49・(木)11月15日
49(木)11月15日
「焼き鳥美味しい!」
「長崎じゃここがいちばんだからな」
荷物の多い僕らは一度アパートへ戻って思案橋に繰り出した。紹介したのはバイト時代の先輩が教えてくれた店だ。
「地鶏の炭火焼きが美味しいんだ。宮﨑名物らしいけど」
「それ、いきます」
那由多はブラックさも消し飛び、ただの上機嫌な女の子になってジョッキのチューハイを傾けている。
「それにしても、『天の川』は響いたな。もしかして文学少女だったりするの?」
「本は嫌いじゃないですよ。読むのも書くのも」
「書くって、小説?」
「そんな大したもんじゃないですけどね。日記を書くよりは好きです」
僕はジョッキのビールを泡まで飲み干すと、
「今はどんなの書いてるの」
カウンターから地鶏焼きと生中を頼みつつ訊ねた。
「教えませんよ。世に出ることがあったら手に取ってください。ページの端っこにナオミさんモデルの登場人物がいるかも知れませんし」
「小説か……。あれって原稿用紙に何枚くらい書くの?」
「場合にもよりますけど、四、五百枚くらいですかね」
僕にも書けるかと思ったが断念した。
「それでナオミさん、今後どうするんです。ていうか家出状態のままどうやって生活していくんですか」
今いちばん考えたくないことを訊かれて黙っていると、
「妙案がひとつあります」
藁にもすがりたい僕はうなずきつつ言葉を待ったが、
「私と同棲しませんか。意外と盲点だったでしょ?」
「盲点っていうか、こないだ冗談で言ったよ」
「ウチの親あんまりうるさくないし、入学の時も部屋を借りるかどうか話してたんですよ。ただ私が炊事だの洗濯だの自分でやるの面倒臭いって、立ち消えてた案件なんです」
僕はお代わりのジョッキを口へ運び、今も同じく麗美に飼われているだけなんだと軽く落ち込んだ。
那由多の妄想は続く。
「両親はストリートやってることに色々言わないんで、こっちの方に安いアパートでもあればって思ってます。ストリートに出る体力と終わってから帰る体力って違うじゃないですか」
それは確かによく分かる。五十円しか入らなかった夜に三十分も一時間もかけて家へ帰りたくない。
「ナオミさん、今、月にいくらぐらい稼いでるんです?」
ストレートな質問に、
「毎日出て、九万円あるかなしかだけど」
思わず素直に白状した。
「充分ですよ。月に三万円払ってくれたら私と一緒に住めます。どうです、このアイデア」
答えに窮していると、地鶏の炭火焼きがカウンターから出て来た。なんというか見た目は記憶通りで真っ黒だ。
「これです? 炭火焼きって」
少しばかり躊躇している彼女の箸を追い越してひとつつまむと、炭の香りで燻されたような噛み応えのある鶏肉の旨味が広がった。
「じゃ、じゃあ私も」
「熱いから気をつけて」
「あふっ、んー、これは――」
慌ててチューハイで流し込む彼女が、
「不思議な味! しかも地鶏が美味しい!」
僕の背中をバンバン叩きながら興奮気味に膝を揺らしている。
それからササミの握りにレバーの煮込みと料理はひと通り堪能したので、会話の時間になった。
僕は煙草に火をつけて煙をくゆらせると、ひとつの事案を思い出した。
「日曜日だっけ、菅原さんが来るの」
「はい。今回は、もうひとりお偉いさんが来るらしいですよ」
「那由多はさあ、道が開ければメジャーを目指したいの?」
「そこは……私、元々は水族館で働きたくて水産学部に入ったんです。メジャーデビューもすごく興味ありますけど、学生生活で覚えたことが全部思い出になってしまうっていうのも寂しくて。それよりナオミさんはどうなんです」
当然のごとく矛先はこちらに向く訳で、
「俺は……やっぱり旅したいかな。あてのない、弾き語りの旅」
「でも――」
その先を抑えようとしたのか、それでも彼女は言葉を繋ぐ。
「旅って……響きはカッコいいですけど、例えばどこかの街で行き倒れるかも知れないですよね。私の予想では二日も雨が降ったらもれなくホームレスですよ」
彼女の言葉は正しいのかも知れない。勝手知ったる地元長崎だからこそ上手く立ち回ってはいるものの、知らない街では身の振り方から考えなければならないのだ。
「世の中にはヒッチハイクで日本を回る人もいるし――」
「それはレジャーですよ。ヒッチハイクで生活が出来てる人なんてどこにもいません。私は――」
レモンチューハイのジョッキを握った彼女が、
「ナオミさんには、この街にいて欲しいんです。あなたのことが好きなんです。以上です、帰りましょう」
ジョッキを大きく煽ってカウンターへドンと置いた。
荷物を置いたアパートへ戻ると、僕のクッションでくつろぐ那由多の姿があった。すっかりと見慣れた光景だ。
「テレビとか置かないんですか」
「あと二週間で出るのに、テレビ買ってどうすんだよ」
「ああ、そうですね。あ、トイレ借ります」
キッチンを抜けてトイレに入った彼女を見送って、残り三本の煙草に火をつけた。考えるのは麗美のことばかりで、今夜の他人行儀な顔しかもう見れないのかと思うと、ベッドの上でふざけ合った時間が恋しかった。彼女の肌が、唇の感触が、今でもまだ身体に残っているのだ。
三分後、那由多が戻ってきて、
「洗面所にタオルぐらい置いといてくださいよ」
ハンカチで手を拭いながらまたクッションへ座った。買った時には僕のクッションだったが、今では麗美のクッションが僕のクッションだ。
このままいつもの流れになるのを嫌った僕は、煙草を消すとキッチンへ立った。ケトルで湯を沸かし、
「コーヒーは?」
「甘いやつで」
コーヒーをふたつ淹れるとテーブルへ置いた。そのカップもまた、彼女のカップが僕のもので、僕のカップが麗美のために買ったカップだった。
「あのさ――」
僕が切り出すと、前髪を天井に透かして見ていた彼女が身を固くする。
「なんですか」
「率直に言っておこうと思って。俺は麗美が好きだ。それはいちばんって言う意味で」
那由多はまた前髪をいじりながら、
「知ってます」
憮然とした表情で答えた。
「でも俺は、このままだったら君のことを慰み物にしてしまう。それが嫌なんだ。僕はもうじきこの部屋を去る。そしたら君も僕のもとを去る。そうして――」
しかし僕の言葉を遮り、深夜の部屋に彼女の声が響いた。
「慰み物がなんですか! ナオミさんのこと慰められるんだったら何でもしますよ! 歌だって唄いますし、セックスの相手もします! 好きになったんだから仕方ないでしょう! 私は彼女の代わりになれません! でも、私にしか出来ないことだってあると思ってます!」
那由多は目尻に涙を浮かべ、
「今日は帰ります。楽しかったです。だから明日からはもう、今まで通りに戻りましょう。私は二番目でいいんです。いつもいつも、誰かの二番目なんです」
そう言うと那由多はコーヒーにも口を付けず、玄関へ向かった。引き止めるべきか、それとも永遠のサヨナラを告げるべきか、そのどちらも出来ず、立ち上がれなかった。ここまで来ても卑怯な自分を蔑んだ。




