第七十七話 傭兵は裏切らない
どうにも嘘を吐かれている、というのがクドウの受けた第一印象であった。
開戦から一週間。
つまり、監視任務開始から一週間。
の、早朝。
戦況は大きく動いたようだが、それとは対照的に、このフェーゲライン邸――というよりは、「聖フェーゲライン孤児院」とでも呼ぶべき建物は、平和そのものだった。
それは、教会という建物の建前上、平和を尊び、争いを忌み嫌うというのはあるのかもしれない。
もしくは、子供達に戦争という重苦しいものを考えさせたくはないのかもしれない。
だが、その建前や思いやりがここまで徹底されていると、そこには呑気さすら感じられた。代わりに逃げる気配は感じられず、むしろここに居座る気すら見られる。
遥か遠くとはいえ、人があれだけ消耗品として死んでいる中にあって、ただ物静かに佇んでいるだけというのは、戦場を知る男から見れば一種の狂気であった。
いや、最早、戦場は遠くではない。
現に、ガブリルテーエー海戦の敗北は、如実に市場に影響を与えている。内海を喪えば、この国がいくら大国と言えども、十全には機能しない。陸路で運べるものの種類と量には限りがあるからだ。
それだけではない。内海が敵の自由にできるということは、グリアン地方でやったような強襲上陸をゲリラ的に行ってくる可能性があるということだ。
例えば、首都であるここに。
――もうこの街がそれぐらい危険なことぐらい、当然ミヤシタも考えているはずなのだが。
クドウは、あの男をそのようなものと評価していた。
ミヤシタ・サンキは、一から十を見抜くことに長けている。
人間の信条だとか心情だとかはともかくとしても、こういう理屈と政治に関してはこの街、否、この国でもあの男の右に出るものはおるまい。
伊達に、この人種の坩堝で生き残っているわけではないのだ。
だから、そのような男が、首都強襲などということになった場合のことを想定していないはずがないのだ。
例えば、あの男ならばまず商会の機能をできる限り避難させることを考えるはずだ。
普通の物を積むのにはあまり向いていない機装巨人用トレーラーにすら証明書やら免許状やら領収書やらを詰め込もうとするだろう。
それも、全てにそうするだろう。
それで運べなくなった機装巨人は、代わりに護衛として展開し、自走させることで、書類も守り、自衛能力も限界まで保とうとするはずだ。
と、なれば――こんなところに遊兵を作る暇など、ないはずである。万全の状態ですら、絶対的人数では逆立ちしても軍隊には勝てない。ならば尚更、というものである。
だからこそ、彼は嘘を吐かれている、と思うのだ。
今にも夜逃げしそうだという住人たちの、奇妙な静けさ。
本来はこの以上なく有能なはずの商人の、異様な無能さ。
(依頼人に嘘を吐かれるなど、いつものことだが――な)
機装巨人の狭苦しいコックピットで、彼はふう、と息を吐く。彼の機体は茂みの中にまるで遺棄されたような塗装をして隠れているのだ。
コロシアムで大破した機装巨人の残骸は、時折その辺に捨てられることがあるので、それに紛れるためである。
クドウの駆る機装巨人の隣には野戦で用いられる簡易的な寝床があって、一人がここで眠り、一人が機装巨人に乗り、一人が念のため辺りを哨兵として見張るのだ。その役目を一定時間ごとにローテーションさせ、そのときに商会へ定時連絡をする。
何故哨兵が追加で必要なのかと言えば、機装巨人の視界だけでは、見張りとしては不十分なのだ。死角が多い。
と、いうのも、実のところ――「オスカー」のような全周モニターの方が特殊なのだ。大半は、今クドウが駆る「アリエテ2」のような、左右と前の三面モニター式になる。
理由は簡単で、陸戦兵器である機装巨人の視界で必要な部分というのは基本的には水平面だけであるからだ。
もちろん、山稜や谷などの上下の構造はあるが、それだってとんでもない急斜面があるわけではない。それに、距離が遠ければ遠いほど遠近法から言って低く見えるだろう。
とはいえ、今回は市街地戦――建物の少ない郊外といえども、基本的に遮蔽物が多く、交戦距離が短い。
その上、援軍が一応約束されているとはいえ数的劣勢が予想されるとなれば、尚更、三面モニター式は不利であった。後ろが見えないから囲まれた場合に気づくのが遅れる。それ故の見張りだった。
しかし、その見張りも自分も、何一つすることがない。タダ働きは御免だが、その逆もまた辛いものがあった。
違和感は、もう一つ。そもそも、夜逃げされて困るほど、ミヤシタは金をあの孤児院の主に貸しているのか?
ミヤシタ商会の本業は貿易と本国への情報提供であって、貸金業はあくまでも副業なのだし、その利益も当然副業なりの控え目さのはずだ。
それが、夜逃げしたところで何になるだろう?
確かに、少しでも損失を抑えたいというのは商人の意識としてあるだろう。
しかしその意識とやらに則っていけば、夜逃げが計画される前にどこかへ主の身柄を売り払えばいいのだし、こうして機装巨人だなんだと騒ぎ立てた時点で損が得を上回るだろう。
では、前者ができない理由があり、後者をするに足りるだけの理由がある?
――まさかな。
そこでクドウという男は、目の前の建物の主が政治的に価値がありそうかを判断しようとした――というのも、商人が確保しようとするものといえば金とそれしかないからだ――が、それはあまりに突飛な思考だろう、と彼は考えるのを止めた。
それこそが、実はとても真実に近かったのだが――彼が思考を放棄してすぐにそれどころではなくなってしまった。
まだ薄暗い視界の端で、何かが走るのが彼には見えた。それは、一人の男のようだった。その何かしらが、何人分も孤児院の塀を乗り越えていこうとしている。
状況開始――。
――ミヤシタは嘘を吐いていなかったのかもしれない。
彼はそう思いながら、上部ハッチを開け、座席を起こして上体をそこから出した。すぐそこにいるはずの同僚を呼ぶためである。
瞬間、痛み。それはナイフで切り裂かれたように鋭かった。クドウは反射的にその根源の喉元を抑えようとして、叶わず、そのまま、いつの間にか彼の口を塞いでいた手が導くままに、シートの背もたれに寄りかかる。
すると、視界の端には倒れた同僚。ピクリとも動かないところを見ると、既にこの後ろの男に殺されたらしい。しかしその下手人本人の顔は見えない。黒い覆面を被っているからだ。
だが何者だ? 機装巨人と兵士がこの辺に隠れているなどというのは、非凡なる発想と思考なしには見抜くことができないはずだ。
それに、同僚とてただの人にあらず、実戦経験の豊富な戦争屋である。
それをこうもあっさりと――しかも音もなく――殺したとなれば、当然ただの強盗だとかそういう市井の犯罪者ではあるまい。
しかし、それを考えるにも、他の、商会にいる誰かに危険を伝えるにも、クドウの傷は深すぎた。
だから、彼にできたのは、せいぜい、薄れゆく意識の中、引き金を引くぐらいのものだった。
瞬間、腹に響く音が、早朝のルメンシス郊外に轟いた。
それは、まるで、一週間遅れで鳴った開戦の号砲のようでもあった。




