95-2.とあるオーナーの回想
私、ミラベル・シュネクシーは商人の家に生まれた。
父は豪商とまでは行かないものの、かなり羽振りの良い商人だったらしく、幼い頃は何不自由なく暮らせていた。
私は《傾城》という少し美しくなる《称号》を持っているだけで、特筆すべきところのない子供だったけれど。
父がいて、母がいて、たまに遠くの街に出かけたりして。あの頃は幸せで、こんな日々がずっと続くのだと思っていた。
けれどそんな日常は、七歳の時分に突如、終わりを迎える。
父母が殺されたのだ。
旅行の最中、街の中にもかかわらず悪漢共に襲われた。まず、父が矢で頭蓋を射ぬかれ、次に私を連れて逃げようとした母が背中から斬られた。
私はその場で固まっている事しかできなくて、母を殺した男が剣を振り被ったことにすら気付かなくて、でもそれが振り下ろされるより早く衛兵が駆け付けた。
そうして私だけが生き残った。
今にしても色々と不自然な事件だけれど、そのときの私にはそれに気付ける余裕はなくて。
呆然としている内に葬儀は終わり、父の遺産は親戚達に奪い尽くされ、気付いた時には王都のスラムに放り出されていた。
それまでに親戚の家を転々としたような気もするけれど、その辺りのことはよく覚えていない。
しばらくその場で突っ立っていた私だったが、ずっとそうしているわけにもいかず、アテもなくスラムをさまよい出した。
そして幸運にも──不幸中の幸いと言うべきかもしれない──その日の内に、孤児達のグループに出会うことができた。
過酷なスラムで、か弱い子供が生き抜くため協力している彼女達のグループは、一人でいた私のことを受け入れてくれた。
そして孤児グループに拾われてから三日が経った。
私はまだ幼かったため、彼女達の行っていた『商売』には参加していなかったけれど、その日の客は一風変わっていて。
まだ七つの私を見つけると、目の色を変えて興奮し出したのだった。
孤児グループが私を拾ったのはこういう人間に対応するためかもしれない、と思い至ったのは随分と後のこと。
当時の私は、無気力ながらに漠然とした感謝の念を抱いていたため、特に抵抗もせずに仕事部屋に連れられて行った。
部屋とは名ばかりの、空き地に汚れた布を敷いて衝立で仕切っただけの粗末なものだったけれど、孤児グループに用意できる最大の個室である。
そんなこんなで私の純潔は散らされ、それを契機に《傾城》の《称号レベル》が上昇した。
そうして開花した能力が、《魅了》。
強度、補足人数、持続時間。どれをとっても一級品だった。
そのことを孤児の仲間に伝えると、そ《魅了》能力を鍛えるようにと言われた。
それからは《魅了》を磨く日々だった。
《傾城》の与える《魅了》は奥が深く、工夫次第で様々な洗脳が行えた。
あまり強く《魅了》しすぎると、命令しなくては動かない木偶の棒になってしまい、中途半端な強さだと問答無用で襲って来る。
初めの内は微弱な《魅了》ばかり使っていた。それは私達への好意を僅かに強める気休め程度のものだったけれど、それでも乱暴にされることが減り、お金を多めに払ってくれることもあった。
ある程度慣れて来ると、今度は強めの《魅了》も使い出した。対象は強い人や金持ちだ。
本気で惚れこむくらいの《魅了》を掛けられた彼らは、武力や財力で私達を大いに助けてくれた。
その頃になると私達のグループは周辺の他の孤児グループも吸収して、かなりの規模になっていた。
スラムのあばら屋とは言え屋根付きの拠点も持っていた。
そうなると大人達に目を付けられたりもするのだけれど、《魅了》した手下達がいればスラムのゴロツキなんて怖くはなかった。
ちょうどそのくらいの時期にグループのリーダーが病死し、そして私がリーダーを引き継いだ。
私より年上の人は何人かいたが、彼女達は《魅了》の存在を知っていたため、異を唱えることはなかった。
リーダーを継いでからはしばらく、目まぐるしい毎日が続いた。他グループとの折衝にグループ内の問題の仲裁、解決。
グループの指揮以外にも様々な仕事があって初めの内は大変だったけれど、それでも古株の仲間や友達に支えられて何とかやって来れた。
桃餅屋を開いたのは私がリーダーに就任してから二年くらい経った頃。
私もリーダーとしての役職が板について来ていて、経営も含めてそこそこ順調に進んでいたのを覚えている。
そう、順調だったのだ。あの男がやって来るまでは。
『これは《魅了》であるか。見たところC級冒険者にも問題なくかかっておるの』
開店前の店に押し入ったローブの男は、開口一番にそう言った。
そして、奴を追い出そうと近寄った冒険者達を腕を一薙ぎしただけでバラバラにしてしまった。
『この《魅了》の使い手は誰じゃ。出てこぬのならこの場の者を皆殺しにする』
仲間達を人質に取られては従うしかなかった。
おずおずと進み出た私に、教祖と名乗った男は自身の要望を口にした。
曰く、客達を《魅了》して悪魔と契約させてほしい、と。
『加えて、悪魔の力を使わないようにとも命じよ』
『それは構いませんが、私の《魅了》はそれほど長時間持ちませんので……』
『ふむ、それは困ったの。途中で騎士団に駆けこまれては敵わんし、この店のことが露呈しても面倒じゃ。ならばよし、悪魔と契約しそうな者を見繕うだけでよい。後の事はこちらで行おう』
それから教祖は紫色の立方体を取り出し、それを放った。
『目覚めよ、魔神兵』
肉を挽くのと骨を砕くのを合わせたような、悍ましい音がした。
教祖の落とした三つの立方体は、それぞれが膨張し、人の形を成して行く。
ヒッ、と誰かが、あるいは私が悲鳴が聞こえた。それ程までに冒涜的な変貌だったのだ。
やがてそれらは表情のない三人の男女の姿となった。
『この魔神兵を置いて行く。護衛の代わりだ、好きに使うと良い。だが──』
そこで教祖は言葉を区切り、周囲の者を見渡した。
『こやつらは監視の任も兼ねておる。お主らが今日のことを誰かに漏らそうとすれば、即刻、皆殺しにするであろう。そこの者が《魅了》を怠っていても殺す。我らとお主らの繋がりを探る者がおればそやつも殺す。命が惜しければ、そして無駄に死人を出したくなければ、余計なことはせず我が指令に励むのだな』
『承知しました……』
そうして教祖は去って行った。
『オーナー……』
『大丈夫よ』
心配そうに声を震わせる従業員に優しくそう言って、それから私はその場の全員を《魅了》した。
受けている間の記憶も残らないくらい強度の高い《魅了》。それを施した皆と店内を掃除して、それから《魅了》の強度を落とした。
教祖や魔神兵のことに違和感を抱かない、意識を向けさせないよう効果を調節したのだ。
こうしておけば、最悪私が捕まっても彼女達は私に操られていたということにできる。
強度自体は低いので、教祖に見つかっても毎日かけ直していると言えば言い訳は立つ、
こうして、私は教祖への協力を始めた。
これが悪い事なのは分かっていた。けれどやめられなかった。
単純に殺されるのは怖かったし、言い訳みたいになるけれど、リーダーとしての責任もあった。
だから今日、少女の襲撃を受けた時、私は心のどこかで諦観していた。
私利私欲のため他人を不幸にしてきた悪人に、ついに天罰が下るのだという納得があった。
けれど槍を突きつけられ、目を閉じ、そして開いた時、目の前にいたはずの少女はいなくなっていた。
「はえ……?」
音のした壁を見る。外に繋がる穴が開いていた。
逆側の壁を見る。そこにも穴が開いていた。ちょうど外から入って来た風の塊が、あの少女を巻き込んで突き抜けて行ったみたいに。
極度の混乱に陥った私の頭では、修繕費はいくらになるのだろう、なんてことしか考えられなかった。




