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はじまりさえ唄えない  作者: 空芯菜
第二部・Forget-me-not 1991年
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25・(日)3月3日

          25(日)3月3日



「よっしゃ! 次マイクスタンド並べて!」


 一時過ぎに川端から地下鉄をひと駅動いて、天神ダイナソーまでは徒歩十分だった。楽屋口から入ると一時四十分で、ステージの方ではすでに設営が始まっているようだった。


「おうナオミちゃん! とりあえず楽器は楽屋に置いとってよかけん舞台の方手伝うて! 日向ちゃんも!」


 僕と日向は小川さんに呼ばれてステージへ向かう。上がってみるとその広さに圧倒された。


「ふたりは床ば這うとるケーブルば一メートルおきにテープで押さえて。たるみとか捻じれのなかごと。終わったらナオミちゃんはすぐにリハやけんね」


「はい」


 那由多とその作業に集中していると、


「杉内君! リハ準備して!」


 関さんが楽屋口の方で呼んだ。僕はあとを那由多に任せて楽屋へ向かう。


「さあて、いよいよやね」


 笑顔の関さんがポカリスエットを飲みながら笑顔を見せる。


「はい、頑張ります」


 そう言ってギターケースを開けた時――。


「な……」


 固まっている僕を、関さんが不思議そうに覗き込む。そこで彼も気付いたのか、


「なんやこれ! 弦の切れとるやっか!」


 六本の弦はすべて、サウンドホールの辺りで切断されていた。


「昨日は……昨日はこんなことなかったんです……」


 関さんは頭を掻くと、


「とにかくすぐ取っ替えよう。杉内君、替え弦は?」


「それが……今は持ってないんです」


「おいの弦はエレキやしなあ」


 そこへ那由多がやってくる。


「ナオミさん、リハーサル――」


「そうたい! アコギのひとりおった! 日向さん、替えの弦持ってるね」


「ええ。三セット千円の安物ですが」


「杉内君に貸してくれんね、今すぐ。俺はちょっとリハ順変更してもらうごと言うてくる。杉内君、急いでね」


 関さんが楽屋から飛び出すと、


「どうしたんです?」


「どうしたもこうしたも……」


 ギターの無残な姿に那由多も黙り込む。そして自分のケースを開けると替え弦をワンセット差し出した。


「替えればいいだけです。ギターは壊れてません」


 そこへ関さんが戻る。


「リハ順変更! トップバッターは日向さんで!」


 那由多は僕の顔を心配そうに覗く。


「ありがとう、大丈夫だ。リハ行っておいで」


「はい……」


 切れた弦をすべて外し、一本ずつ弦を張ってゆく。今は犯人捜しをしている場合じゃない。出来ることを出来るだけやってゆくだけだ。


 遠くに那由多の歌声を聴きながら、僕は弦を替え続ける。急ぎつつも一本ずつ丁寧に伸ばし、チューニングを確かめ、ギターを弾き下ろした。明らかに音質は変わっていた。


 ギターを抱え、ハープをポケットに詰め、那由多のリハーサルを客席で見た。ちょうど、『夕凪』を唄い終えたところだ」


 関さんの声が響く。


「モニターちょっと上げてやって!」


 那由多はステージ上に静かにたたずみ、譜面台を低くして『墓標』のイントロに入る。


「日向さん、ギター聞こえとる? モニターOK!」


 それから『時刻表』をワンコーラス唄い、那由多のリハーサルは終了した。


「じゃあ次、杉内君。バンドメンバー上がって」


 どこかに拭いきれない悔しさを抱えて挑むリハーサルは、逆に落ち着いて演奏出来た。二百人規模のハコだが、大き過ぎて逆に緊張はない。『壊れているけど世界は回る』『ささやかな渋滞』『』『消えゆく虹』『西高東低』『Baby Baby』の五曲を全編唄ってみる。それでほぼ三十分だ。


「それで、アンコールは僕ひとりで弾き語りますんで。そのセッティングをお願いします」


 そこでバンドは掃けて、僕ひとりがギターを構え、アルペジオで『置き去りの夏』に挑んだ。


「ギターもう少しください。コーラス多目で」


 すでに一端のミュージシャン気取りで音に注文をつけ、


「OKです! 本番よろしくお願いします!」



「なんやそれ! 誰がそげんこつ!」


 TIMESのリハが終わり、ほぼ全員が楽屋に集まっていた。杉内バンドドラムのスノウさんが怒りをあらわにした。


「とりあえずさ、ここではガヤガヤ言わず、菅やんに報告やろ。組織的には」


 関さんはポカリスエットを手に口を歪める。


「いうても、だいたい想像つくやろ。ここにおらんやつさ」


 小川さんが言うと、


「小川、憶測でものば言うな」


 清水さんがたしなめた。僕は那由多とふたり、壁際で小さくなっている。


「助かったよ。ありがと」


「せっかくの高いギターなのに安い弦ですみません」


「いや、替え弦くらい持ってなかった俺が悪い。そういうのはYAMAHAの方に入れてたから」


 そこへやってきたのは騒ぎを知らない甲斐田さんで、


「ナオミ君、会場前に行ってごらん。お花の届いとるよ」


「はあ……」


 まだ客入りには三十分ある。僕は先輩たちにひと言残して表へ出てみる。


 搬入口から表に回ると、大きな花輪と鉢植えがいくつか並んでいた。そこには確かに、


 ――杉内直己さん江 祝初ライブ


 と赤い花の鉢植えが届いていた。そして送り主を見た時、僕の背筋は固まった。


 ――香坂麗美与利


 思わず辺りを見回し、いるはずもない影を探した。彼女はまだ博多にいるのか。いったいどこで知ったのだろう。中州の路上か。いやそんなことはないはず、と頭の中をムダな考えが巡っていた。そこへ、


「お花、きれいですね」


 気がつくと那由多が立っていた。そして、


「やっぱり彼女、ナオミさんのこと見てたんですよ」


 穏やかな顔で言った。


「さっきの『置き去りの夏』よかったですよ。やっぱり完成させてみるもんです」


「ああ……お前のお蔭だ」


 そしてその心の広さのお蔭だと、麗美からの花を見て微笑むことの出来る彼女を頼もしく思った。


「もうすぐ落合さんの訓示らしいです。戻りましょう」


 楽屋へ戻ると、事務所メンバーは第二楽屋室へと移動していた。落合さんの横には菅原さん、そして須藤さんもいる。


「えー、本番前なので手短にすませましょう。本日は皆さんの尽力の賜物として、日向那由多さん、並びに杉内直己君のファーストライブに漕ぎつけました。彼らの今後を占うライブとして、もう一息皆さんの力を借りたい。プレイヤーはとことん楽器に打ち込み、ボーカルはとことん歌に打ち込み、手の空いているものは客席に回って惜しみないレスポンスを送って欲しい。たったの二時間。そのために二か月前から準備をしてきました。その長さを無駄にしないよう、皆さん、ベストを尽くしてください。以上」


 なんとなく起こった拍手に付き合っていると、


「落合専務、あとでお話があります」


 言ったのはなんと那由多だった。


「話? そりゃあ今すぐにも聞きたいですが、あとでいいですか?」


「構いません」


「はい、それでは皆さん、本番準備に戻って」


 楽屋に戻ると、


「日向ちゃんびびらすなや。なにごとか思うたやん」


 小川さんが言うと、


「すみません。専務と話すタイミングがつかめなかったもので」


「ザ・ムードクラッシャーやな」


 関さんが真面目くさった顔で言った。そして、


「杉内君、ギター問題なか?」


「ええ、大丈夫です」


「じゃあ本番かます前にウチらのハープもよろしくな」


「はい」


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