ルーファの迷宮運営
庭先に潜んでいたソレは、ただ静かに目を閉じ待ち続ける。獲物が掛かるのをジッと待つ蜘蛛の如く密やかに。
門扉が開く音が聞こえると同時に、ピクリと僅かにソレが動く。
「は~、結局Eランクになれなかったんだぞ……」
気落ちしたルーファの声にソレの目がゆっくりと開かれ、1対の緑眼がルーファを捉えた。再びズルズルと行動を開始したソレは着実にルーファとの距離を縮めつつある。
しょんぼりと肩を落とし、ルーファは庭先を歩く。メーの毛並みを愛で、癒やされようという腹積もりである。
「メ~」
ルーファに気付いたメーが、軽やかな足取りで近づいてくる……が、途中で何かに気付いたかのようにピタリと歩みを止めた。キョロキョロと不審そうに辺りを見回したかと思えば、鼻先を近くの茂みに突き入れる。
「メーちゃん?」
いつもと違うメーの行動に首を傾げるルーファの前に、バーンとアイザックが守るように立ちはだかる。茂みを睨みつける2人の眼光はいつになく鋭い。
茂みに顔を突っ込んでいたメーが振り返ると、その口には……
『う、うう、ううう……』
げっそりとやせ細り、ひび割れた鱗を持つ子竜が咥えられていた。
「!?ラビちゃん!!」
バーンとアイザックを押しのけメーへと駆け寄ったルーファは、ボロボロに変わり果てたラビを抱きしめる。
「ひ、酷い。誰がこんな……」
『や、や……すみ……が……』
震える腕を伸ばし、ラビが必死に言葉を紡ぐ。
「ヤスミ!そいつがラビちゃんをこんな目に!!」
ラビの手をぎゅっと握りしめたルーファの目には、激しい怒りが燃え上がっている。迷宮へ向かおうと踵を返すルーファをバーンが押しとどめた。
「待てっ!!まだ何か言っているぞ!!」
全員が聞き逃すまいと耳を傾ける中、ラビの死にそうな声が届く。
『休みが……欲し、い……』
現状を説明しよう。
ラビが一度死んだとき、ラビ直属の眷属もその生を終えた。そして、生まれ変わったラビはこの特別な眷属を創り出す力を失っていたのだ。これが出来るのは現在ルーファだけである。
その結果……
カサンドラ大迷宮(200階層)
所有者:ルーファ
社長:ラビ
社員:0名
業務内容(通常)
・魔物の創造及び管理
・宝物の創造及び管理
・罠の創造及び管理
・迷宮の維持・整備
・瘴気管理
・魔力管理etc
業務内容(臨時)
・避難所の作成
・作物の育成及び収穫
・人種が暮らせる環境整備
・家畜の創造etc
ラビの業務体制
・週休0日制
・24時間労働
・給与0ドラ
そう、ルーファの迷宮は空前絶後の超ブラック企業だったのである。ズバリ、ラビをボロボロにした真犯人はルーファだったという訳だ。
ラビから話を聞き終えたルーファの背に嫌な汗が流れ落ちる。無言で浴びせられる皆の視線が、そこはかとなく冷たい気がするルーファであった。
「つまり圧倒的に人手が足りていないのですね」
そうまとめたゼクロスは眉間にしわを寄せて腕を組んだ。
「他の魔物じゃいけないのか?知能が高い奴もいるんだろ?」
ラビは額に乗せられていた冷たいタオルを取りながらバーンに目を向ける。
『普通の魔物では箱庭ノ神の力が付与できんのじゃよ。管理するには最低でも〈自由自在〉が必要なんじゃ。出来れば〈万物創造・限定〉も付与したいのぅ』
〈自由自在〉が無ければ、迷宮の中を自由に移動することも出来ないのだ。例えば1階層への用事をラビが言いつけたとする。そうすると200階層から1階層まで自力――徒歩か飛翔――で移動しなければならない。
果たして用事が済むのはいつになることやら。
「分かったんだぞ!オレが特別な眷属を創るんだぞ!」
張り切って立ち上がったルーファに、バーンの胡乱気な視線が襲う。
「おいおい、大丈夫なのかよ」
かなり不安である。一体どんな魔物が出来上がるのか……。
『ほっほっほ。心配いらんて。眷属を創るのはそこまで難しくはないんじゃよ』
迷宮はほっといても魔物を生産するものだ。
それに多少指向性を持たせてやればいいだけのこと。迷宮守護の要である迷宮の守護者ともなれば話は別だが……今回必要としているのは管理業務ができるだけの知能と器用さがあれば事足りる。
付いて来ようとするバーン達を集中しなければならないからと断り、ルーファはラビと連れだって迷宮へと戻っていった。
「本当に大丈夫でしょうか~?」
「大丈夫だろ。こういう時の被害者は、大体ルーファの側にいる奴だぜ」
ミーナの肩を叩き、晴れ晴れと笑ったバーンは風呂に入って酒でも飲むか、と屋敷の中へと消えて行く。完全に他人事である。
『よし!始めるんだぞ!』
神域まで戻り早速力を解放しようとしたルーファにラビが待ったをかける。
『よいか、ルーファ。管理に特化した者を創るのじゃぞ?』
『え~と、どうすればいいの?』
『ルーファが直接創れば自然と魔法は付与できるでな、そこは気にせんでもよいじゃろう。必要なのは人型で知能が高いこと、後は魔力を多めで頼むぞぃ。魔力が無ければ魔法を付与したところで使えんからなぁ。ルーファは願いを込めるだけで大丈夫じゃよ』
ルーファは上手く力を使え熟せないとはいえ、ラビは失敗するとは全く思っていない。そもそも〈万物創造〉が2つあるのだ。失敗する要素はないと言える。
『分かったんだぞ!』
元気よく返事をしたルーファは祈るように目を閉じた。
ルーファが望むは管理者。迷宮を管理するに相応しき者。
その者、明晰な頭脳を持つ者なり。
その者、統率者に相応しき風格と才量を持つ者なり。
その者……え~と何だっけ。あっそうそう、魔力が多いってことは強いってことだよね。強き力を持つ者なり。
その者……人知れず管理するんだから目立たない方がいいのかな?隠密を極めし者なり。
その者……迷宮は犯罪者が巣くってるかもしれないから、そいつらを懲らしめるバーン君とアイザックみ
たいな魔法剣士と暗殺者が欲しいかな?
その者……え~と、え~と、もういいかな?こんな感じでお願いします!
――瞬間、光が爆ぜる。
魔力が暴威となって風を巻き上げ、渦を巻く。その数6つ。
周囲の魔力を集約した竜巻は、徐々に徐々に縮んでいく。否、その言葉は適当ではない。集められた魔力を何かが喰らっているのだ。
最後に残った風さえもが吸い込まれ、そこには黒い球体だけが残る。まるで全てを喰らいつくすブラックホールのように。黒い球体が何かに抵抗するようにたわみ、中から手が出現する。バチバチと黒い火花を散らしながら頭が、そして胴体が現れる……
グラオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
それは歓喜の産声か、殺戮への渇望か。
ルーファの前に目を爛々と輝かせた6体の魔物が顕現した。
緋色の羽を持つ美しき人面鳥女王。
深く暗いワインレッドの髪に朱金色の瞳が輝く。その魔物に手は無く、代わりに長大な羽が鮮やかに空間を彩る。下半身はまるで鳥。だが、その鉤爪は樹に留まるだけの弱々しいものではなく、獲物をいとも容易く引き千切る猛禽のそれだ。
赤から白へと色を変える美しき羽毛が豊満な胸を覆い隠し、まるで豪奢な毛皮のように彼女を着飾っている。
嫣然と微笑むその姿は、正に女王の名に相応しい。
彼女こそ明晰な頭脳を持つ者なり。
逞しき肉体を誇る大鬼王。
黒褐色の肌には幾何学的な赤い紋様が奔り、昏い闇を押し込めたかのような肌とは裏腹に、銀色の長い髪と黄金に輝く瞳が美しい色どりを添える。
口の端からは隠し切れない長き牙が覗き、こめかみより生えた太く捩じくれた角は、まるで人を堕落させる悪魔のよう。
果たしてこれは本当に大鬼か。本来、赤褐色の肌に10センチほどの直線状の角を持つ大鬼とは何もかもが違う……例えそれが彼らの王であろうとも。
傲然と笑い、堂々としたその姿は王者の自信に満ち溢れている。
彼こそが統率者に相応しき風格と才量を持つ者なり。
3メートルを超える巨大な豚鬼王。
大鬼王とは対照的に赤褐色の肌と黒い紋様を持つ、豚よりも猪に近い風貌の魔物だ。
下顎より突き出した牙は太く長大で、脂肪の鎧に覆われたその肉体は如何なる攻撃であろうと然程の効果を望めはすまい。茫洋と佇むその姿はどこかアホっぽ……否、余裕の表れだろうか。
彼こそが力の象徴――強き力を持つ者なり。
人と変わらぬ姿を持つ黒髪の細身の男。
だが、その正体は複体影身王。数多の姿で人を惑わし成り代わる、恐ろしき魔物。
気を付けよ――彼らは音もなく密やかにやって来る。あなたの隣で笑っている友人も、もしかしたら……。
複体影身の正体は黒い影だとも、幽霊のように実体のない不死者だとも言われている。未だかつて誰も真実の姿を見たことがない謎に包まれし種族の王。
恐ろしい本性とは裏腹に、柔和に微笑むその姿は王というよりまるで執事。その身を包む燕尾服に似た服装もその考えを助長させる。
彼こそ闇に潜む影――隠密を極めし者なり。
首なき馬にまたがるのは死霊騎士。
禍々しき漆黒の鎧を身に纏い、垣間見える素肌は剥き出しの筋肉のように生々しい。黄色く濁った眼窩は生者への怨みを感じさせ、その身を取り巻く邪悪なるオーラに触れれば一瞬で命を刈り取られることだろう。
怨みの化身――それこそが死霊騎士の本質。
彼こそバーン君みたいな魔法剣士。
その魔物を一言で表すなら蜘蛛。
だが、ただの蜘蛛ではない。1メートルという大きいとは言えぬ体格でありながら、その身に宿す魔力は膨大。暗殺蜘蛛、それは死神と恐れられる闇夜の暗殺者。
背中に浮かぶは鮮血の如き髑髏模様――敵対せし者の末路なり。
彼こそアイザックみたいな暗殺者。
6体の魔物からオーラ……否、それは魔力だ。目に見える程濃縮された魔力が立ち昇る。まるで自分たちの力を誇示するかのように。
彼らの目がお互いを映し、これから訪れるであろう戦闘の歓びに細められている。彼らは魔物。戦うことこそ彼らが本能。その先に進化があるのだから。
彼らは自らの本能に従いお互いを見定める。警戒しつつも、自然と円陣を組むように広がる彼らの目が小さな子竜……正確には、その子竜の背に隠れるようにへばり付いている小さな子狐を捉えた。
――瞬間、彼らの身体に稲妻が奔る。
彼らは知る。誰が自分を創ったかを。
彼らは知る。誰が自分の主かを。
彼らは知る――彼らが“神”の存在を。
彼らの心に歓喜の嵐が吹きすさぶ。それは魂の……根源から溢れる高ぶり。
最早、彼らに戦闘の意思はない。彼らは同じ“神”に仕えし同僚なのだから。
彼らは恭しく傅く。今までの荒々しい気配が幻であったかの如く。
彼らが見つめるその先には……震える子狐が腰を抜かしていた。




