潰えぬ希望
――熱い!熱い!熱い!熱い!
身体が燃えるように熱い。身体の内に巣くうモノがフェンの身体を喰い破らんと牙を剥く。否、既に彼は喰われているのだ……内側から。フェンは感じる。自分の命は長くは無いと。
だが……彼には為さねばならぬことがある。何としてでもルーファを逃がすのだ!!
会った当初から感じていた不思議な感覚。
守らなければならない、そう強く感じた。その理由が今なら分かる。ルーファは特別なのだと。
ルーファは気付いていただろうか。
陽だまりの様な温かな魔力が原魔の森に浸透し、負のエネルギーに満ちた黒い森を浄化していたことに。それはほんの少しの変化。ルーファの周りだけ魔力の質が変わっていたのだ。
ルーファの側は心地いい。思わずお腹を見せてしまいそうだ。自分は誇り高き魔天狼だというのに!
恐らくルーファの魔力は心にも影響を及ぼすのだろう。
善なる心を強く邪なる心を弱くする。
叡智ある魔物が殺され瘴気に染まる原魔の森を見て、フェンのその気持ちは増々強まった。否、彼は確信したのだ。
ルーファは世界に無くてはならない存在なのだと。
フェンに予知の力はない。だが……彼は滅びの匂いを嗅ぐ。それは彼の本能か、それとも別の何かなのか……彼自身にも分からない。
迫り来る汚染獣との戦い、そのカギを握るのは……ルーファだ。
ならば自分の使命はルーファを守ること。出会ったことこそフェンの運命。これは必然なのだ。
だが……自分の運命は尽きようとしている。このまま終わりを迎えるのだろう。最早、身体を動かすことすら叶わぬのだから。
せめて危険を知らせようと霞む目を開けたフェンは温かな陽だまりを幻視した。
(……あぁ、ここにいたのかルーファ)
『ル……ファ、逃げろ……汚、染獣が……グアアアアアア!!』
腹の中で何かが急速に膨らんだ。メリメリと音を立ててフェンの腹を突き破り、汚染獣が脈動する。
――何たる屈辱か。叡智ある魔物である自分が汚染獣の苗床になろうとは!!
力が奪い取られる感覚にフェンは寒気を覚える。いや、それすらもう……
「フェンから出ていけ!!」
声が聞こえる。懐かしい、本当に懐かしい声だ。離れていたのはそれほど長い間ではないというのに。
次いで温かな魔力がフェンを包む。フェンの胎内で蠢いていた汚染獣が急速に小さくなっていくのを感じた。
(……眠い)
フェンは目を閉じる。それは恐れていた冷たい眠りではなく、とても暖かなもの。
だが、そんなフェンの穏やかな眠りも長くは続かなかった。
『汚染獣の大群が来る!迷宮へ向かえ!!』
頭の中に大音量で響いた声にフェンは飛び起きた。
現在、忙しなく人が迷宮へと出入りしている。
ルーファの発した思念から間を置かずして、ガウディが勅令を発表したのだ。
ラビから予知夢の報せを受けたガウディは即座に外壁へ鳥型の騎獣を飛ばしていた。ルーファの思念が聞こえたのが丁度外壁へ到着した時だ。
ガウディは躊躇うことなく空を飛んでいる騎獣の上から飛び降りた。近衛騎士の悲鳴をBGMにして。
「ルウ!!」
見慣れぬ漆黒の鬼に抱かれたルーファに駆け寄ろうとしたガウディの前に、青灰色の10メートルはあろうかという巨狼が立ち塞がった。
『ルーファに近づくんじゃねぇよ』
グルルル……低い唸り声と同時に、ガウディは押し潰されたかのように膝をついた。
威圧だ。フェンから放たれた魔力が圧力となってガウディへ向けられているのだ。
『フェン殿。その御仁は心配いらんよ。仮にもこの国の国王じゃからのぅ』
その言葉に殺気を引っ込めたフェンはルーファの側に座るラビをじ~と見つめる。
『まさか……ご老体か?』
額の迷宮核を見たフェンは不思議そうな声で尋ねた。
カサンドラ大迷宮の主は叡智ある魔物の中でも有名だ。〈大災厄〉を生き抜いた“元”地竜のご老体であると。興味本位で会いに行った者も多いと聞く。
『ふむ。会ったことがあったかのう。確かに魔天狼は何体か尋ねて来たんじゃが』
『あ~、それはオレ様じゃねぇよ。オレ様は話を聞いただけだからよ。それにしても……竜種に劣らないデカさだと聞いてたんだがなぁ』
聞き間違いだったのかと首を傾げるフェン。
『その話は後じゃ。それよりも、一体何があったのじゃ?魔天狼ともあろう者が汚染獣1体にやられた訳ではないんじゃろう?』
屈辱を思い出したのか、怒りの余りフェンの毛は逆立ち、その身体から再び魔力が吹き上がる。
『汚染獣の大群だ。どれだけいんのかは分からねぇ。だがオレ様が見たのは海を埋め尽くす程の数だ』
フェンは一度言葉を止め、ルーファを見つめる。
『悪いがルーファは連れて行くぞ。こいつだけは何としてでも逃がさなきゃなんねぇ』
「……ダメ。まだ行けない」
フェンの耳朶をか細い声が打つ。ガーオの腕から身を起こしたルーファは真っ直ぐにフェンを見つめる。だが、その目は茫洋とフェンを通り過ぎ、どこか遠くを見ているかのようだ。
『悪いがそれは聞けねぇ』
フェンの鋭い感覚は、カサンドラを中心に瘴気が渦を巻いているのを明確に感じ取っていた。
既に包囲網は完成しているのだ。ルーファを逃がすにはこの包囲網を突破する必要がある。足手まといを連れてはいけない。
ルーファは立ち上がり、そっとフェンへと触れる。その温かな感触を確かめるかのように。
一度目を閉じたルーファはガウディへと命じる。
「ガウディ、1人残らず民を迷宮に集めよ。汚染獣到達まで残り1日。猶予は少ない」
「ハッ!畏まりました!」
恭しく頭を下げると同時にガウディは身を翻した。王が頭を下げたことを誰もが当然のように見つめている。ここにはルーファが神獣であるという事を知らない一般兵もいるというのに。
それは本能なのか……彼らは理解したのだ。真に従うべき存在が誰なのかを。
ルーファは眷属とフェンを見回し宣言する。
「私が迷宮を運ぼう。大丈夫。まだ……未来は続いている」
そう言って微笑むルーファの姿は、強い決意を感じさせた。
その姿を見つめ、フェンは瞠目する。ルーファの成長が嬉しくもあり、寂しくもある。
ただ1つ言えることは、ルーファが困難な道を往くというのなら自分はその障害を取り除く牙に、敵を切り裂く刃となろう。
フェンは強く感じる――自分の運命を。
◇◇◇◇◇◇
住民の避難は僅か半日で滞りなく終了した。
そもそも、住民の大半は既に迷宮内で生活していたのだ。地上に残っていた者は迷宮城周辺の住民及び軍に所属している者くらいだろう。
更にラビが迷宮の出入口を幾つも作り、魔物たちに住民の誘導をさせたことも大きい。当然、魔物だけで行動させると住民に怖がられるため、兵に同行してもらった形だ。
現在、一階層の広場に多くの民が集まっている。今からガウディの演説が始まるのだ。
だが全ての民を1箇所に集めれば混乱が起こるため、ラビが各階層に映像をライブで中継する手筈である。
人々の顔は暗い。既に汚染獣のことは聞き及んでいるのだ。当然と言えば当然である。
そんな人々を前に、壇上に立ったガウディは静かに語り始めた。
「既に皆も承知していると思うが、数十万もの汚染獣がカサンドラに迫りつつある。このままでは我らは汚染獣に呑み込まれ滅びを迎えるだろう」
突き付けられた現実に、至る所で沈痛な悲鳴があがった。彼らの絶望は如何ばかりか。
つい先日まで生きるか死ぬかの戦いを繰り広げていたのだ。ようやく勝ち取った平穏が、更なる絶望に喰い千切られようとしている。
顔を俯け涙する民を見つめガウディは続ける。
「だが朗報もある。汚染獣の襲撃を報せにSランク冒険者、天空のフェン殿が参られたのだ!我らに協力を約束してくれた!!」
Sランク冒険者、本来であればその訪れを誰もが歓喜する英雄である。
だが……誰も顔を上げる者は無い。彼らは理解しているのだ。最早、人の力ではどうにもならぬことを。
「おいおい、オレ様を無視たぁいい度胸じゃねぇか」
挑発するように嘲笑うフェンを見ても尚、頑なに顔を上げようとしない彼らに舌打ちし、フェンは後ろへ下がり腕を組んだ。完全に傍観の構えだ。
俯く人々を見つめガウディは続ける。
「皆の気持ちはわかる。普通であれば助かる術などありはしないだろう。我らはただ喰われるのを待つ餌に過ぎないからだ。だが!それは違う!違うのだ!!希望はまだ我々を見捨ててはいなかった!前を見よ!お前たちの目に何が見える!!」
力強いその言葉に彼らは初めてガウディを見た。否、ガウディではない。その視線は吸い寄せられるように隣で浮いている白銀の少女へと向けられる。
まさか、と息を飲む声が聞こえる。熱を持ったざわめきが、さざ波の如く人々の間を通り抜けた。
その声に負けじとガウディは叫ぶ。
「神獣様だ!神獣様がカサンドラに到来されたのだ!!」
彼らの変化は劇的だった。彼らの目に光るのは最早絶望の涙ではない。
神獣に見捨てられた土地、それがカサンドラ。
なぜなら、そこは〈大災厄〉で勇者が汚染獣へと変わった地――人種の罪の証なのだから。
彼らは思う。自分たちは未だに許されていないのだと。それ故に瘴気は長きに渡り彼らを苦しめて来たのだ。
それは彼らが犯した罪ではないのかもしれない。だが……彼らの祖先が犯した罪だ。
そんな彼らにとって、神獣とは赦しの象徴。
彼らは知る。
自分たちが赦されたことを。
自分たちが見捨てられなかったことを。
神獣が自分達と共に在るのだから!!
ルーファはそんな彼らを静かに見つめていた。自分が今何を言うべきか。その答えは既にある。
神獣とは人種を導く存在なのだから。
「人の子よ聞きなさい。私は母なる神獣カトレアの子にして、この迷宮の主。これから大いなる災いが世界へと降りかかるだろう。今回のことは序章に……始まりに過ぎない。多くの血が流れ、多くの生き物が死に絶える」
恐ろしい予言に多くの人が顔を歪ませる。それは……〈大災厄〉の始まり。
人は恐怖し、悲嘆し、諦観する。
そして彼らの心に再び訪れる……絶望。
「でも……忘れないで。絶望の中に希望があるという事を。絶望を受け入れてはならない。未来を諦めてはならない。それこそが真なる“終わり”なのだから」
薄紫の眼が人々を貫く。力のある目だ。それは決して諦めた者がするものではない。
知らず人々の顔が上がる。彼らはルーファを、“希望”を見つめる。
「戦士の国の民よ!今こそ、この困難な状況でこそ、私はあなた方に問おう。あなた方に勇気はあるか?困難を打ち砕き、勝利を呼び寄せる勇気が!」
ここはカサンドラ。死と隣り合わせの国。
どの国よりも危険で、どの国よりも過酷。毎年多くの者が戦いで命を散らす、そんな国。
それでも彼らは生き続ける――この過酷な地で。例え生き汚いと思われようと、卑怯だと罵られようと……彼らは無様に這いずりながら自らの命を掴み取るのだ。
生き残ることこそ彼らの誇り。
戦士は武器を握りしめ、武器無き者はその拳を握りしめた。
最早、誰1人として俯く者はいない。彼らは信念を思い出したのだ!カサンドラの民の誇りを!
「忘れるな!汚染獣は負のエネルギーを糧にする。恐怖が!嘆きが!絶望が!染獣の力へと変わるのだ!恐怖を屈服させよ!その胸に希望を灯すのだ!忘れるな!未来はまだ繋がっていることを!!」
ルーファは紡ぐ。言葉を、勇気を、そして――未来を。
それに応えるかのように瀑布の如き轟が空間を揺るがした。
それは生命の叫び、命の輝き。
これが人の持つ“強さ”なのだろう。
ルーファは愛おしそうに人々を見守る。僅かに微笑みを浮かべるその様子は、まるで慈母のような慈しみに満ちていた。




