天才公爵家嫡男は将来有望かつ度し難く自分勝手 ~伯爵家令嬢は妹同然の男爵家令嬢を守り切れるか!?~
王家主催の夜会は、今夜も煌びやかに続いている。
華やかなダンス、本音を隠しながら飛び交う社交辞令の数々。
そんな表向きは光に満ちた雰囲気の中。
『終わった』……伯爵家令嬢であるわたし、メラニーは瞑目した。
目の前には、わたしの後ろに控えた侍女をじっと見つめる男がいる。
男の名はエルリック。
公爵家嫡男にして次期宰相の期待も高い、国一番デキる男。
侍女の名はブリジット。わたしの遠縁で男爵家の一人娘だ。
ブリジットは幼くして両親を亡くし、田舎の領地は彼女の祖父母が守っている。
わたしはブリジットに似合いのお婿さんを見つけてやり、故郷に凱旋させたいのだ。
その相手は、けして公爵家嫡男のエルリックではない!
なにしろエルリックときたら、天才的頭脳を持つことを手始めに、超絶美形、身体能力も優れ、しかも身分は王家に次ぐ公爵家の嫡男。
年頃のご令嬢たちにとって、婚姻したい令息ナンバーワンだ。
だが、キラキラしく、ハデハデしい、こんな男はブリジットにお薦めしたくない。
ちょっとふんわりしたブリジットが公爵家夫人に納まったとして、苦労することは目に見えている。
……ところが、先ほどからブリジットとエルリックは見つめ合い、既にズドンと恋に落ちた気配だ。
残念なことに、ブリジットは間違いなく面食い。
この前、劇場に伴った時も、主演のイケメン男優にうっとりしたまま歩いていて、馬車に乗るまでに何度転びそうになったことか。
さらに悪いことに、ブリジットはエルリックの女性の好み、ど真ん中だ。
超絶イケメンの彼は、なにせ目立つ。
ついつい、わたしも彼を見かけると観察してしまうのだ。
ほぼほぼ冷徹無表情の彼の顔を見ていると、わずかに変化する時がある。
推察するに、彼の好みの女性を見た時にそうなるようだ。
彼の好みとは、巨乳の女性・やや幼げな可愛らしい顔立ちの女性・話を聞きつつ大人しく微笑む女性、だ。
前二点を満たす女性は、若い娘に限ればそこまで珍しくない。
しかし、貴族の社交界に置いて、三点目まで満たす女性はあまりいない。
彼女らは目的をもって社交しているのである。
大人しくしていたら、獲物を搔っ攫われるだけなのだ。
そして、ブリジットはその三点を全て満たしていた。
だから、エルリックと合わせないように下調べしてから夜会に出ていたのに……
今日の夜会には、エルリックは出て来ないはずだったのに……
忌々しい思いでエルリックを見つめていると、妙なことに気付く。
彼の傍らに従者がいる様子はないのに、彼の唇が素早く動いていた。
いくつかの言葉を紡いだ後、彼は小さく頷き、口を閉じる。
独り言にしては、長すぎる。
一体、なんだったのだろうか?
訝しんでいる間に、エルリックは素早く近づいて来た。
今更逃げられるわけもない。
わたしは、なんとか悪あがきを続ける決心をした。
「こんばんは、メラニー嬢」
「こんばんは、エルリック様。
お久しぶりでございます」
「ああ、本当に。
ところで、そちらのご令嬢はどなたですか?」
話が早い!
さっくり本題に入って無駄がない……
「わたしの遠縁で男爵家の娘、ブリジットでございます。
今夜は侍女として、伴っておりますの」
「ほお。しかし、侍女というよりは妹さんのようだ」
確かに、そう見えるだろう。
一般的に高位貴族の令嬢は自分と侍女のドレスに差をつけるものだ。
侍女をたくさん引き連れて歩く方などは、自分の装いが引き立つように、侍女のドレスを背景代わりに使っている。
「彼女の装いは、ご本人によく似合っている。
ご親族を大切にされているのですね」
伯爵家令嬢のわたし宛ての招待状を使ってブリジットを連れ歩き、良縁を探しているのである。
ブリジットをきちんと装わせるのは当たり前だ。
今回は、それが裏目に出たと言えるけれども。
エルリックの口調は穏やかで、ともすれば丸め込まれそうな気がした。
話を切り上げるような切欠が見つからず、困ったなと思った時、助け船が。
「まあああああ、エルリック様ぁ、本日はご参加でしたのねぇ!」
少々姦しい声だが、ありがたい。
割り込んできたのは、エルリックをメインターゲットにしている侯爵家の令嬢だ。
彼女と彼が話している間に、少しは距離を取れるだろう。
邪魔だからあっちへ行けという侯爵家令嬢のチラ見視線を追い風に、その場を離れようとした時、更なる人物が登場した。
「おや、エルリックは一人で花束を抱え込んでいるようだな」
その場の全員が礼をとった。
颯爽と現れたのは王太子殿下である。
「楽にしてくれ」と言った殿下は、なんと侯爵家令嬢をダンスに誘った。
殿下の誘いを断れるはずもなく、令嬢は大人しくその場から消えてしまう。
あっという間に取り残されたわたしたち。
エルリックは満足気な顔だ。
……なるほど。王太子殿下とエルリックは悪友とすら呼ばれる幼馴染。
こいつめ、令嬢を排除するために殿下を顎で使ったな。
「次の邪魔が入る前に、ブリジット嬢と踊りたいのだが」
侍女として伴っている以上、ダンスにはわたしの許可がいる。
さっきから黙ってエルリックを見つめているブリジットを見れば、拒むのは酷だ。
「ええ、どうぞ」
「ありがとう」
ブリジットはダンスを請われ、笑顔でエスコートの手を取った。
初めて踊る二人は、最初は少しぎこちなく、徐々に滑らかにステップを踏み始める。
一曲目の最後には、すっかり意気が合い、当たり前のように続けて二曲目を踊りだした。
置いてきぼりのわたしの隣には、侯爵家令嬢を片付けた王太子殿下が戻っていらした。
「お似合いの二人だね」
「……左様でございますね」
エルリックとブリジットのカップルは、とうとう三曲目に入った。
かなりテンポの速い、難しいダンスだ。
ブリジットは運動神経がいいので、ダンスは得意。
対するエルリックは死角無し!
ああ、もう、嫌になるほど息ぴったり!
「貴女は彼女を本当に大切に思っているのだね」
「とても、良い子なのです。
田舎で待つ、彼女の祖父母を早く安心させたいのですわ」
殿下に視線を向けると、彼はひどく優し気に微笑んでいた。
あら……やはり、殿下も美形だわ、なんて今更思った。
さすがに疲れたのか、ダンスを切り上げた二人が戻って来た。
ブリジットを休ませるため声をかけようとすると
「メラニー嬢、少し別室で話をしたいのだが、時間はあるだろうか?」
と、エルリックに言われた。
断れるはずもなく、わたしたちは彼について行くことにした。
……なぜか殿下も。
殿下が一緒にいるせいで、王城の一番いい談話室に通された。
広くて綺麗で、しかも、なんということでしょう!?
この部屋には、控室の奥に化粧室まで併設されているではありませんか!
わたしはブリジットと一緒に、速やかに化粧室に移動した。
着飾った令嬢だって、いろいろあるのだ。
汗で崩れた化粧を直したり、その他、いろんな用事が。
たぶん、殿下もエルリックも、そこまで考えてここに連れてきてくれたのだろう。
この気遣いには感謝するしかない。
部屋に戻ると、王宮のメイドが素晴らしい香りの紅茶を淹れてくれた。
テーブルのお菓子も、夜会のビュッフェテーブルにあったものより、一段も二段も上に見える。
「美味しい」
エルリックと一戦交えなければと覚悟していたはずが、お菓子とお茶の美味しさにホッとしてしまった。
ブリジットも少し遠慮しながらも、お菓子を頬張り目を丸くしている。
そんなわたしたちを微笑ましく見守るエルリックと殿下。
「さて、そろそろ話を始めさせてもらうよ」
エルリックが口を開いた。
口が忙しいので、はしたなくも黙って頷く。
「単刀直入に言う。
私はブリジット嬢と婚姻したいと思う」
どストレートに来た。
驚く暇すらない。
反論せねばならないから、口の中のお菓子をお茶で飲み下す。
「わたしは反対です。
二人が惹かれ合っているのはわかります。
しかし、公爵家ご嫡男と男爵家の婿取り娘では問題が多すぎます」
「うん、そう言うと思った」
エルリックはニッコリと笑った。
その目は、全てお見通しだと語っている。
「どうしてもブリジット嬢が欲しいので、公爵家を出ることにした」
はい!?
なんですって??
言葉も出ないわたしに、エルリックは続けた。
「私には幸い、油断していると寝首を掻かれそうなほどに出来のいい弟が二人もいる。
跡取りを降りても、何の不都合もないよ」
しかし、王太子殿下にも頼りにされているエルリックが田舎の男爵になっても大丈夫なのだろうか?
殿下に視線を向けると、苦笑いしている。
……ああ、わかります。エルリックが決定権を持っているんですね。
「あの……」
だとしても、これだけは言わせてほしい。
「ブリジットの気持ちは、確かめたのですか?」
「それは今からだ」
そう言うと、エルリックはブリジットの前で跪いた。
「ブリジット嬢、私は貴女と生涯を共にしたい。
男爵家の婿に、受け入れてもらえるだろうか?」
ブリジットは一瞬、こぼれそうなほど目を見開いたが、次にはハラハラと涙をこぼしながら「はい」と小さな声で答えた。
エルリックはブリジットを優しく抱きしめ、そこからはもう二人の世界だった。
この時点で、成人した王族である殿下が異を唱えていないので、この婚約は成立したも同然。
しかし、署名もしていない彼らを二人きりにはできない。
わたしはお茶とお菓子をお替りし、ブリジットの付き添いとして居座ることにした。
「なんか、ごめん」
「なぜ殿下が謝られますの?」
「いや、メラニー嬢はこの展開を望んでいないようなのに、何の助けにもなれないから……」
「大丈夫ですわ。私が望むのはブリジットの幸福ですもの。
エルリック様に任せておけば、絶対にそれだけは叶えてくれるでしょう」
「確かに」
殿下が笑った。
「本当に」
わたしは溜め息をついた。
「殿方たちにエルリック様の決断力の十分の一でもあれば、もっと令嬢方は幸福な婚姻が出来るのではないかしら」
実のところ、貴族同士でも婚姻には障害が多い。
時代遅れの習わしなどで、恋人同士が引き離されるのはバカバカしいと常々考えている。
「メラニー嬢は、貴族の婚姻に関して意見をお持ちなのか?」
「ええ、言いたいことは山ほどありますわ」
「ならば改めて、その意見を聞かせてもらえるかな?」
殿下にそう言われて驚いた。
大概の殿方は、適齢期も後半に差し掛かった私がそんなことを言えば『だからお前には婚約者が出来ない』と言わんばかりに馬鹿にしてくるのに。
「国王陛下から言いつかっているのだ。
若い貴族が良縁を結べるような状況を作るにはどうすればいいか。
これからを担う、お前が考えるべきことだ、と」
国王陛下が?
まあ、素晴らしいお考えだわ!
「どれだけお力になれるかわかりませんが……
わたしでよろしければ、殿下のお手伝いをいたしますわ」
「ありがとう」
後日、王宮に出向き、何度も殿下と話をした。
とても真面目に話し合ったのだ。
だが、毎回ビックリするほど美味しいお菓子の出るお茶の時間を長くとるな、と思っているうちに、時々、王妃殿下が参加されるようになった。
そのうち王家の方々とのディナーに誘われ、更に、わたしの両親まで招かれ……
貴族の婚姻政策について相談に乗っていたはずのわたしは、なぜか半年後には殿下と婚約することになっていた。
まだ、この国には女性の高官はいないが、王太子の婚約者という身分を得たわたしは、堂々と意見を述べても聞いてもらえる。
もちろん、最初からわたしの話を聞く姿勢を見せてくれた殿下には、信頼と、そして少しずつ積み重なっていった愛情があるのだけれど……
正直、どうしてこうなった? と、婚姻式当日の今日も思っている。
「おめでとうございます!」
「メラニー姉様、おめでとうございます」
婚姻式当日。
聖堂の控室を訪ねてくれたのは、エルリックとブリジットの二人。
彼等が出会ってから三年が経った。
さすがに、いくら身内でも男爵夫妻の身分では王太子妃になるわたしの控室まで来るのは難しい。
ところが、三年の間に彼はまんまと辺境伯の地位を手に入れていた。
ブリジットの生家がある男爵領の隣は辺境伯領だ。
辺境伯家には跡取り息子が一人いたが、王都で文官になることを希望していたそうだ。
エルリックは彼と取引し、辺境伯家の養子に納まった。
元辺境伯は、エルリックの持参した数々の手土産を見て、彼を快く受け入れた、と聞く。
その後は優秀な影を使って、国境のいざこざも情報戦で制しているようだ。
出会いの夜会で気になった彼の独り言は、使っている影に向けていたのだ。
三曲踊る間に、ブリジットとの縁談を調えるのに必要な調査を済ませられるほどの優秀な影だ。
エルリックならば、五年後に隣国の王になっていたとしても、わたしは驚かない。
ブリジットを心から愛している彼は、彼女が姉と慕ってくれるわたしに一目置いてくれている。
このことは我が国にとって大いなる幸いであろう。
仮に、エルリックが隣国の王になったとしても、きっと友好的でいてくれるはずだ。
……よほどのことが無ければ。
「私はこう見えて、一目惚れや運命の出会いを信じているんですよ」
ブリジットの腰を抱いたエルリックは艶やかな笑顔を浮かべて、そう言った。
王太子殿下とわたしとの出会いも運命だと言うのだ。
そうなのだろうか?
そうかもしれない。
エルリックの女性の好みだって、ブリジットとの出会いにつながる運命の糸。
わたしがブリジットを王都に呼び寄せ、婚姻相手を見つけようとしたことも。
エルリックがあの日、気まぐれで夜会に参加したことも。
そして二人が恋に落ちなければ、王太子殿下の相談相手にわたしが呼ばれる機会もなかったはずだ。
やがて、知らず導かれてきた道が続くように、わたしは聖堂の入口へと誘われる。
厳かに開かれた扉の向こうでは、わたしの運命が優しく微笑んでいた。