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はじまりさえ唄えない  作者: 空芯菜
第二部・Forget-me-not 1991年
150/272

73・(金)5月3日

          73(金)5月3日



 朝九時の博多駅に着くと、屋台の並ぶ風景から特設ステージまで、僕の知っている博多駅ではなかった。とはいえ、駅前に来たのは二回目だ。


「ではメンバーはステージ裏に集合してください。音合わせ始めます」


 すでに知らないビートルズバンドがリハーサルを始めている。イベント奏者はナスティメンバーだけではないようだ。


「このあと杉内バンド、十分音合わせです」


 進行表を見ながら菅原さんが場を仕切っていた。


 オヤジメインのビートルズバンドが捌けると僕らのリハーサルで、『西高東低』と『ささやかな渋滞を』演奏して終えた。ステージ前の椅子にはすでにオバちゃんたちがひと組席を確保していた。そのままTIMESのリハになる。が一曲で終えていた。バンド編成は変わらないので小川さんのボーカル確認だけだ。


「次仲井間さん十分、日向さん十分。続けてお願いします!」


 人混みが増え始めると、菅原さんも声が大きくなる。


 那由多、仲井間さんとそれぞれ一曲のリハを終えると、あとはすることもなくなったようで二人で話し込んでいた。そこには甲斐田さんの姿もあった。関さんは本番を終えた直後、一時から始まる素人ミュージシャンイベントの審査員も兼ねており、今日いちばん忙しい身だ。打ち合わせに飛び回っている。


 タイムスケジュールは午前十一時からビートルズバンドと杉内バンドとTIMES。午後一時からの素人イベントの頭とケツに那由多と仲井間さん、それから僕のソロをそれぞれ十五分ステージ。それが終わると入れ替えがあり、最後午後四時からををまたビートルズバンドと杉内バンドだ。待ち時間が長いが、最後まで気が抜けない。


 十時半になると少しずつ人も混み始め、姿の見えなくなっていた小川さんが生ビールのカップをふたつ持ってやって来た。


「やっぱ飲まんばならんめえもん」


「早過ぎません?」


 苦笑いでカップを受け取ると、


「よかとよかと。飲まんば始まらん」


 そこへ久々ドラムの韮崎さんがやってきて。


「もう飲みよるか!」


「ったり前やろが。ナオミちゃんなんか毎晩飲んで唄いよるけんね。まずはそこに追いつかんば」


「まあ、長丁場やけんな。オイも買いに行くか」


 そう言って飲食ブースへ消えた。


「で、小川さん。入れ替わりのタイミングなんですけど、ハープの紹介とかあるんです? サラッと出たいんですけど」


「ああ、よかっちゃなか? 三曲目と五曲目で、四曲目はまあ適当にコーラスするフリで立っとってくれれば」


「四曲目って『In the Rain』ですよね? サビはもう唄えますよ」


「おう。唄うてくれ。賑やかになる」


「じゃあ、上をいきます」


 そこへ韮崎さんがやって来る。


「おい、乾杯のなかぞ」


 三人でカップを合わせ、イベントの成功を祈る。


「二十歳か。若かなあ」


 韮崎さんが言うので、


「ああ、今日で二十一になりました」


 すると、


「ホントか? じゃあオイの奢りでもう一杯いっとけ」


 またビールを買いに行った。


「なんや、ナオミちゃん誕生日なん。今夜は裸のコケシンがリボン巻いて待っとるぞ。『私がプレゼントです』言うて」


 そこへ表を見てきた顔の那由多が、


「もう飲んでるんですか」


 顔をしかめると


「誕生日祝いよ。よかやっか」


「誕生日って、誰のですか」


「はあっ? ナオミンに決まっとろうが!」


「……そんなの知りません。ナオミさん今夜は楽に眠れると思わないでくださいね」


 冷やかに言い放って奥へ消えた。


「ほらね、やっぱ裸リボン決定」


 小川さんは煙草に火をつけて笑った。



 司会のお姉さんがステージに立つ頃にはよく晴れた空の下でステージ前は満席だ。立ち見も出ている。

 やがて始まったビートルズバンドの演奏に、セットリストを確かめる。軽く緊張していたが、いつの間にやら吹っ飛んでいた。青空とビールのせいだ。


「ナオミさん、てる子さんと由美子ちゃん来てますよ」


「そっか。下手なとこ見せられないな」


「ビールひとまずストップですからね」


 ビートルズバンドラストの『Eight Days A Week』に入るとにわかに舞台裏が忙しくなる。


「さあ、行くで」


 小川さんがメンバーに声をかけて回る。ステージではビートルズバンドの紹介が続き、


「次は杉内直己さんです!」


 僕はギターを構えてステージに上がる。


「今日は皆さん会えて光栄です! 一発目です!『西高東低』!」


 ライブハウスと違い、ひとりひとりの顔がよく見える。数日前に会った看護婦のお姉さんたちが手を振る。カメラを構えた男性の姿も見える。ハーヴェストのママも姿が見えた。お客さんはいつもこんな顔でステージを見ていたのだろうか。


「ありがとうございます。次は『ささやかな渋滞』という曲を」


 ビートルズバンドのボーカルさんが敵情視察のように奥で腕を組んでいる。が、それさえも気にならない解放感の中で、『置き去りの夏』『壊れているけど世界は回る』と続け、


「早いもので最後の曲になりました。皆さん思い切り乗ってください! 『Baby,baby』!」


 拍手の中、舞台裏に戻ると、


「よかったじゃん」


 小川さんがハイタッチで入れ替わりにステージへ向かった。


「お疲れ様です」


 那由多が女子マネージャーのようにタオルを渡してくれた。


「ああ、サンキュ」


「で、なんで黙ってたんですか。誕生日」


「いや、その、本気で忘れてた」


「……今夜はまるごとバナナでお祝いです」


「ああ、ロウソク立ててな。それよりこのあとハープなんだ。またあとで」


「行ってらっしゃい」


 TIMES二曲目の『The Kurodabushi』が終わると、小川さんのMCの途中でステージに上がった。


「じゃあ聴いてくれ! 『センチメンタル・焼酎ブルース』」


 僕はベースの甲斐田さんの前のポジションでブルースハープを吹き鳴らす。音は取りやすく、ベースアンプからのビートが背中に刺さった。


 四曲目の『In the Rain』。


 ――I,m In the Rain やり直しの雨に

 ――You,re In the Rain 涙混じりの雨に


 サビを上でハモってみると思いの外気持ちよかった。ギターの関さんが右奥で何度も頷いた。


「じゃあ最後の曲になります。『ジプシーロックス』!」


 この曲では中盤からハーモニカの吹きっ放しだ。息継ぎもそこそこに、タンギングの連続から高音部でのベンドへ突入する。ギターがうねる。小川さんがボーカルで煽る。ピアノも自在な音でリズムを刻む。ドラムが複雑なリズムを加速させる。そしてただひとりベースが緩やかに音階をかけてゆく。


「ありがとう! TIMESでした!」


 てる子さん親子が奥に見える。由美子ちゃんははしゃいだ様子で拍手を続ける。ひと仕事終了だ。


「お疲れ!」


 関さんがバックステージに戻ると皆あとへ続いた。


「杉内君、コーラスよかったよ」


 関さんがペットボトルを空けると、


「そうそう。メチャはまっとった」


 甲斐田さんも笑顔を見せる。


「今後は全編絡んでもらおうかいね」


 小川さんがビールを空ける。


 ひとまずは第一部終了だ。


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