第三十七話 改良
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
朝の爽やかな挨拶が、教国首都ルメンシスの郊外に響いた。ここにはこの建物以外はほとんど見えない。
その代わり大きな道路が隣にあり、そこには商業用の車が時たま通ったり、最近は都市部で発生した「災害」の復旧・復興のために資材を満載したトラックや、それで喪失した首都防衛隊の「機装巨人」の輸送車が通ることもあったが、基本的にはそれすらも地理的な要因や、城壁の門の大きさの関係でまれである。
さて、その平和的会話が繰り広げられたその土地――教会の併設された名もなき孤児院からは、さっきの言葉通り一人の少年が飛び出してきた。
孤児院に残される、この辺りでは珍しい金髪碧眼のにしてまだうら若い女性――ヨハナ・フェーゲラインに手を振りながら、その秋頃の、少し涼しくなった道を歩いていく。
その上では落ち葉が、石畳の上に落ちたり、通るといつもガラガラとうるさい車輪に踏みつぶされて細切れになったりしていた。
その少年の名前は礼一という。
フルネームは、中島礼一、高校生。
日本人である。
いや――日本人「だった」。
それは決して、日本が滅んだとか、国籍を喪失したとか、ルメンシス教国という国に最初から住んでいた(つまりいわゆる『二世』というやつだ)、そういうことを意味しない。
そんな「現代的」なものではない。
ただ、最後の例えは、ある意味真実を捉えていると言ってもいいかもしれないが。
しかし、その場合と違って、彼はここにその年齢分暮らしているわけではない――ここでの「ここに」は、「この世界に」という非常に大きく広い意味だ――何故なら、彼は転生者なのだから。
別世界、日本があって、アメリカがあって、中国があって、というような世界から、とある事情でこの世界へ転生したのだ。
体はこの世界で新しく生まれ変わった。
その事情をここで軽く説明しておくと、この世界のエンターテイメントのために人の手によって召喚されたのである。
そのエンターテイメントというのが中々血なまぐさいものであって、礼一少年は遠隔操作のロボット(先述の機装巨人とはまた別のタイプだ)と生身で戦い、何とか勝利した。
その後、様々な紆余曲折を経て、例の孤児院の世話になることになったのだ。
その小柄な少年は、閑散とした道を都市部の方へ歩いていく。
宛もなく散歩をしているのではなく、彼は街にある、ミヤシタ商会というところに働きに行っているのである。ただ世話になりっぱなしなのではないのだ。
……ただし、ここにも、また別の事情が絡んでくる。彼の体の傷とも関係してくる話だ。
礼一少年は、自分の職場であるガレージに到着すると、そこにいる作業員に挨拶しながら、『それ』の前へ行った。
それは、手足がそれぞれ二本ずつある。
頭だって、一つしっかり胴体の上に乗っている。それにしても凛々しい顔だ。その鋭い目は爛々と輝いていて、猛禽類を思わせる。その目と同様の鋭い輪郭は全体を形作っていた。
いわゆる「イケメン」というやつだろう(ちなみに、この世界にはまだそのような言葉はない)。
ただしそれは、三メートルほどの身長を持っていた。
人ではない――機装巨人。
遥か東方のオッデン王国で設計・製造された機体だ。
名をハヤブサというのだが、このルメンシス教国では専らオスカーと呼ばれている。
風情がないように思われるが、そもそも、もっと機械的な名前で言えば「N-1」という、身も蓋もない名前なのだ。それを思えばまだマシであろう。
しかし、以前のように、その番号の後ろに「a」がつくことはない。
「……完成したんですか」
「ああ、全く無茶した時期と改修パーツの来る時期が被っててよかったが……二度と勘弁だな、金がかかりすぎる」
筋骨隆々の、裸の男が礼一少年の近くに立ってそう言った。暑くても寒くてもそうするのが癖なのだそうだ。
出身地が教国の東の方でそこではそういう文化なのだ、というのが彼、チャアタイ・サーマニの弁だった。
彼は、オスカーのみならず、ミヤシタ商会の私兵たちの機体の整備もやっている。
そして、彼の手によってオスカーは整備されたのだ――修理されたのだ。
実は、ついこの間まで、それはひどくボロボロの状態であった。
魔導エンジンは長時間の最大出力に耐えかねて焼け焦げ、各部アクチュエーターや機体フレームも過荷重により歪んだり限界を超えていた。
というのも、先に言った「災害」――ルメンシス都市部における機装巨人によるテロ事件の遠因は、乱暴に言えば彼であり、この機体で犯人と交戦したためだ。詳しくは省くが、その戦闘で機体はほとんど行動不能にまで陥ったのだ。
その事件以前に改良用代替パーツをオッデン王国のメーカーに注文していたので、損傷箇所のほとんどがそれを適用するだけで修理できたのは幸いだったというほかない。
結果、オスカーは、「N-1b」仕様となった。具体的に言えば、各部の骨格の強化や最適化、装甲の微増、エンジン出力の増大などの改良がなされている。
「それで、どれぐらい無茶ができるようになったんです?」
「運動性そのものはそんなに変わらん、というか無茶をする前提で話すなよ……」
と、チャアタイはやや呆れたように言った。
そりゃほとんど買い換えた方が早いような損傷だったのだ、どんな動きをしたのか知らないが、アレをもう一回やるというのは、メカニックとしては前提条件としても考えたくあるまい。
「だが、絶対強度は上がっているな。初戦のような動きをしても、オーバーホールが必要になることはないだろうな」
「それは……頼もしい話ですね」
初戦、というのは、礼一少年の仕事の話だ。彼は事件のとき初めてこれに乗ったのでは、決してない。
コロシアム、という娯楽がある。
人の乗る機装巨人同士を戦わせ、勝敗を決し、賭けをする、そんな娯楽だ。
いわゆる剣闘の、そのロボット版。その剣闘士の一人が彼であった。
それは大変に血なまぐさくて、反倫理的だが――しかし賞金という莫大な富を短期間で生む。
全ては倫理的なヨハナ・フェーゲラインの生のため、聖のため、世のため、礼一少年は反倫理的でも戦うのである。
具体的には、彼の活躍にも関わらず未だに残っているミヤシタ商会への借金をヨハナのために返済するため、彼女と孤児たちの生活費のため、戦っているのである。
チャアタイは、そのことを知っている。
そして、別にそれを何とも思わない。
彼はあくまで傭兵だ。理想や正義ではなく、金の払いのいい方につくだけのことだ。故に、他人に対してもそういう態度なのだ。
他人がどのような動機で戦おうと、それは彼にとってどうでもいいことだ。それと相対するのでなければ、それに巻き込まれるのでなければ――干渉する必要はない。
いかに倒錯していても、矛盾していても、それは正義なのかもしれないのだから。
そして、傭兵は、正義のためには戦わないのだから。
傭兵は、金と契約に従ってのみ行動するのだから。
分かっている。
分かっている――のである。
しかしながら、チャアタイは、この少年を恐ろしいと思う感情を抑えられないのであった。
これは、とても技量の卓越した敵兵と戦ったときの感覚に近い。
あるいは、そういった味方と同じ戦場になったときか。
どちらにせよ、許されざる恐怖心があった。
何しろ、事故に近いとは言え、初戦で敵を一刀両断し、「災害」では機体の限界まで使ったために損傷したものの被弾はなく、それどころか犯人を自らの手で射殺した(これに関しては『自殺』ということで役人と『話がついた』そうだが)。
ただの少年だったのに、傭兵レベルの残虐をやってのける――そして、ただの少年のようにしか見えない。躊躇が何一つとしてない。それに対する恐怖だ。
あるいは……好奇心?
圧倒的強者に対する?
何にせよ、聞いた話では歳を食うと、涙もろくなるという。これがその延長だとするなら――この波のようなものとずっと付き合うことになるのか。
金で動く、兵器の付属品風情が感情をもってしまうというのは、不合理極まりない。街を焼き払うというような、正規兵にはさせづらいことができなくなってしまう可能性があるからだ。
だから、年貢の納め時か、そろそろ店仕舞いか、と思うのだった。
もう何十年も戦ってきた。もちろん、今はただの私兵であるし、最近は戦うこともなかったが――限界に近づいているのは間違いなかろう。
――戦場では、躊躇いのないものが矛盾なく勝つ。いかなる魔砲も、引き金を引けなければ、ただの死重なのだから。
つまり、引き金を引けなくなったならば、辞めるしかないのだ。
「それで、試運転ぐらいはするんだろ?」
「そうですね。運転お願いできますか?」
「仕事だからな」
だが、まだ辞める決心がつかない。
辞めるには、まだ早い。
まだ指は動く。
まだ仕事も残っている。
それに、限界に近いと言うことは、まだ完全に限界というわけではないということなのだから。




