3・(火)5月15日
3(火)5月15日
サウナを出て、五月の陽射しを浴び、ボストンバッグとギターを抱えて街へ出た。これがバッグだけなら家出少年なのだが、ギターがあるというのは心強いものだ。
が、問題もある。暇つぶしにパチンコ屋へ行こうと思ってもそれを預ける場所がなかった。弱った挙句カウンター業務の女の子に、
「預かってくれない?」
と頼んでも、
「すみません、スペースがなくって」
という返事しか返ってこなかった。ならばこれは先日十万円出した駅前のホールを根城にして、荷物は駅のロッカーへ入れようと思った。つまらないことほど行動力を見せるのが僕の悪い癖だった。
朝一で打つパチンコは退廃的であり、そして熱狂的でもあった。同い年の面々が窮屈な教室でアジア・オセアニアの思想だかドイツ文学だかやっている間に僕は今日の飯代を稼ぐのだ。淡々と打ち込まれてゆく銀玉を目で追い、右ハンドルで微調整を繰り返し、「あ、今電圧変わった」などとオカルト発言を繰り返し、そしてまた黙々と始動チャッカ―を目指す。
先日の女神はまだ健在のようで、投入金額三千円で最初の当たりが来た。その頃は7以外の当たりは即交換という決まりがあったが、運よく青7を引いた僕はそのまま持ち球で遊戯を続け、しかしその後は順調に出玉を減らした。
(こんな日もあるか)
打ち込んだ銀玉にサヨナラを告げて、駅のコインロッカーへ向かう。パチンコ屋の三千円とロッカーの八百円。しめて三千八百円の散財だ。が、まだ手持ちは六万円以上ある。今日こそは譜面台を買って、あの女の子が言っていた思案橋方面を狙ってみるのも手だった。パチンコは不毛だと、とりあえず今後のパチンコは禁止することにした。
正午の街で念願の譜面台を買うと、荷物がずっしりと重くなった気がした。
昼時はどこも込み合っていて、その隙を縫うように一時を待つとエンゼルという喫茶店に入った。恋人の理恵とも何度も行った老舗の喫茶店だ。そこで定番のエンゼルピラフを頼み、外側を崩すと蕩けだすベシャメルソースにやけどしそうになりながらスプーンで掬った。
食後のコーヒーを啜りながら煙草を吹かすと、そろそろ今夜の宿の目星を付けなければならないことに思い至った。カプセルホテルが悪い訳ではないが、気分的にひとりきりになれないのが難点だ。隣の部屋から聞こえてくるいびきは、安らかな眠りを提供しない。
まだ手持ちはある、と近場のビジネスホテルを考えてみるも、そんな金の使い方をしていると五日も持たない。僕の中の家出は、せめて十日間と決まっていた。その十日間に自分の意思を込めるのだ。僕は家にいたくないのだと。
それを思えば、路上演奏に賭けるというのは上手い現実逃避だったかも知れない。
――「明日はちゃんと家に帰るとよ」
理恵の言葉は耳に痛かったが、僕の意思は固かった。分かりやすい理由がないだけに、頑なだった。
そもそもが高校の不登校から始まった僕の現在。誰かに訳を訊ねられても『やり場のない気持ちの扉破りたい』と、そのまま尾崎豊の歌詞になってしまう理由を表立っては口に出来なかった。
それでも高校時代は打ち込める何かを探してその情熱を美術部に託したが、夏の校外展、文化祭とイベントが終われば、その度に憂うつは頭をもたげた。幼い恋に熱を上げようとしたものの、クールな恋人はキスまでしか許してくれなかった。
ある日の朝。学校へ向かうバスを途中下車して絶望したのは、この生活が僕には向いていないということに気付いたからだ。言うなれば不本意な高校生活だった。
職場へ、学校へと流される人波に置いてけぼりを食らい、一時間目の始まる時間には逆方向のバスに乗っていた。家に帰ると静まり返った部屋をのぞき、ジーンズに着替え、大きなデザイナーズバッグにスケッチブックを入れ、再びバスに乗った。十月の空は青く映え、刷毛で掃いたような薄雲が東西に流れていた。僕は平和祈念公園に向かい、泉のそばでスケッチをする。目に見えるすべてを、黙々と鉛筆で描写してゆく。時間が経つのも忘れ、その作業に没頭する。そして日暮れまでそれは続いた。
夕方になった街。公衆トイレで制服に着替え、虚ろな目で家路をたどった。学校を休んだことがバレていようと、どうでもよかった。実際、僕のサボリが発覚するのはもっとあとのことだった。
どうにもギターとボストンバッグの相性が悪いことを痛感した僕は、老舗のかばん屋に入って大きめのリュックを探していた。ちょうどいいサイズの黒いリュックが見つかったので、七千円出してそれを買った。会計場で荷物を入れ替えて、
「これ、処分してください」
と頼むと、
「あらもったいない。本革やしまだ使えるよ」
と返された。そう言えば父が五島から長崎へ出てくる時に買ったものらしいので、とりあえず家へ返すことにする。それにしても邪魔なので街中のコインロッカーを探して詰め込んでおいた。
二日目の路上演奏は昨日の彼女が教えてくれた思案橋方面を探ってみることにした。思案橋はこの街の飲み屋街の入り口で、人の流れが絶えない。とはいえ僕にしてもバイト先の先輩に連れ回されただけなので詳しくない。まだ二十歳の僕にはハードルの高い場所だった。
果たして思案橋入り口での路上演奏は、まったく人が寄らなかった。
何が悪いと言って、地べたに座り込んでモソモソと唄っている自分が悪いのだ。昨日感じた解放感も今や遠く、人の流れに圧倒されていた。せっかく、
「お兄ちゃん、長渕は出来るね」
と興味を持った客がついても、
「すみません、出来ません」
で終わっていた。出来ないなりに何か唄うのが路上なのだと知るのは、まだまだ先のことだ。
と、そこへ、
「なんね、やっぱこっち来たと?」
現れたのは昨日の少女だ。胸の谷間の見えそうなルーズなTシャツに赤いジーンズを履いている。僕は素直に弱音を吐いて、
「やっぱりこっちは無理みたいなんで――」
そう言いかけたが、
「まだ宵の口たい。あたしビール買うてくるけん。待っとかんね」
彼女はくるりと背を向け、横断歩道を渡った。呆気にとられていると、口上通りに缶ビールを二本買ってきた。
「これ。今日のリクエスト分」
「はあ……」
僕は彼女に付き合いビールを煽った。すると現金なもので気は大きくなり、やっぱり尾崎豊の『15の夜』を唄った。世の中のすべてにやりきれなさを抱えた自分を歌に重ねて、声を張って唄い切った。
するといつのまにやら四人の通行人が立ち止まっており、その中のひとりがツカツカと近付くとギターケースの上に千円札を置いた。
「頑張れな」
それを見ていた取り巻きの人々も、次々に小銭を差し出してきた。
「ありがとうございます――」
何度も頭を下げる僕に人々は笑顔を見せて帰ってゆく。
僕は赤いキャップの少女を目の端に入れたまま、次の歌を唄う。尾崎豊の『街の風景』だ。今度こそ人波を見つめながら唄えた。目に映る街の風景を眺め、僕は限界のキーで尾崎を唄う。何千という聴衆を前に唄う彼とは比べようもなかったが、今これが、僕にとっての街の風景だった。
拍手が響いた。
そして人々はチップを置き、笑顔で去ってゆく。それこそがどこかで夢見た光景だったのかも知れない。人々は僕の幼い承認欲求を満たしてくれる。中には握手を求める人もいた。
どれくらい時間が流れたろう。一旦人波の途切れた隙にキャップの少女が近付き、不意にチップへ手を伸ばした。
「じゃあこれ、あたしの分ね」
笑顔で言い放つ彼女に呆気にとられ、六千円ほどのチップから三千円を抜き取る仕草にも何も言えなかった。僕の前で真剣に立ってみせる彼女が客寄せになっていたのは紛れもない事実だったからだ。
「明日はおると?」
少女は紙幣を折りたたんでジーンズの尻に入れると、ガムを噛みながら訊ねてきた。
「天気が悪くなかったら……雨だったらまた昨日のとこで唄うよ」
チップを抜かれたことで僕の返事は曖昧だったが、またこの少女に会うことがある気がして、正直に伝えた。
「ま、頑張らんね。それからケースは表向けて開けとった方がよかよ」
それから彼女のいない路上演奏は気が抜けたように誰も寄りつかず、十一時を前にギターを仕舞った。
今夜はサウナに泊まって、明日のことは明日考えよう。
余計なひと言のせいか、翌日はサウナを出ると雨だった。僕は買いそびれていたギターカポを買い、街中のコインロッカーから古びたバッグを取り出し、家へ向かう五十分間のバスに揺られた。
家に着くと、相変わらずの静けさが空気を満たしていた。が、
――直己へ ちゃんと帰ってきて話をしなさい
母の字で、そう書かれたメモが部屋にあった。
ひとしきりそのメモを眺めたが、何も言えることのない僕は逃げるだけだった。僕自身、これが逃避であることは分かっていた。親に対して面と向かって話せる理由のない僕は、逃げることしか考えきれなかった。あらゆる問題を先延ばしにして、いずれ迎える破滅の時を待つだけだった。
しかしそこに、ひとつの光明が見える。あの頃の絵筆をギターに持ち替えた僕には、今まで出来なかったことが可能になった。偶然に任せた収入だったとしても、上手くいけば僕はひと晩に六千円の稼ぎを手にすることが出来るのだ。その事実が僕の家出を長期化させた。
家を出て四日。住処は街中になった。眼鏡橋もオランダ坂も平和公園も行き放題だった。それは高校に行かなくなったあの頃と同じだ。ただひとつ違うのはスケッチブックの代わりに、今はギターがあることだ。