短編版「ボトルレター」
岬の灯台。
その浜辺へと続く坂道。落ちて行く様に駆け下りたのは薄茶の半ズボンに白いランニングの少年。
坂道に一つだけある曲がり角。そこを曲がると見えてくるのは、コバルトに白く泡立つ無数の波。
空と海は果てしなくブルー。その混ざり合った青さは水平線すら掻き消した。
坂道から続く白浜。
その先は延々と続く岩場。引き潮にはウミウシやイソギンチャク、岩場に取り残された小魚は子供たちの小さな水族館になった。
少年が掬い取ったのは、5月の人肌の白い砂。
サラサラと零れ落ちるその砂を、彼は少しだけガラスの瓶に詰めた。
家から持ち出した薄っすらと緑色、
その透明なサイダーの空瓶。
砂がついたままの小さな手を、右のポケットに捻じ込むと、取り出したのは小さなメモ用紙。
それを人差し指を盾にクルクルと捲くと、瓶の中に押し込んだ。
父親が飲んだであろう酒のコルクは、その瓶口にピタリとはまった。
彼は岩場の先まで歩くと、瓶をポイと海に投げ込んだ。
打ちつける白波。退いていく泡波。
その波間を上下しながら、沖へ沖へと進んでいく。
消えたり現れたり。
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時代は波の流れの様に、移り変わった。
白浜から灯台へ向かう坂道は、国道により分断され浜辺もわずかを残すのみ。
その通り沿いには大きな観光ホテルが立ち並び、その裏手には遊園地も出来た。
しかし海に出来たそれは、潮風に錆びついた。
グルグル回るコーヒーカップやメリーゴーランドの原色は剥げ落ち、ギコギコとしか動かなくなった。
わずか5年で閉園した。
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老夫は灯台脇の一軒家に住んでいた。
ただ寝たり起きたりの繰り返し。足腰がままならない彼は庭先くらいがやっとの事。
幼馴染だった妻に先立たれ、子のいなかった老夫は一人暮らしであった。
「生きているうちにあの白砂の浜から、もう一度青い海を見たい」
老夫は決心を固めると灯台の坂道に向かった。土であった坂道は舗装され、左右には散策用の手摺りまで出来ていた。
杖を片手にゆっくりと、地面を確かめながら降りて行く。
腰は到に曲がっている。
潮風の香りが鼻を突いた。
国道にある唯一の押しボタン信号。
青になり、手を上げるとそこをツタツタと渡った。
歩みが遅い老夫の背中を猛スピードで若者の車が摺り抜けた。
目の前に広がったブルー。
紺碧の海に、水色の空。それだけは変わらない。
老夫は浜に降りると、ポケットからクシャクシャのビニール袋を取り出した。
「最後の奉仕だ」
老夫は曲がった腰で、観光客が捨てたであろうゴミを一つずつ袋に入れた。
西に数歩進むと、こんもりとしたゴミの山があった。
その中に光る物。
「あれま、懐かしい瓶」
リボンシトロン
老夫はそれを手に取ると、中に何やら入っている。
一度は海水が入り込んだであろう瓶。それがゴミの山の上で乾き切っていた。
淡い緑の透明瓶。何十年も旅をしてきた瓶はその一部を曇りガラスに変えていた。
老夫は太陽の日に翳した。
中には、なにやら文字の書いてある紙。
しかし、コルクを抜き取る力は既にない。
クルクル回すと、微かな鉛筆らしき文字。読み取れた。
【これをひろってくれたひと ありがとう】
老夫はその時思い出したのだ。
これは私がこの浜辺で流したもの。願いを込めて流したボトルレター。
曇った緑色のボトルの中で少年が、この浜を駆け巡っていた半ズボンの少年が、笑っていた。
その隣では少女時代の妻がニコリと微笑んでいた。
老夫の目には、確かにそう映った。
人生の最後。
ありがとうと言ってくれたのは己自身であった。
【ひろってくれたひと ありがとう】
いつまでもどこまでも青きブルー。
この作品。
詩としても同名タイトルで投稿しております。
宜しかったら是非ご覧になってみてください。