Sランクへの道
ルーファは現在、森の中を1人で歩いていた。
緊張でじっとりと濡れた手には短剣が握られ、その歩みは亀のように遅い。
忙しなく周囲を見渡している姿は、どこか怯えたようにも見える。
がさがさっ!
突如、茂みが不自然に揺れ動き、慌てて短剣を音の方へ向けたルーファはへっぴり腰で構える。固唾を飲んで見つめるその先に棍棒を持った小鬼が姿を現した。
「グギャッグギャッ!」
小鬼の目がルーファを捉えたかと思えば、真っ直ぐにルーファに向かって走ってくる。ギザギザの牙の間から涎が滴り、その目は爛々と輝いている。
「ヒッ!」
恐怖のあまり手から滑り落ちた短剣が地面へと突き刺さり、それを拾うことも出来ずにルーファはただ震えながら小鬼を見つめていた。
ルーファを間合いに捉えた小鬼は棍棒を振り被り、思い切りそれを……投げ捨てた。
ルーファの前にサッと跪いた小鬼は短剣を拾うと、恭しくそれをルーファへと差し出す。まるで王に仕える騎士の様に。
「…………ありがとう」
恐る恐る短剣を受け取ったルーファは困ったような顔で短剣と小鬼を交互に見つめる。その視線に気付いた小鬼が分かってますよ、と言わんばかりに大きく頷くとその場に寝転がった。
……現在、ルーファの目の前には胸の上に手を組んだ小鬼が目を瞑り横たわっている。
動こうとしないルーファに痺れを切らしたのかゴブリンが片眼を開け、立てた親指で首を掻っ切る動作をする。
それを見たルーファの目からダバダバと涙が溢れ、その場に崩れ落ちた。
「オ、オレには無理なんだぞ……」
泣き始めたルーファに小鬼は慌てて起き上がり、オロオロと辺りをうろつく。まるで出産中の妻を心配して無駄に歩き回っている夫のようである。
がさがさがさっ!
再び茂みが揺れるとそこには“赤き翼”のメンバーが、微妙な表情で目の前で繰り広げられる喜劇に頭を抱えていた。
「あ~、もう諦めたらどうだ?」
「ルーファは今のままで十分可愛い」
「私は冒険者に必要なものは強さだけではないと思いますよ」
「大丈夫ですよ~。流石に、これは私でも無理ですから~」
口々に慰め(?)の言葉をかける仲間にルーファは潤んだ目を向ける。
何故このような事態になっているのかというと、ルーファは現在Eランク昇格試験の真っただ中なのである。
時は数時間前に遡る。
魔物暴走以来初めて冒険者ギルドへとやって来たルーファと“赤き翼”一行は、そのままギルドマスターの部屋へと通された。彼らは魔物暴走で最も活躍した冒険者、この対応も当然のことだと言えよう。
特に魔物暴走を見事治め、汚染獣の大半を打ち滅ぼしたルーファの活躍は筆舌に尽くし難く、その報酬も破格のものとなるだろう。
ルーファは意気揚々と扉を潜った。
もしかしたら、このまま一気にSランクになるかもしれないのだ。
夕日を背に颯爽と歩く男の姿がある。
男に気付いた人々が口々にその名を呟き、憧れと称賛の視線が男に向けられる。
だが誰一人男に声を掛けようとする者はいない。それは男の歩みを止める行為に他ならないからだ。
そんな男の前に珍しく少年が立ちふさがる。
10歳くらいだろうか。発達途上の身体は未だ小さく細い。だがその背には一端に一振りの剣を背負っていた。
「ルウ様!オ、オレ……ルウ様みたいになれますか!!」
顔を紅潮させた年若き少年が、強い決意を秘めた眼差しで男――ルーファ――を真っ直ぐに見つめる。
ルーファはニヤリと不敵に笑い、少年の頭を乱暴に撫でた。
「すべては少年次第。励むがいい」
感激で涙する少年の頭をもう1度撫で、ルーファは振り返ることなく夕闇へと消えて行った……。
ルーファの妄想が一段落着いた所でインディゴがノックもなしに入室してくる。
「悪い悪い!立て込んでてよ!」
悪びれなく宣うインディゴの背後で、お茶を運んできたレイナの冷ややか視線が突き刺さる。背後から浴びせられる無言のプレッシャーにインディゴはぎこちなく振り返り、冷や汗を流しつつ席へと着いた。
そんな上司を気にすることなく、レイナはにこやかにルーファ達の前にお茶を置き立ち上がる。手に持ったお盆の上に乗っているのは、何故か配られることのなかったインディゴの湯飲み。
そのまま洗面所へと向かったレイナが程なくして戻ってくると……熱々のお茶は生温い水へとクラスチェンジしていた。
ごんっ!
テーブルに叩き付けられた湯飲みの中から水が跳ね辺りを汚すが、それを気にすることなくレイナは退出の挨拶をして去って行った。
その間終始無表情である。
レイナが姿を消した途端、インディゴはぐったりと背もたれに体重を預け天井を見上げる。彼の予想が正しければ、アレは地獄の3丁目あたりだ。ちなみにマキシマムは5丁目である。
「レイナちゃんすっごく怒ってた。後で謝った方がいいんだぞ」
こうは言っているが、ルーファは何故レイナが怒ったのか分かっていない。機嫌が悪そうだから取り敢えず謝っとけ精神である。
「流石に冒険者ギルドのトップともあろう御方が、マナーを軽んじられるのは如何なものかと思いますよ」
ルーファに続くゼクロスの忠言にインディゴはバツの悪そうな顔になり、姿勢を正すと全員に非礼を詫びた。
「それで?用件は何だ?」
魔物暴走に関すること――恐らくは追加報酬の件――であろうと予測できるが、念のためバーンは尋ねる。
「1件目がこれだ」
そう言ってインディゴは収納の腕輪から袋を取り出して、バーンとルーファの前にドンっと置く。ルーファの前に置かれた袋はバーンのそれの2倍の大きさがある。
「これなあに?」
ルーファが手を伸ばし、袋を持ち上げようとする……が、重くてできないようである。
うんうん唸りながら袋と格闘するルーファに苦笑を洩らしたインディゴが説明をする。
「魔物暴走と汚染獣討伐の追加報酬だ」
“赤き翼”への追加報酬は魔物の大量討伐及び汚染獣2体の討伐。
ルーファへの追加報酬は魔物暴走解決及び汚染獣20体の討伐。
本来であれば圧倒的にルーファの功績が大きいのだが……前代未聞の活躍に金額がつけれなかったのだ。これでも頑張ってお金を捻出したのである。何せ迷宮で死んだ魔物は順次取り込まれていくため、終盤に倒したものしか素材が取れず、汚染獣も屍骸が残ることはない。はっきり言って大赤字なのだ。
「ルウ様の活躍に比べたら少ないかもしれんが……これが精一杯なんだ。許してくれ」
そう言って頭を下げるインディゴとは裏腹にルーファはこんなに貰っていいものかどうか悩む。ルーファは今回の一件で新たな超越魔法と迷宮を手に入れたのだ。ハッキリ言って一人勝ちと言っても過言ではない。
それに……ルーファは神獣。お金がなくとも生きていける。だが人種はそうはいかないのだ。
「このお金はカサンドラの復興に充てて欲しいんだぞ」
そっと袋をインディゴの方へと押すルーファ……が、袋は1ミリたりとも動いてはいない。
インディゴは驚いたようにルーファを見つめる。袋の中には10年は余裕で遊んで暮らせる程の大金が入っているのだ。逡巡するインディゴにルーファが言葉を重ねる。
「今このお金を1番必要としているのは誰?お金とは手段。オレはこのお金をあげるんじゃない。1つの手段として、今ここで使うんだぞ」
その言葉にインディゴはきつく目を瞑り、頭を下げた。
「助かる。この金は必ず復興に役立てる」
バーンはジッと受け取った報酬に目をやる。
「ギルドマスター、オレ達の報酬は口座に入れといてくれ」
バーンも復興に協力したいのは山々だが、それをするわけにはいかない。今回の戦いで装備にガタが来ているのだ。修理に新調……金はいくらあっても足りない。それに、これが終わりではないかもしれないのだ。次なる戦いに備える必要がある。
「各人の振り分けはこれで」
金額をチェックしていたゼクロスが計算した数字をインディゴへと渡す。
金庫番たるゼクロスの金額が最も多いが、誰も文句を言うものはいない。今まで培ってきた信頼の為せる業だ。もし、これがバーンであったのなら……阿鼻叫喚の地獄絵図となるだろう。
インディゴは頷き、レイナを呼ぶと処理を頼んだ。
「それで2つ目何だが……これだ」
そう言ってバーンに手渡されたのは3通の封書。バーンが封書をひっくり返して差出人を確認すると、各々ガッシュ、ガウディ、インディゴの名が記載されていた。
僅かに目を見開いたバーンが息を飲み、慎重に封を開けていく。
「やったぜ!!」
突然、ガッツポーズをして立ち上がったバーンに全員が群がる……正確にはバーンの持っている封書に。
『“赤き翼”紅蓮のバーン及び首狩アイザック両名をSランク冒険者に推薦する』
「ええええええええ!!すごーい!!Sランクになっちゃうの!?」
「あっ!馬鹿!!」
興奮して封書を奪い取ったルーファから慌ててそれを取り戻し、丁寧に皺を伸ばすバーン。
「まだっすよ。後3か国の同意が必要っすからね」
アイザックが苦笑しながら付け加える。正確には、本人がAランクであり、尚且つ5か国の同意と冒険者ギルドの推薦が必要なのである。
「これを今から本部へ転送する……と言いたいところなんだが、一度リィンに送ってからだな」
本部はドラグニルの王都ドラゴにあるのだ。本部への転送装置が置かれている最寄りの冒険者ギルドがリィンなのである。
「ギルドマスター!!オレは!?オレは!?」
テーブルの上に飛び乗り、にじにじとインディゴに詰め寄るルーファ。その目は期待にキラキラと輝いている。
ゼクロスにより椅子へと連れ戻されたルーファに、インディゴは重々しく口を開く。
「勿論、ルウ様の活躍も本部へと通達で届けられる。だがしかし!それを待つオレではない!」
そう言ってインディゴはニヤリとルーファに笑いかける。その頼もしい姿に、頬を紅潮させたルーファはインディゴの次なる言葉を手に汗握り待っている。
「な、な、な、な、何と!ルウ様にAランクまでの受験資格を一挙にプレゼントだ!!」
キラーンと白い歯を輝かせ、インディゴがサムズアップする。
「受験資格……?」
凄いのか凄くないのかよく分かっていないルーファは首を傾げる。
これは実際凄いことなのである。
各種依頼にはランクの他にポイントが付けられている。同ランクの依頼の中でも、より難易度が高いものや忌避される依頼のポイントは高くなっているのだ。
そして、このポイントが規定値に達していなければ、決して昇格試験を受けることが出来ない。当然のことながら高ランクへなればなる程、必要ポイント数は高く設定されている。
冒険者のランク上げで最も苦労する点はポイントの獲得なのだ。失敗すればポイントは減っていき、高ポイントの依頼は得てして命の危険が高いのだから。
Aランクまでの試験資格をを得たルーファは、FランクでありながらAランクの試験を受けることが可能になった。その意味するところは、一気にAランクに昇りつめることが出来るという事……試験に合格できればの話だが。
試験の内容は2つ。
1つは試験官と戦い、その実力を示すこと。
1つはギルドの選んだ依頼を受け、見事やり遂げること。この際、試験官が同行し冒険者の行動をつぶさに観察することとなる。
「し、しけん……」
ルーファのテンションが一気に下降し、テーブルに突っ伏した。
「い、Eランクならいけるかもしれませんよ~」
ミーナが慌ててルーファを慰める。ちなみに、Eランクは小鬼や一角兎といった比較的弱い魔物の討伐である。
「……アンデッドじゃダメ?」
「これは戦闘能力を測るものだからな。相性のいい魔物は外されるんだ。ルウ様は固有魔法士だろ?他の魔法は使えんのか?」
不思議そうな表情でインディゴは尋ねる。今ではカサンドラ中の人種がそのことを知っているのだ。
「光魔法と同じような性質のため属性魔法は使えないのですよ」
ルーファが口を滑らす前にと、ゼクロスが間に割って入る。
「そりゃあ……」
無理じゃね?、と続けようとしたインディゴは縋るような眼差しで自分を見つめる藤色の目と合う。サッと目を逸らした彼は助けを求めるように視線をゼクロスへと向けた。
「ルウ、折角ですからEランクの試験に挑戦してみてはどうですか?自分の力を試す良い機会ではありませんか」
ゼクロスの言葉に再びやる気を漲らせたルーファは颯爽と立ち上がる。
そう!何事もやってみなくては分からないのである。案外、あっさりと合格できるかもしれないのだから。
こうして試験の手続きを済ませたルーファは熱い決意を胸に迷宮へと向かうこととなったのだが……その後、失意のうちに迷宮を去るルーファの姿が目撃されたとだけ記しておこう。
ルーファは万年Fランクの道を着実に歩み続けていた。
余談だが、本来であれば不正を警戒して試験官に親しいものは外されるのだが……光魔法士たるゼクロスの威光の効果だとだけ言っておこう。
◇◇◇◇◇◇
ルーファの庭に深く黒い穴が開く。〈暗視〉を使用してさえ見通せぬソレは一体どれほどの深さなのか。暫くして、その場に動きが見える。
ズルリ……
穴の底から這い出してきたソレは屋敷へと目を向け、ズルズルと移動を開始する。
人知れず蠢く影に……未だ気付く者は無し。
Sランクへの道を歩んでいるのはバーンとアイザックだった!




