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転生少年機人剣闘活劇 コロシアム  作者: 戸塚 両一点
第四章 「一人の戦士が狼狽し、戦士と戦うまで」
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第四十七話 月星い(うつくしい)

 いつもならば、ここで食べるという選択肢以外は存在しないのだが、礼一少年は、ただ何も答えずに黙っていた。


 それを不審に思ったヨハナは近づいて、それからどういうわけか、息を呑んだらしかった。


「レイイチさん、その傷――肩のそれは……一体どうしたんですか?」


 礼一少年はここでようやく彼女の声を聞いたようにすら感じた。


 はっとしてベルトの食い込んで血がにじんでいる肩を隠そうとするが、彼女が手に持っていた燭台をおいて近づいてくる方が早かった。


「ああ……血が出てます。とても痛いのではないですか? すぐに手当てしないと、えっと、どうしたら……」


 ヨハナはその芸術めいた顔に、痛みに対する同情と、血を見たことによるのか、幾分かの恐怖を表していた。


 その一方で、そういう顔をさせることが礼一少年に傷以上の痛みを与えた。

 

 彼女の顔はまるで、礼一少年の傷が自分の傷であるかのようですらあったのだ。

 それが回り回って礼一少年へとその痛みが回帰することに、何の不自然があるだろうか。


 しかし同時に、それだけが彼女にこの傷を触らせたくない理由ではないようにも思えた。


 それはもっと自分勝手で、もっと、もっと……何というか、実利的な、しかし黒い理屈に基づくものであった。


 彼女に気づかれるかもしれない、でなくても疑われかねない。


 というのも、言うまでもなく、彼の「仕事」は、彼女には秘密であるからだ。


 とすればさしずめ、その秘密の尻尾が彼の肩であった。


 今、それを彼女に握られている――。


「いいんです、このぐらい、何でもないですから」


 礼一少年は自分でも最早これは悪手たること甚だしい言葉だと思いながらも、そう言うしかなかった。


 彼女の、肩に触るのか触らないのか挙動不審で、実際には宙に浮いたままの、その大らかな天の川のような手を振りほどいて一歩下がるしか、なかったのだ。


「そんなわけはないでしょう。血がにじんでいるんですから……そうだ、すぐに布をもってきます。丁度洗濯したばかりで、まだ綺麗なはずだから。

 でも、その前に傷を見せてください。……それにしても何で、こんなところに傷ができるのかしら」


 しかし彼女は真実へ、破局を導くそれへ一歩進む。

 具体的には距離を取った礼一少年へ再度近づくということだ。


 その結果、またも、彼女は肩に触れるか触れないか痛みを想像するような顔で挙動不審になっていた。


 だが同時に、そこには傷のことを勘ぐる当然の思考が働いているのもありありであった。


 マズい。非常によくない。


 礼一少年は内心焦りながら、外面にはそれを表さず答えた。


「ですから、この程度、何のことはないんです。僕だって、男の子ですし、ちょっと重いものを運んだらこうなっただけですよ。誰でもそうなります。それに、いつぞやのナイフじゃあないんですから、いくら何でも布は大げさですよ」


「そう、ですか? そうなのですか?」


 彼女は傷から少し離れて、彼からも少し離れた。


 あと少しだ。


「はい。僕のいた世界では、このぐらい、放置して治したものです。僕も何度か経験ありますから……」


 このセリフの、経験がある、というのは嘘だ。こんなに大きな怪我を礼一少年はしたことがない。


 まあでも、このぐらいなら何とかなる、というのは割りかし真実であった。


 事実、彼が中学の頃、手のひらに間違えてヤスリをかけてしまったときなんかも酷いことになったものだが、案外何とかなったものだった。


 その割りかしの真実が何かしら言葉に説得力を与えたもうたのか、彼女は怪訝そうながらも、痛そうな顔をしながらも、引き下がった。


 礼一少年はそれを見て安堵しながら、「夕飯、あるんですよね」と、食卓へ向かおうとした。


 そこへ、背中に大きくもたれかかるものがあった。誰何のために振り返る必要もない。


 背中に当たる極めて女性的な柔らかな感じは、明らかにヨハナの豊満な胸から想像されうるそれと同じかそれ以上であった。


 夜闇にとけ込むような黒い服に包まれた銀河のごとく白い腕が、礼一少年の前へマフラーめいて被さっている。


「すみません、でも、不安なんです」


 彼女の吐息が耳元に零れる。それは固有の振動をもっていて、如何なるクラシック音楽にも勝る美しい響きであった。


 しかし、そこから奏でられるのは悲しい調べ。そこに淡い決意と告白が混ざったなら、それは悲壮と呼ばれるべきだ。


「ずっと、レイイチさん、アナタがどこかへ行ってしまいそうな夢を見るんです。


 夢じゃなく、幻想かもしれませんけど同じことです。


 『あのとき』だって、いつの間にかアナタは私の側にいましたけど、昨日いたことと今日いることは、明日いることの証明にはなりません。


 だから怖いんです。

 私の知らないところで怪我をするっていうのは、そういうことなんです。分かりますか」


 礼一少年は答えない。


 どう言ったらいいのか、分からない。


 こんな声をした人と、そんなに話したことがないのだ。


「私が神聖帝国から来たということは、アナタも知っていますよね?


 私はまだ幼かったのでよく覚えていないのですが、戦いの中を、ずっとただ走って、沢山のものを見たのは覚えています。


 痛いもの。

 赤いもの。

 黒いもの。

 苦いもの。

 どうしようもないもの。

 取り返しのつかないもの。


 沢山の人がいたという記憶もあります。父と私の二人しかいないという記憶もあります。

 とにかく、父は私を守ってくれました。でなければ、多分、私はここにいないのだろうと、今でも思います。


 でも結局、父は私が目を離した隙に死んでしまった。


 私が熱を出して、それで父の方が買い物に出たときに、街で急に倒れたとかで……それっきりでした。


 でも、ずっと一緒にいた父が、あの地獄からも守ってくれた父が死んだとき、私はここで寝込んでいただけだったんです。何もできずにここで、その知らせを聞いていただけなんです。


 もう、そんなの、嫌なんです。


 本当に。


 だからお願いします。


 怪我を、しないでください。

 私に、心配させないでください。

 どこかへ、行かないでください。

 どこへも、行かないでください。


 ……私を、一人にしないで……」

 最後は、泣き出しそうな声で、礼一少年を抱きしめるばかりだった。


 礼一少年は、ヨハナの手が震えていることに気がついた。

 声も震えていた。

 そしてそれらが非常に細いことにも気がついた。力を入れれば折れそうなほどに。


 そうだ。

 と、礼一少年は思った。


 僕は、そうだからこそ守ろうとしていたのではないか。


 守る手段があったから守ろうとしていたのではない。


 守ろうと思ったから守っていたのだ。


 ならば、危険が何だ。


 生きることというのはそもそもからして危険だろう。


 だから、それらから彼女を守らなければならないのだ。


 仮に、それで彼女の悪になったとしても。

 仮に、それで彼女の敵になったとしても。


 礼一少年は、再度決意を固め、彼女のその手に自分の手を重ねようとした。


 男の子から男へ変わる、その境界線上にある手を、女神と見紛う彼女の手へ伸ばそうとして――やめた。


 酷く、汚れている。


 彼女の月のように輝く肌に触れるには、星のような目を覗くには、僕の手はあまりに血腥い。


 だから、夜になろう。


 彼女が星ならば、彼女が月ならば、僕は闇になろう。


 もちろん、それは輝かない。


 僕は輝かない。


 しかし、彼女が輝くためには必ずいなければならない、なければならない。そういうものだ。


「――ケホッ、ケホッ」


 礼一少年がそう思索していたとき、不意にヨハナはそんな風に咳をした。それから彼女は彼の背からパッと離れ、のみならず彼に背を向けてそれを丸め何度か上下に体を揺らした。


「大丈夫ですか?」


 礼一少年はその丸まった背中をさすりながらそう聞いた。


「ッ……ええ、季節の変わり目で、何だか風邪を引いてしまったみたいで……中に入りましょうか」


「そうですね……風があって冷えますから……」


 そう言って、礼一少年はヨハナを介抱しようとしたが、ヨハナはヨハナで自分で立って、むしろ彼を先導するように、燭台を拾って手を伸ばした。


 彼女は揺れる蝋燭と月明かりのマーブルの中で微笑んでいる。


 礼一少年は一抹の不安を彼女のその微笑みで打ち消して、その手を取った。





 その闇夜の向こうで――その一連の動きを覗くには遠すぎるほどには向こう側で、一人の男が月に照らされていた。


 名を――言うまでもないが――ニッキーという。


 本名、「ニッキー・リッヂウェル」。


 元傭兵、現復讐者。


 顔に大きな傷があり、それはまるで三日月のようだったが、今日は生憎、太陽の如く明るい、欠けたるところのない満月であった。


 対して、それを挟むように存在する瞳は、松明の如く明るい炎色。


 もちろん、それは復讐の炎であり、光というよりは闇に属するものだった。


 そして、その表情は如何にも不満げである。

 眉間にしわを寄せ、瞳を腰に吊り下げたナイフより鋭く研いでいる。


 確かに、このような秋の夜は顔の傷が疼くからというのもあるが――無論、それだけではない。


「……なぁんだって、そこにいちゃうかなぁ、アンタ」


 ため息をついて、闇夜に話しかける。


 それに次いで風がそよいで、木々が揺れ、ガザガザと音を立てた。


 それで月の木漏れ日が歪んで、そこに「彼」は姿を現した。


 「彼」の、闇夜に溶け込む姿を、肉眼で捉えられる人間はそうはおるまい。


 何故なら彼は、一般のルメンシスに住まう人に比べれば、各段に闇だとかに紛れやすい肌の色をしていたからだ。


 パンザス帝国辺りの東方出身のものに特有の、茶色がかった肌。


 それだけではない。


 というのも、「彼」はただ肌が茶色なだけではなく、「服を着ていなかった」のだ。


 月夜に照らされて白く輝くのは、その一枚の砦のみ。風にたなびくそれを、オッデン王国出身者なら「フンドゥーシー」と呼ぶのだろうか。


 されど、それは如何なる岩戸と見比べても遥かに強固。


 何故なら、その砦のあるところの者は、筋骨隆々、並大抵の太さでない手足が備わった古強者だからだ。


 名を、チャアタイという。


 「チャアタイ・サーマニ」と名乗る男だった。

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