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ティッシュの花

作者: 花咲 潤ノ助

 43歳になった翌月に21年勤めた営業会社を辞めて転職した。


  新卒で入社した会社。厳しい職場で幾度も辞めようと思ったが、目を瞑って乗り越えてきた。同期が辞めていくのを見送った分だけ、行き場を無くした仕事が回ってくる。それを深夜残業と休日出勤でやっつけた。若さと体力そしてふん切れない優柔不断が奏功し、我慢した分それなりに認められ、役職にもついた。やがて時代の流れの中で仕事も落ち着く。今や会社に特段の不満があったわけではないのだが、40歳を過ぎたあたりから気持ちがざわついた。独立して手広くやっている先輩の話や、転職して成功している同期の話。このままでいいのか。自分にも出来ることがあるんじゃないか。新たな道を模索するなら、今が最後のチャンスかも知れない。


  はじめから転職すると決めていたわけではなかったが、試しに登録した人材紹介会社から、誰もが知っている有名企業の引き合いをもらい、最初の面接に行ったことで火がついた。下にも置かないもてなしで、面談での会話もとてもいい感触だった。最終面接までいきながら生憎そことは縁がなかったものの、その後も応募すればすぐに反応のある転職活動は楽しかった。最終的に昔から好きだったゲームメーカーから、それまで以上の待遇で内定をもらう。これこそ「運命」、自らの新境地を開く「縁」に違いないと感じ、バタバタと転職を決めた。折も春。「卒業」という聞こえの良い言葉に送られ、桜の花の祝福を受けた華やかな転職のはずだった。


 当時はそれなりに自信もあったのだが、程なくそれがいかに慎重さを欠く甘い選択だったかを思い知る。業界が変われば、今まで常識だと思っていたことが、とんでもない非常識になるのだ。一日がいつ始まっていつ終わるのか分からないゲームのプログラミングという職場においては、日々のメリハリと新鮮な気持ちこそが原動力だった営業の職場の経験は、毒にこそなれ何の効用ももたらさなかった。


 気持ちを切り替え、過去に拘らずに新しい環境に馴染もうと試みたが、既存勢力の反発がそれを阻んだ。中途半端に高い役職で入社したことが仇になった。彼らに悪意はない。ただ居場所を奪われまいとする自己防衛本能が働いているだけだ。自分だって今まで、何人もの天下りにそうやって対応して来たじゃないか。同じことだ。やれるところさえ見せれば人はついてくる。大丈夫。今まで何度も徹夜仕事をしてきたし、連日のように一日に2回のお昼を食べてきたじゃないか。努力と根性は誰にも負けない、と。


 だからとにかく時間と身体を使った。実際にはそれしか持ち合わせがなかったということかも知れない。気持ちだけは若いつもりで、年齢や体力のことを忘れていた。いや一番ダメだったのは、いいところを見せようと焦るばかりで、人から学ぼうという気持ちに欠けていたことだろう。それではいくらやっても結果は出ない。当然の帰着だった。空回りが決定的なミスを呼んだ。直接的には部下の失敗だったが、明らかに自分のチェック漏れだった。


 面接で気に入ってもらえてこの会社に呼んでくれたトップにガツンとやられて、呆然と帰宅した夜のことだ。心労と寝不足で身体が弱っていたところにクーラーをつけたまま眠りこんでしまい、重い夏風邪を引いた。二日で熱は下がったが、咳がいつまでも纏わりついた。ここ数年風邪を引いた記憶もなかった頑丈な身体にも裏切られた思いが、ことのほか辛かった。体重は落ちていたのに、その身体を何故かいつもより重く感じていたある日、朝、目が覚めたのに身体が動かない体験をする。そんな経験は初めてのことだった。恐ろしくなって声を出すと少し楽になったが、自分自身が尋常でない状態にある、そう感じて病院に行った。


 いくつかの病院で診察を受け、最終的に「うつ」と診断された。「うつ」なんて、今まで言葉では「仕方ないよ」と言いながら、本心では「怠け病」だと思っていた自分が、よりによってだ。自らを叱咤し、何とか仕事に出ようと足掻いてみたが、出勤の度に症状は悪化の一途を辿った。そんなある日、生まれて初めて遅刻をした。家を出たものの、どうしても足が前に動かなかったのだ。


 職場で誰かと話をすることも厳しくなった。決断を要する仕事が一切前に進まない。困り顔の部下に対しても、もはや取り繕う気力さえなかった。もう勤務の継続は難しいだろうと周りの誰もが思うようになった頃に、会社側から提示された退職条件を飲んで職を失った。一度休んでみるとか、もっとしっかり話をすれば、そんな簡単に結論を出さなくても良かったのだと思うが、誰かと込み入った話をすることが苦痛になっていた。何でもいいから人と関わりたくないというのが一番の本音だった。


 春、桜の花の咲く並木道を意気揚揚と高層ビルの扉を開けた日からわずか半年。まだ残暑の残る9月、私の人生を賭けた転職というチャレンジは、最悪の結果に終わった。


 それでも退職の条件としてもらった半年分の給料に相当する退職金があれば、その間に何とかなるだろうと高を括っていた。しかし、気持ちを奮い立たせて再度就職活動を始めた直後にリーマンショックに見舞われる。突然吹き始めた不景気の嵐は、思うようにならない心と身体にあまりにも厳しかった。長男がまだ中学に上がったばかり。これから金のかかる3人の子供と住宅ローンを抱えた我が家に、こうして絶体絶命の危機が訪れた。


 ひとつの内定ももらえないまま4ケ月が過ぎ、年を越した。長い長い冬だった。体調は薬のおかげでまずまず安定していたので、正月明けから少しでも不安を紛らわそうと日雇い派遣の仕事を始める。色々と不安はあったが、意外なことに、やってみるとこれが張り詰めていた気持ちにほんの少しだが余裕を芽生えさせた。その余裕を、日記を書く力に変えることにする。昔の日記を読み返すと、その当時真剣に悩んでいたことが、実につまらないことに見えた経験を、今このどん底に活かしたいと思ったのだ。いつかこの深刻な状況も、何と些細なことだったかと思えることを祈りながら言葉を記し始めた。



 2月4日

 雪が降って電車もバスも遅延に次ぐ遅延。かなり早めに家を出たのに、結局仕事場の倉庫には10分遅れで到着した。遅刻をするとお金の準備の関係で日払いの日当を当日にもらえない。たかだか5,000円をもらうのが次回勤務の時になるだけの話なのだが、今はそれがとても痛い。


 2月5日

 今日の面接は何だか禅問答のようだった。答えの無いような質問をされて、答えを捻り出して答えても「ふむふむ」と聞いた挙句に「その答えを実行してもあまり成果は上がりませんね」とバッサリやられる。ダメならばダメで採用しなければいいのだから、そんなに人が傷つくようなこと言わなくてもいいんじゃないかと腹が立った。私にもまだ腹を立てる程度の意地はあるらしい。


 ドンと、ここで部屋の扉が突然開いた。

「暖房代がもったいない」と、妻の突き刺す言葉が降ってきた。今日はきつい言葉の当たり日だろうか。とにかくさっさと就職先を決めるしかない。


 そこに選考中の一社から4次面接のお知らせメールが届いた。3次面接を合格したのは良いのだが、更に5次面接もあるらしい。そんなに沢山の人と会ったら誰か一人くらいは肌の合わない人も出てきそうだ。それでも頑張るしかない。


 確かに暖房代がもったいないかなと思い文庫本を持って布団に入る。明日も倉庫のバイトだ。今度は遅刻しないようにもうちょっと早めに家を出よう。では、おやすみ。


 2月6日

 倉庫の仕事の時給は900円。交通費も全額は出ない。1日あたりの往復に実際は1,140円かかるところが500円の交通費なので一日仕事に行くとマイナス640円だ。毎日同じ職場に通うなら割引の効く定期も買えるが、明日の仕事がままならない日雇いの身では定期も持てない。


「日曜日は交通費が全額出る」という話を聞いて「それは魅力だな」と話している先輩に痛く同調しつつ、今日もここにいる数百人の派遣社員たちは交通費も足らない条件で朝から晩まで働いている。正社員の会社の仕事が、いかに恵まれていたのかを痛感する。外は今日も雪だった。


 今日の仕事は「入荷」だった。この仕事は入荷した商品の検品でほとんどの時間を費やす。検品とは入荷して積みあげられた箱をおろし、ふたを開いて中身を出し、数を数えて、商品番号をチェックして、しまって箱を閉じる作業のことを言う。統計的に確認はしていないが99%間違いはない。確かに極稀につぶれた箱があったり、数が違っていたりすることもあるが、一日やってもそれに当たる方が珍しい。閉めた箱を積み上げて、一定の高さに積みあがるとラップで固定し、邪魔にならないところまでハンドジャッキで移動する。時々コンテナがやって来ると、検品を一時中断してコンテナから荷物を出す「搬出し(ばんだし)」という仕事を行う。これが「入荷」の仕事の全てである。


 検品は仕事のリズムが掴めてくると結構楽しかった。根本的には単純作業むきなのかも知れない。ラップで箱を巻くのも最初はとても難しかったのだが、要領を得て慣れてくると緩みなくきっちりと巻くことに爽快感を感じたりもした。特別な責任もストレスもない仕事は、時給900円という微妙な金額に見合ったものなのだろうと感じていた。


 今日はパンプスを320足(ピンクとシルバー)と500個ほどのバッグを検品した。明日もここの仕事場で久々の連荘だ。時給900円に見合う仕事をしなければ、と思う。


 2月7日

 久しぶりに2日連続での派遣仕事、倉庫の入荷の仕事をしてきた。昨日に比べれば暖かったが(6階の休憩室からはきれいな海が見えていた)倉庫の中はキーンと冷えていた。今日中に仕上げなければいけない検品があるというので午前中から急ピッチで頑張ったところ15時30分に完了してしまい、今度はやる仕事がない状態になってしまった。納期と派遣社員の仕事量、社員の手綱さばきが少々うまくいかなかったようだ。それにしても仕事が忙しいのも嫌だが、暇なのはもっと性質が悪い。時間で仕事をする者にとって、時間が過ぎるのが遅いのは一番の困りものだ。


 明日は、面接(4回目!)と通院、その後、前の職場の後輩の事務所の開所式(独立起業おめでとう!)がある。行きたいのは山々だが、手ぶらでは行けまい。お金が掛かってしまうのが今一番辛い。


 2月9日

 前職の職場の後輩が独立して、昨日(2/8)は開所式だった。何にでも一生懸命な男で、応援したい気持ちはあるものの、今の自分に何が出来るだろう。そんな思いもあって出席するかどうか悩んでいたのだが、形だけの土産を手に、ちょっと顔を出すだけのつもりで寄ってみた。既に会は始まっていたが、笑顔で迎えてくれた後輩のお酌でシャンパンを一杯。そしてもう一杯とやっているうちに、いつの間にかビールを手酌していた。ワインや日本酒のコップ酒、そして何故そんなことになったのか分からないが一気飲みをやった。帰ろうと思った時には既に最寄り駅までの電車がない時間になっていた。酒はいけない。特に日本酒のコップ酒はいけない。何杯飲んだか分からなくなるのは更にいけない。そんな状態にも関わらず、来てくださって本当に嬉しいと、何度も言う後輩を、拝みたい気持ちで事務所を後にした。


 電車の中で立ったまま寝ていて、ここでも周囲に迷惑を掛けていたようだ。終電の終着駅から先はお金もないので、家まで深夜歩行になった。約15キロを3時間ほどかけて歩いた。雨や雪でなくて幸いだったが、あまりにも寒くて途中のドラッグストアで靴下に貼るタイプのホッカイロを買った。靴に入れて歩いたのだが、寒すぎたせいか、酔っ払い過ぎたせいか足元に暖かさを感じることが出来なかった。長い一日だった。


 2月12日

 雨の火曜日。今日はいつもと違う倉庫会社での作業だった。久々の搬出し、2人で20mトレーラーを処理した。荷物数は448個。効いた。午後は作業用のベスト(以下のような商品)の検針。単調な作業で時間がなかなか進まない午後だった。そして何よりも寒かった。ホッカイロが無性に恋しかった。

 明日はいつもの倉庫で出荷研修だ。出荷は気を使うところがあると言うのでちょっと気が重いが、つべこべ言わずに頑張ろう。


 2月13日

 昨日書いた通り今日は出荷研修だったはずが、出社して名簿を見ると入荷チームになっていた。派遣会社の社員に確認すると今日は入荷で良いとのこと。明日も出勤出来るなら、明日を出荷研修にするとのこと。仕事としては入荷の方が気楽なのだが、出荷研修ということで観念して出社してきた「気持ち」の方はちょっともったいなかったかも知れない。


 2月14日

 倉庫現場での出荷研修を終えてきました。先生一人に二名の研修生がついて、ピッキングと梱包を行なった。梱包では一顧客に商品が複数のもの、また小口が複数になるもの等の取扱い、梱包方法を習った。(先生によれば筋がいいらしい)

 来週以降この倉庫に派遣される場合「出荷」「入荷」の両方のパターンがある。今日の感じでは出荷も慣れればそれほどきつくないかも知れない。「出荷」は寒くないという利点もあるので、気楽だけれど寒い「入荷」といい勝負かも知れないな。


 いよいよ1社最終面接の連絡が入った。なるべく早くということで明日に設定する。とにかく全力で頑張ろう。ひとつが進むと何故か突然他の会社からの引き合いも多くなる。来週火曜の面接とは別に再来週の月曜日にも初めての会社の面接が設定された。珍しく近い勤務地なのでちょっと期待をもって様子を見てこようかと思う。


 2月15日

 久々に前職の会社の先輩から連絡があり「もしかして転職活動してる?」と聞かれた。どこかからそのような話が伝わったのだろうか。人の口に戸は立てられないものだ。


 来週火曜日、再来週月曜日と金曜日にも面接が入りそうだ。あんまりバラバラになると派遣のバイトに支障が出るので、出来るだけ集中させたいところなのだが相手の都合次第なので何ともいかない。何はともあれ早いところ内定をとりつけたい。


 2月18日

 今日はブランド物の香水や化粧品の物流倉庫での仕事だった。午前中は入荷した商品の仕分け、棚入れ作業、午後はブロッターの数を勘定して100枚ずつにまとめるという作業をした。相変わらず寒い日だったが、外作業の陽射しの下は太陽の温もりが感じられる一日だった。


 2月20日

 今日はペットボトルにおまけをつける作業をした。流れ作業の一番最後の「積み」を一日の内約3分の1担当した。1.5リットルのペットボトルが8本、12kg+αの重さの箱を繰り返し積み上げる作業はかなりハードで、筋肉痛になった。


 2月21日

 今日はブランドの香水・化粧品等の流通倉庫で入荷作業、棚いれ作業等をした。昨日の疲れを引きずりながらも何とか頑張った。この倉庫はのんびりムードなので助かる。正社員と派遣社員の確執のとばっちりもあったが、なんのそのだ。


 明日は、現時点の本命で6回目の面接(今度こそ最終面接!)だ。月曜日と水曜日にも面接があるがこの辺でけりをつけたい。とにかく頑張ろう。


 2月22日

 都合6回の面接で面接時間も通算6時間を越えたのだが、結果としてあまりエンディングに近づいている気配がなく何だかまたスタートに戻ってしまったような感じだ。受験者側の勝手な言い草だが、ここまで引っ張られて不合格となるのはきつい。交通費もバカにならないのだ。とにかく全力で当たって来たので結果を待つのみだ。来週も2件面接が待っているのでこちらも新たな気持ちで取り組んでこよう。今は面接が途切れてしまうのがとても怖い。


 2月24日

 明日の派遣仕事は「キャンセル待ち」だ。当日現場でキャンセルが出れば仕事に入れるという何とも危うい状況だ。しかも片道1時間15分を要する場所に満員バスにも揺られなければならない。もし行ってキャンセルがなければ交通費1,000円をもらって帰ることになる。ただ、明日は夜8時過ぎから面接の予定があり、場所が仕事場から近いので交通費だけもらっても意味があるかなと考えてのトライである。


 今日は市議会議員選挙に行ってきた。ことの他寒い一日で投票所の体育館でスタッフの仕事をしていた人たちもきっと寒かっただろう。私と妻が投票所に行った4時半頃の投票率は37%。最終はどの位だったのだろう。選挙に行ったからといって何かが良くなることもないと思いながら、実はとても切実に何かが良くなることを願っていた。


 今日は末娘(小1)のエレクトーンの発表会があり、長女(小4)と一緒にビデオとカメラを抱えて席を取った。客は関係者しかいないが、それでも1000名以上収容できる文化センターの大ホールが相当に混雑していた。まずは3番目に登場ということで長女と共同でビデオとカメラを撮影。その後は最後のフィナーレまでは登場機会なしということなので、しばしの休憩。しばらくは発表に耳を傾けていたが、耐え切れずいつしか爆睡していてフィナーレ直前の講師演奏でようやく目を覚ました。子供の発表会なので決してみな素晴らしいということはないが、それでも一生懸命の証である緊張感や、積み重ねてきた練習の成果というものは心に響くものがある。それは全ての出演者それぞれにある「音」だ。その中には時々「ドキッ」と身体をしびれさせてくれる気持ちの良い「音」がある。特にピアノからはその「音」を感じることが多い。今日は団体でのエレクトーンの発表会だったが、次回(来月)は個人のピアノ発表会がある。また誰かが「ドキリ」とさせてくれることを期待しよう。家族からは誤解を受けているようだが、パパは決してただ爆睡しに来ているわけではないのだ。


 今日最後のつぶやき。明日は月曜日。早く正社員になってメリハリのある1週間を送りたいと思いながらも、本当にそれが良いのかとも考える。正社員として毎日満員電車に揺られていたあの頃、丸の内線の四谷(地上ホーム)の乗り換えの時に何故かいつも思うことは、毎日同じ時間にここを歩いて「これでいいのか?オレの人生」ということだった。今、はからずもその生活から離れても答えは出ない。ただこのままでは生活が経済的に破綻してしまうことだけはハッキリとした事実だった。考えたって分からない。今日はもう寝よう。


 2月25日

「キャンセル待ち」の為に満員電車と満員バスを乗り継いで現場まで出勤したものの、やはり仕事にはありつけず1,000円の交通費をもらった。昨日の段階では交通費だけでも意味があるだろうと思っていたが、面接は夜8時から。ざっと10時間ほどのタイムラグをどうするかまではちゃんと考えていなかった。仕方がないのでDVDボックスで時間をつぶすことにした。12時間で2,000円。随分と足が出たが、久々に映画三昧だ。良しとしよう。ALWAYS三丁目の夕日と東京タワーを鑑賞して、暗く狭い部屋の中、一人で泣いた。いやな涙ではなかったが、泣いてばかりもどうかと思い、AVを見て一人で抜いた。ここは元来そういう設定の場所なのだが、そういう意味で2,000円というのは何とも贅沢だなと思った。


 夜8:00一次面接に行ってきた。面接はいたってオーソドックスかつ礼儀正しく、企業の歴史を感じさせるものだった。さすが30周年を迎える会社だ。通勤時間が短いというのが何といっても魅力だった。一次面接合格ならば適性試験がありそれに合格すれば最終面接というステップもきちんと説明してくれてとても好印象だった。何とかうまくいくことを願いたい。


 明日の仕事は先日の派遣と社員の対立のあった現場だ。平和な一日であることを祈ろう。ちょっと風邪気味で少々身体も重いのでドリンク剤でも飲んで寝ることにしよう。昨夏のようなことになったら大変だ。


  2月26日

 香水関係の流通倉庫での派遣の仕事。今日は入荷が少なくまた雨も降っていたので倉庫内で出荷の仕事をした。商品を揃えて梱包して出荷できるようにする仕事だ。社員1名派遣2名1チームで対応した。派遣のもう一人も顔見知りの世慣れたタイプで仕事もスムーズだったし、今日は実に平和な一日だった。彼は正社員の仕事が決まって来週からそちらに行くのだそうだ。派遣は明日が最後。私は明日面接があって仕事は休みなのでこれでお別れになる。「早く仕事を決めて家族を安心させてください」と励まされる。同じような境遇で同じ時間に同じ仕事をやった者同士。いつかどこかで出会った時には今日のこの日を、あんな時もあったよなと振り返りたいと思ったが、今は全く想像がつかなかった。


 2/25に面接を受けた会社から合格の連絡があった。いいなと思った会社なので少しテンションが上がった。次は3/1に筆記試験だ。明日も一次面接。とにかく一日も早く仕事を決めて転職日を固めたい。風邪の方は今日の午後にピークを迎えたが今は少し楽になっている。取りあえず今日はさっさと寝よう。


 2月29日

 お腹が痛くてまったく集中力がない。病院で生活のリズムを作っていくようにとの指導があって最近胃の具合が良くないという話をしたところ胃腸薬も入れてくれたのだが、飲んだら早速腹痛だ。薬を飲んだからというわけではないのだろうとは思うのだが。明日は筆記試験(適性試験)。頑張るためにも早く治さないと・・・。


 3月1日

 思えば久しぶりの筆記試験だった。SPIの能力系の試験とV-CAT(いわゆるクレペリン)による適性検査を受けた。右手がしびれるほど疲れた。出来の方は芳しくはないが、お腹が痛い中全力で頑張った。対応してもらった女性社員もフレンドリーでとても好感が持てた。前回の一次面接での様子や通勤距離を鑑みると、ここが第一志望になりつつある。良い結果を期待しよう。


 3月3日

 働きたいのに仕事がない。今日は何とか仕事にありついたが明日の仕事がない。ここにも不況の煽りが来ているのだという。毎日続けて仕事に行かないと枠を確保出来ない状況らしい。やはり複数の派遣会社を掛け持ち登録しておかないと駄目だろうか。あさっての仕事は確実にゲットして、木曜日までは何とか繋ぎたいところだが。


 金曜日は夜19:00~面接が入った。社長面接なのでこれはこれで最終面接なのだろう。右腕とおなか辺りに蕁麻疹が出た。ちょっと怪しいかなと思ってアレルギーの薬を飲んでおいたのだが風呂上りに見たらずいぶんと広がっていた。病院にも随分行って検査もしたのだが、アレルゲンがまったく分からないので対処のしようがない。あまりひどくなってしまうと病院で薬をもらわないといけないが、今は病院に行く経済的余裕もない。手持ちの薬で何とかおさまってくれることを祈るしかない。


 3月4日

 3/1に受験した筆記試験の合格の連絡があった。よかった、よかった。あとは、最終役員面接を残すのみだ。行きたいと思う会社なので、思い切り頑張ろう。今日の仕事はなかったが、明日は例の香水・化粧品の倉庫の仕事に入ることが出来た。明日も頑張ろう!


 それにしてもお金がないのは寂しくて気持ちがしぼんでしまう。明日一日仕事をして5,850円。交通費320円、昼食代450円、飲み物代150円、差し引き4,930円。あさっても何とか同じ仕事が出来たとしても翌日面接に出かけることを考えると2,000円残しがやっとです。合わせて7,000円。来週は日、月、火、水と金の5日仕事に入れるといいのだが最近のペースだとせいぜい3日か。3日入って15,000円。これで生活の足しになるのだろうか。ネットをひも解けばあちらこちらに稼げるという話が転がっているが、なかなかそういう話にも乗り切れない。派遣の仕事を始めて金を稼ぐことの大変さが改めて身にしみている。一体誰が儲かっているのだろうか?


 3月5日

 日雇いで派遣をしていると思うように仕事が出来ない日が出てくる。そういう意味で明日も仕事が出来るというのは格別に幸せなことだと思う。明日も今日と同じ現場を確保できた。ありがたいことだ。今日は午前中少し日が翳っているときは寒く感じたが、陽射しが出てくると結構暑く感じられた。あちこちで梅の花が白やピンクの花を咲かせていた。春が近づいている。


 3月8日

 明日から3日間はいつもの倉庫の仕事のピークだという。明日は日曜日だが、朝から(通常よりも早めで)頑張ってこよう。出荷の仕事は結構気を使うので大変だが、気を張って乗り切ろうと思う。さて早めに寝ようか。


 3月9日

 1ケ月以上前からこの日は大変ということで盛り上がってきたが、17:00定時のところ15:30で全員あがりということになってしまった。調達人数が多すぎて仕事がなくなってしまったのだ。今日1日で私のこなした出荷件数は10件そこそこ。通常ならばまだ慣れず手際の悪い私でも70~80件はこなしている。あと2日残っているが果たしてどうなるのだろうか?


 3月10日

 アニバーサリーの第2日目。今日は終日適度に出荷作業があった。昨日のように人余りの様子もあまり見られず、私自身も朝からずっと梱包台をあてがわれた。出荷も100件くらいは処理しただろう。昨日の反省が早速反映されたようだ。更に明日は派遣の人数を大幅に削減するらしく、残念ながら私の仕事も無くなってしまった。と、いうことで明日は一日どうしよう?面接関係ももう一歩まで来ているのだが、最後の予定がなかなか決まらない。焦ってみても仕方があるまい。泰然として構えていよう。何だかとっても大きな熊のぬいぐるみをひとつ梱包した。誰から誰への贈り物なのだろうか?


 3月13日

 今日は久々の飲み会の予定だったが、昨夜からの蕁麻疹の影響かあまり体調が芳しくないので自重した。久しぶりに会える人もいたのでとても残念だった。通院の方は特別な指導はなくいつもどおりの薬をもらった。胃腸薬は今回は無しになった。


 明日は、以前本命視していた会社の7回目の面接だ。会長ではなく社長面接になったそうだ。いずれにしても今回こそ最後だろう。ここまでやって来たのだ、目一杯で行ってこよう。


 3月14日


 社長面接。7回目の面接所要時間は実質20分。果たしてこれで結論は出るのだろうか。人事部長はこれで最終的な結論を出すと言っていたが、そんな話は既に何度か聞いた気がする。


 来週、火曜日に面接の決まった会社はいきなり社長面接で短時間で決めてしまうらしい。それはそうとして、第一志望から最終面接の案内がない。これもそろそろ結論を出して欲しいのだが。来週が山になりそうだ。というか山になって欲しいものである。とにかく頑張らなくっちゃ、だ。


 3月15日

 明日は通院なので仕事は休みだ。最近よく顔を合わせる同僚のイザワ君は明日も仕事らしいのだが、私が休みなら休みたいなと言っていた。正社員になるなら「フォークリフト」の資格を取ったらいいと熱心に勧めてくれて「ハナサキさんなら絶対正社員になれますよ」と太鼓判を押してくれた。狭い倉庫中を縦横無尽に走り回るフォークリフトは恰好良かったが、狭いスペースでモノを避けながらの運転は、相当に難しそうだった。


 明日は人材銀行に登録に行ってから病院に行く。期待は薄いがとにかく一箇所決まればいいのだから少しでも可能性のあるところには網をはっておこうと思う。きっと大丈夫だと、自分で自分に暗示をかける。太鼓判を押してくれたイザワ君の為にも、私は頑張らなくちゃいけないのだ。


 3月17日

 つい先ほど、悪い知らせがあった。第一志望の会社からNG連絡があった。役員面接を待っている状態でのNG、せめて役員面接を受けた上で結論をもらいたかった、と思うが、縁がなかったものと思いあきらめよう。明日は、初トライにして(多分)最終面接の会社に行く。とにかく全力トライするのみだ。いつも思うがここが正念場だ。


 月曜早々仕事にあぶれてしまったので今日は読書の日になった。頼みの図書館が休館日だったのでやむを得ずデパートで読書をした。あまり長時間座っていて不審がられてもいけないので、適当な時間で2Fから1F、そしてまた2Fと場所を移した。何故こんなに気を使いながら時間つぶしをしないといけないのだろうと思うが、他にどうしようもないのが実際だった。昼食はカロリーメイトと缶コーヒー。早くまっとうな仕事に就かないと身体まで壊しかねない。何とかしなくては。


 3月18日

 面接が夕方だったので午前中卒業式の関係で早帰りしてきた末娘と中古品の買取屋にいった。ゲームのコインとテレカを6枚(50度数)を買取依頼したが、結果1,520円也。テレカは新橋のチケット屋なら50度数1枚300円で引き取ってくれるのだが、ここでは250円換算。需給関係。田舎のつらさということなのだろう。娘はラブベリとたまっごちカードの束売りを買って上機嫌だった。まあそれだけでも来て良かったなと思った。


 3月20日

 今日は雨。しかもとっても寒い。今日も仕事がなかったので末娘と図書館とデパートのゲームコーナーに行ってきた。500円で1時間遊べるコーナーに入る。ボールプールや風船の部屋、究極にのんびりしたメリーゴーランドや透明なプラスチックに噴水が仕込まれた滑り台、自動で上下するシーソー等があった。風船の部屋にはドーナツのぬいぐるみを二つ抱えた謎の少年が現れひたすらクルクル回転しては目を回したり、二つある風船の部屋の片方に全ての風船を集めてしまう少女などが登場した。何でもない遊具の中だったが、1時間はあっという間に過ぎていった。気に入った様子だったおみやげでもらった風船が駐車場で割れてしまったのだが、「お菓子があるからいいや」と泣いたり悔しがったりしなかった娘を見て、随分成長したものだと感じた。もうこの春には小2になる。


 3月21日

 金曜日、週末であまりたくさんの入荷がなかったので、棚の整理や出荷の手伝い等でポツリポツリと仕事が入るという感じで時間が長く感じられた。それでいて最後にちょっとバタバタと仕事が入ったので何だか疲れた一日になった。来週は月曜日も同じ勤務先に行けそうだ。


 例の7度の面接を重ねた会社はどうやらまだ結論が出ないらしいと連絡があった。一体どうなるのだろう。あまり期待し過ぎると落ちた時のショックが大きいので、もう諦めておいた方が良いのかも知れないな。


 3月22日

 入れると言われていたのに月曜日の仕事にあぶれてしまった。当日朝のキャンセル状況しだいということだが、期待薄だろう。福沢諭吉ではないが、本当に仕事がないのは悲しいことだ。就活の方もうまく進まない。仕方がないので職安にでも行ってみよう。


 3月23日

 春の陽射しに誘われて、末娘と動物園に行ってきた。ここはこれで3回目だったが「エサのあげられる動物園」で、動物との距離感の近さが楽しい。人出もそれほどでもなくいっぱい遊べて良かったが、例によって帰りは大渋滞。行きの倍以上の時間が掛かってしまい大分疲れてしまった。明日もキャンセル待ちで仕事が確定していないというのも気を滅入らせた。でもついさっき、娘が寝る前に「今日は楽しかったね」と言いに来てくれた。それで疲れはどこかに行ってしまった。頑張らなくちゃいけない。


 3月24日

 予想通りキャンセル待ちで仕事が得られるほど世の中甘くはなく、またまたフリーになってしまった。仕方がないのでハローワークと人材銀行に行って来た。ハローワークには朝から結構沢山の人が来ていた。何とか明日の仕事は確保。火曜日は入荷が忙しいという。結構なことだ。


 早々に家に帰っていたので、暇ならご飯と味噌汁くらい作っておくようにとの妻からの指示があり、味噌汁作りをした。作成にあたって長女から家庭科の教科書を借りた。削り節でダシを取り、油揚げの短冊切り、ねぎ、豆腐を煮込んで、味噌を溶いて出来上がり。味見をしてみたが熱すぎて良く分からなかった。褒め言葉もないが、皆文句も言わず食べていたのでOKということだろう。役に立てて良かった。


 3月25日

 香水入荷の仕事。今日は予定通り大量の入荷があって、朝から夕方時間ギリギリまでずっと動き回っていた。いつもだとさてこれから何をしましょう?という待ち時間があるのだが、今日は全くなかった。しかも最後の片付けを完了しないうちに時間切れ。派遣は時間にてキッチリ終了になる。折角なので最後までやりたい気持ちだったが、続きは明日。明日更に新しい入荷があると大変かも知れない。でも手待ち時間があるよりもずっといい。イザワ君もいい顔をしていた。よし明日も頑張ろう、とグータッチをして別れた。明日の仕事があるというのは素敵なことだ。


 3月26日

 春、暖かな朝だ。昨日の疲れもそれほど残らず元気だ。今日も忙しそうだが頑張ろうと気合を入れていたが、迎えの車の中で今日の出勤先が変更になった。例のペットボトルのおまけ付けの現場だ。労働時間が1時間半増える(その分給料が増える)のは良いのだがこちらは体力勝負の仕事。気持ちの軌道修正がちょっと大変だった。2リットルのペットボトル6本入りの箱60ケースで1パレット。これを55パレット積み上げた。2人で担当したので12キロの3300ケースの半分1650ケースを積み上げたことになる。既に腕の筋肉が痛いが充実感はたっぷりだった。


 明日は四十四回目の誕生日。その記念すべき日の仕事は香水の倉庫になった。今日の仕事がもう一日続いたら厳しかったというのは本音のところだったが、たとえそうでも受けて立とうという気持ちは持っていた。仕事はいいな。前向きな気持ちになれる。前向きに生きる四十四歳であろう。


 3月27日

 四十四回目の誕生日。今日も仕事だ。入荷の荷物で玄関前スペースがいっぱいになっていたが何とか午前中で仕分けは終了。午後は預け入れや棚入れの準備をした。陽射しがあって暖かいのは良いのだがコンクリートの上での作業なので熱射病には注意しよう。イザワ君は休みらしかった。休憩室の窓から建築中の家が見える。一昨日何もなかったところに今日はもう2階までの骨格が出来ていた。あっという間に景色が変わり、季節も変わる。春を感じながら仕事をしていたら少し心が軽くなった。


 家に帰ると居間にティッシュの花の飾りつけがしてあった。末娘が作ってくれたのだという。誕生日プレゼントに「お椀」と「パンツ」をもらった。全く想像していなかったのでグッときてしまった。ひとりじゃないと感じた。やるしかない。泣いている場合じゃないのだけれど、勝手に涙が溢れてきて困った。


 その夜、こんな夢を見た。一面にティッシュの花が敷き詰めてある倉庫に、色とりどりの風船が飛んでいる。ピンク色のフォークリフトを楽しそうに運転しているのはイザワ君だ。ドーナツのぬいぐるみを抱えて回転する少年を華麗に避けて、虹色のラップが掛かったパレットを持ち上げる。重心が全くぶれていない。うまい。しっかり巻けているラップを巻いた自分の技もちょっと誇らしい。向こうから流れてくる段ボールは、開いても開いても同じ鞄が出てくる。いくら積んでも、いくら頑張っても、いつまでも流れてくる段ボール。風船はいつの間にか消えていた。だからフォークの免許を取った方がいいって言ったんですよ、とイザワ君が言う。ティッシュの絨毯の上をフォークが前後左右にアクロバットのように動き回る。しかし、どんなにフォークがその上を走り回っても、ティッシュの花はひたむきに咲いていた。そうか、これは踏み荒らせないんだと合点して、目が覚める。


 居間に行くと、飾ってあったティッシュの花はそのままそこにあった。どうして夢の中で踏み荒らせないと思ったんだろう。全然分からなかったが、それがそこにあったことに安堵してもう一度床に入った。


 4月1日

 会社に通勤していれば年度始めという特別な日だ。前職の会社だと組織変更やら人事異動、入社式などがあるちょっと特別な一日だった。私にとって今年の4/1は「何にもない4/1」だが、それでも一生の中の大切な一日には違いない。 大切に力いっぱい頑張ってこよう。


 仕事を押さえる為の電話をかけるのが遅くなってしまい一度は明日もフリーか?という危機だったが、何とか仕事を確保出来た。3/10以来の通販倉庫だ。出荷ということでまた気を使うのが難点だが、ペットボトルの体力勝負よりはいいかな、と思って頑張って来よう。久々なので忘れてしまっていることが多そうだがゆっくり確実にやってこようと思う。何はなくとも仕事があるということは本当に素晴らしいことだ。


 明後日は面接が夕方に入った。ついに8回目の面接という記録的なことになったが、ここまできたらとことん付き合うしかあるまい。その前に免許の更新に行くことにした。これで今週の仕事は今日でおしまいということになってしまう。生活は大丈夫だろうか。とにかく倹約しないといけない。


 4月2日

 派遣会社の社員から、イザワ君が仕事を辞めたという話を聞いた。正社員の口が見つかったのかと尋ねたが、詳しくは分からないと言われた。フルネームも連絡先も知らなかったが、名前を持たない一労働力の派遣社員生活の中で、唯一個体認識をしあった仲だった。もう会えないと思うと寂しかった。サヨナラくらい出来たら良かったのになあ。


 4月4日

 人材銀行の紹介で履歴書を送った会社(4社送付)から2件連絡が入り、共に面接したいとのことだった。民間の直接応募はことごとくNGで、人材紹介会社経由でも面接までたどり着く確率はかなり低くなっていたが今回はヒットした。1件は来週水曜日に、もう1件もその前後には面接が入りそうなので改めて気を引き締め直して頑張って来よう。もう1社は事務所が家から近く短距離通勤のビッグチャンスで、気合がこもる。その前に明日は8回目の面接だ。こちらも白黒つけるべく頑張ろう。


 4月5日

 面接に行って来た。8回目にしてついに前向きな話だった。今日の感触であれば来週あたりにはもしかしたら結論が出るかも知れない。さてどうなるだろう。人材銀行の案件も折角なので白黒つけておきたいが間に合うかどうか難しくなってきた。


 帰り道、九段下で降りて桜見物をした。お堀に花筏が出来ていた。ボートがとても気持よさそうだった。

 あ、これはこの前見た夢の風景だと感じた。花筏は敷き詰められたティッシュの花、ボートはフォークリフト、そして散りゆく桜の花びらは風船だ。私にも春が近くにあるような、そんな予感がした。




  この数日後に8度の面接をした会社から待ちに待った内定をもらうことが出来た。応募した会社数は実に130社にのぼり、面接に行った回数は通算で丁度50回だった。これをもって就活と日雇い派遣の生活に終止符を打ち、この会社に就職することにした。


  お世話になった派遣会社に挨拶をしに行ったのだが、いつも迎えに来てくれていた社員さんも何日か前に辞めてしまったのだそうだ。やむを得ず菓子折りだけを置いて帰ろうとしたところに、入社の時に面接をしてくれた所長さんが帰ってきて少し話をした。迎えの車の社員さんは体調を悪くして退職になったのだそうだ。はっきりとは言わなかったがメンタルの不調だろうと所長は言った。


  そして、「あ、メンタルと言えば」と、派遣社員の一人が3月の終わりに亡くなったという話をした。自殺だったそうだ。随分長く働いてくれた真面目な若者、残念だった、と言って、寂しそうな顔をした。


  「ああ、申し訳ない、ハナサキさんの門出にこんな話で」と、所長が席を立つ。


  「頑張ってください。いつ戻ってきても歓迎ですから。いやそういうわけにはいかんですね」と、笑って握手をして別れた。


  亡くなった派遣社員の名前は聞かなかった。派遣社員は一労働力。元々名前なんてないんだからと言い聞かせて。


  家に帰ると末娘に頼んでティッシュの花の作り方を教わった。「不器用だよね」と、笑われながら作った確かに不器用な花と、娘の作った形の良い花を二つ持って、近所の公園の池に行く。桜はもう殆ど葉桜に近かったが、花びらはまだ池の水面にまだらに広がり、水の色を淡いピンクに染めていた。


  ティッシュの花を二輪浮かべる。「これって何のおまじない?」と聞く娘に、「レクイエムだよ」と教える。「へえ」と分かったような、分からないような返事をして、娘はそのまま遊びに行ってしまった。「また、そんな、殺さないでくださいよ」と、イザワ君の華やかな笑顔が見えた。



  5月のGW明け。初出勤の前日に書いた日記の最後にもまた「頑張ろう」と書いた。日記を書き始めてから一体何度目の「頑張ろう」だろうか。仕事がなくても、仕事があっても、いつも頑張る、頑張る、だ。つまりこれが生きるということかと、一人で納得し、そして絶望していた。きっとこれからも終わりなくずっと「頑張る」しか、今日を生き抜くことは出来ないのだろう。


  だけど。


  その絶望は、決して悪いことじゃない。僕は明日、扉を開ける。また大いなる困難の待つ道を、ありったけの力を振り絞って歩き出す。


(了)

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― 新着の感想 ―
[良い点] よかったです!語り口が主人公の主観である為なのか、とても感情移入しやすかったです。ハナサキさん精神力強っ!とか、妻もっと優しくしろ。;。/とか思いました笑
[一言] エッセイ「なまこが紹介する、『お気に入り短編集』」の紹介でお邪魔しました。 私もアラフォーのオッサンですので、滅茶苦茶ブッ刺さりました……。 ドキュメンタリーを見てるのかと錯覚したくらいです…
[良い点] Gyo¥0-様の「なまこが紹介する、『お気に入り短編集』」の紹介で参りました。 圧倒的なリアリティに、息を詰めるような感じで読了しました。 絶望すら悪くない、と思える主人公の気持ちが切な…
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