8・(日・月)6月30日~7月1日
8(日・月)6月30日~7月1日
「悪いな。つき合ってるんだ」
仲井間さんは敷いたままの布団の上で、ジーンズにTシャツといった格好で言った。
チエミさんは申し訳ないといった顔で、カーペットへ直に座って拳を握っている。
「で、このことなんだが事務所に――」
「言いませんよ。私的な話ですから」
僕が言うと、那由多も強くかぶりを振った。
「すまねえな。気い遣わせて。ゲホッ」
那由多が寝ているように促したが、
「起きてる方が楽でな。昔っから喘息持ちで、横になると息苦しくなる。それより昨日のステージありがとな。彼女から聞いたよ」
「いえ、仲井間さんに勝手に尾崎まで唄いました」
「唄うのは自由だよ。それが受けるかどうかは毎回違うしな」
そこへ突然、那由多が割って入った。
「仲井間さん、今度ウチで鍋やりましょう。ウチの杉内シェフは和食から中華イタリアンまで幅広くカバーしております。ご安心ください」
「ははっ、なんだそりゃ。忘年会の予約か何かか」
咳き込みながら仲井間さんが笑う。
「じゃあ僕ら帰ります。おじゃましました」
「ああ、明日はとりあえず定例も出るわ」
玄関先まで送りに来たチエミさんが、
「ホントにお願いね。内緒でね」
「安心してください。口は堅いんで」
そして僕らはアパートをあとにした。
「で、どなたなんです、あの人」
興味津々で食らいついてくる那由多には、
「内緒だよ。言ったろ、口固いんだ」
梅雨の晴れ間の茜空がきれいだった。
今日から七月だ。気分だけ衣替えすることにして、いつものジーンズに麻のジャケットだった。
「はい、定例の朝礼始めます。今月の岡崎興業さんのステージ予定は壁に張り出してます」
ついにコピー用紙までケチり始めたか。
「えー、仲井間さん、土曜日のステージは杉内さんに代役頼まれたようですが、大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「今月半ばには日向さんのCDプレスが終わって納品される予定です。皆さんお嫌いな作業のようですが、後輩のためを思ってパッケージ作業をお手伝い願います」
はーい、とやる気のない声が上がる。
「菅やん、ちょっとね、この13日土曜日にナオミンをレンタルしたいんやけど」
僕のことかと隣の小川さんを見ると、ニヤリと笑った。
「それはブッキングステージということですか?」
菅原さんが魚のような目を見開いて訊ねる。
「いやいや。メインはTIMESで、その一員としてさ。なんかその日パーティー予約らしかけん、派手にやりとうてさ。ナオミンよか?」
「えー、その辺は個人間で決めてください。土曜日といえば杉内さんも路上の稼ぎ時でしょうから」
「その辺はステージ数増やして、ワンステージ分ナオミンにギャラやるけん。よかやろ? ナオミン?」
僕は、はあ、とうなずくしかない。
「では、何もなければ定例終わります」
僕は真っ先に座った小川さんに、
「先に言ってくださいよ」
「悪か悪か。土曜日にストリート行ったらおらんかったけんさ」
「それで、どんな感じをやればいいんです?」
「んー。それ考えよっとばってん、三ステージ中の真ん中でナオミンのステージにしようかねって。で、あとはハープ吹けるとこは全部絡んでもろうて。ダメ?」
関さんと甲斐田さんは何も言わない。
「いいですよ。迎えがあると助かります」
甲斐田さんが親指を立てる。これで岡崎興業系列の五店舗制覇となるわけだ。
「じゃあ決まりやん。ぶっちゃけあそこギャラはまあまあばってん、酒も飲み放題やし、よう考えたら物件的にはよかけんね」
「それで、客層ってどんななんです?」
「んー。三十代くらいがいちばん多かかな。俺たちと変わらんぐらいの。まあ、ナンパ目的の連中の多か店やけんね。女も多か。一生懸命唄うたらもったいなかばい。オイも最近手の抜き方覚えてね」
「でもそうなると僕のステージ、カバーがいいんじゃないですか。オザキ系ですけど」
「うん。だけん今日の内にリストアップしてもらおうと思うて」
「じゃあ不本意ですけどバラードでいかせてもらいます」
話が長くなり始めたので、那由多は仲井間さんと同じタイミングで帰った。
僕はソファーで歌本を囲む。いざという時のため、歌本はいつもある。
「まず『I LOVE YOU』でしょ? で最近あちこちで人気あるのが徳永英明なんで『レイニーブルー』と『壊れかけのRadio』。あ、これ歌本ないんで。今から起こしましょう。それから三十代なら『愛しのエリー』で決まりじゃないですか」
その後はそれぞれのキー設定をして、壁のギターで『壊れかけの~』と『レイニー~』を弾きながら関さんが譜面を起こす作業が続いた。皆、真面目なミュージシャンになっていた。
「んじゃ、本番ぶっつけになると思うけど、まあ上手にやろうや」
関さんの言葉に笑いつつ、マンションに戻った。
「ナオミさん、電話がありました」
僕は上着をハンガーにかけつつ、
「誰から?」
「麗美さん」
くわえかけた煙草を思わず床に落とし、
「なんだって」
「何でしたら直接お聴きになってください。今、電話中なんで」
見れば彼女の左手には受話器が握られている。
「早く言えって!」
受話器を奪うと、
「もしもし、俺だけど」
『ナオミ君、久しぶり。忙しくなかった?』
「今、事務所で色々あって戻ったとこ。で、何の用だった?」
『うん。もう言うたけどね。日向さんのレコ発ライブ、行けるけん』
「ホントに?」
『旦那から聞いて、ひとりでも行きたいって言ったら、いいよって』
「ひとり? ひとりで来るの?」
つい声が大きくなる。那由多の耳が動いた。気がした。
『その日さあ、会社の統括会議らしくて。本社が東京に動いたけんね。福岡じゃなかとさ』
彼女の声は健やかだ。重苦しい何をも連想させない。
「とにかく気をつけて来て」
『うん分かった。ナオミ君も頑張ってね。それじゃ切るよ』
そして、時間にして一分半の長距離電話は切れた。そして、
「ナオミさん。声のトーンがいつもより高かったです」
「電話っていうのはそういうものなんだよ」
顔も見ずに言った。
ソファーに座った那由多がテレビ視聴しているのを横目にギターを弾いていると、無言でボリュームを上げられた。どうやら僕が寝室に向かう番らしい。
立ち上がり、
「今日はNOAだろ。なんか譜面整理とかないのか」
那由多は、
「もうセットしてます。お構いなく」
何か悔しかったが、僕は無言で寝室へ向かった。麗美の電話で彼女が苛立っているのは聞かなくとも分かった。




