フォルテカの戦い・下
ベルガモットは食い入るように2つの積層型魔法陣を見つめる。
――炎熱地獄
この言葉こそ最も相応しいだろうか。
何も存在しない、何も存在できない。そこに在るのは赤く燃え盛る業火だけ……
やがて役目を終えた積層型魔法陣の1つが消え、最後の1つも徐々に徐々に小さくなっていく。
「やったぞおおおおお!!」
「汚染獣を倒したんだ!!」
「ざまぁみろぉぉぉぉ!!」
口々に騒ぐ兵たちをベルガモットは苦笑しながら眺める。将軍でさえなければ、彼の方が大声で叫び、大地を転がり回っていただろうから。
ピシっ……
それは小さな小さな音。
ピシッ……ピシピシっ……
罅だ。積層型魔法陣に亀裂が入り、一気に砕け散った!
特級魔法の失敗、それは本来周辺一帯の壊滅を意味する。だがその内に閉じ込められていた荒れ狂わんばかりの炎は欠片ほども見当たらない……喰われたのだ。
汚染獣を滅ぼすはずの1撃は、成長するための養分へと成り果てた。
「あ、ああ……あ……」
ガクリと膝をつく兵たちが呆然と見つめるその先には――2体の汚染獣。
倒すための武器も、魔力もない。彼らに出来ることは、このまま喰われることだけなのか……。
絶望にくれる兵たちの中で、諦めの悪い男が1人……いや、2人か。
「照準は任せたぞ!!」
「はっ!!」
ベルガモットと魔導兵だ。ベルガモットの魔力を喰らい魔導砲が輝きを帯びる。
「行けエエエエエエエエエエ!!」
それは狙い違わず汚染獣を捉え、焼き尽くす……が、それを見つめる彼らの目に喜びは欠片も見当たらない。
ベルガモットは静かに話しかける。
「自害した方が良いのか?」
「そうですね……魂が減った分だけ汚染獣の力の増加を防げるかもしれません」
ベルガモットの魔力はもう枯渇寸前。最後の1体を倒す力は既に残ってはいない。自分の行動が最後の悪あがきに過ぎぬことを、彼自身よく知っている。
剣を抜き立ち上がったベルガモットに魔導兵は申し訳なさそうに願い出た。
「すみません。先にお願いできますか?自分ですると失敗しそうな気がして」
「構わんさ。だがその前にやるべきことがある」
まだ生きている兵が暗い表情でベルガモットを見つめていた。
彼がこれからするのは最悪の事だ。守るべき部下に、共に戦ってきた戦友に「死ね」と命じるのだから。だがそれも、汚染獣に喰われるのに比べれば幾分かマシな選択だろう。
ベルガモットは一体だけ残った震える汚染獣に目を向け、苦く笑った。結局最後の1撃は無駄だったのだ。どちらにしろ2体に増えるのだから。
死を覚悟した彼の目に金の光が映ったのはそんな時だ。
「ああああああああああああああ!!」
聖剣が力強い光を纏い、汚染獣へと襲い掛かる。アイリスだ。アイリスが生きていたのだ!
汚染獣の爪を牙を巧みに避け、アイリスは執拗に汚染獣を切りつける。それは正確無比の剣。僅かに逸れることもなく同じ場所に傷を刻む。
同じ場所を狙う、巨大な敵に対してそれは確かに効果的だろう。だが愚直でもある。それは敵に狙いを知られる危険性を内包しているのだから。アイリスが切りつけたその瞬間、汚染獣の尾がぶれる。
バチィィィ!!
汚染獣の尾が弾け飛び、ジュウジュウと肉が焼ける音と同時に吐き気を催す臭気が立ち込めた。
一方、血を撒き散らしながら吹き飛ばされたアイリスの手と足はあらぬ方向を向き、臓器が傷ついたのか口から大量の血が零れ落ちる。だがそれも一瞬。即座に回復したアイリスは諦めることなく立ち上がった。
〈完全回復〉それが彼女の権能。
魔力、体力、気力のみならず、肉体の損傷すらも一瞬で回復させる回復系最高峰の力。
だが、先程汚染獣に傷を負わせた力は彼女のものではない。淡い白銀色に輝く自分の身体を彼女は不思議そうに見下ろした。
それは祝福。ルーファからの贈り物。
彼女が汚染獣に殺されなかったその理由。それは汚染獣が彼女を喰らうことが出来なかったから。
アイリスは躊躇うことなく聖剣を捨てた。もともとアイリスは格闘家だ。武器は己の身1つ。聖剣よりも自分の体の方が汚染獣にダメージを与えるのであれば、剣は邪魔なだけだ。
――気功魔法〈内気功〉
これは身体強化の魔法である。バーンの〈金剛体〉が剛の身体強化ならアイリスのそれは柔の身体強化。彼女はしなやかにして強靭。
「はあああああああああ!!」
先程までの直線的な動きと変わって、右へ左へ縦横無尽に動き回る。これこそが彼女本来の戦い方だ。彼女の拳が、蹴りが汚染獣を焼いていく。
いつしか汚染獣の震えが止まった。増殖に必要なエネルギーを彼女が削り切ったのだ。
「おい!疑似聖剣の液はもうないのか!?」
「まだ残ってますが、付与魔法士がいません!!」
ベルガモットの怒声に魔導兵が泣きそうな声で答える。ベルガモットの目がアイリスが捨てた聖剣へと向けられる……が、大柄な彼が持つには細すぎた。だがそれも致し方なし、と防壁へ手をかけ飛び降りようとする彼に声がかかる。
「自分は付与魔法が使えます!」
床を這いずりながら1人の兵が進み出る。顔は青く呼吸も荒い。明らかに魔力欠乏症の症状だ。
「……いけるか?」
「いきます!!」
ベルガモットの大剣に魔導兵が疑似聖剣液を、兵が付与魔法をかける。発動と同時に昏倒した兵に一言礼を言ったベルガモットは、迷うことなく防壁から飛び降りた。〈増減・己〉で危うげなく着地した彼は矢の如く走る。
先程までの絶望はなく、彼の胸に宿るは純粋なる闘志のみ。
戦いは熾烈を極めた。
アイリスが正面から汚染獣を相手取り、その隙にベルガモットが足を切りつける。当初はこれでうまくいくかに見えた。現に、両の足を奪うことに成功したのだから。
「はあっはあっはあっ」
荒い息を吐きながらアイリスは〈完全回復〉を発動させる。この魔法ももう何度発動したか分からない。
地面に這いつくばる汚染獣が怒りの雄たけびをあげ、腕の力だけで彼女へ飛び掛かってくる。それは決して足が奪われた者がする動きではない。体重が軽くなった分、以前よりも早いほどだ。
「おりゃあああああ!!」
執拗にアイリスを狙う汚染獣の隙を突き、ベルガモットの剣が遂にその尾を切り落とす。だが……それだけ。それだけなのだ。それでは汚染獣は倒せない。足も尾も時間が経てば復活してしまうのだから。
アイリスの攻撃が徐々に汚染獣を削ってはいるが、このまま行けば間違いなく彼女の方が先に倒れるだろう。全てを回復させる〈完全回復〉であろうと限界があるのだ。それは魂の力に他ならないのだから。
彼女の魂は少しずつ少しずつ摩耗していた。
決め手に欠ける――正にその一言に尽きる。
彼らに必要なもの、それは1撃で汚染獣を消し飛ばす程の高威力の攻撃だ。
(……まだか!まだなのか!)
ベルガモットは焦燥を抑えきれない。
アイリスが〈完全回復〉を使用する頻度が目に見えて増えてきている。無意識の内に彼の目は防壁へ、魔導砲へと吸い寄せられ、必死に魔力を注ぐ兵たちの姿を映す。
戦いの最中に目を逸らす。それは……隙だ。
油断、と言われればそうなのだろう。汚染獣の意識は常にアイリスへと向かっていたのだから。
「将軍!!」
アイリスの警告と同時に感じる衝撃と激痛。
「ガハッ!」
血反吐を撒き散らしながら吹き飛ばされたベルガモットの腹部からは、はみ出した内臓がプラプラと揺れていた……致命傷だ。
彼は回復系の権能を持っておらず、治癒石も全て使い切っている。彼に待つのは緩慢なる死か、それとも壮絶なる死か――。
ベルガモットを庇うようにアイリスが立ちはだかる。それは悪手だというのに。
ベルガモットは震える手で短剣を引き抜き、自身へと向けた。ここでアイリスの負担になる訳にはいかない。「私に構うな」最期にそう叫ぼうとした彼の口から言葉が紡がれる事はなかった。
「撃てええええええええ!!」
金の炎が降り注ぐ。
それは彼らが待ち続けた希望の光。
近衛騎士団――大公を守りしフォルテカ最強の軍団。
力強い羽ばたきと共に、魔鳥がアイリスとベルガモットを掴み上空へと舞い上がった。
「退避だ!急げ!!」
その言葉を待っていたと言わんばかりに魔鳥が一斉に離脱した。
近衛騎士が向かうその先に佇むは、大公キアラ・ファウス・マギ・フォルテカ。
薄緑の絹の如き髪が風ではためき、同色の目は厳しい色を湛え真っ直ぐに汚染獣へと向けられている。細くたおやかな肢体は、何故か誰よりも力強さを感じさせた。
スッとキアラの手が上がる――オーケストラを率いる指揮者のように。
観客は汚染獣、曲を奏でるは近衛騎士団。
キアラの手が勢いよく振り下ろされ、2門の魔導砲が音を奏でる。
それは破滅の音楽、
“勝利を導くワルキューレ”
この瞬間、フォルテカの勝利が確定した。
この戦いにおける死者156名。その内の大半は魔力欠乏症によるものであった。その中には魔導部隊副長モルダン・ミシュペの名も記載されている。
勇敢なる英霊に捧げよう。
最大の感謝と敬意を。
彼らは己の命を魔導砲へと込めたのだ。
愛する人と祖国を守るために――。
彼らの御霊に安らかなる眠りが訪れることを祈らん。
補足説明
神獣が創る神剣と聖剣は白銀色、疑似聖剣は金色になります。




