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迷宮神獣Ⅰ~汚染獣襲来~  作者: J
終わりの始まり
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開幕の狼煙

 黒い森の上空に影が走る。


 巨大な狼だ。青灰色の体毛を(なび)かせ、金色の目は強い力を感じさせる。だが何より目を引くのは、その身体に(まと)いし風と雷。


 暴風が渦巻く中を、雷が火花となって弾ける様は、まるで空中に咲く花のように美しい。近づく者を一瞬で焼き尽くす死の花だ。

 魔天狼(フェンリル)のフェン。それが彼の名である。

 

 自身がだせる最大速度で空を翔けていたフェンの目に赤茶けた大地が映る……荒野だ。


 ドラグニルを出発したフェンはそのままカサンドラへ向かうのではなく、一旦、原魔の森へと戻った。ドラグニルから最短距離でカサンドラへと向かえば、人族至上主義を掲げるアグィネス教支配圏を抜けなければならないからだ。余計な戦闘を避けるためである。

  

 荒野を順調に進んでいたフェンは、ふと違和感を感じ速度を落とした。

 

 ぞくぞくした怖気がフェンの背筋を這い上がり、無意識に全身の毛が逆立つ。彼はこの感覚をよく知っている――死の予感だ。


 だが、周りを見渡すが何もない。どこまでも続く死の大地を乾いた風が通り抜けていく。


(……気のせいか?)


 フェンは即座にその考えを否定する。今まで幾度となく死線を潜り抜けてきた彼が死の気配を間違うはずないのだから。


 完全に立ち止まったフェンは警戒しながら地面へと降り立った。その途端、濃い瘴気が彼の身体に纏わりつき、余りの不快さに鼻へ皺が寄る。




(瘴気が濃すぎる)


 フェンの心に疑念が生まれる。

 以前、彼がカサンドラへ来たときはこれほど瘴気は濃くなかった。当時はうっすらと地表を覆う程度であった瘴気は、今では数メートル先さえも見通すことが叶わない。


(一体、何が起きてんだ)


 知恵ある汚染獣のこともあり、フェンは原因を調べようとアカシックレコードを開いた。もしかしたら、この辺り一帯の瘴気を浄化していたカサンドラ大迷宮に、何かあったのかもしれない。



 ザー!ザッザッザザー!!



 突如、頭の中で響く大音量の雑音にフェンはくぐもった悲鳴を上げ、反射的に狼耳を伏せた。アカシックレコードを閉じたフェンの口からグルグルと低い唸り声が漏れる。


 彼はこの現象に覚えがあった。

 原魔の森を調査した際に、叡智ある魔物を襲った犯人を調べようとすると、決まってアカシックレコードが使えなくなったのだ。


(……まさか、原魔の森の件と何か関係があんのか?)


 フェンがそう思った矢先、全身の毛が逆立った。

 即座に〈風ノ極〉を発動させ、広範囲を探査するが特に異常は見られない。否、異常がないことが異常なのだ。


 ここは荒野。それもまだ原魔の森に近い場所。

 普段であれば瘴気に侵された魔物が獲物を求めて辺りをさ迷っているはずだ。それに……アンデッドすらいないのはどういうことなのか。


 フェンが探査に使用しているのは風。ならば……異変があるのは風の届かぬ地下、もしくは水中だと考えられる。“地”に関する権能を持っていないフェンは水から調べようと、もう一度空へと駆け上がり海へ進路を取った。


 結論から言えば、水中を調べる必要はなかった。

 なぜなら……異変は上空からでも容易く見て取れたのだから。




 (あか)(あか)(あか)、見渡す限りの赤。瘴気の影響で本来黒いはずの海面に数多(あまた)の赤い影が蠢いていた。

 一体どれだけの数がいると言うのか。最早そこは海とは呼べず、ひしめく化け物共の巣だ。


 海中を汚染獣の大部隊が侵攻していた。


 




 フェンの本能が叫ぶ――殺せ!殺せ!殺せ!と。

 だが、理性が本能を押しとどめる。ここで戦ったとしても無駄死にするだけなのだから。


 フェンの中で竜王ヴィルヘルムに知らせなければという思いと、ルーファを助けに行かなければという思いがぶつかり合う。


 迷ったのは一瞬。

 フェンは即座にカサンドラへと進路を取った。ヴィルヘルムに知らせるには、リィンまで行く必要がある。そうなれば……ルーファを見捨てることになるのだから。



 ヒュン!



 風切り音と共にフェンの後足に衝撃が走った。

 赤黒い触手のような物体が絡みつき、フェンの動きを止めているのだ。それは汚染獣の腕だったモノ。そう、フェンが汚染獣に気付くと同時に、汚染獣もまた彼の存在に気付いていたのだ。


 フェンの口から放たれた〈混合砲〉が汚染獣を触手諸共焼き尽くすと同時に、彼は攻撃が届かぬ上空へと高度を取る。


 間一髪、彼のいた場所に幾千もの触手が殺到した。


 ウネウネと激しく蠢く触手は、まるで怒り狂っているかのようだ。いや、事実ソレは逃した最上の獲物に激怒している。

 遥か高みからその様子を見下ろしたフェンはホッと安堵の息を吐いた。



 ブシュゥ!



 鮮血が……舞う

 フェンは、()()()()()()触手を呆然と見つめた。




 込み上げてくる熱い血潮。


 揺らぐ視界。


 遠のく音。

 



 ボタリボタリと滴り落ちる血が美しい毛皮を汚し、触手が内部を蹂躙する。



「ガアアアアアアアアアアアアアアア!!!」



 内から喰われる痛みにフェンは叫んだ。


(何故だ!ここは汚染獣が届かねぇ高度のハズ!)


 その答えは直ぐに分かった。海面から汚染獣が打ち上げられていたのだ。続々とフェンへと投げつけられる汚染獣が一斉に触手を伸ばす。


 貫いている触手を噛み千切り、己の魔力が許す限りの雷を纏ったフェンは音速で離脱する。衝撃波で汚染獣を砕き、雷で焼き尽くしながら。


 雷を(まと)ったフェンは、流星の如き尾を引いて荒野を駆け抜けた――。

 



 さあ、狼煙があがった。


 終焉が始まる。






 ◇◇◇◇◇◇






 フォルテカ公国


「陛下!本日未明、謎の発光体が原魔の森近郊から西へ飛んで行くのが目撃されました!」


 早朝でありながら、一部の隙なくドレスを着こなした大公キアラ・ファウス・マギ・フォルテカは要領を得ないその報告に僅かに眉を顰めた。


「それは魔物ですか?」

「それが……一瞬のことだったようで、光が西へ走り抜けたとしか分かりません。ただ、目撃した者の話によれば凄まじい魔力と爆音を確認したとのことです」


 キアラは手に持っていた扇を閉じ立ち上がる。


「偵察は出したのですか?」

「ベルガモット将軍自ら率いて出立したとのことです」


「何か分かり次第、最優先で報告を」

「畏まりました!!」


 急ぎ足で去って行く側近を見送り、キアラは引き出しから手紙を取り出す。隣国の国王ガッシュからのものだ。


 その内容は恐るべきものであった。

 瘴気の濃度が上がっていることは既に知ってはいたが……それが〈大災厄〉直後と同程度だというのだ。更に汚染獣が組織だった動きを見せたと続き、知恵ある汚染獣の存在を示唆していた。 


(……嫌な予感がしますわ)


 キアラは窓に近寄り外を眺める。変わらぬ風景、平穏に過ごす人々を。この平和な光景がどこか空虚に感じられ、キアラは目を閉じた。


 側に置いてある呼び鈴を鳴らし、やって来た側近に命じる。


「騎士団長と冒険者ギルドマスターに連絡を。これより戦時態勢に入ります。そのつもりで行動なさい」


 キアラは自分の勘を信じた。

 この決断がフォルテカ公国の明暗を別けることとなる。 







 ◇◇◇◇◇◇






 リーンハルト王国 メイゼンターグ


 ガッシュは外壁の上からカサンドラの方向を静かに眺めていた。


 雷を(まと)った魔物がカサンドラへと向けて飛翔していったと報告があったのだ。その飛行速度を考えるとかなり高位の魔物だと思われる。

 相手が魔物であれば何の心配もない、その筈である。カサンドラには優秀な兵と冒険者が在籍し、迷宮も今ではルーファが支配しているのだ。生半可な戦力では太刀打ちできまい。


 だが……ガッシュの胸中に言い知れぬ不安が渦巻いていた。


「陛下」


 呼ばれて振り返れば、そこには飛竜部隊の隊長であるナギが跪いていた。

 ルーファが神獣であると知っている1人だ。いや、神獣がカサンドラへ渡ったことを報告しなかった者の1人と言うべきか。本来ならば厳罰ものだが……ルーファに直接お願いされたとあって、ガッシュは厳重注意に留めた。


「自分に偵察を御命じ下さい」


 1飛竜部隊の隊長にすぎぬナギの進言にガッシュはため息を吐く。越権行為だ。飛竜部隊の総帥、または連隊長を通すべきである。


「ナギ……規律無き軍隊などただの烏合の衆だ」

「理解しております。ですが……他の者はルーファスセレミィ様の存在を知りません」


 強い目が真っ直ぐにガッシュを見る。




 そもそも優先順位が違うのだ。

 ナギの上司は国と民を第一に動く。当然だ。軍とはその為に存在するのだから。だがもし、そこに神獣がいたのなら……優先順位が覆る。


 それほど世界にとって神獣とはなくてはならぬ存在なのだ。


 正しい情報を持たざる者に、正しい判断はできない。要はそういうことである。




「いいだろう。だが覚えておけ。お前が戻って来るのは此処だ。何があってもカサンドラへ向かうことは許さん。オレに情報を持ち帰れ。いいな?」


「はっ!必ずやご期待に沿って御覧に入れます!」


 ナギが去った後も、ガッシュがその場を動くことは無かった。


 


  





 時はフェンが汚染獣から逃亡した時まで遡る。


 フェンより更に上空にソレはあった。



 ――眼球。



 人のこぶし大の大きさを持ち、剥き出しの視神経が垂れ下がっている。瞼も何もないただの眼球。それがぷかぷかと宙に浮き、遥か上空より一部始終を観察していたのだ。

 その眼球が3つの影を捉える。

 


 

「ヤバくないかな?見つかっちゃたんだけど」


 汚染獣の肩の上で、椿は不安そうにフェンの去って行った方向を見つめていた。


 そもそも最初の計画ではもっとカサンドラ寄りに汚染獣を放つ予定だったのだが……どうせなら数を増やそうという話しになり、一部を原魔の森の近海へと運んだのだ。残りは既に指定地点に運び終え、着実にカサンドラへと近づいていることだろう。


「大丈夫だろ。先頭はあと2日もあればカサンドラに着く」


 腕を組んだ壱星が汚染獣を見つめながら、皮肉気に嗤った。

 今から動いたところで誰も止められはしないのだから。だが念のためにと壱星は空に向けて大きく手を振った。


 上空に浮いていた眼球が下りてきて、壱星の目の前で止まる。この眼球は大夢が〈偵察ノ眼〉で作り出した謂わば第三の眼である。


 壱星がカサンドラの方角を指さすと、まるでその意味を理解したのかのように、器用に頷いた眼球がその方向へと飛び去って行った。


 壱星は背筋を伸ばし、戻ろうかと踵を返したところで声がかかる。


「……汚染獣、運ぶ」


 今まで口を開かなかった翼がぼそりと呟き、壱星が遠い目で汚染獣を見つめる。


「……このまま放っておいても、その内カサンドラへ着くと思わないか?」


 フェンの血と力を喰らった汚染獣たちが一気に数を増やしたのだ。少し数を増やすつもりが大誤算である。


「……怒られるの嫌」


 翼の隣で椿もコクコク頷いている。

 壱星は深くため息を吐き、重い足を引き摺って運搬業務へと戻った。



 これが終われば暫く休暇を取ろうと決意しながら。




  

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