第105話 ご破算
それにしてもよく生きていたものだ、と礼一少年を助けた男は言った。
「俺が事態に気づいたときにゃ、もう街中で機装巨人が行進してたからな……ここに入り込むのだって一苦労だった。一度見ただけのお前さんを探すこともな」
「一度見た?」
「船ン中でだよ、あんときゃ頭蹴って悪かったな」
そう言われても礼一少年にはそのときほとんど意識がなかったので、むしろ誰とも知らぬ男から謝られたことを彼は気味悪がったし、仮にそれが本当だとしてもこうもあっさりとした形で謝れるものなのか、と変に思った。
彼らは部屋の外に出て、廊下を進んでいく。そこにある窓の外では、幾分かの煙が空へ空へと手を伸ばしていて、そこに戦乱があることを知らせていた。
「……一体、何が起きているんですか? 戦争は終わったんでしょう?」
敵から奪った小銃を構えながら前を行く兵士に、礼一少年はそう質問をした。しかし、返ってきたのは拳銃だった――無論、それも敵からの略奪品である。
「自分の身ぐらいは守れるようにしておけ、何が起こるか分からん」
「分からないんですか?」
彼は満足できる回答が来なかったために、思わず奇妙な質問をしてしまった。そして、また兵士は答えない。そうするだけの精神的な余裕が彼にはなかったのだ。
「皇帝陛下の命令では、お前を守ることになってる、少なくともそのはずだ。だから俺はこうしてここにいる――だが、他の連中は分からん。どこまでが頼れる奴でどこからが敵なのかさっぱり分からん」
しかし、その兵士の言い草は、礼一少年に新たな疑問を呼び起こした。
「……? どういうことですか? どこかの国が攻めてきたんじゃないんですか? ルメンシスとかが、仕返しに来たとか――」
すると、今度こそ、兵士は食い気味に答えた。
「それはない。今帝都で戦っている連中は『黒騎隊』の制服を着ていた――内乱なんだよ、これは」
内乱、という言葉は、少々礼一少年には重く聞こえた。
何しろ、彼が脱出を諦めなかったのは、国家というちょっとやそっとのことじゃ押しも押されもしない巨大組織が必ずヨハナを保護しているだろうという前提があってこそだったからだ。
しかし、その強固な基盤が揺らぐということがあれば――たとえそれがひっくり返りはしなくとも、ヨハナの命という風前の灯火はあっさり消えてしまいかねなかった。
――ヨハナ。そう、ヨハナだ。
「ヨハナさんはどこですか?」
もし内乱という情報が真実ならば、彼が真っ先にすべきこととしたいことは彼女の確保だった。
すると、兵士は足を止めると、さっきまでの真面目そうな顔を少し緩め、礼一少年の頭を乱暴に撫でた。
「へっ、この状況で女の心配できるってんなら、かなりのいい男なんじゃねぇか? この野郎」
それから周囲を警戒する抜け目ない戦士の振る舞いに戻して、歩みも戻した。
「俺も、まだここにいるらしいということしか知らん。だからここに来たわけだが――正門には装甲車と、多分それの護衛らしい兵士と機装巨人が大量にいた。恐らく連中はそれでどこかへ運ぶつもりなんだろう」
「なら、そこを待ち伏せれば――」
「そんな簡単に行くか、アホ」
兵士は振り向いて礼一少年の額を指先で弾いた。
「俺も裏門に回り込む途中でチラッと見ただけだから細かい兵力までは分からんが、少なくとも機装巨人がいる時点で歩兵二人じゃどうやっても勝てんだろ。仮にそうでなくても、装甲車が相手じゃ分が悪い。積んだ後逃げに徹されたら手も足も出ん。もっと頭を使え」
「じゃあ、どうしろって言うんですか」
「――だが、手はある」
兵士は礼一少年の疑問を無視してそう答え、目の前のドアを慎重に少しだけ開けた。すると外には小さな庭が見える。
そこは、宮殿の裏口であった。
そのあらゆるところでは、肩から紐で小銃を吊り下げた守衛らしき兵士が立っていた。それを見るや否や、礼一少年と男は隙間から身を引く。
「あれは……?」
できる限り小さな声で礼一少年は男に聞いた。
「敵だ――俺がここから入ったときには、あんな顔の奴じゃなかったし、あんなに沢山はいなかった――大体、黒服じゃなかったしな。連中、手が足らなかったんじゃないのかよ……」
「じゃあ、手ってのは何なんですか?」
「俺が入るとき話つけた守衛を騙くらかして、護衛用の機装巨人の予備を倉庫から引っ張り出す――ってのを考えてたんだが、この分じゃとっくに死んでるだろう。当然この数をかいくぐるってのもナシだ、できるわけがねぇ」
「えっと、それはつまり……?」
「全部ご破算だ、非常にマズい」
そんな、と礼一少年は大きな声を出しかかって、すんでのところで抑えようと努力した。結果として終わりの部分を多少消音することには成功したのだが、一音目への試みは間に合わなかった。
何より立地が悪かった。無駄に広い宮殿は、音を内部で反射させるのに最適だっただけでなく、そのときは時折聞こえるようになった砲声や発砲音もなかったのである。
「――そこにいるのは誰だ?」
ならば当然、後ろからそんな声がするのも無理はない。
そのままの姿勢で、兵士は礼一少年に武器を捨てるようアイコンタクトをしながら自分の小銃を床にゆっくり降ろした。
プロである彼にそんなことをするというのは即ち勝ち目がないことを表していて、礼一少年はそれに従わざるを得なかった。右手に持っていた拳銃をしゃがみながら、ゆっくり床に置く。
「よし、立て。そのまま手を頭の後ろにして、ゆっくり振り返れ……」
そうして近づいてくる足音。きっと銃口は向けられている。その先には銃剣――そして、死だろう。礼一少年はその予感に打ち震えながら、できる限りその到来を先延ばしできるように、ゆっくりと振り返った。




