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はじまりさえ唄えない  作者: 空芯菜
第二部・Forget-me-not 1991年
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67・(月)4月22日

          67(月)4月22日



「では、TIMESと杉内さんはこれからバンド練習でよろしいですね」


「はいよ」


 関さんが答える。残念ながら菅原さんに威厳はない。


「では各々、報告のある方はのちほど専務室へどうぞ」


 那由多とはそこでお別れで、


「卵、買っといて欲しいんだ。今晩オムライスのつもりだから」


「イェッサーシェフ」


 TIMESメンバー、そして初顔合わせのピアノの女性とハイエースに乗ると、天神のオータムへ出発だ。見知らぬ助っ人ドラマーは直接現地入りするという。


 スタジオに着くといつも通り関さんが受け付けをしている。そこへ、


「遅うなった、ゴメンゴメン」


 階段を駆け上がってくる姿があった。甲斐田さん並みに髪の長い、髭面の男性だ。


「韮崎、久しぶりやっか」


 小川さんが言うと、


「お前、まだ生きとったとか」


「長生きするぞオイは。目指せ二百歳やけん」


 どうやらTIMESメンバーとは周知の仲らしく、リハも順調に進んだ。僕のレパートリーも軽く叩きこなしていた。ピアノの女性も何の問題もなく鍵盤を叩いていた。そのすべてのアレンジを関さんひとりでやっているというのも驚きだった。


 予定を二十分残して、


「ナオミン、『Old Fashion』やってみようや」


 小川さんが言うので、


「とりあえず落合専務からは解禁にはなってないんですけど」


「よかよか。やってみようや」


 ゆったりとしたバラードに澄んだピアノの音が絡むと、ハーモニカのバックで切ないフレーズが流れた。アレンジとは恐ろしいものだ。僕のオリジナルがたちまち一級品になってゆく。


 ドラムの韮崎さんが、


「懐かしか匂いのするな。関が書いたとや」


 関さんは、


「そこの杉内君が書いた曲さ」


「若かとに珍しか。ばってん、佳作ではあるな」


 とりあえず気に入ってもらえたらしい。


 そんな訳で小川さん恒例の立ち呑みに一時間だけつき合い、地下鉄ひと駅で部屋に帰った。


 帰るとまず、


「焼肉臭いです」


 見事にバレた。


「ドラマーの人とも仲よくしておいた方がいいからさ、一時間だけつき合った」


「男の人っていいですよね」


「甲斐田さんもいたんだぞ」


「刹那さんは飲まないじゃないですか。車あるから飲めないんですけどね。でもそれをいいことに男連中は昼間からお酒飲んで、刹那さん可哀そうですよ」


「そこは小川さんがフォローしてるだろ」


「ホント、なんであの二人なのかって時々思います。刹那さんばっかり損してるみたいですもん」


「男と女は分かんないもんだよ」


「出ましたね。伝家の宝刀」


「よそのことはいいから、卵買ってくれたか」


「きちんと買いました。赤いヤツ。あとオレガノとバジル? トマト缶と一緒に買いました」


「また俺の仕事を増やす気だな」


「期待してますシェフ」



 午後いっぱい使ってギターを握ったが、新しいメロディーは生まれない。雰囲気でいくと那由多の『夕凪』や『天の川』のような日本的情緒のある作品に持っていきたいのだが、『OldFashion』を作って以来、浮かぶメロディが埃っぽいのだ。いつかどこかで聴いたことのあるメロディに落ち着いてしまう。それを狙って作るのならばいいのだが、「たまたま出来たら古かったです」というのは話にならない。


 今日はあきらめるかと、床に寝そべって本を読んでいる那由多に声をかけた。


「暇ならたまにはつき合え」


 そう言ってキッチンへ立たせた。


「今からチキンライスを作ります」


「イェッサーシェフ」


「まずは普通に二合、お米を研いでください」


「イェッサー」


 米を研いだ彼女に、


「じゃあ冷蔵庫から鶏胸肉の残りと人参玉ねぎピーマンを出して」


「はあ」


 威勢がなくなった。


「先に野菜から。玉ねぎは一センチ角、人参は五ミリ角。ピーマンはそうだな縦半分に切ってスライス。


 十分後、


「出来ましたシェフ」


「次は鶏胸。これは昨日のグラタンより小さく。で、ピーマン以外は炊飯釜に投げ込め。で、コンソメ顆粒、塩コショウオレガノ一振り、サラダ油小さじ一」


「ホントにこれでいいんですか」


「大丈夫、これがあと五十分でピラフになる」


 ほお。


 炊けた炊飯器に蒸らしの間ピーマンを入れる。十分後にケチャップを混ぜ込めばチキンライスだ。


「別にこれでもういいですよ……」


「あとはやるよ。チキンライス味見してみろ」


 スプーンで掬っていた那由多が、


「……長崎の洋食屋さんの味がします」


「だろ」


 ということで二日連続料理番になった。


 那由多は卵を巻いたオムライスを満足そうに平らげた。


「ナオミさんは?」


「ああ。帰ってから食べる。昼にあれこれ食ったから」


「そうですか」


「それでさ、岡崎さんと麗美が東京行ったよ」


「……」


「だからもう、心配すんな」



 夜になり、僕らはそれぞれの持ち場に向かう。僕はチノパンに春用ジャケット、那由多はジーンズにパーカーと、冬の匂いはすっかり消え去っている。


「今日も頑張るね」


 顔馴染みの寿司屋の配達が自転車で通ってゆく。それを合図に今日の演奏の始まりだ。僕は何も考えず、ギターを握って唄うだけだ。行き交う人々の思惑も関係なく、不思議そうな視線にもヤジにも心を動かさず唄う。街のBGMになった気分で音を奏でる。


「美空ひばりは唄えんかねえ」


 という少々難しいリクエストにも歌謡全集から『愛燦々』を選んで事なきを得る。僕の特技は知っている歌なら――歌謡曲メインだったにしても――大抵ギターが弾けるという路上向きのスキルだった。そういう意味で昭和歌謡大全集には本当にお世話になっている。


 月曜らしいパラパラとした人並は、時折小銭を落としてゆく。愛想よく礼を述べ、そして唄い続ける。人の営みに足並みを揃える生き方は出来なくとも、そこに道標のように立つことは出来た。酒に酔い、煙草の煙に巻かれた人々の、今夜限りの道標になれればよいと、僕はそう思うのだ。それがメジャーアーティストというものから大きく外れているものだったとしても。


本日はまた午後から数本、投稿するかもしれません。

ご精読ありがとうございます。

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