68・(金)4月26日
68(金)4月26日
今週平日は僕も那由多も平常運転で、一日二千円を貯蓄に回すのがやっとの稼ぎだった。那由多の預かる通帳にいくら入っているのか、僕は知らない。
「ナオミさん、その上着いつまで着てるんですか。洗濯するから出してください」
パジャマ代わりのスェットを剥ぎ取られ、僕は渋々とジーンズとトレーナーに着替える。
「まったく。ナオミさんの服って黒ばっかりなんですから、出す時は一気に出してくださいよね」
どうやら洗濯の都合らしい。
僕は上がりそうになっている『Oneway Ticket』を仕上げに入り、せっかくなので事務所へデモ録音に向かった。
「おはようございます」
ドアをノックして入ると、菅原さんが電卓を叩いていた。プロデューサーの肩書きも悲しく、彼の仕事は経理のようだ。
「おはようございます。デモ録りですね? 私も聴いてますんで」
僕は譜面を用意し、『Early Times Ballad』から録音する。
「バラードと言いつつ、あまり恋の歌でもないんですね」
「ええ。夜の街で出来た歌なんで」
「そうですか。もう一曲、準備出来たらどうぞ」
僕はハーモニカをDからAに付け替え、ちょっとだけ苦心したイントロから歌録りをスタートした。最近Aのハープの調子が悪いなと余計なことを考えつつも無事に録り終える。
「『Oneway Ticket』ですか。『西高東低』を聴いた時ほどのインパクトはないですが、メロディーが洗練されててよかったです。二曲、専務の方にも通しておきます」
テープをダビング中に妙な間が出来たので思わず、
「こう言うのもなんですけど、事務所ってお金入ってるんですかね」
菅原さんは笑う。
「ええ。イベントやライブのマージン。それに今ウチは東京の『Salty Cannon』に頼ってる所が大きいんです。彼ら、東京のインディーズではなかなかのスターなんですよ」
「そうなんですね」
「それから今後は杉内さんが取り持ってくれたライブステージもありますし、何よりそろそろCDをと落合さんも言ってます。曲もだいぶ増えたでしょう」
「お蔵入り含めて、これで九曲です」
「このペースで、あと二曲ほど増やしてみてください。CDが出来ればレコ発ライブと近距離のツアーも入りますんで」
「ツアーですか」
「最初は行って戻れる距離のツアーですけどね。ではCD目指して励んでください」
「はい。お疲れ様でした」
ついでに那由多のCDの件も訊きたがったが、ちょうどテープのダビングが終わったので席を立った。
「おーい、まるごとバナナ買ってきたぞ」
鍵を開けて部屋に戻ると、那由多の姿はなかった。テーブルに、
「探さないでください キャナルシティにお買い物です。五時には帰ります 今日は辛くない豚キムチな気分です」
どうでもいい書き置きがあった。
そういや焼きそばを作った残りの豚バラがあったんだよなと冷蔵庫を見ると、キャベツ半玉、玉ねぎ、ピーマン、それに『辛くない 美味しいキムチ』という名のキムチがあった。キムチなんて買った覚えはないので、僕のレコーディングの隙に買い物に行ったとみえる。確信犯だ。
豚キムチなどあっという間に出来るので、壁際のYAMAHAを握ってカポをあちこちつけ替えながら遊んでいた。すると一弦だけを解放弦にしてカポを中途半端に四フレットへ付け、それからCコードを押さえると、当たり前だが一弦と二弦が同じ音になるのに気付いた。一、二弦が共鳴するそのコードを面白がって弾いているうちに曲が出来そうになったのでノートに『4カポ 1弦開放 C』と書きとめた。
――Woo Oneday morning
繰り返して唄うとメロディーが馴染んできた。歌詞のイメージも浮かぶ。朝のニュース、昨夜のグラス、古びた時計、テレビの占い、朝の電車。僕はそれを余すことなくノートに書き記す。
そこへ那由多が帰ってくる。
「春物バーゲン、買っちゃいました。もちろん自腹です」
「ああ」
「……反応悪過ぎです。そう言う時は何買ったんだ、とか見せてみろよって――」
「今、歌作ってるから」
「すみませんでした」
歌詞の材料がひと揃いしたところで、
「で、何買ったんだ」
「白い薄手のカーディガンです。ほらほら、イチキュッパなんですよ」
「白、好きだな。下着はそうでもないのに」
「余計なお世話です。あーご飯まだ出来てない。」
「今から作るよ。米研いでくれ」
「あい」
僕は今日もキッチンに立つ。
「豚キムチなんて誰でも間違いなく作れるだろ」
僕はキャベツを乱切りにして玉ねぎをスライスし、ピーマンを縦八つに切った。
「豚バラ炒めるだろ。玉ねぎ入れるだろ、キャベツ入れるだろ、ピーマン入れて、キムチ入れて火が通ったら焼肉のタレだ」
「おー、出来た」
「まだ出来てない。グラタン皿用意して」
多少量に差をつけてフライパンの中身を放り込む。真ん中にくぼみを作ったら卵を落とす。
「まるでチキンラーメンじゃないですか」
「まだ終わってない」
言いつつグラタンの残りのシュレッドチーズを卵の回りに振りかけた。
「これで五、六分焼けば終わり。簡単だろ」
「これは私でも出来そうでした」
辛くない豚キムチを満足そうに頬張り、那由多が珍しくご飯をお代わりした。
「こんなの毎日作ってたら太っちゃいますよ」
「お前は少し肉もつけろよ。色んなとこに」
「給料日あとの金曜日だからな。頑張ろうぜ」
暮れゆく街を中州へ向かう途中、
「あの、今日って一緒にやったらダメですか。昨日『勝手に何やっとんねん』みたいな人が来て」
「そういうのは早く言えよ。逆に俺がそっちに行くよ」
「いいですか」
「ああ。売り上げ落ちるけどな」
那由多の場所でやるのは初めてだ。明治通りを曲がった角でギャラリーの前だ。僕の唄う飲み屋ビル付近よりどこかひっそりとして見える。何にせよコンビニは近い。
「そういう因縁は『たまたま目についただけ』っていう一過性のが多いから。あんまり気にするな」
「はあ」
「じゃあコインね。俺、裏」
「表です」
「じゃあ俺からだ。聴け、一発目は新曲だ、『Oneway Ticket』」
――当ての外れた Downtown Boy
――今も変わらず Oneway Ticket
――夢に見るのはそう 遠い温もり
――心にいつも Oneway Ticket Oneway Ticket
演奏が終わると、
「ナオミさんらしいです。旅の歌ですね」
「だろ。そのつもりで作った」
「じゃあ私ですね。久しぶりに『墓標』を」
「待った。ハープ入れていいか」
「ええ。前にもやりましたしね」
――明けの星もやがて眠り始める 水無月の空は何を憂う
間奏でハーモニカを吹いていると、ケースに小銭が落ちる。
「ありがとうございます」
口の塞がっていない彼女が礼を言った。
演奏が終わると小銭を入れてくれたオジさんが、
「ふたりはコンビでやりよっとね」
それには僕が、
「いえ、普段は別々です。今日はたまたまなんですよ」
「じゃあ何か分かる歌をリクエストしようかな。『乾杯』はどげんね」
「それは僕の担当です」
Cのハープをセッティングし、イントロから吹きっ放しのハーモニカにした。なるだけ本家のイメージに近づけ、エンディングのハープが終わると、沿道からも拍手が起きた。
「じゃあ、頑張らんね」
オジさんは紙幣を一枚ケースへ置き、ニコニコと去って行った。残っている客もいるので、那由多に次を急かした。
「えと、『夕凪』という曲を」
そこでもAのハープを入れると沿道の客は三人増えた。
――儚きものすべて 夢と呼ぶならば
――儚きこの命 すべて捧げよう
――儚きこの思い 君に捧げよう
ワンテンポ置いて、ギターとハープが重なる。
「ありがとうございます!」
ハープを吹き終えた僕が言うと、沿道から拍手が起こる。
「よろしかったら投げ銭の方も募っております!」
数人の客がケースへ寄ってくれる。




