第101話 『計画』
「――だからこの戦争は、ただ止まるだけではなく、このまま終わる。恐らく、我々はもちろん、ルメンシスすら何も得ず失うばかりで、イグルンランドだけが得をして、な」
ウデットはそのときも座っていた上等な椅子の背もたれに全体重と重圧を預けて、一つため息をついた。その目は天井の一点を見つめていて、どこか虚ろだった。
「――では、閣下。『計画』については如何なさるおつもりですか?」
しかし、その中においても『計画』、という言葉を聞くや否や、ウデットは目の色を疑惑のそれに変えて、ガランドルを見た。
「何を言っている? 事前に言った通り、『アレ』はあくまで戦争が長期化した際の超法規的な最終手段だ。終戦がほぼ既定路線となった今、実行の必要はない」
ウデットはわざわざ確認するとは律儀な、そして難儀な奴だと心の中で呟いた。
だが同時に、彼らの間で使われる『計画』という言葉にはそうするだけの重みがあることを彼は理解していた。故に彼は表情に出さないまでも同情的なというか、あえて何か批判的なことを言うまいという姿勢を持っていた。
しかし、その無意識の期待はガランドルの発した次の言葉で裏切られる。
「閣下、自分はその方針には反対であります。どうかご再考を」
「……何だと?」
ウデットはガランドルの双眸を今度こそ正気を疑う目で睨んだ。にもかかわらず、その目は平生と変わらず真っ直ぐなままだったことは、少なからずウデットの精神に衝撃を与えた。
「現帝政のままでは、この先十年以内に北部グリアンを巡ってもう一度戦争が起きることは確実であります。
すると我が国の穀倉地帯であり人口供給地でもある東部は更なる圧迫を受けることは間違いありません。
そうなれば、この国は大きく傾くことになります――それだけは、なりません。現帝政を打倒、ヨハナ嬢を形式上の元首とする新政権を樹立することは、東部の一領主としてだけではなく、一国民として必要なことと存じます」
彼らの『計画』――それは、一種のクーデターであった。
神聖帝国は、その土地の性質によって大きく二つに分けることが出来る。
一つは、洗練された国家であるルメンシスとの国境が近いため都市部が集中し交易も盛んな西部。
もう一つは、地理的には帝都を保有するものの、それを玄関口として西部に食料や労働力を供給する農村中心の東部。
どちらも、それをウデットやガランドルをはじめとした領主たる貴族が治め、それを皇帝が管理監督するという点では変わりないものの、それは形式的な平等でしかない。
結果、本質的な不平等によりどうしても温度差が生じてしまうことには変わりなかった。
つまり、独立戦争や今回のように、いざ戦争となれば、それを煽り決定するのは政治力に勝る西部であるにもかかわらず、その遂行により多く貢献するのは東部である、ということが起きるのである。
しかも、苦しむのは一般の国民だけではない。それを統括する貴族層も、戦争税や兵糧の徴収などを丸投げされるため、民衆から恨まれるというリスクを負わせられるのだ。
そこで東部領主でもある将校を中心に計画されたのがこれである。
西部に大半の戦力が出払っている隙をついて帝都を、ルメンシスから帰還した「黒騎隊」――遠征メンバーの大半は東部出身者である――を中核戦力とした部隊で占領。
皇帝を逮捕拘束し、ヨハナを新皇帝として形式上の元首に据え、外交による終戦工作を図る――これが、初期における計画の概要であった。
すると目的は当然、戦争の終結である。自らに都合のよい政権を建てることは、作戦立案者であるウデットにとってあくまで手段に過ぎなかった。
今回の戦争さえ切り抜けてしまえば後は野となれ山となれ、強大な陸軍力を生かした瀬戸際外交でもやって何とか生き抜くつもりだったのだ。
寧ろ、それをやる必要がなくなった分だけ彼は得をしたとすら思っていた。何故なら、勝手の分からぬ政治家の仕事ではなく、数十年のキャリアで手慣れた軍部の仕事をすればいいからである。
しかし、ガランドルはその現状是認的かつ妥協的な意見に反対した。
つまり、軍部としてでは、皇帝を止めることはできない、早急な現状打破が必要だという見解であった。
「無論な、私とて現帝政のままではならないと考えているし、あの計画は我が国を守るためのものだ――しかし」
しかし、とウデットは逸る部下を制止する。
「今の状況では駄目だ。撤退中の皇帝派が行動を起こした場合には距離が近すぎる。真っ正面からの消耗戦になれば戦力で勝る側が勝つのは明白だ。」
「何も決戦を望む必要はありません、閣下。ルメンシスが東方で一少数民族に負けたように、東部民による武装蜂起戦術を用いれば大軍とて屠ることができましょう」
「聞こえはいいな。だがその無敵の戦士足り得るとかいう民衆をどのように焚き付ける? 我々と違い、民衆は命令と義務感を即座に戦意と戦闘力に変えることができるわけではない。もしそうなら我々職業軍人は揃って失業するのだぞ?」
「『栄光の』北部グリアンを腰抜けの皇帝からも、敵国からも取り返す――それ以上の理由など、不要でしょう。アレだけの人命をかけた土地を手放すとなれば、誰でも――」
「――痴れ者が!」
ウデットは机を叩き、そこから先の言葉を遮った。
「貴様のやり方は、いたずらに民衆を煽りすぎる! 我々の今までを思い出せ! 現実を知らぬ帝室からやれああしろこうしろと無理難題を押しつけられたことを!
そして手に銃も剣も握ったことがないという点では民衆とて同じだ、その上帝室よりも感情的になる――それでは首をすげ替えるに過ぎない! それどころか、替えた首を早速紐で括って柱に吊せと言うようなものだ! 分かっているのか、ガランドル!」
ウデットは自分が手汗をかいていることに気がついた。ピンの抜かれた手榴弾が目の前に転がってきたかのような恐怖が、彼の握り拳の中を一種の地下湖に変えた。
しかし、その古強者の迫力にも負けず、ガランドルはあくまで冷静に返す。
「そのようなことは承知しております。確かに民衆は帝室に比べて群衆としての強さを持つために凶悪ではあります。しかし、そのために幾分か思考力は低い。幾らでも誘導は可能であります――閣下とて、領主として幾らでもやってきたことでしょう」
「先の戦争で、戦い方を知ってしまった民衆の態度を見ても同じことが言えるのか、貴様は? 戦えば即ち勝つと、そう考えてしまった民衆を見てもそう宣えるのか?」
「自分の手を汚さなかった西部民はそうでしょう。しかし前線で戦った東部民は違う。自らを抑制できるはずだ。閣下が仰ったように、自らの力を知るからこそそれを抑えることができるのです」
「……!」
そこでウデットは思わず詰まってしまった。それは実際のところ、単体では壊滅的敗北を呼ぶものではなかったのだが、その隙を突かれればいとも容易く体勢を崩される弱点であった。
すると、そうであるにもかかわらず敢えてガランドルがそこを突かなかった理由――それは勝者の余裕であった。
「失礼します」
「待て、ガランドル!」
ウデットは、奇しくもいつぞやイグルンランド人がそうしたように立ち去ろうとしたガランドルを引き止めた。
「貴様、忘れるなよ――貴様は軍人で、私もそうだ。しかし私は中将で、貴様は少佐。私の命令なしに動くことは許さん。分かっているな!?」
そう言った後でウデットは後悔した。このように階級を以て黙らせるということは、現場判断を優先する神聖帝国軍、特に『黒騎隊』においてはタブー視されていたからだ。
まるで天におわす神から許しを得たかのように形而下的なものに過ぎないその階級をぶら下げた中将に、ガランドルは振り返り、形式的に敬礼をして、つまり真面目な軍人ぶって、ただこう言った。
「了解であります」
ガランドルが部屋から出ると今度は自分が敬礼される番であった。
「ハートマンか……陛下に呼ばれていたのではなかったか?」
「は、その任を解かれましたので、閣下の元に参上いたしました――それで、首尾の方は如何でしたか?」
そう言ったハートマンは、ガランドルが子供の駄々につき合わされる母親のようなため息をついたことを見逃さなかった。
しかし、その表情が、丘上の陣地を機装巨人で蹴散らしているときのようなものに変化したことを彼は同じく見逃さなかったのである。
「ハートマン、貴様の部下から射撃の上手い者を三日以内に選出しろ――消してもらいたい人間がいる」




