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熱いお酒と、冷たい酒と

 酢で洗ったピカピカのコハダ。

 今、釣り上げて海水を切ったような銀色。瓦のように綺麗に並んで三枚。つきだしの黒い瀬戸の小皿に出てきたとき、お酒を選んでいたわたしは、まるで追いすがるように言った。


「あの、お酒はお燗で」



 今日は大分、冷え込んだ。

 仕事を終えて足早にうちへ帰るつもりが、通りすがりの縄のれんをくぐるとは思っても見なかった。


 いつもは通りすぎる駅前通りの脇道。薄暗がりに、ぼんやりと浮かんだ照明のついた藍染の暖簾のくたびれ具合を見て、ついついわたしは気になるお店に入ってしまった。


 このコロナ禍になってから、お酒どころか外食はとんとご無沙汰である。営業時間も限られているし、居酒屋さんに入るのにちょっと覚悟がいる。そんな世相になってしまった。


 でもよく考えてみれば、どうせ一人飲みだし、深夜まで長っ(ちり)することなど、あり得ないのだから、気兼ねなく寄ればいいのだ。


 入ると案の定、同じ考えらしい近所の常連が穏やかに談笑している。


 カウンターには飛沫防止のフィルター、包丁を握る老店主も注文とりの奥さまも、お客様もマスク完備だ。


 まばらな席を選んで座ると、何となく落ち着いた。家でぽつんと食べるより、たまにはこう言うのも悪くない。


 コハダは、清らかに冷えていた。

 酢でしめてはち切れそうに突っ張った皮身を、ぷつりと歯で噛みきるその食感がたまらない。


 酢はそれほどきつくなかった。

 鯖をしめるときには、生に近いしめ方をすることがあるが、コハダの酢は大抵きつい。


 だがこれは口当たりよく、皮の下の肉を噛み締めても、白身の旨味が分かるほどだ。


 燗は、白い徳利で来た。

 口までいっぱい、湯気を吹いて酒が沸き上がるようだ。


 苦労してお猪口に注いで、口の中を洗うと、むせ返るほどのアルコールで、喉が一気に熱くなる。


 研ぎ澄ました刃物のようなコハダの切れが、暑苦しいほどに深情けな米の甘味にやんわりと鎮められていく。


 こう言うときぬる燗も悪くないが、寒い夜の燗は、チリチリと煮立てたほどがいいと思う。心強いほど、芯がある熱が冷えきった身体に宿ってくれる。


 夜の海を漂ったような冷たい刺身が、お供には最高だ。熱いつまみでは、どうもこのお燗の情愛の深い熱の有り難みが分からない。


 熱い燗酒のお陰でわたしは、徳利みたいに首のふち一杯まで暖まった。


 よし。これで冷たい酒に、手を出せると言うものだ。


 米所のお酒がいい。

 磨き抜かれた辛口が欲しい。ふとお品書きに目をやると、樽酒があった。枡で出てくる。


 と、冷たい酒には、熱い肴だ。煮物でも頼もうかと思っていた、わたしの目に留まったのは、巾着の含め煮である。すかさずこれを注文しよう。


 薄い色の出汁で炊かれているのは、絹豆腐を(あん)に詰めた、頼もしいくらいたっぷりとした油揚げの巾着だ。


 中は豆腐が、食べ応えあるもち肌にじゅんわり美味しいおつゆを含ませている。熱くて湯気をふきながら、中を探るのがまた楽しい。豆腐の餡には鶏の胸肉や干したシイタケや、うずらの卵やら、嬉しいお宝が隠れているのだ。やがてほんのり苦い銀杏の実を探り当てたとき、何か得した気分がした。


 それらを真新しい木の香がする酒で、ひとつひとつ、見送っていく。


 おつゆたっぷりの熱い冬の煮物には、やはり冷たく冴えた酒だ。

 元旦の神社森のように、シン、と鎮まっている。冬の夜の気に眠っていた、そんな辛口の酒が熱い煮物の通ったあとを洗い清めていくと、大晦日のにぎわいの後のような優しいわびしさが、胸に灯る気がする。


 冷たい酒は、食道からお腹に食べ物と降りて行ったあと、匂いだけが鼻先へ抜けるのだ。あとで夜道でも戻っているときに、鼻から吹いた白い息の中にほのかな、木の香りが混じっているはずだ。


 熱い酒も冷たい酒も、冬の寒さに心地いい。

 この寒さがなければともに味わえない美味さだ。


 巡る季節をお供に、今夜も嬉しく酔える幸せ。



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