第四話 どこまでも無謀で不細工で非合理的な戦い
言うまでもなく、体格は向こうに分があった。
そして、これもまた言うまでもなく、小学生のケンカからプロの格闘技に至るまでほとんど体格がものをいうのだ。
柔よく剛を制すとは言うが、それは剛を支えるだけの最低限のフィジカルと柔を生かすための最大限の技術があって初めて成り立つもので、残念ながらどちらも礼一少年にはないものだった。
しかし、それと同時に、体格というのは、あくまでケンカの道具の一つでしかない。例えるなら、戦闘機のミサイルや機関砲の類でしかない。
確かに、それらは全て戦闘機を撃墜しうるものである。
言わば、敵はまさにそれら全てを備えた機体に乗るベテラン戦闘機乗りなのに対して、礼一少年は非武装の輸送機に乗る新米パイロットにも満たない。真っ直ぐ飛ばすことすら危ういだろう。
「同じ条件でなら」、だ。
レーダーが故障していれば(ものによるが)ミサイルは撃てないし、機関砲だって、しっかり照準に捉えなければ――目で見ておかなければ当たるものではない。
だから、待ち伏せの有利を生かして先手を取った礼一少年の初手は、布団だった。もちろん潜ったのではない。投げつけることで敵の視界を大きく奪うことを狙ったのだ。
一種のゲリラ戦への導入部だ。
マトモにやりあったのではまるで勝ち目がないし、ここで倒すことなどそもそも目的ではなかった。
彼の目的は、あくまでこの巨人をここから少しでも引きはがすことだった。ここにいるかも知れない誰かを、もう誰も死なせないための戦いだった。
敵もさるもので、投げつけられるとほぼ同時に礼一少年に拳を向けていた。一時的にでも目をつぶされるのはどうしたって不利だ。だから、つぶされる前に叩くか、つぶされる前の情報から割り出して叩くかするしかない。
そして怪物は後者を選んだようだった。
二撃出す余裕はない。
一歩踏み込んだ、フルパワーの一撃を当てる。それだけで敵を黙らせるために。鋭く、それでいて重いのが分厚く柔らかい布団を薄くパリッとした紙切れのように貫いた。
しかし、貫いて、それだけだった。拳は空を切った。礼一少年には当たっていない。わずかに布団で視界が隠れた一瞬で、既に礼一少年は怪物の真後ろに回り込んでいた。
髪の毛先数センチはその高速の拳で持って行かれたのだが、要するに直撃はしなかった。礼一少年は向こうの予測のわずかに下をくぐるように走ったのだ。
そのときの足音を探知したのか、怪物は首だけを回転させてその動きを追尾した。やはり、人間じゃない、と礼一少年はもう一度安堵したが、巨人がグググ、と立ち上がろうとしたので背を向けて走った。
開きっぱなしのドアまで十メートルあるまい。
位置的・体勢的には背を向けている巨人よりも遥かに礼一少年が有利だった。
先に部屋から出て、突き当たりを、少し迷ってから、何となく右へ。
どうせ知らない建物にいるんだ、どっちに行ったって出れるかは五分といったところだろうという打算だった。
それから数瞬遅れて巨人が飛び出したのだが、こっちは勢い余って壁にめり込んだ。モーメントが大きすぎて曲がり切れなかったようだった。
しかしその目ははっきりと礼一少年を捉えていた。
それがチラリと礼一少年を見たとき、初めて礼一少年は自分が足を止めていることに気づいた。
礼一少年がまた走ると同時に巨人は体勢を立て直し、恐るべき加速力で迫って来た。そんなに走らない内にまた角が迫り、少年は曲がりきり、巨人はまた壁にぶつかって、それから曲がった。
平原だったならあっという間に捕まって終わりだったろうが、この室内、構造物が多いということが礼一少年にとってよい方向に働いていた。
巨人の側は加速がよすぎて、曲がるのに最適な速度をすぐ超してしまうのだ。いくら加速がよくても、カーブの度にぶつかって急減速するようでは、そうそう捕まえることは出来ない。
礼一少年は最後の角を悠々と曲がり、これまたボロボロの階段に差し掛かった。後ろからは優れた直線加速の化け物が迫っているのだから、最早迷うことはなかった。
礼一少年は階段を踊り場まで全力で跳んだ。
実のところ、運動には自信がなく、特にジャンプ力的には不安なところがあったのだが、火事場の馬鹿力でそれを成し遂げてしまった。勢いを生かすことが出来たのもあるが、とにかく礼一少年は思わぬ成功で興奮していた。
それより数瞬遅れで、巨人が悔しそうに訪れた。その仮面に感情はないが、壁の破片を払おうともしないのは、どういうわけか礼一少年にはそう見えた。
礼一少年はまた走り出した。
十分距離が詰まったからだ。
離れすぎると巨人が追撃を諦める可能性があると思ったからだ。
出来る限り引きつけなければならない。
対する巨人は階下に逃げる礼一少年を認めると、さっき彼がやったように踊り場へと跳んできた。
しかし、パワーが段違いなせいか、上へ行く方の階段の裏側に頭をぶつけ、しりもちをつくように落下、下のボロい階段を金属の重厚ボディで叩き割った。
その結果、階段をぶち抜いて直線でそのまま落ちてきた形になった。
礼一少年は暫時は何が起こったか全く分からなかった。
突然天井が崩落して、著しい濃度のホコリと凄まじい量の瓦礫を間一髪で避けたと思ったら、そのコンクリートの山を突き破って荒々しい巨人が赤い目を爛々と光らせているのだから。
その目は最早全く美しいものには例えられず、地獄の業火のように禍々しく変わってしまっていた。
礼一少年は一転して不利になった。
目の前には当然巨人、かといって背を向けて上ろうとすれば加速の差で追いつかれかねない上、その先にあるのは断崖絶壁にも似た最早階段として体を為さない残骸である。
そして何より、礼一少年は既に、実は疲労困憊だった。
礼一少年は中学から一度だって運動部に入ったことがなかった。
小学校時代には少しだけそういうところに入ったりもしてみたのだが、そここそ場のノリという悪夢の巣窟であったから、結局それ以降は何にも入っていないのだった。
だから、体力というものはまるで劣っていた。運動神経はそれほど悪くなかったからここまでやってこれたが。
礼一少年はハッとして現実に自分を引き戻した。あまりのことに放心していた。たった数瞬のことだったに違いないが、本来それだけあればいくらでも挽回は出来たはずだった。
取りあえず、ここから遠くに逃げおおせるぐらいは簡単に出来たはずだった。
今やその代わりにとっさに出来たのは足元の瓦礫をつかむことだけだった。
そしてその一方で、巨人は礼一少年の首根っこを恐ろしい速さでつかんでいた。人間のものでは明らかにない圧力が首にかけられた。




