未来へと続く道
歓声を上げる人々を尻目に、ルーファはフェンと共に天幕へと向かう。
偵察に行ったピピ達の帰りを待って、会議が始まるのだ。とは言っても、ルーファの中でどうするかは既に決まっている。これしか助かる道は無いのだから。
「ふぃ~」
天幕へと戻ったルーファは用意されていたソファーへ突っ伏した。中に待機していた“赤き翼”のメンバーとラビが労いの言葉を掛ける。
ハッキリ言って全員の心は驚きに満ちている。この中の誰1人としてルーファが立派に演説をやってのけるなど思ってはいなかったのだから。
「オレはルーファがまともな言葉遣いが出来たことに驚きだぜ」
残念ながらバーンの言葉を否定するものはいない。多かれ少なかれ全員が思っていたことである。
そう、ルーファに期待されていたのは自己紹介だけだったのだ。
「あ、あれは、緊張して昔の言葉遣いに戻ってしまったんだぞ」
顔を赤らめて恥ずかしがるルーファを全員が微妙な面持ちで見つめた。
(……退化したのであろうか)
どう贔屓目に見ても先程の演説の時のルーファの方が神獣らしいと思う一同である。
ゼクロスは甘い飲み物をルーファの前へ置きながら、気になった事を質問する。
「何故、昔と言葉遣いを変えたのですか?」
「ふっふっふ、決まっている!この方が格好いいからだ!!」
胸を逸らせ得意げに笑ってルーファは続ける。
「それに、オレが読んだ冒険譚で主人公は皆“オレ”って言ってたんだぞ」
ゼクロス的には元の言葉遣いに戻って欲しいところではあるが……母なる神獣が認めていることをアレコレ言うのも不敬であると口を噤んだ。
「語尾の“だぞ”にも意味があるのか?」
バーンは不思議に思って尋ねる。冒険者で語尾に“だぞ”をつける人物を見たことがないためだ。
「やっぱり、“だぜ”の方が格好いいと思う!?」
突然、バーンに噛みつかんばかりに近づいたルーファの姿は、傍から見れば今からキスしますと言わんばかりだ。だが保護者が増えた現在、そのような暴挙は許されない。
即座にフェンの尻尾でぐるぐる巻きにされたバーンはペイッと天幕の外へと投げ捨てられた。近づいたのはルーファなのだが……酷い扱いである。
そのうち戻って来るだろう、と諸悪の根源は気にすることなく言葉遣いを変えた出来事を語って聞かせることにした。
ルーファの言葉遣いが今の形に落ち着いたのは50年程前のこと。
それまでは自分の事を“私”と呼んでいたのだ。これはカトレアの教育方針だと言える。では何故変わったのかというと……1冊の本が原因である。
その物語の主人公は幼少の頃は自分の事を“僕”と呼び、強くなる過程で“オレ”へと変わったのだ。弱く自信のない“僕”が、様々な苦難を乗り越えて強く逞しい“オレ”へと。
要は、強くなりたいルーファの願掛けのようなもの。いつかは“オレ”と言う言葉に相応しい強さが身に着きますように、と。
だが最初の語尾は“だぞ”ではなく“だぜ”であった。では何故変わったのか……それには理由がある。
よく考えてみて欲しい。ある日を境に小さく愛らしい子狐が「オレ様だぜぇ」とブイブイ言い始める姿を。果たして、それを見た保護者はどのような思いを抱くだろうか。
カトレアはルーファにお尻ぺんぺんし、その横で静かに立ち上がったヴィルヘルムが低く呟いた。
「冒険者ギルドはルーファの教育に悪いようだ。少し滅ぼして来よう」
寒気がする程美しく笑ったヴィルヘルムをルーファは泣きながら止めた。それはもう盛大に。自分の所為で冒険者ギルドが無くなるかもしれないのだから。
その結果、ルーファの大泣きに“オレ”という一人称は認められたのだが……“だぜ”は猛反対され、折衷案で“だぞ”に落ち着いたという訳だ。
こうして冒険者ギルドは与り知らぬところで滅びの運命を回避し、冒険者はリストラを免れたのであった。
ルーファの話を聞いた全員の額に汗が滲んだ。彼らの視線が絡み合い、心が1つになる。
「オレ様は“だぞ”の方がいいと思うぞ」
「最近“だぜ”は流行らないですよ~」
「“だぜ”ではその他大勢に埋もれてしまいますよ」
「ルーファは今の言葉使いが似合う」
『無理して変える必要はなかろうて』
「…………」
矢継ぎ早に意見を述べるメンバーたち。ちなみに、無言なのは流行らない言葉を使い、その他大勢に埋もれているバーンである。
和やか(?)に会話するルーファとラビに眷属通信が入った。どうやら全員揃ったようだ。
タイミングよくガウディを始めとする王族、将軍、冒険者ギルドマスターであるインディゴが入室する。
「眷属から連絡があったから、もうちょっと待ってて欲しいんだぞ」
ルーファの言葉に否やがあろうはずがなく、全員が神妙に頷いた。
待つこと暫し、ガーオを先頭にピピ、ドッペル、スッパイダーと迷宮の幹部たちが姿を現す。
次いで頭の無い騎馬がのっそりと入室し、それに騎乗したデッスンの頭が入口に支え天幕を揺らす。
「……マウは外に置いて来い」
ガーオの呆れたような物言いに、渋々馬から降りたデッスンが何事かマウに囁くと、それを理解したのか外へと戻って行く。
最後に顔を覗かせるブルル……だが、どう見ても入口とブルルの大きさが合っていない。このままでは天幕はあっという間に壊されてしまうことだろう。
助けを求めるようにラビを見つめるガーオ。
『ゴホン!あ~すまぬがブルルよ、外の警備を頼んでもよいかのぅ。決して誰も通すでないぞ』
「オデ、分かった」
素直に背を向け周囲を警戒し始めるブルルに、ラビはチクチクと痛む良心に蓋をして無かったことにするのだった。
「まずはオレの眷属を紹介するんだぞ。奥からガーオ君、ピピ、ドッペル、スッパイダー、デッスン、外にいるのがブルルなんだぞ」
ルーファの紹介に何故か全員の視線がスッパイダーに集まる。彼らの目にはハッキリと同情の色が浮かんでいた。
彼らは瞬時に悟ったのだ。その名を付けたのが誰なのかを。まあ、こんな変な名前を付けるのは1人しかいないのだが。
気を取り直し、各自が挨拶を終えたところで早速本題へと入る。
『して、カサンドラ周辺はどうじゃった?』
ラビの質問にピピが進み出る。
「海を含め、既に四方を汚染獣に囲まれております。先頭は80キロ先といったところでしょうか。ただ……どれだけの数がいるのかは不明ですわ。スッパイダーが周辺一帯に蜘蛛の糸をばら撒いておりますので、近付いてくれば感知できるでしょう」
本来なら数や包囲の薄い箇所等、もっと詳しく調べたいところではあったのだが、途中でルーファから深入りしないよう連絡があったのだ。
その時ルーファはこうも言った――空を高く飛ばないように、と。
「1つ確認したいのだが……迷宮は本当に運ぶことが出来るのですか?」
迷宮に民を集めた理由が正にそれである。ルーファから直接そう説明されていたものの、ガウディとしては信じられないでいた。
不敬だと分かってはいるのだが……200層に達する大迷宮を一体どうやって運ぶというのか。
「寄生型の迷宮は迷宮核に収納して持ち運びができるんだぞ」
ルーファは額にある紅玉を指さす。
『そこは儂も保証しよう。〈大災厄〉の時は迷宮を仕舞って逃げ回っていたからのぅ』
ラビは懐かしそうに目を細めた。彼が〈大災厄〉を生き抜けた唯一の迷宮なのは、偏にこの力のお陰なのである。ラビが空を飛べたことも大きいだろう。
「つまりルーファが荒野を越える必要があるってぇ訳か。護衛はオレ様に任せろ。絶対に守り抜いてやるからよ」
フェンの目は強い決意を宿し、真っ直ぐにルーファを貫く。
「オレ達も行くぜ」
バーンとアイザック、フューズ、そして迷宮の幹部たちが進み出る。彼らは全員固有魔法を持つカサンドラの最高戦力だ。
ミーナとゼクロスは彼らを羨望の眼差しで見つめる。同じパーティでありながら、2人は付いていけないのだ。それが足手まといだと知っているが故に。
ルーファは彼らの気持ちを嬉しく思う。自分のために命を懸けようとするその覚悟を。
だからこそ無駄に死なせる訳にはいかない。ルーファは初めて感謝した。〈時空眼〉、未来を見通すこの力に――。
「フェン、お願いできる?他の皆は迷宮で待っていて欲しいんだぞ」
「任せろよ」
フェンはニヤリと笑う。死地へ赴くというのに、その目は選ばれた歓びに輝いていた。だが、「はいそうですか」といかないのが他のメンバーである。
「ルーファ!!オレも行くぜ!!」
「オレもだ!!」
「我らも共に!!」
「ギョワ!ギョワ!」
口々に騒ぐ仲間たちに、ルーファは決然と言い放つ。
「許可できない。一緒に行っても……汚染獣の餌になるだけ」
ルーファは最初から決めていたのだ。先程視た水の世界で教えてもらったのだから――助かる唯一の道筋を。
悔しさに顔を歪める大切な仲間たち。
必ず守ってみせる。少しでも助かる可能性ががあるのなら、自分がそれを掴んで見せよう。
「待っていて。次に会うのはメイゼンターグで」
ルーファは嫣然と笑って見せる。その目が見つめるのは未来のみ。
バーンは頭を掻きむしり、アイザックはテーブルを殴りつけた。幹部たちは悔し気に唇を噛み締めている。
彼らは己の力不足を痛感する。どんなに願ってもルーファは自分たちを連れて行くことはない、それを悟ったのだ。
「心配いらねぇ、必ずオレ様が届けるからよ。この中じゃぁオレ様が最速だ。一気に高度を上げて駆け抜ければ奴らを振り切れっだろ」
フェンが汚染獣の攻撃を食らったのは、止まっていたのが主な原因だ。例え汚染獣を上空に打ち上げようと、最初からトップスピードでぶっ飛ばせば奴らは対応できないだろう。最も危険なのは上昇する時だといえる。
フェンの言葉に全員が納得したように頷いた。ルーファがフェンのみを指名した理由も理解できるというものだ。だが……
「上空は行かない。地上を行く」
ルーファは全員の考えを否定した。
「な!?」
「危険すぎる!!」
「ギョワ!ギョワ!」
混乱し口々に反対する仲間を無言で見つめていたフェンが静かに問う。
「理由は?理由があんだろ?」
「上空は死地、地上にこそ活路がある。それこそが未来へと続く唯一の道」
フェンはその言葉を正確に理解した。
「……上空に何がいる?」
「分からない。でも……ソレは汚染獣よりずっとずっと怖いモノ」
汚染獣より怖いモノ……一体それは何なのか。知恵ある汚染獣か、それとも……。
フェンは頭を振って思考を追い出す。今はその正体を考えるべき時ではない。考えるべきはどうやってメイゼンターグまで辿り着くかだ。
「だがよ、地上となると難しいぜ。流石にオレ様でもあの数の汚染獣は振り切れねぇ」
ルーファは〈亜空間〉からソレを取り出す。
――紅く煌めく竜王の矢を。
「5本ある。これで道を切り開く。フェンに〈祝福〉を与え、私の力で包み込めば“終焉の力”で傷を負う事はないはず」
超越種たるヴィルヘルムの力を汚染獣は喰らうことができない。この力に触れたモノは全て滅びる、そういう力だ。
ただそれでも勝率は五分に満たないだろう。矢はたったの5本しかないのだから。矢が尽きた時、それが終わりの時だ。矢をどれだけ温存できるか、それが勝負のカギとなる。
「フェン、体調が万全になるのはいつ?迷宮の魔力を食べても構わないから」
「3時間、いや2時間くれ」
叡智ある魔物は他の生物とは違い魂の力が全てだ。肉体すら魂の力で補っているといえる。
そんなフェンにとって汚染獣の魂すら喰らう〈浸食〉は鬼門だと言ってもよい。フェンの傷は肉体のみならず、魂にも及んでいたのだ。その傷はルーファによって癒されたが、万全とは言い難い。
2時間後に迷宮の出口に集合することを約束して、ルーファは1人神域へと向かった。
神樹の枝に腰かけ、夕闇に煌めく星の運河を只じっと見つめる。
「ヴィー……ヴィルヘルム、お願い正気に戻って……」
祈るように呟かれた言葉は、強い魔力を宿し星空を駆け抜ける。
果たしてその言葉は届くのか……




