!」
「もちろん、山だから? 海犬じゃないよな」
エルマーの冗談は、混乱のあらわれだろうか。
私とエルマーは、気がつくと山犬たちに囲まれていた。
牙をむき出して唸る犬は、私のことを新鮮な肉だとしか見てないに違いない。
「に、逃げましょう、エルマー。ゆっくりと後ずさって……」
そろりとエルマーの手を引くけど、微動だにせず、そして彼女は一言を放った。
「失せろ。このマルティナは、俺の"ハナヨメ"だ」
その効果は絶大で、山犬たちは身を竦めると、さっと輪を解いて退散したけど。
私は手を握ったまま、この小さな少女……もとい少年を呆然と見直した。
("花嫁"? 私のことを"花嫁"? それに"俺"って言った?)
「待って、エルマー。あなたってまさか──」
「ああ、うん。何か勘違いしてるとは思ったが、後で良いかと……」
「──女の子じゃなかったの──っっ???」
エルマーは。
めちゃくちゃに拗ねた。
ふてくされた。
ぶっすぅぅぅぅと頬を膨らませたまま、私を住処へと案内してくれた。ぎゅっと握った手はそのままに。
フードを脱いだエルマーの頭には二本の角が、後ろにはしっぽが生えていて、竜人であることはもう疑いようもなかった。
彼が、竜が言った"息子"だったのだ。
(そういえば竜は人の姿にもなれると、何かで読んだことがあったっけ。王都に来た竜があまりに巨竜だったから、失念していたわ)
竜と手をつなぐなんて、とても不思議な体験だ。
導かれるままに、山に裂けた縦穴を抜けると、どんどんと地下に進んで行く。
「エ、エルマー? ここは?」
道すがら大きな紫水晶が、縦横無尽に突き出している。普通に"地下道だ"と彼は答えたけれど。
(すっごい)
やがて行きついたのは開けた空間で、そこには太い柱が並ぶ、古代様式の建物が建っていた。
「こんな立派な宮殿が、こんな場所に?」
私は驚きに目を見張った。
「第一時代の王国の跡だ。初代イェルクの竜が怒って、今の王国の前身を沈めたことは知ってるな?」
「ええ」
古に、火山の守護者たる竜を怒らせた旧ヴルカン王国。
その怒りは噴火を呼び、王国が埋没。
逃げのびた先で、人々が築いたのが現ヴルカン王国。
旧王国が第一時代。現王国が第二時代。
ヴルカンの民なら、子どもの頃に学ぶ歴史だ。
竜を怒らせるな。そうすれば逆に、火山から守ってくれる、守護竜であると。
流れるマグマを止めてくれた伝説もある。
王都に近いラーヴァの山は、竜が堰き止めたマグマから出来たと言われている。
「代々の"ハナヨメ"の生活の場として、眠ってた宮殿の灰を、適当に退かせた場所がここだ。つまり、今日からマルティナが住む場所ということになる」
「"住む"?」
「地下だが、太陽や月の光を取り入れてるから、人間の目にもさほど暗くないはず」
見ると、あちこちに配置された宝石や鏡石が、上の穴から射しこむ光をうまく屈折させて、宮殿の至る所を明るく照らしている。
思い返せば、ここに至る通路にも宝石が光を通し、視界は利いた。
「普段は地上に出てくれても構わないし、俺が大人になったら外でも暮らせるから、その時は一緒に──」
「待って。待って、エルマー。じゃあ私は、いつ食べられるの?」
「は?」
私の最大の関心と命題は、エルマーの素っ頓狂な声で、ひどく軽いものに聞こえた。
「だって"娘の血を捧げよ"って竜は言ったわ。つまり"花嫁"を食べるって、ことなんでしょう?」
エルマーはこれでもかというくらい目を丸くして、私を見つめている。
「父が……、なんと言ったかは知らなかったが……。じゃあマルティナは、俺に食べられるつもりでイェルクに来たのか? もしかして、死にたかった?」
「まさか! 死にたいはずがないわ!」
「ならどうして、逃げなかったんだ?」
「ええと……」
「機会はいくらでもあったはずだ。マルティナについてきた奴らは山に入れないよう、差し止めたのは俺だし」
(やっぱりあれは竜の仕業。でも確かになんで私は、逃げなかったのかしら)
「私が逃げたら、皆が困るから……?」
「ああ。仲間の人間たちを愛してるからか!」
「っ!」
「マルティナ?」
「愛……して……、ないかも……。私に、価値がない、から、愛して貰えな……いし……。うううっ」
「マルティナ?!」
急にポロポロと涙をこぼし始めた私に、エルマーは慌てた。
自分より背の高い私を慰めるため、頭を撫でようと背伸びしたり、オロオロと座る場所を勧め、飲み水を運び、背中をさすりながら労わってくれた。
こんなに優しく接して貰ったのは久しぶりで、私の涙はますます止まらずに、そして。
今まであったこと。
思いの丈を、この初対面の竜少年に全部ぶちまけてしまったのだった。
「なるほど……。マルティナは精神支配を受けてたようなものだな」
一通り聞き終えたエルマーが、頷くように言った。
「精神支配?」
「ああ。だってこんなに優れて優しいマルティナが、自分に価値がないと思いこむなんて、有り得ないだろ。味方のない状態で、常に抑圧を受け続けると、そういう状態に陥りやすい」
真面目で、誠実な人間ほど、自分はダメだと思い込んでしまう。
エルマーからそう聞いて、私はとても驚いていた。
年端のいかないエルマーの分析力にもだけど、私を褒めてくれたことにも。
私の精神が捻じ曲げられて、自分でも気づかないうちに思考が制限されていたなんて、思いもしなかった。
どうして私は周りの人間にそうされても仕方ないと、諦めていたんだろう。
全身で、こんなにも悲鳴を上げていたのに。
「何にせよ、俺はマルティナを気に入った。"花嫁"として歓迎するから、この山にいてくれ。大事にすると、約束する」
「えっ、えっ?」
「自分が殺されるかも知れないのに、俺を逃がそうと思ってくれたんだろう? なかなか出来ることじゃない」
(それは……、私が自分を要らない人間だと思っていたからで)
そう思いつつも、ほっこりと湧き上がってくるあたたかな気持ちが抑えられない。
つい照れ隠しに「こんなズタボロな花嫁で、ごめんなさい」と笑ったら、エルマーが眉を顰めて心配そうに言った。
「もし、自分に非がないのに謝るのが癖になってるなら、よくないぞ、マルティナ」
うっ。エルマーのほうが、まるで年上みたい。
「大丈夫。マルティナはとても可愛い。卑下はするな」
「え」
(か、可愛い? 私の聞き間違い?)
戸惑っていると、彼はもっと信じられないことを言った。
「特に笑った顔はすごく良い。ずっとこんな風に、笑顔でいてくれ」
そう言って破顔した彼こそ、とても魅力的で、私はここに来て良かったと、はじめて思ったのだった。
◇
「ああっ、くそっ。また白くなった! 難しすぎる!!」
「だから、ろうそくの火の、炎心から内芯くらいの温度に保ってってば」
「そんなわけのわからない加減が出来るか!!」
エルマーと暮らし始めて一か月。
教会の代わりに、光差し込む古代宮殿でふたり。
純白のドレスで、厳かな結婚式を挙げた私は、ずっとやってみたかったことのひとつを今、彼と試している。
ずばり、紫水晶を加熱して、黄水晶を作るのだ!!
実は私は、石が大好きだった。
鉱物も宝石もこよなく良いと思っているが、正直、あまり詳しくない。
それでも読んだ書物の中で、ずっと心にかかっていたのが、この色変化。
しかし高価な宝石である紫水晶を実験に使うなんて、そんなこと、下界ではとても考えられなかった。
でも地下宮殿の周囲には、大きな原石がゴロンゴロンと転がっている。
そして竜であるエルマーは、火を操るに長けた種族だった。
口から吐くだけでなく、魔力でも炎を出せる。
そんなわけで私がエルマーに持ち掛け、ふたりで水晶の色を変えるというミッションに挑んでいた。
エルマーの父竜は、イェルク山をエルマーに譲り、生まれたての火山に向かったという。
それで代替わり。
生まれて長いのに、いつまでも成竜にならないエルマーを独り立ちさせようという目的もあったらしい。
……エルマー、何歳なの?
地下宮殿には一通りの生活用品が揃っていたけど、エルマーは鉱脈から金のかけらを持って里に降り、私のための服や装身具、食べ物を仕入れてくれた。
角がわかりにくくなる、例のぶかぶかフードをかぶったエルマーと手をつなぎ、私は街歩きと旅行とデート気分を味わった。里には温泉まであって、至福の時を過ごした。
私たちは交流を重ねながら、互いの理解を深め合っていった。
「やった! 出来たぞ! これでどうだ!!」
「すごいわ、エルマー! 半分だけど、紫水晶が黄色くなってる!!」
大きな石ではなく、小さな粒でやってみたのが功を奏し、ついに紫水晶は、半分が黄色く変わっていた。
「きれい……。エルマーの暗紫の髪と、金色の瞳みたい」
「俺は、マルティナの金糸雀みたいな髪色と、瞳の色だと思った。好きだ、マルティナの薄紫色の瞳。優しい夜明けみたいで」
「そんなこと言って貰ったの、初めてよ。嬉しいわ。ならエルマーの瞳は、鮮烈な朝日ね。力強くて、希望に満ちてる」
私たちはふたりで顔を合わせて、肩を揺らして笑った。
近づいたおでこがくっついて、もうずっと仲良しだったみたいに、自然に笑いあえる。
私は現在に、満足していた。
「! 痛っっ」
「どうした?」
「……石で、指を切っちゃった」
バイカラーの水晶を、迂闊に扱ってしまったらしい。
「見せてみろ。ああ、血が出てるじゃないか」
ちゅぱっと、あまりに自然に、エルマーは私の指先の血を吸った。
「エエエエ、エルマぁぁぁ」
真っ赤になって慌てる私を上目遣いでチラリと眺めた、いたずらめいた眼差し。
私が照れると……
「わかってて、舐めたわね~~!!」
「あはははは。こんなことで照れるなんて、どうなんだ、マルティナ!」
彼はひとしきり大笑いしながら、殴る真似をする私を、腹を抱えながら避けて言った。
「まあでも、危ないな、これは」
そう言って、石の破片をきゅっと片手で包み込む。
次に開いた時に石は、角が取れて楕円形になっていた。
「初めて成功した記念に、石に俺の魔力を込めた。マルティナが持っててくれたら、嬉しい」
「ありがとう……、エルマー」
エルマーからのプレゼントに、私は心からの笑みを返し、握りしめた石は後日革紐でペンダントとして、胸元で揺れることになった。
(これが幸せというのね)
私は日々が、楽しかった。
◇
その頃、王都では。
「一体どうなってるんだ、ナディア。データが古いままじゃないか。取り出した資料が、まるで役に立たなかったぞ。こんなことでは、国政に障る」
「えっ」
「ちゃんと毎日、データをインプットしてるのか? 更新しないと意味がないことくらい、わかるだろう?」
「ま、毎日? データの入力担当は誰です? その方がさぼって……」
「きみの仕事だ。当たり前だろう? 専属担当者なんだから。前部署から正式にこちらに移ったんだから、いつまでも兼任気分でいたら困るよ」
「で、でも、一日分でもすごい量ですよ?」
「出来るはずだ。あのマルティナでさえ、こなせてたんだぞ。有能なきみだったら、もっと早く、良い成果を出してくれると期待してたんだが」
過去形での表現。期待外れだと、言われたも同然。
いまや上司となり、甘いだけではなく厳しく接してくるユルゲン伯爵に、ナディアは戸惑った。
貴族である彼は、下の者を使うことを当然としている。
無茶で無理なことも平然と命じるし、出来なければ腹を立てるのが、ユルゲンという男の常だった。
だがそれを置いておいたとしても。
(あ、あの量を毎日捌いてた? マルティナ義姉様が?! バ、バケモノなの? 深夜とはいえ帰宅してた……朝でも無理でしょお?)
ごくり、と息を呑む。
到底、常人がひとりでこなせる業務ではなく、数人がかりでも時間がかかることは明白。
押しつける方も押しつけるほうだ。
けれどそんなことをユルゲンに言うわけにはいかない。ならばこの場合、前任者に責任を押しつけて凌ぐのが上策。
素早く頭を巡らせたナディアの口から、根も葉もない言葉が滑り出した。
「そ……。そうですわ、お義姉様です! お義姉様が後任になる私が気に入らなくて、システムにおかしなロックをかけていったのです。おかげでまるで、はかどらなくて!!」
「何、マルティナが?」
「はい。私も皆様にご迷惑をおかけしていて心苦しいのですが──。ロックを解除して貰わないことには、どうにもなりませんわ」
ナディアは困ったように頬に手をあて、品を作った。
魅惑的な肢体が強調され、思わずユルゲン伯爵の視線が動く。
「だが、マルティナはとっくに竜に食べられている頃だろう……。待てよ、里での目撃情報が上がっていたな」
「まあ、竜から逃げ出したのかしら」
女性らしい仕草で、ナディアの指先はユルゲンの目を、自身の可憐な唇へと導いた。
よく手入れされた爪とリップが、艶やかに光る。
「いや、どうもそうではないらしいが……。ふむ。そう言うことなら、仕方ないな。今夜ふたりで、じっくりと、仕事の対策を練ってみよう」
こうして数日後、その対策が国王に奏上されるやいなや。
「イェルク山の竜は代替わりして、まだ幼い。"花嫁"にはもっと年若い娘をあてがうこととし、マルティナ・ロストンは連れ戻すこととする。マルティナという女の逆恨みで国事が滞るなど、あってはならん」
現ヴルカン王国始まって以来の愚策が、一方的な宣言のもとに下されたのだった。
◇
「エルマー、果実水を作ったのだけど一緒に飲む……。また、寝てるの?」
エルマーは最近、よく眠るようになった。
起きてきたと思っては、いつの間にか丸くなり、すやすやと寝息を立てている。
彼の整った顔かたちに暫く見惚れながらも、首を傾げた。
(成長期かしら)
そういえば風邪のようにハスキーだった声もいつの間にか、一段、低くなっている。背も伸びたような……。
そっと彼に毛布を掛けながら、私はキノコ狩りに、地表に出ることにした。
山裾の森に、たわわな木の実とたくさんのキノコを見つけ、驚喜したのがつい先日。
ついついエルマーと楽しく遊んで後回しになっていたけれど、今日は良い機会に思える。
「ちょっと出かけて来るわね」
聞こえてないだろうけれど声をかけ、地下宮殿を後にした。
「ふふふっ。籠いっぱい採れちゃった」
たくさんの収穫に、思わず頬が緩む。
料理は、エルマーのところで少しずつ勉強中。
彼は竜だけあって、こまめに食べなくても一度の大量摂取でエネルギーを蓄えることが出来るらしい。
丸ごとのイノシシとか、丸ごとの鹿とか、丸ごとの……、うん。それで長期間食べなくても全然平気らしいけど、私はそうはいかない。
それで最初の頃は、里で肉と料理を交換して貰っていたけど、自分でも真似て簡単なものを作ったら、彼に大感激されたのだ。
あまりの大喜びぶりに、私も嬉しくなって、じゃあもっといろんなものを、とレパートリーを増やして来た。
(今日は何を作ろうかな──)
「見つけたぞ!!」
「えっ」
突然の太い声に驚いて振り返ると、武装した兵たちが、数人。
非友好的な空気を発しながら、私を見ている。
「えっ……?」
(イェルクの山は、許された者しか入れないよう、エルマーが結界を張って……。ここは、山じゃない!!)
気がつくと私は、いつの間にか山の境界から出てしまっていた。
「お前がマルティナ・ロストンだな。捕縛命令が出ている。大人しく従え」
「なんっ──?!」
突然のことに、理解が追いつかない。
「何かの間違いでは? 私は命じられた通り、竜に嫁いでます」
「罪状は"国の業務を意図的に妨害した"ということだ。詳しいことは、王都で聞こう」
ますます身に覚えがない。それに。
「王都ですって?! ここから離れすぎてます。まずは竜と……、夫と話をしてください」
「問答無用! こちらも命じられた期限を過ぎている! お前が見つからなかったせいだ!!」
「そんな滅茶苦茶な! いや! 放して!! きゃああああ!!! エルマぁーっっっ!」
苛立つ兵士に強引に捕らえられた私を、王都で待っていたのは、もう顔も見たくないと思っていたかつての上司。ユルゲン伯爵だった。
縄で拘束され、引き出された先は王城の一室。
乱暴に床に投げ出された私に、ユルゲン伯爵はとんでもないことを言い放った。
「久しぶりだな、マルティナ。いきなりだが、システム入力の仕事が滞っている。お前の構築したシステムは、他の者には扱えなかった。そこでお前に、職場復帰をさせてやろう。これは王も了承済の決定事項だ」
「はあ?!」
(この人、気でも触れたの? 私はとっくに退職して、しかも竜に嫁いでいるのに??)
「強引にこんな真似をして、何を言うかと思ったら……。エルマーが……、イェルク山の竜が怒りますよ! 竜を怒らせてはいけないということは、子どもでも知っている話なのに」
「そうだな。竜は怒るだろう。黙って逃げ出したお前に対して」
「!!」
(攫っておきながら、私が逃げたことにするって言ってるの?!)
「そこで我々は、詫びを兼ねて新しい"花嫁"を贈り、お前のことは罰として一生王城で酷使させる。そう竜に持ちかけて、これからも良好な関係を築くつもりだ」
「一生……?」
「守護竜の"花嫁"という国の大切な役目を放棄し、逃亡するは重罪。システム改変で国政を妨害したのも重罪。お前は罪人確定で、その時点でロストン家からは縁切りされている。平民が王城で働ける栄誉を、光栄に思うことだ」
「何を……言っているの……? あなた方は! 何を言っているの!!」
私の知らないところで、私を好きに扱い、貴族の権利を奪ったうえで虐げるですって?
システムは誰にだって使えるはずよ。
完成済だから、データを入れていくだけですもの。
そのうえ元々は強引に私を竜のもとに送り込んだくせに、今更な変更が通るとでも?!
私のことだけではない。
竜を敬うふりをして、見下している舐めた態度。完全に頭に来た。
クラクラするほどの怒りを覚えたのは初めてで、目の前が暗くなりかける。
「竜を馬鹿にしないで!!」
バリン!!
炸裂した怒りと同時に。
部屋に置かれていた花瓶が、割れた。
「──え?」
間を置かず、強い揺れが王城を襲う。
「なっ、なんだ」
「地震!?」
激しい揺れは天井のシャンデリアの遠心力を試し、長椅子の踏ん張りに試練を与えた。
ピシリ、と窓のガラスに亀裂が入る。
「これはまさか……、イェルクの山が揺れたのか?」
一時的な横揺れが鎮まると、捕まっていた調度品から身を離したユルゲン伯爵が呟いた。
(エルマー? でも)
うかがうように、私も伏せた身を起しかけた時、庭から叫び声が上がった。
「!!」
「竜だ! 若い竜が、王城の上空に来たぞ」
──ヴルカンの王に伝える。早急に我が花嫁を返せ。その上でなら、申し開きを聞いてやる──
それは、今までに聞いたことのない、低い男性の声だった。
◇
私が連れ出された大広間には、貴族たちが居並んでいた。
私との縁を切ったらしい父ロストン子爵と、義妹のナディアが末席近くに。
少し上手にティバルト様の父君、オルラウ伯爵。
ティバルト様の姿はない。
上座に近い場所に……、国王?
(じゃあ玉座には誰が?)
見ると、長い脚を組み、尊大に腰掛ける竜人が当然のごとく態度で座している。
暗紫色の短い髪に、鋭い金色の瞳。頭の双角。
どの色もエルマーにそっくりで、顔立ちもよく似ていたけれど。
(私のエルマーは、こんなに育ってないわ)
かといって父竜というには若すぎる、人間では十代後半の精悍な青年が、不機嫌さを隠そうともせず、広間中を威圧していた。
「マルティナ!」
突然、私を見て声をあげる。
「???」
見知らぬ竜人から親し気に呼びかけられて、疑問を抱く間にも、青年は国王をキッと睨み、王からは上ずった声が発せられた。
「は、早くその娘を竜のところに」
背中を押されて玉座まで押し上げられ、青年の横に立たされた途端、がばっと腰を引き寄せられた。
「きゃ!」
私が立っているため、相手がお腹に顔を埋めてきて、何が何だかかかかか。
「ああ。マルティナ。無事で良かった。石に込めた魔力を辿るのが不慣れで、こんなに待たせてしまって悪かった」
「──?」
言っていることは、エルマーそのものなのだけど。
「もしかして、エルマー?」
「当然だろ! 誰だと思ったんだ」
なぜ、当たり前みたいに言い切るのか。
見た目の年齢が、まるで違うくせに。
それでも拗ねたような表情は、見慣れたエルマーのもので。
「エルマぁぁぁぁぁ!!」
迎えに来てくれた彼を抱きしめ返して、私は心底安心した。
良かった。新しい花嫁を迎えてなくて。
私のことを探してくれて。
「なんでこんなに育ってるの?」
「成竜になったんだ。こないだマルティナの血を舐めて、変化のスイッチが入ったらしい。寝続けるうちに、育った」
(……って、それにしても短期間すぎない? 血ってまさか、石で指を切った時の? "娘の血"。あんな一滴で効くの??)
今更ながらに、竜の生態には驚かされる。
聞けば、私が攫われたのも気付かないくらい深い眠りに落ちていた彼は、それでさらに初動が遅れたらしい。
地下宮殿にも、山の結界内にも私の気配がなく、微かに残った揉み合う足跡と魔力石の痕跡から、事件に巻き込まれたと察知して、私のことを追ってくれたそうだ。
位置を特定してからは、翼でひと飛びだったらしいが。
ふたりで会話を重ねていると、声が横から割って入った。
「イェルク山の竜よ。用が済んだなら──」
「──は?」
エルマーは火山の竜じゃなくて、氷山の竜だったかしら。
そうだと言われても納得する程の凍てつく視線が、国王に向けられた。
「俺の用はこれからだ。俺と俺の妻に、よくも無礼を働いてくれたな」
「無礼などとんでもない。我々は何も」
「何も? してないと言い張る気か? 申し開きなら聞くと言ったが、誤魔化そうとするなら問答無用で処断する! 俺は気は長くない!」
「ヒッ」
国王が出して良い声ではなかった。
私はすっかり自国の王に愛想が尽きていたし、後ろに並ぶ廷臣の皆さんにも、特に情感を感じない。
だって私、捨てられたし。
一方的に忠義を尽くす気持ちには、なれなかった。
「マルティナ。こいつらをどうしたい?」
「どうにも。エルマーと帰れたら、私はそれでいいわ」
「本気か? マルティナの価値もわからず、虐げてきた連中だぞ?」
「めちゃくちゃ腹は立ったけど。エルマーが来てくれなかったら、一生罪人として過酷な労働をさせられるところだったけど。乱暴されたし、実行犯には特別に反省して欲しいけど。私は自分が何の貢献もしてないのに、誰かの力を使って他人を振りまわすというのは、好きじゃないもの」
それをすると、嫌いな女がやってたことと、同じになってしまう。
「俺を成竜にしたという功績は、なにものにも代えがたいことで、歴史にも刻まれるべき偉業なんだが」
(……エルマー? その言い方だと、別の意味にも受け取れちゃうのは私がやらしいの?)
「そ……! あなた様が成竜になるための"花嫁"を提供したのは我々です、イェルク山の竜よ!!」
よせば良いのに、国王が口をはさむ。
普段周りが合わせてくれるため、場を読むということを知らないらしい。
「その大切な花嫁を拐かしたのもお前たちだ、人間!」
「ヒィィィッ」
「だが……。なるほど、そうだな。その功、認めてやっても良い」
ニヤリ、とエルマーが不敵に口の端を歪めた。
「お前をこの国の代王……。つまり、代理の王に任じてやる」
「……へ?」
国王があっけにとられた顔をした。
それもそのはず、現在、国王は紛れもないこの国の王で、代王となれば明らかな格下げ。
あらゆる決定権を、他者に握られるということを意味している。
「な、何を」
「何を? 貴様、まだわかっていないのか? 俺の認識では、玉座に座る者が"王"だ。お前の前で、いま玉座に在るのは誰だ」
(エ、エルマー?)
流れるように国を乗っ取る。
私はこんなエルマーを、見たことがなかった。
居るだけで強大な力を感じさせ、人の姿でありながら、竜の恐ろしさを感じさせる圧倒な存在感。
(成竜になるって、全然違うことなのね)
しかも現在、とても怒っている最中である。
演技かな~~、とも思ったけど、間違いなく怒っている。
私にはわかる。これは、大切なものを取られた時のエルマーだ。
私が彼のプリンを食べちゃった時の、一億倍以上は激怒していると思う。
ぬるま湯に浸かるような生活をして来た国王や貴族の精神では、太刀打ち出来る相手ではなかった。
案の定国王も、それ以上何も言えないでいる。
たったいま王の座から引きずり落とされたにも関わらず、だ。
「皆、聞いたな? 今日、これよりこの国の王は、この俺だ。不要な人間は即座に追い出すから、そのつもりでいろ。人事は我が妃に一任する。自分たちの主が誰か、しっかりと心に刻め!」
一斉に、視線が私に集まった。
エルマーのいう"妃"が私だと、そう認識されたことになる。
(ええええええ……)
宮廷に関わるなんて面倒臭い。正直、そう思った。
諸侯にもさすがに、飲めなかったらしい。
エルマーの圧に怖じず、大胆にも声が上がる。
「恐れながら! 発言をお許しいただきたい」
(オルラウ伯爵……!!)
ティバルト様の父君。
もしかしたら義父になっていたかもしれない人物が、エルマーの促しをもって言葉を続ける。
「元子爵家のご令嬢なれば、諸侯の事情や領地の情勢など明るくないことでしょう。その女性に人事を委ねられると、いたずらに宮廷が混乱することは必定。竜にはヴルカンの崩壊をお望みか」
……国王陛下の擁護じゃなく、私に対する不信のアピール。
わかるわ。
私の国での評判はナディアの誇張もあって、とても悪いもの。
仕事をさぼってばかりの、無責任な遊び人。
以前の私なら、ここで小さくなって辞退を申し出ていた。
人事なんて、やりたくないし。
でも、私は懸命に働いてきたと自負している。
証明するならば、いま。
「マルティナ、彼は?」
「ヴルカンの南西を領地とされるオルラウ伯爵です。主要都市はテーハ、領地内の城と要塞は全五基。うちブライ城は機能されていません。人口は……」
家系の誰がどの家に嫁ぎ、年間の小麦産出量、特産品、困っている災害に経営方針。
「──近年、特に商業に力を入れていらっしゃいますが、街道の整備が間に合わず、また隣接のバーム領と折り合いもあり、思う成果が出せていらっしゃらないようです」
聞かれてない情報まで語る。
でもここまでは婚家となる予定だったからと、思われることもあるだろう。
だから、ついでだけど。
「隣にいらっしゃるビス侯爵は、王国内で八番目の面積となる領地を保有され……」
エルマーが止めるまで続ける勢いで、次々に各家について話していくと、広間内が驚きに包まれていく。
きっと下位貴族の小娘にここまで把握されているとは、想像していなかったのだろう。
哀しいことに、王城のデータに入っていることは、あらかた私の頭にも入ってる。
家々の弱点をさらけ出してあげてもいいのよ?
噂の真偽も確かめず、女ひとりを悪女に仕立て、都合の良い"イケニエ"に選出した貴族家の皆様。
……どうやら私はヴルカンの宮廷に対して、自分で思う以上に鬱憤がたまってたっぽい。
延々と続く提示を、エルマーが手を挙げて制した。
楽し気な視線を、さっとこちらに投げかけた後、愉快そうに広間を見回す。
「我が妃は、十分すぎるほど国の事情に精通しているように思えるが?」
「失礼……いたしました」
オルラウ伯爵が硬い表情でそれだけ言って、あとの言葉を飲み込んだ。
その胸中に何を抱いたのか、私にはわからない。
「これほどの宝を"ハナヨメ"として我に差し出したヴルカンの忠義、嬉しく思う」
(ノリノリね? エルマー)
しっかり嫌味まで混ぜ込んで、王様ムーブが様になっている。
誰も彼が、つい数日前までほんの子どもだったなんて思いもしないに違いない。
そう思っている私を、突然の驚きが襲った。
列からひとり、貴族が出てきたのだ。
揉み手をせんばかりの愛想笑いで、玉座に近寄って来たのは、父だった男、ロストン子爵。
誰の許可もないまま、勝手に話し始めた。
「新しい国王陛下にご挨拶申し上げます。──マルティナ、ワシは鼻が高いぞ。イェルク山の竜王様に気に入られるとは、自慢の娘だ」
締まりのない、おもねるような笑みに、私は冷ややかな気持ちになる。
その言葉を数ヶ月前に聞けていたら。
私の心の真ん中が、ぽっかり空いている時に言ってくれていたら。
(遅かったです、お父様。私はもう、あなたを必要としない──)
「あの男は誰だ?」
察しているだろうに、エルマーが問う。
"今後の距離を決めていい"と、私に委ねてくれたのだ。
「さあ。うっかりと忘れてしまいました。どなただったかしら」
"知らない"というには、他の貴族たちの名を挙げ過ぎた。
たちまちロストン子爵の顔が、怒りに染まる。
私の態度がお気に召さなかったらしい。
「っ!! マルティナ、お前、育ててやった恩を忘れたのか!」
(自分がしたことを忘れたのは、お父様のほうでは?)
私はひとつ息を吸うと、決別の意を込めて言い切った。
「私はかつての家族から縁を切られたようです。いま私の家族は、ここにいる夫だけ。他の方は等しく他人。そう思っています」
「なんっ……!」
顔を真っ赤にして、子爵が口を噤む。いま話したらきっと、いつもの癖で悪口雑言を吐きそうだったのだろう。
そしてたった今、それを見たばかりのはずだったのに。
もうひとり、歩み出て来た。
「いかがでしょう、イェルク山の竜王、エルマー様。わたくしもエルマー様の花嫁に、加えていただけませんか?」
聞き慣れた声に、ドキリと心臓が跳ねる。
豪奢な白金の髪を揺らしながら、ウットリとした目で見上げてくるのは義妹のナディアだった。
「お前は何だ?」
「マルティナの義妹で、ナディア・ロストンと申します。お見知りおきくださいませ」
華やかなドレスを手で広げ、深く優雅に腰をかがめるお辞儀は、花が咲くように美しい。
"縁が切れた"と伝えたにも関わず、"義妹"を強調してきたのはエルマーへのアピールだと想像がつく。
私は思わず、この席にはいない人物のことを尋ねた。
「婚約中のティバルト様はどうしたの?」
「ティバルト様は領地視察で本日はご不在なので、事後承諾となりますが。ヴルカンの新国王、エルマー様のお役に立ちたいわたくしの気持ち、ティバルト様もわかってくださるかと存じます」
ティバルト様より、エルマーのほうが顔も好みで力も大きいから乗り換える。
そういうことらしい。あんなに執着して、ついには奪ったのに。
「義姉はエルマー様の花嫁として選ばれましたが、その人選は偶然のようなもの。エルマー様におかれましても、他の女性を見てから選ばれたほうが、より充実した夫婦生活を送れるものと愚考いたします」
チラリ、と絶妙な角度で色っぽい視線と、胸元を主張してくる技術はさすがと言わざるを得ない。
そして私は、決定的なことに気がついた。
(……! そうだわ。エルマーは、他の貴族女性を見てなかったんだった!)
もし、彼が目移りしたら?
気が変わるということも、ひょっとして有り得るの……?
"それはない"と信じながらも、バクバクと脈が暴れ出す。
ナディアの甘やかな声は続いている。
「わたくしでしたら、あなた様をもっとご満足させることが出来るかと──」
「お前から、たくさんのオスのニオイがする」
「──え?」
ナディアの笑みが、強張った。
顔からサッと、血の気が引いている。
「何かの間違いです。私はまだ婚約中の身でした。殿方に近づいたことなど」
「嘘つきは嫌いだ。口を閉じろ。竜が望むのは、"ケガレナキ乙女"だ。
そして気高く、美しく、聡明なマルティナが来た。希望以上で、他は要らん。
邪な野望は、抱くだけ無駄だと忠告してやろう。
……お前だな? マルティナを陥れた義理の妹というのは」
凄味を増したエルマーの声に、ナディアが反論した。
「あ、義姉がエルマー様に何を吹き込んだかは存じませんが、謂れのない非難を受けるような覚えは……」
「あるだろう。謂れも覚えも。何より。誰が我が名を呼ぶことを許した?」
「……あ……っ」
「極めて不快だ」
ジュワッ!!
一瞬だった。
エルマーが手を一振りしただけで、広間中央が溶け落ちる。
ロストン子爵とナディアの背後に、熱に歪んだ大穴が穿たれていた。
「きゃあああああ! ひ、火が!!」
穴近くにいたナディアのドレスの裾は、火が燃え移って勢いよく燃えていた。
消そうと慌てるナディアと子爵に対し、エルマーの言葉がさらに追う。
「二度と今回のような振舞いは許さない。もし忘れそうなら、いつでも思い出せるよう、その顔を焼いてやる」
「や、いやあっ」
顔を焼かれてはたまらないと、ナディアが自慢の美貌を指で庇う。
「それと。マルティナに直接手を下したヤツ。そいつらは俺が直々に厳罰を下してやる。後で俺の元まで名簿を持ってこい。どう八つ裂きにするか、じっくり考えておく」
代王はじめ、広間の貴族たちはもう、言葉なく立ちすくんでいた。
大理石の床すら消え失せる、あの火力を自分たちに向けられたら。
知覚するより先に、この世と別れているだろう。
そう思っているような、蒼白な顔面だった。
特にユルゲン伯爵は、青を通り越して白くなっている。もはや死相では?
人格者で通していたロストン子爵は、真っ先に新王に諂った。
ナディアの今日の行動も、ティバルト様の耳に入る。
今後彼らはどう立ち回るのか。驚くほど、関心がなかった。
「さて、マルティナ」
声の調子を変えて、エルマーが私を見る。
「俺たちは新婚だ。こんなくだらない連中がいる場所じゃなく、イェルクの愛の巣で過ごしたいと思うが、どうだ?」
「私も同じ思いです、陛下」
ゆるやかな笑みを作って、答えた。
ここはエルマーに乗っかっておく。
抑制は大事。それがこの国で学んだことだから。
「決まりだな」
エルマーが玉座から立ち上がると、背丈が抜かれていた。
(……!!)
逞しい長身に頼もしいような、残念なような、複雑な気持ちになる。
ええ、ええ。ドキドキしてるのはびっくりしたせい。
頬が紅潮したのも、負けて悔しいからで……、すごくカッコイイとか思ったわけじゃ……。……いきなり反則過ぎでしょ!!
「では、当面、代王に国を任せる。堅実に励め。イェルクから見ているからな。──あ、名簿を忘れるなよ」
言うとエルマーは私を抱き寄せ、ゆったりと広間を出た。
外ではすぐに巨大な竜翼が広がって。
私は彼の背に乗って、大空に舞い上がったのだった。
◇
「だからね、この石は超高温からの急速冷却で、作れるらしいの」
エルマーが手に入れてくれた本を片手に、私は今日も実験に励んでいた。
「高温はともかく、冷却はどうするんだ」
「私が水をかけてみるとか、どう?」
「待て、水は危険だ。爆発しそうな気がする。怪我じゃすまない」
「なら、エルマーの翼で一気に上空まで運んで冷やす!」
「はぁぁぁ? やれやれ……。地下宮殿を石の博物館にでもするつもりか?」
「それもいいわね。他に作りたいのは……」
「やめろぉぉ。単なる言葉の綾だぁぁ!」
──イェルク山の竜の地下宮殿には、珍しい石がたくさん置いてあるという……。
お読みいただき、有難うございました!
猫じゃらし様の個人企画『獣人春の恋祭り』参加作品です。
獣人は爬虫類OKとのことでドラゴンーっっ(*´艸`*) うちの作品には珍しい、俺様キャラでした。
企画規定文字数2万文字のため、調整してあります。
折りたたんだ箇所。「地下宮殿での結婚式」「里でのデート」等々。
……もしかして、恋愛ジャンルで求められているのは、そこなのでは──?!Σ( ̄ロ ̄;)
あと、めっちゃ端折られた人。ティバルト様ぁぁぁぁー、ごめんよぉぉぉ(ノД`)・゜・。
黄水晶を作るには、紫水晶を400~450度の熱で熱するらしいです。
ろうそくは外は1400度だけど、中は300~500度だって。やってみたいなぁ…。失敗すると白くなるらしいので、勿体なくて出来ない。
紫黄水晶はアメトリンというそうです♪ 詳しくは感想欄にいただきました。感謝(*´ω`*)
楽しんでいただけましたら幸いです!!
2024年秋、一本梅のの様にエルマーのハロウィン・イラストを描いていただきました!
動くんですよ! 可愛いし、すごい。ぶすくれエルマーをお気に召してくださり有難うございました!
「良かったよ」と思っていただけましたら、ぜひ下の☆を★★★★★にして送ってやってください♪ 大喜びします!!