第四十話 ザ・アサイラント
つまり――爆音。
それは、同時に礼一少年が魔砲のマガジンを交換し終えた瞬間のことでもあった。
敵の砲撃には、炸裂術式も入っているのか、地面がグラリと揺れ、オスカーも体勢を崩しかけ、チャアタイはせっかく立ち上がったものの、それを維持できずトレーラーにもたれかかる。
礼一少年はこういう状況で誰もがするように辺りを見回そうとして、その辺り自体が土煙の中にあることに気がついた。
着弾点が恐れるべきほどに近かったのだろう――しかも、それは大口径だ。
もちろん一時的に土は舞い上がっただけだから、すぐに視界は回復し、緑の草原が見え――そこに、それはいた。
それは直立してはいない。
空の青と草の緑と地の茶色――そこに混ざるようには思えない硬質な色をもって、そこに片膝立ちの姿勢で、何かをこちらに向けていた。
それが大口径魔砲であるのは言うまでもないことである。
距離はおよそ六百メートルほどか。
的を狙って――偶然近くに着弾した?
ただの誤射?
有り得なくは、ないのである。
事実として、礼一少年はそう考えてもみたのだから。
魔砲に限らず射撃兵器・飛び道具というのは、とかく外れやすいものである。風や、姿勢の僅かなブレ、指先の使い方の違いですら簡単に射線を変えてしまう。
と、「前世」のどこかで見たのだが、本当にそうなら、確かによくあることだろう。
が、それはありえなかった。礼一少年には一目で分かった。
いや、一目という表現が、果たして本当に正しいと言えるのかは定かではない。
それは、そういうにはより感覚的で、あの殺人鬼に対する、脂ぎったビー玉を見るような錯覚のようなものだった。
無論、それは根本が同じなだけであって表層的には違う。
が、結局、それは言い逃れのないほどの殺意である。
それは礼一少年の感覚からも悟ることができた。死線を何度か潜り抜けたほどの、その程度には信頼性のある感覚だ。
――同じ目的でここに来た機体ではない!
その証拠に、それの手元はまたも「無」を撃ち出した。それは肉眼には見えないまでも、それが来ることは感じることができる、そういうものだった。術弾とはそういうものなのだ。
しかしそれはまたも空を切る。開いたままのオスカーのコックピットハッチの近くをすり抜け、その遥か後ろで魔力が地面をいくらか掘り進んで、それから少ししてから辺りに土と草と根を巻き上げた。
それは、いわゆる徹甲炸裂術弾と呼ばれるタイプ特有の着弾痕であった。対装甲用の徹甲術弾と、対人・対非装甲目標用炸裂術弾の中間の弾種である。
「チャアタイさん!」
礼一少年は機体のスピーカーを使って叫んだ。彼がまだ無事かどうか確かめるためだ。すると、足元で答えがあった。
「レイイチ、無事か」
「ええ、無事です。そちらこそ……」
礼一少年は投影魔術による視界でチャアタイの姿を捉えて、安堵した。しかし、その直後にはかなり近くの地面がまた大きく掘り起こされて、またも二人は体勢を崩した。
「くっ……そんなことは後回しです。今はアレを何とかしないと……」
礼一少年は体勢が崩れたのを逆手にとって、機体の姿勢を低くした。投影面積が減るから、それだけでも更に当たりづらくなる。
その後ろに人の隠れられるスペースぐらいはあるので、チャアタイはその裏へ身を運んだ。
しかしそれでもお構いなしにもう一撃が飛ぶ。遠く後ろの壁が吹き飛ぶ音が聞こえた。
「ああ、そうだな――」
チャアタイはオスカーの背中から少しだけはみ出るようにして敵を見た。
その頭上をまた見えないものが恐ろしい速度で飛んだが、それは壁すらも飛び越えたようで、今度は音もしない。その代わりに少し遅れて発砲音が響いた。
が、その発砲から、チャアタイはいくつかのことを見抜いていた。
「ありゃあ、75mm、だな」
「75mm?」
「魔砲だ魔砲――こっちの大体二倍だ」
この重い音は、明らかに大口径魔砲の特徴であった。チャアタイの経験はそう言っていた。
魔砲において、口径が大きくなるというのは、それだけ込められている魔力が大きいということを意味する。射程もそれだけ長くなる。
それを極限にまで突き詰めたのがモイスヒェンの15cm魔砲だった。
アレほど規格外に大きくなれば、その威力は、炸裂術弾の至近弾でも敵機を戦闘不能にするほどだ。
もちろん、あれは例外的なものであったが……しかし、口径の差が射程の差であり、射程の差が戦闘力の差となる。これは鉄則だ。
飛び道具は、遠くへ強く飛ぶものが常に勝る。よしんばそうでなくても、有利である。それがチャアタイの実感であり、経験であった。
「魔導エンジン直結型と見て間違いないだろうが、発砲間隔が長いところからすると、エンジンパワーは今のオスカーと大体同等と見てもいいかもしれないが、な」
「それは楽観視できる要素にはならないでしょう」
「もちろん、その通りだ。そして、こちらには残弾が六十発しかない37mm魔砲が一丁のみ――従って、こちらが取る戦法は」
逃走である。
戦ってもどうしようもないときは、それがやはり鉄則であった。勝てるときにはできる限り勝つ。
しかし、負けるときには、できる限り上手く負けるべきであり――あるいは、そもそも戦わないのがベストな選択というわけだ。
が。
「――いや、チャアタイさん、それは無理ですよ」
と、礼一少年は気づく。
「何だと?」
「逃げるにしても――速度が足りません。多分、ですが」
そう。この作戦最大の難点にして前提条件は、「敵よりも早いこと」と、そして「敵よりも速いこと」にある。
敵よりも早く動くことで、機先を制し――あえて機先を制さないことで、戦端を開かないことで逃げ切るか、物理法則を味方に付けて、ノロマな敵を後方に置き去るか。この二つのどちらかがなければならない。
しかしすでに彼らは先手を取られ、交戦状態にある時点で、前者のドクトリンは崩壊している。
機先は制され、今や後手に回り続けるどころか手順を送っているだけだ。
とすれば、ただの一択――後者しかないが、それも丸っきり不可能だ。
何故なら、トレーラーには、敵を振り切るほどの速度は出せないからだ。
馬車のような車体に板のような荷台を取り付けその下にゴムのない車輪をつけただけのそれは、整地での走行であってもオスカークラスの機装巨人相手に追いかけっこができるほどの速度はない。
ましてや、足の整わない不整地ともなれば――より接地圧の低い機装巨人の独壇場というわけだ。
礼一少年は、そこまで複雑に考えていたわけではないにしろ、オスカーだけならともかく、トレーラーでは逃げ切れないだろうとは考えていたのだ。
「いや――大丈夫だ。逃げるぞ」
「え?」
「何とかなる、早くトレーラーに機体を載せろ」
しかし、その素人でも分かることを、チャアタイは理解しようとしなかった。
礼一少年は思わず振り返った。自分に分かることは彼にも分かることだろうと思っていたのだが、どうやら、そうではないらしい。
「どうしてです? トレーラーに何か載せたらもっと遅くなって……そんなんじゃ」
「いいから、言う通りにしろ」
「ですから、ちゃんと策があるかだけでも教えてもらえませんか? このままじゃ二人とも――」
「策は――」
チャアタイは何かを言うべきか一瞬迷って、ハッチの上から礼一少年の顔を見て、じっと見て、それからそれを言った。
「策は――ない、が、嫌な予感がするんだ」
「……どんな予感だと言うんですか」
「それは、分からない。すまない」
「それじゃあこっちは訳が分かりませんよ、だってトレーラーに乗ったら、二人ともおしまいじゃあないですか」
「頼む」
と、チャアタイはそう言った。礼一少年はそのときの彼の顔を、泣きそうな顔をしている、ような、そんな風に感じた。
「一緒に、一緒にトレーラーに乗って逃げてくれ。頼む」
礼一少年は、一瞬、その二種類の選択肢――彼の言う通りにするか、あの襲撃者と戦うかということだ――の、どちらを選ぶか悩んだ。
あの冷静沈着な彼がこれだけ必死になるのだ、きっと何かがあるのかもしれない。
ひょっとして、あの赤い機装巨人が、有名な操縦士の機体だと気がついていて、ただし彼は逃げるものは追わない主義だから逃げればいいのだ、と考えているのかもしれない。
かもしれない。
かもしれない。
かもしれない――のか?
いや――そんなはずはないのである。
そんな事情があるのなら、そう言えばいいだけのことだ。仮に言うことが許されないにしても、嫌な予感などと言う必要はない。
大体、逃げるにしたってトレーラーに載せる必要はない。最悪、トレーラー自体を捨てること覚悟でチャアタイを乗せてオスカーを走らせた方が速いだろうし対応もしやすい。
が、彼はそれを許さないようなのだ。
彼は、今、冷静さを欠いている。
それが、何のせいでなのかは分からない。「元の世界」的解釈で行けば「PTSD」ということになるのかもしれないが、それにしては、彼は随分と冷静に見えるというか、違和感があった。
彼は冷静でない。
表面的には冷静に見えるだけであって、その内実は何かおかしい。
故に、するべきことは一つ。
「それは、できません」
断る、しかない。
「できない? どうして――」
「言ったでしょ、逃げ切れません。だから、二手に別れます。僕が引きつけますから、城壁までトレーラーを走らせてください。それで、見張りの兵を呼んでください。その方が生還できる確率が高い」
「確かにそうかもしれないが、だが……」
「チャアタイさん」
礼一少年はハッチからこちらを見ているチャアタイを見返した。
「やるしかないんです。逃げられないなら、戦うしかないでしょう――それは、分かっているでしょう?」
分かっている。
チャアタイも、それは分かっている。むしろ、礼一少年よりも深く理解している。彼の中の冷静などこかが、それこそが正しいと言っていた。
だが、何かがそれに覆い被さって、それを選択肢から取り払ってしまった。そして今、その何かと自分との衝突は、チャアタイをただそこに呆然と立たせるだけであった。
何も答えない彼も見ずにオスカーは立ち上がった。さっきまで身長ほどの高さだった金属がその二倍ほど上にまで大きくなる。
それから、遠くなる。オスカーはトレーラーから数歩離れてから射撃。
あ、と声がチャアタイから漏れた。
止め、なければ。
何故か彼は自然とそう思って、一歩、二歩と足を前に出した。駆け出そうともした。
が、その瞬間に目の前が突然盛り上がり、視界が真っ暗になる。体はそれに煽られて真後ろに倒れる。
敵の術弾だ。
運のいいことに、今度も徹甲炸裂術弾だったようで、つまりチャアタイの位置でも死に至るほどの魔力は撒き散らされなかったので、彼は肘を擦りむく程度で済んだ。
しかしその煙幕が通り過ぎた頃には、オスカーは遥か遠く、手の届かない距離にまで離れていた。
もう、走っても追いつけはしないだろう。ならば、作戦を遂行するべきだ、トレーラーを走らせなければ――。
そこまで理性的に分かっていてもチャアタイはそこにうずくまっていた。するべきことを理解していながら、そうしていなかった。
逆に、その訳を探っていた。
深く、深く。




