6・(月・火)1月21日~22日
6(月・火)1月21日~22日
十一時になり、荷物をまとめ、事務所方面へ歩いている途中、
「私、こっちでやってけますかね。思案橋はどこかよそよそしい分、まだ優しいですから」
「路上か? まあ、やるなら覚悟がいるとは思うけど」
「今日みたいな人の対処出来ませんよ、私」
「だったらもうバイトに切り替えてみるのは? ライブ前なら俺と一緒に練習すればいいからさ」
「あらためてナオミさんのすごさが分かりました……」
コンビニではナポリタンとサンドイッチを選んだ僕に、彼女はおにぎり二個でいいという。昨日のラーメンからお互い食べていなかったが、彼女はそれだけでいいのだと言った。
アパートへ戻るとエアコンを入れ、部屋が温まるまでビールを飲んだ。那由多が一本だけ買ったチューハイは冷蔵庫の中だ。
「ああいうお店って時給いいんですかね」
不意に那由多が呟いた。
「ああいうって?」
「飲み屋さんです。今日来てた女の子みたいな」
彼女の複雑そうな心境を汲んだとしてもあまり勧めたくはない。昔、麗美が言っていた時給一万というのは特殊な世界だろう。
「時給二千円くらいじゃないか。こっちでの生活気にしてるんだろうけど、コンビニレジ打ちくらいが――」
「二千円ですか? そんなにもらえるんですか?」
逆に乗り気にさせてしまった。
「まあ、店によりけりだろ。それにエロオヤジの嫌がらせも多いだろうし、そんなとこに行くくらいなら路上が人目もあるしまだましだよ」
僕はナポリタンにタバスコをかけて啜り始める。那由多もシャケむすびのフィルムを剥がし、モソモソと食べ始めた。
「とにかく今はライブのことだけ考えよう。生活のことはそのあとだ」
「私、明日はひとりでやってみようと思います」
「明日ねえ……明日? お前、また帰らないつもりなのか?」
「三日分の着替えは用意してきました。今は卒論制作時期なんで休みが多いんです」
「けど、明日って……」
行動力だけは定評のある彼女なのでやると言ったからにはやるのだろう。果たして彼女がどんな場所を選ぶのか興味がない訳でもない。
「やってみないと分からないことばっかりだって、最近、思うようになったんです。だから明日はナオミさんの手も借りずに唄ってみます」
「分かった。その代り場所選びだけはつき合わせてくれ」
「はい、約束します」
シャワーを順番に浴び、僕が上がると彼女はドライヤーを当てながらレポートを見ていた。「頑張れ」という言葉が浮かんでは消えた。彼女の抱える不安と悩みを一緒に抱えてあげることの出来る自分になりたかった。一緒に笑い、一緒に泣く、それだけの力が欲しかった。
CDラジカセから流れているのは尾崎の『誕生』の二枚目だ。それを小さく流しつつ、僕はノートを開く。彼女は同じテーブルで頬杖をつき、チューハイを口にしていた。
「また新曲ですか」
「いや、今はレパートリーを書き出してる。お客さんに見てもらえると無茶なリクエストもなくなると思うんだ」
「なるほど」
こうして見ると、当初は尾崎十曲が精一杯だった僕もレパートリー八十曲に近づいていた。そのほとんどがぶ厚い歌謡大全集からのものだとして、それはそれで構わない。大衆化した曲をやるのは気恥ずかしさがあったが、それもしだいに薄れている。
その作業の中、那由多もレポートを取り出し、それぞれの勉強会は午前二時まで続いた。
「じゃ、寝るか」
「そうれふね。わらひもひと段落ひたところなんれ」
歯ブラシをくわえながら彼女が言う。彼女はもう見ることもないと思われた日向ジャージ――時にイルカ臭い――に着替え、寝る準備は万端だ。
「こっちで一緒に暮らすのって、ありですかね」
狭い布団で肩を並べながら那由多がこぼした」
「事務所も把握することだから、ちょっと難しいんじゃないか」
「けど、TIMESのメンバーの人ってカップルがいるんでしょ?」
「ああ、小川さんと甲斐田さんか。あそこは元々つき合ってたらしいから」
「私たちも元々つき合ってます。問題ありで?」
「その辺は……菅原さん次第じゃないのか」
僕は灰皿を枕の上に引っ張り、火をつける。
「ひとりで追う夢よりふたりで追う夢の方が挫けずにいけそうです。あと生活費的にも」
「その台詞で直談判すればいいさ。明日、俺は事務所に顔出すけど行くか? とりあえず正式な事務所入りの話はまだなんだろうけど」
「いっそ、それも含めて伝えたいです」
「真面目な菅原さんのことだし、『親御さんへの顔向けが出来ません』なんて言われて終わりじゃないのか」
「その親御さんがボロボロでも?」
「とにかく明日は東京に行っている落合さんも戻る。色々話があるなら今のうちにまとめておきな」
煙草の火を消すと、薄明りが煙を揺らしていた。この場に彼女がいることが普通になれば僕の生活はどう変わるだろう。
「おはようございます」
ふたりで事務所に出かけると、TIMESのギターの関さんとドラムの清水さん、ベースの甲斐田さん、東京にいるはずのSolty Cannonのメンバーが集っていた。甲斐田さんは紅一点だ。ツヤツヤの髪がなびいている。
関さんがくわえ煙草で僕らを手招きする。
「杉内君は知っとろうけど日向さんはまだやろ。ウチの大御所、Solty Cannonのメンバーやけん」
すると大柄なベースのレニーさんが、
「大御所はやめろって。ひとりは久しぶり、もうひとりは初めまして。レニーです」
はあ、と那由多が頭を下げる。
「で、ギターのサニーとドラムのスノウ。ボーカルはまだ来とらん」
「日向那由多です。よろしくお願いします……」
小さな身体をさらに縮めて那由多が何度も頭を下げる。と、そこへ出社してきたのは専務の落合さんだ。
「おう、集まっとるか。ん? 日向さん、まだ博多におったとね?」
すると那由多は、
「はい。もっぱら杉内さんとこで卒論書いてます。今夜は中州路上です」
既成事実をひとつ作った。
「そうねそうね。まあ、それもよか経験たいね。じゃ、とりあえず主要メンバーはおるけん手短に話しとこう」
言っていると専務室から菅原さんが出て来た。
「告知通り、三月三日の日曜、ここにおる杉内君と日向さんの博多デビューライブば天神ダイナソーで行う。一昨日聞いたとこによると、なんと杉内君は四十枚のチケットをすべてストリートで手売りしたらしか」
するとSolty Cannonのメンバーがざわついた。
「ただしこれは販売実績であって、集客の確約ではない。参加ミュージシャンは地道にチケットを捌くこと。長崎実家の日向さんは枚数が限られとるけん、皆でフォローに回ってくれろ」
そこへ菅原さんが、
「TIMESの関さんと甲斐田さん。それにSoltyのスノウさんにはこれから二週間、杉内さんのバックを練習お願いします。スタジオは天神のオータムで。採譜はデモテープを各自に送っておいたので間違いないと思いますが」
それを聞いてギターの関さんが、
「彼の歌はバンド向きじゃなかよ。せっかくの声ば殺してしまう」
そう言うと、
「オイもそげん思うたけどね。弾き語りが無難じゃなかと」
ドラムのスノウさんが続いた。しかし落合さんが話に割り込むと、
「そこば生かしながら厚みのあるサウンドに持っていきたかとたい。プロなんやけん、どげんかしてみろ」
話は終わった。
ということで僕と那由多は専務室に呼ばれ、落合さんと個別の面談になっていた。
「日向さん、新曲聴きながらでよかね」
「はあ……」
落合さんはラジカセのスイッチを押すと話を始めた。
「今回は博多で集客できるTIMESに前座を四十分任せて君たちには三十分ずつという変則的なライブになる。要はメインが短い訳さ。だから出来る限りギリギリまで作曲して披露出来る歌ば増やして欲しい訳よ」
ラジカセからは那由多の『時刻表』が流れている。
「うんうん。日向さんらしいノスタルジックなメロディやね。これはいただこう」
落合さんは煙草に火をつけ、
「で、杉内君は新曲出来た? 君の場合はバンドの都合もあるけん、一週間後がギリギリのラインやけど」
「全部で六曲あります。うち二曲は音源にしてないので早目に録音します」
「そうね。昼間やったらここ使うてよかけんね。菅原の方にひと言言うとけば問題なかよ」
そこに那由多が、
「私は――卒論の都合もあって二曲ほどカバーになりそうです。ギリギリまで頑張ってみますけど、もしもの時はあきらめてもらっていいですか」
落合さんは丸っこいあごをなでながら、
「それは仕方なかことたいねえ。まあ、順番的には杉内君が大トリやけん、それもありといえばありかなあ。うーん、でもなあ。やっぱり君の歌を届けたいねえ。君の場合は単独の弾き語りやけん、当日までかかってよかとばい。だから焦らずに向き合ってみんね」
「はい……分かりました」
煙草の灰を落とした落合さんが、僕と那由多を見比べて、急に問いかけた。
「ふたりはその、深い仲ね。それともストリートの友達か」
僕は返事に窮したが、那由多の方が胸を張って答えた。
「つき合ってます。つきましては彼との同居が許されるならば卒業後は本格的に博多へ乗り出す気でいます」
そう言うと落合さんは苦笑いで、
「まあ、プライバシーには干渉せんよ。仲よくやれるならそれもよかたい」
そんな感じで面談は終わった。




