英雄王出陣
乾いた風が吹き荒ぶ空を5体の竜が行く。
その背には鞍が乗せられ人が騎乗していているのが確認できる。リーンハルト飛竜部隊だ。
一体の風竜を中心に矢尻のような陣形を取り、一寸の乱れなく空を飛ぶさまは正に圧巻。轟々と唸る風を切り裂き、彼らが向かう先は迷宮王国カサンドラだ。
順調に進んでいた彼らの目に紫色の大地が映る。
「……瘴気が濃い」
風竜の上でナギはポツリと呟いた。
荒野一面に広がる紫色の瘴気が大地を覆いつくし、完全にその姿を隠していた。まるで紫色の雲の上を飛行しているかのようだ。
これでは何か異変があったとしても見逃してしまうだろう。
だがナギはそれほど心配してはいない。人種である自分と違いカレンは風竜。その感知能力は人種を遥かに凌駕するのだから。
滑空しながら魔法を使い辺りを探っていたカレンが速度を緩め、付き従っていた飛竜達もそれに倣う。
「とうした!何かあったのか!?」
相棒の突然の行動に騎乗していたナギは緊張を漲らせ、鋭く辺りを見回した。
カレンはその声を気にすることなく――というか会話ができないので仕方がないのだが――魔法を発動させる。暴風が瘴気を吹き飛ばし赤黒い大地が姿を現した。
「……汚染獣」
ヒュッと息を飲んだナギは大地を埋め尽くす汚染獣を凝視する。一体どれほどの数がいるのか、その果てを見通すことすら叶わない。
十万や二十万では利かない、それ程の大群。その全てが示し合わせたかのようにカサンドラへと向かっているのだ。
それは異常な事だ。飢餓の化身たる汚染獣は生き物が多い地――リーンハルト――へ向かうのが通例なのだから。
「退却!!全騎退却!!」
〈拡声〉の魔道具を発動させると同時にナギは手綱を繰る。その背に冷たい汗が流れ、恐怖で強張った身体を無理矢理動かす。
オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛…………
地の底から轟くかのような声にナギは耳を塞いだ。
それは歓喜の声。獲物を見つけた汚染獣が悦びの声をあげているのだ。
「うわあああああああああああ!!」
聞こえた悲鳴に目を向ければ、飛竜の背から投げ出された部下の1人が汚染獣の只中へ落ちていくのが見えた。振り落とされたのだ。普段ではあり得ぬミス。
ナギは手綱を握りしめ叫ぶ。
「仲間を助けることは許さん!1騎でもこの情報を持ち帰るんだ!!」
全速力で空を翔ける竜たちに続々と触手が伸ばされる。ナギは心を鬼にして前だけを見つめた。この中で最も速いのは風竜であるカレン。帰還できる可能性が高いのは自分なのだから。
仲間が次々と触手に絡めとられ、そう間を置かずして死の咢はカレンをも捕らえた。
(……これまでか。いや、まだだ!)
ナギは自身の翼を広げ空へと舞い上がる。
彼の脳裏に小さな神獣の姿が浮かび、それを追い求めるかのように手を伸ばす……が、無情にも下から伸びた触手が彼の翼を貫いた。
錐揉みしながら墜落していくナギの目に迫りくる汚染獣が映り、彼はただ涙を流す。それは絶望ではなく怒りの涙。不甲斐ない自身に対する怒りだ。
「……ルーファスセレミィ様」
小さく呟かれた最期の言葉は誰にも聞かれることなく消えていった……
ドンっ!!
行き成り襲った衝撃に、「ぐえっ!」とナギは潰れた蛙の様な声を上げた。
耳元で轟々と風が踊り狂い、風圧がナギを押しつぶさんと猛威を振るう。息も碌に吐けぬ苦しさにその目に涙がにじむ……が、その苦しさも唐突に終わりを告げた。
優しい魔法がナギを包み、彼は思いっきり息を吸い込んだ。
彼の目に映るは力強く羽ばたく相棒の翼。
ナギの身体をしっかりと咥えたカレンが、風を掴み大空を羽ばたく。否、カレンだけではない。彼女の後ろには4体の飛竜達が一列に連なり、遅れまいと翼を動かしていた。
その背に本来あるべき4名の騎竜兵の姿は……今ではマッチ1人だけ。
触手に絡めとられた筈の竜たちの元気な姿をナギは驚きと共に見つめる。よくよく見れば、彼らの身体が淡い白銀色の輝きを帯び、その身体に触れた触手を弾いていた。
それは……祝福。
ルーファが贈った祝福が彼らに与えられる筈だった死の運命を捻じ曲げたのだ。
その白銀色の輝きを見たナギは、なぜ自分達が助かったのかを悟る。
「ルーファスセレミィ様」
そう呟かれた名に先程の絶望の色はなく、強い決意に満ちていた。
必ず、必ず(ガッシュ陛下が)御身をお救いしてみせます!
――数時間後
訓練場に多くの兵が集まっていた。リーンハルトが誇る精鋭部隊、王軍と北方軍だ。
設えられた演説台の側には各軍を率いる将軍、ザナンザ・アインクラインとダイアノス・シーリーの姿が見受けられる。
全軍が言葉もなく整列する中、颯爽と現れたのは黒い軍服を纏った隻眼の男。
彼こそ英雄王ガッシュ・リーンハルト。
演説台に音もなく飛び乗ったガッシュは、挨拶もそこそこに本題へと入る。
「皆の者、よく聞け。汚染獣の大部隊がカサンドラへ集結しつつある。その数は数十万を優に超えるだろう」
そこで一旦区切ったガッシュは兵たちの顔を見渡す。彼らの顔は固く強張りはしているものの、その目は闘う戦士の目だ。
不屈の精神こそリーンハルトの誇り。連綿と受け継がれる戦士の魂にガッシュは満足気に目を細めた。
「オレはこれからカサンドラへと向かう」
それまで静かに拝聴していた兵たちの間に動揺が奔った。それもある意味当然のこと。自分たちの王が国の守護を放棄して他国に向かうというのだから。
今は汚染獣がカサンドラへと向かっているとはいえ、その牙がいつリーンハルトへ向けられてもおかしくはない。
だが、その騒めきもガッシュが片手を上げると潮が引くように消えていく。
「神獣様がカサンドラへ到来された。その御力を恐れた世界の怨敵・汚染獣共が神獣様を狙ってカサンドラへと押し寄せている!どうする!皆の者よ!このままここで指を咥えて見ているのか!!」
その声は怒りを孕み、大気をビリビリと震わせた。
そして……漆黒の目が真っ直ぐ兵たちを射抜く。まるで試すかのように。
「神獣様を見捨てるなどありえるものか!!」
「お助けするんだ!!」
「汚染獣に奪わせるな!!」
口々に叫ぶ兵士たちの姿に、ガッシュは久々の高揚感に襲われた。
――戦いの予感だ。
それも今までになく激しいものとなるだろう。
超越種となってから彼は一度も本気で闘ったことがない。それも仕方の無き事。彼の力は人の世では強すぎたのだ。
死ぬかもしれない、その予感こそが彼を歓喜させる。
手加減の必要すらない200年ぶりの死闘に、ガッシュの顔に知らずに笑みが浮かぶ。その悪鬼羅刹の如きその姿に、兵たちは恐怖よりも頼もしさを覚える。
「それでこそリーンハルトの民!オレは神獣様を、ルーファスセレミィ様を救いに行く!その間、国を頼むぞ。決して汚染獣に踏み入らせるな!我らが力を、人種の底力を見せつけてやれ!!」
ガッシュの身体から膨大なる魔力が吹き上がり、兵たちの髪がバサバサと音を立ててかき乱される。その身体が一回りも二回りも膨れ上がったかのように感じ、彼らは身体を震わせた。
それは……歓喜の震え。
ガッシュが剣を抜き放ち、空へと掲げる。英雄譚の一説のように。
「勝利を!!」
「「「オオオオオオオオオオオオオ!!!!!」」」
兵は叫ぶ。力の限り。
彼の者こそ“英雄王”
リーンハルトの希望にして最強の王なり
◇◇◇◇◇◇
ナギは休むことなくカレンを駆っていた。彼の後ろにはガッシュの側近であるバハルス・リッケンハイムが同乗している。
彼らが向かっているのはソリュース。転移陣がある都市だ。
都市とは言っても、メイゼンターグが陥落された際に次なる砦として機能するように作られた第二の対汚染獣軍事要塞である。
当然のことながら、そこには王都への直通となる長距離転移陣が設置され、厳重なる警備が敷かれていた。
ナギはガッシュに報告を済ませた後、王都への伝令を命じられた。彼が休息をとれた時間は僅か2時間。
ことは国家の……否、世界存亡の危機なのだ。一刻も早くこの報せを竜王国ドラグニルへと届けなけねばならない。
数多いる竜族の中でも最速を誇る――竜種は除く――風竜が選ばれたのは当然のことだと言える。
瘴気が増えた影響でリーンハルトの北部にも徐々に影響が出始めていた。以前は豊かな森が広がっていたソリュース近郊も、現在では枯れた樹木が目立ってきている。
その様子を苦い思いで見つめるナギの目が、ソリュースの武骨な外壁を捉えた。
要塞の上空で数度旋回した後、ナギは規定通りに降下する。
「北方軍所属、第5飛竜部隊隊長ナギだ!至急、長距離転移陣の用意を願いたい!陛下の勅命である!」
地面に降りると同時にナギは叫び、次いでバハルスが進み出て勅命書を掲げる。
「宰相補佐官バハルス・リッケンハイムです。これより我が国は厳戒体制に移行します!敵は汚染獣、規定に従い行動を開始しなさい!!」
慌ただしく動き出す彼らの動きに迷いはない。これはガッシュが各砦に課した訓練の賜物だと言えよう。
ここ200年、ベリアノスとジターヴとの間に小競り合いは絶えないが、全軍を動かす大きな戦は起きていない。
普通であれば、それに伴い軍部の弱体化が起きてもおかしくない状況だ。「どうせ今回も大したことは無い」その思いが、“慣れ”が病のように人々の意識を侵すのだ。
だが幸いなるかな、王であるガッシュは激動の時代を生き残った猛者。彼の心に慢心は無い。ソレが容易に滅びへと繋がるのを何度も見てきたのだから。
要は意識の差。ガッシュは常に戦闘を念頭に置いて行動しているのだから。
バハルスは、各々の役目を理解し、即座に行動を始めた兵たちの姿に感嘆を禁じ得ない。
何故ガッシュが多額の税金を投入して軍事演習を行う事に拘るのか、その一端を理解した。いや、必要な事だと理解してはいたのだが……優先順位が違うと言った方が正しいだろう。
彼はガッシュに税金はもっと有意義に使うべきだと進言してきたの者の1人。
技術の向上に都心と地方の格差の軽減、災害対策等々。国としてやらなければならないことは多い。
それを考えると、バハルスの考えも間違ってはいない。敵が来なければ軍事演習など何の役にも立たないのだから。要は無駄金である。
今後の国家予算の編成に思いを馳せながら、バハルスは長距離転移陣の上に立った。
その背後に立つナギとカレンはげっそりとやつれ果て、まるで幽鬼のようである。
彼らはバハルスの護衛でもあるため、リィンまで付いて行く必要があるのだ。さらに言えば、竜王軍を迎える際の案内役でもある。彼らに休息の時は訪れるのか。
だが……結局のところ彼らが竜王軍を案内する機会は無かった。
何故なら……




