不可逆性アンチノスタルジー
郷愁という感情を、僕は生まれてこの方一度たりとも感じたことはない。
一義的なノスタルジーはもちろん二義的な、つまり過ぎ去りし時や時間に対しても、ノスタルジーとやらを感じることはなかった。
中学校2年生、中弛みの中でより一層弛んでいる夏休みに、僕は祖父母の家─母の生家だ─に連れて行かれた。
親類の集まりである、尤も、僕はそんなことをする価値は無いと思ったけれど。
母方の祖父母の家は地方の政令指定都市の郊外にあり、僕たち家族が普段住んでいるところに比べると平屋が多く田んぼもそこら中に有り触れている、それをおじさんたちに言わせれば"なんとも懐かしい雰囲気"らしい。
其処で過ごした日々さえも特別懐古的な感傷に浸る事のできるものではなく、只々極当たり前に夏の一日が過ぎていくだけだった。
親戚のこども達は覚えたての言葉を使って精一杯の背伸びをしたいのか、それとも本当に心の底から湧き出たのかは僕には計り知れないが何れにせよ彼ら彼女らは月並みな言葉で所謂"田舎"に対する諸々の感情を語り尽くし果せたようだ。
本当にオメデタイ奴らだな。僕は心の底からそう思った。
お盆も過ぎ、海月で溢れかえった海を冷やかして家に帰ると祖父母の家に顔を出さなかった兄が居間に居座っていた、どうやら鬼のいぬ間になんとやらということらしい。
「よう。」彼は僕を見て、ただそれだけ言った。
僕はあの人があまり好きではない、寧ろ嫌いと言っても差支えはないだろう。
あの人が帰ってくると近頃めっきり笑顔の無くなった母さんの機嫌が更に悪化するし、近頃お酒の量が増えた父さんが暴力的になって暴れ始める。
そうなると壁がいくらあっても足らなくなってしまう。でも僕は両親こそ尊ぶべき存在である、と古代中国のエラい人が言っているのを知っているから、どんなにヒステリックでも、どんなに暴力的でも二人を嫌うことはできない。
だから僕は兄さんを嫌うほかない。モーシやらコーシ、ソーシ、リハクには勝てない、中卒の兄ちゃんには理解できないだろうけれど。
夏休みが終わって新学期の始まった教室では肌の焼けた知能指数の低い猿どもがずっと騒ぎ回っている。僕の席の近く遠く関係無しにまるで野糞へ蝿が群がるようにギャーギャーギャーギャーと飽きもせずにくだらない会話をのべつ幕なしに交わし続けている。
学校は僕にとってストレッサーでしか無い。
五月蝿いな、止めてくれよ先生、給料キチンともらえてないのか?仕事をしてくれよ、仕事を。
「お前ら席につけー」
やっと働いてくれたな、もっとシャキッとしてくれよ。
僕は教師という職業に就いた人間を心底軽蔑している、将来設計の甘いバカが大学に取り敢えず受かろうと教育学部に行ってその学校で、学校のことを学んで、学校を卒業するとまた学校に入るなんてゾッとしない。
『教師という人種は「社会」というものを一切経験せず、モラトリアムに浸ったままの子供だ。』
どこかの漫画でそんな表現を読んだことがある、正直的を射た意見だと思う。そんな奴らに指図されてたまるかよ、とも僕は考える。
取り留めの無い事を考えていると背後から息を潜めた会話が聞こえてきた。
お前らちゃんと先生の話を聞けよ。
「…─でさ、夏休みにじいちゃん家行ったんだよ。そしたらさあボロいゲーム機見つけてさ、ファミコン?って奴。」
「マジで?それメチャ古いのじゃんか」
「そうそう、んで俺以外の家族みんなが"懐かしいなあ"って─…」
出た、懐かしい。懐かしい、懐かしい、懐かしい、懐かしい、懐かしい。
一体人はその感情を何度繰り返せば満足するんだろうか、郷愁なんて感情は未来に生きるには邪魔なんだよ、人生に必要ないんだよ。
そんなことも理解出来ないなんて世の中はやはり馬鹿ばかりなのだろうか。
中学校2年生、中弛みの中での二学期に、僕はこうやって世の中への理解を固めた気になっていた。