第八十話 (人が死んだ)部屋と(返り血のついた)ワイシャツと(拳銃を握る)私
時は「未来に」巻き戻る。
「――ッ!」
礼一少年は、握っていた魔導拳銃を反射的に敵に向け、撃っていた。
引き金と同時に二発分の破裂音。ガラスが術弾の熱で溶けて、それからすぐに凝固する音。
狙う暇はなかった。礼一少年は撃ったことに撃ってから気づいたぐらいだった。
しかし、その背後の男も撃たれるとは思ってなかったのか、伏せることもせずにいたので、自然と投影面積の大きい上半身にまぐれ当たりの術弾が吸い込まれ、地面に倒れ込む。
死んだか確認する暇はなかった。何故なら背にしていたドアが礼一少年側に蹴破られ、彼もまたそれによって突き飛ばされる形になったからだ。
ドアが勝手に吹き飛ぶはずもない。それは銃声を聞き、間髪入れずに襲いかかってきた新たな刺客だった。黒ずくめの格好でライフルを持っている男。
礼一少年が床に倒れているからといって、長物を構えて撃つには近すぎる。そう判断したらしい襲撃者は銃床で押しつぶすようにして殴りかかってきた。
しかし魔導拳銃を得物とする礼一少年からすればむしろ適正距離だった。だから彼はそれを求めて手の中を探った――しかし、然るべき感触はない。先ほどの衝撃で取り落としたのだ。
絶体絶命!
されど、彼には身をよじって致命的な一撃をかわすだけの時間があった。頭のすぐ近くに成人男性の重量が叩きつけられる。
すると、彼は視界の端に自分の拳銃を捉えた。捩った身のまま、肘を使って男の下から這い出すと彼はそれに手を伸ばした。
だが、彼に見えるものは男にも見える。その長い足がスッと礼一少年の横から伸びてそれを部屋の影となっている辺りへ蹴飛ばす。
小さな希望は遠ざけられた。それでも礼一少年はその蹴飛ばした隙を逃さなかった。逆に目の前に伸びた男の足を掴むと、膝の辺りまで抱え込んで、上体を捻り起こすことで、体勢が不安定になっていた男を床に引き倒した。
結果、彼らの物理的上下関係は反転した。俯瞰視点であればよく見える、というのは常識だが、そこで礼一少年は目ざとく相手の魔導拳銃のホルスターを見つけていた。
鉄は熱い内に打て。彼は瞬時にそれに飛びついた。対する男は一瞬反応が遅れたが、すぐに対応した。
そのため、上下が逆転したにもかかわらず、そこにあったのは無様な揉み合いだった。お互いが必死に腰を探り、お互いの手を弾き、塹壕戦よろしくの一進一退が繰り広げられた。
しかし、男の方が体格に分があった。こういう寝技のぶつけ合いとなれば、身軽な側が度々繰り出す派手な技というのはほとんど活きてこない。
だから彼は礼一少年を一瞬だけ引き離し、その勢いのまま部屋の外へ逃げようとした。
だが既に、拳銃はホルスターから僅かに落ちかかっていた。そこで無理やり立ち上がり、その勢いを制御しようと体を揺すればどうなるだろう――?
案の定その振動に耐えきれなかった魔導拳銃は男の腰から転がり落ちた。男はそれを拾おうと動いたが、それは焼け石に水。むしろ銃口と自分を近づけてしまう愚行であった。
瞬間、銃声。体が密着するような至近距離では、狙うまでもなく、引き金を引けば体のどこかには当たるのだった。
その対象が男の体で、しかもその心臓と動脈に直撃する羽目になったのは、彼の最後の行動が余計だったからだ。
悪足掻きとして上体を逸らそうとしたところで間に合うものではなく、それは彼の死体の位置を部屋の中から外にしただけのことであった。
即死であるのは明白だった。そして、彼は廊下に仰向けに倒れ込む。酷く水分を含んだ重い何かを包んだ袋が床に落ちたような音がした。
その音で礼一少年は冷静になった。この世界に来た初めのときのような肉弾戦特有の高揚の効果が切れたのだ。
落ち着くに従って徐々に広がっていく視界の先には、当然ながら人が大の字に倒れている。
ふと目を落とすと、手や服には返り血がべっとりと付いていた。礼一少年はそれに驚いて握っていた拳銃を弾き飛ばす。
その衝動のまま彼は振り返った。しかし、溶けた窓の先にはただもう一つの死体があるだけだった。もう一人死ぬだけの時間が経っても動かないということは、つまりは彼も死んでいるということだろう。
否、殺されたのだ。死んでいるなどという他人事のような言い方はよそう。
礼一少年は、そうして、自分が二人もの人間を殺したのだとハッキリと認識したとき、急に恐ろしくなった。
何かが恐ろしいのではない、ただただ恐ろしいという感情がこみ上げてきたのだ。
自分の手で、殺したのだ。機装巨人ではなく、魔導拳銃で、顔を見て、殺したのだ。
それは初めての経験だった。手に残る、生きていたもの特有の気味の悪い生暖かさも初めてだった。それは礼一少年の心理に深く重苦しい印象を与えた。
――殺した! 人を! 僕は「人殺し」をしたんだ!
胸までこみ上がったその思いは、そのまま喉を通して口から吐き出されそうになった。うずくまって下を向き、それを吐き出すわけにはいかないので代わりに息を吐く。
落ち着け――落ち着け!
こんなの、いつものことだろう!
苦しくて押さえた胸元の、その向こうで鳴り響く早鐘にそう彼は言い聞かせる。
そうだ――どんなに言い繕ったところで、彼は結局、昔から人殺しなのだった。
堀末をその手で殺す以前に、既にコロシアムでの実戦を経験し、対戦相手を真っ二つに切り裂いていた。
その後にしても、ニッキーを背中から魔導刀で蒲焼きにし、自らの師をオリカルクムの拳で貫いた。
そして今――それらで使われた「機装巨人」という凶器が魔導拳銃に変わった。それだけのことだ。
それに、まだ、戦いは続いているだろう。散発的だった破裂音は、その発生源はどこか遠くながらも断続的へ、そして断続的から連続的へその頻度を変えつつあった。
それは、戦争がその牙を剥き、ヨハナの柔らかな腹を喰らわんと、ゆっくりと近づいてきている音である。
果たして、その回想と想像は、礼一少年を再起させるに足るものだった。まだ落ち着かない心と体を無理に使役しえる程度には、彼は信念を持っていたらしい。
しかし、その桧の棒のように健気な信念は、その持ち主たる彼が敵から奪った魔導拳銃を片手に部屋から出た途端、あっさりとへし折られることとなる。
何故なら、ヨハナ・フェーゲラインその人が、部屋の外にいたからだ。




