第九十一話 ポスト・アポカリプス
「――被害報告!」
艦が未だ大きく揺れ、床に叩きつけられても、この古強者たる中佐はまだ冷静であった。
また、彼の従えている兵たちも、その冷静が伝染したようで、狼狽えることなく、自らの職責を果たした――だからといって、状況が彼らにとって都合のよいものである、というわけでは、当然ない。
「右舷に被弾――右舷砲列、沈黙! 応答ありません!」
「機関室より報告! 主機大破! 航行不能!」
「右舷より浸水! 艦が傾斜します!」
艦橋にいた兵士たちの報告は全て状況が悪化の一途を辿っていることを示していた。特に二番目は最悪だ。逃げるという手段が彼らには最早存在しなくなったということである。
機装巨人相手に逃げるという選択肢は、鈍足の輸送艦では元々取りようがないとはいえ、これで、砲撃で牽制しながら救援の得られる海域まで移動するという本来の作戦はご破算となったわけだ。
敵が、中佐の考えよりも本気で攻撃してきたという計算違いが、このような致命的損害を招いてしまった。
接敵に関して不明な点があるとはいえ、ここまで一方的に発見することのできる腕利きならば、むしろ危険を避けるものだと彼は考えていたのだ。
(ほとんど非武装の改造輸送艦で少しでも戦闘をしようとすればこのようにもなるか――)
とはいえ、これはほとんど彼にとって想定内の敗北といえた。要するに、賭けに負けたのだからその賭け金を支払うのは当然というわけである。彼が冷静であったのは、そういう理屈故であった。
だが、冷静であるからこそ、彼の頭には引っかかることがあった。舟艇の自爆攻撃にしては、被害が少なすぎるのである。
そして、その答えは、すぐに出た。
その現実は、聴覚的には一つの破裂音という形で、視覚的には彼の目の前にいた将校が急に倒れたという形で中佐にもたらされた。
彼は思わず、その音のした方向を振り向いた。彼にはそれが何の音なのか一瞬分からなかったからだ。
しかし、その動作が完了するより早く、それが銃声だと気がついた――倒れた将校の向こうに、その脳漿が撒き散らされているのが見えたからだ。
敵兵――! 彼の頭は歩兵による接舷攻撃を時代遅れの戦術と考えがちな海軍人としては鋭い思考を持っていた。すぐさま、彼は魔導拳銃を抜き、彼の庭へ踏み込んできた無礼者に狙いをつけようとする。
「敵しゅッ……!」
しかし、彼の反応が早いというのは、海軍の兵士としては、という前提の元であり、それは、陸戦において敵兵と泥臭く撃ち合ってきた襲撃者のそれに勝てるものではない。
そして、オルカリクムの殴り合いである海戦とは違い、人間の体は余りに脆かった。
敵兵のトレンチガンから放たれた術弾は、叫ぶために開けられた中佐の口の上へ飛来し、それを永遠に閉じられないようにしてしまった。
それと同時に、十発近い銃声が、艦の被害に嘆く悲痛な叫び声から艦橋の支配を奪い、そして去っていった。
「艦橋との通信が途絶えた……!? 誰か、聞こえるか! 敵兵が乗船してきている――応答してくれ!」
ハートマンは『エーミール』をコンテナの陰に隠すことで敵機からの射線を切りながら、術話にそう叫んだ。
彼は焦っていた。爆発音からすぐ、艦の頭脳たる艦橋とのコンタクトが取れなくなったのだ。
舟艇「発見」の報告こそしたが、しかし、戦闘の混乱の中、司令部に届いていたのかは分からなかったし、その舟艇を止めることに失敗したのは彼だった――その自責の念があった。
「――少尉……ハートマ……少尉」
しかし、そのとき術話に小さいながらも反応があった。彼は機体をコンテナの陰から別の陰へと移らせながら、返答する。
「聞こえる! 艦橋か!? 敵歩兵が……」
「少尉、こちらは左舷の下部発令所です。艦橋との連絡が取れなくなったため、ガランドル少佐の指示で臨時の司令部としています」
「ガランドル少佐が? ……ッ!」
敵は既にこちらを撃てる位置まで移動していた。術話に気を取られすぎたのだ。
ハートマンは射撃が来るより早く、敵の方向に牽制射撃を加えて阻止しつつ、機動。
それと同時に、左手で逆手に抜いたブレード――『フリードリヒ』のそれとは違い、『エーミール』のものは両刃で分厚い――で、左舷側にある二段積みのコンテナを下段を後退しながら斬った。
この艦にあるそれらは、本来偽装のためのものであるから、ほとんどの場合中身は入っていない。
だから、土台を失ったそれらは酷くなってきた艦の傾斜も相まって甲板を滑り出し、敵の追撃路を一時的に塞ぐことでハートマンが逃避するための時間を作る。
「……ご無事なのか!?」
「はい。現在、黒騎隊とこの艦の残存兵力をまとめ、艦内防衛のため指揮を執っておられます」
ハートマンはその言葉を、ガランドルが既に敵歩兵の乗船について知っていて、かつその「意図」するところも理解しているのだと解釈した。
「その言葉は、敵歩兵を任せてもよいものと理解したが、こちらへは機装巨人を引きつけろという指示だと考えてよいか?」
「恐らくは」
恐らくでは困る、とハートマンは叫びかかったが、ひょっとすると、少佐から指示が出ていないということなのかもしれないとすぐに彼は気づいた。
あのグレネードの一撃は確かに左舷が丸ごと潰れたような攻撃であった。自分でもこうして生きているのが不思議なぐらいなのだから、右舷の生き残りから聞いた状況から判断したのでは、よもや生きているとは思っていまい。
死人に口はない。言うまでもなく、手足も、だ。なお戦場では手足以外がなくなることもある。
「了解した! 敵機装巨人はこちらで対処する――だが、いつまで保つか分からない! 敵は――敵は、『騎士団』だ!」
返答は聞こえなかった。何故なら、コンテナの上を走ってきた敵機の足音が、それをハートマンの耳から覆い隠したからだ。




