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迷宮神獣Ⅰ~汚染獣襲来~  作者: J
終わりの始まり
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ナスタージアの勇者たち・中

  新世暦5193年


 九鬼天音(くき あまね)は周囲の騒めく声で目を覚ました。


 ぼんやりとする頭を振るい体を起こした彼女は、ここが異世界だなどとは思いもよらなかった。足元の床には不可思議な紋様が刻まれていたが、建物自体が病院や研究所と言った雰囲気を漂わせていたためだ。目の前にいる白衣を着た人々の存在も、その考えを助長させた。


 最初に彼女が思ったのは何らかの事故に巻き込まれ、病院に運ばれたというものだ。だが仮に病院だとすれば、床に転がされていた自分の扱いに疑問が残る。



(まさか……誘拐?)


 その考えを天音は即座に切り捨てた。

 父親の浮気で離婚した彼女の母親は宗教にのめり込み、有り金全てをむしり取られ自殺したためだ。その後、幸運にも母方の祖父母に引き取られたが、彼女の生活は裕福とは言い難いものだった。



「気が付いたようですね」


 眼鏡をかけた細目の男が天音の思考を遮るように声を掛ける。

 ねっとりと身体を舐め回すように見つめられ、彼女は思わず身を震わす。それは男が女を見る情欲に濡れた目ではなく、研究者が実験動物を観察する狂気を宿す目だ。


「ここは何処よ。私を家に帰して」


 逸る鼓動とは裏腹に、天音の声は平静そのもの。彼女は今までの人生で学んだのだ。他人に弱みを見せてはならないと。



 その姿に僅かに感心した様子で男は天音を値踏みする。


「随分と冷静ですね。今まで召喚された子は喜ぶか泣き叫ぶかのどちらかでしたよ」


 “召喚”という言葉に天音は僅かに眉を上げる。

 「まさか」という気持ちと「あり得ない」という気持ちがせめぎ合う。だが、目の前の男の染めているとは思えないほど自然な水色の髪が、その有り得ない可能性の信憑性を高めていた。


 必死にその可能性を否定する天音に、男は笑みを浮かべ両手を広げた。



「ようこそ我らが世界へ。異世界の勇者よ」








 コツコツと白い廊下に足音が響く。

 既に5分以上歩いているはずだが、誰一人として姿が見えないことに不気味さを感じる。しん……と静まり返った廊下は、まるで世界に自分達しか存在していないかのようだ。

 前を歩く男が地下へと続く階段を下りて行くのを見て、天音は付いて行くのを躊躇(ためら)った。踏み入れば、もう戻れないような気がして。


 動かぬ天音に、後ろを歩いていた兵士が無言で剣を抜く。

 振り向いた天音が見たものは、何の感情も浮かんでいない無機質な目。恐らく自分を切っても眉1つ動かさないのだろう、と確信すら抱かせる。


 彼女は重い足を動かし男を追いかけた。




「今日からここがあなたの部屋です」


 そう言って指し示されたのは牢獄だ。だが、よくファンタジーで見る石造りのジメジメとした不衛生なものではなく、隔離病棟のように清潔でありながらもどこか無機質な印象を与える部屋だ。


 男に促されるままに天音が室内に入ると、ガチャリと鍵がかかった。

 扉には顔の位置に窓があり、廊下に佇む男がそこから天音を見下ろしている。その窓にも頑丈そうな鉄格子が嵌められ、とてもではないが脱出できそうにない。


「机の上に置いてあるのが明日からのスケジュール表です。後ほど確認して下さい。食事は日に3度。風呂トイレはついていますが……魔力の使い方を覚えなければ使えません。それまでは、不便かと思いますが我慢してください。ああ、トイレは貴女――86番が出ている間に処理しておきますのでそのままにしておいてもらって結構ですよ。何か質問は?」


 これからどうなるのか、帰れるのか、この世界はどんなところか、魔力とは何か……聞きたいことは山ほどあるが、それが天音の口から出ることは無かった。


 これからどうなるかなど知りたくもない。どうせ碌な事になりはしないのだから。魔力の使い方は教えてもらえるような口ぶりだったため、今聞く必要はないだろう。そして……帰れるのか。帰すつもりがあるのなら、端から召喚なんて行いはしない。


 無言で俯く天音に、男はそのまま背を向けて去って行った。








 これからどうすればいい?逃げる算段をする?一体どこへ?


 無駄だ。無駄無駄無駄無駄無駄!!


 地理も、味方がいるのかさえも分からないのに、どこへ逃げるというのか。世界中が敵の可能性もあるというのに!




 天音は寝台に倒れ込み、枕に顔を埋めれば自然と涙が溢れた。今までの人生、幸福とは言えなかった。父は家族を裏切り、母は天音を捨て、己だけの救いを求めた。


 天音がいったい何をしたというのか。彼女はただ必死に生きてきただけだというのに。きっと自分はこののまま誰にも知られることなく死んでいくのだろう……こんな終わり方はあんまりだ。




「……い……っおい!」


 聞こえてきた声に天音は飛び起きた。いつの間にか眠ってしまったようだ。


 天音は声の主を探して、鉄格子から廊下を見る。廊下を挟んで斜め前の扉から1人の少年が同じように顔を覗かせていた。黒髪黒目……明らかに日本人だ。


「俺は葛谷和真(くずたに かずま)だ。あんたは?」

「天音。九鬼天音。あなたも連れてこられたの?」


 話を聞くと和真は天音より2日程前に召喚されたようである。そして、昨日召喚された女の子が1人いるらしい。その子は和真の隣の部屋に閉じ込められているそうだ。


「ねぇ、聞こえる?私は天音よ。あなたは?」

「無駄だよ無駄。そいつ目が見えねーんだ。役に立たねーって」


 その言葉にカチンときた天音だったが、数少ない味方である。どうにか怒鳴りたい気持ちを抑え、再び女の子へ話しかける。


「ねぇ、大丈夫?返事できる?」


 無視されてもめげずに話しかけている天音に、舌打ちした和真は部屋へと引っ込んで行った。

 暫くは天音の声だけが無機質な廊下に響いていたが……やがて根負けしたのか、向かいからか細い声が聞こえる。


園部(そのべ)……(つばさ)

「よろしくね園部さん!」


「……翼」

「ふふふっ、よろしくね翼!」


「……よろしく、天音」


 手だけを鉄格子から出し、お互いに振り合う。


「ねぇ、これから……私たちがどうなるか知ってる?」

「……スケジュール表」


 翼に言われ、ようやくスケジュール表の存在を思い出した天音は机の上に置いてあるそれに目を通す。驚くべきことに、それは日本語で書かれていた。




 異世界人にはこちらの世界に来ると同時に、必ず授かる力がある。それは〈身体強化〉と〈言語理解〉。


 彼らが異なる言語に最初から対応できるのはこの力の恩恵である。ただし、〈言語理解〉は口語のみとなっており、文字を理解するためには別途〈翻訳〉という力が必要となる。文字を読めない異世界人に対応するため、このスケジュール表はわざわざ日本語で書かれているのだ。




 読み始めは魔法・武術の訓練について。


 ラノベも多少は嗜んでいる天音は、異世界転生の定番にちょっとだけ楽しそうに読み進めていく。特に、「異世界人は強大な力を授かっている」という部分には心惹かれるものがある。まずは自分の固有魔法とやらを知ることから始めるそうだ。


 だが……読み進めるにつれ天音の顔色は蒼褪めていく。



 それは……「交尾の時間」


 その項目は3つ。

 異世界人同士、現地人、魔物。


 天音の選ばれた相手は魔物だ。期間は妊娠するまでとあった。



「なによ……これ」


 目が霞み、頭が上手く働かない。知らずに呼吸は荒くなり、震える手で紙を捲る。次に天音が目を止めたのが異世界人同士の対戦。


 対戦では最下位の者は実験へ回されると書かれ、ご丁寧にそこには実験体の末路の写真まで載っていた。


 脳を剥き出しにされた日本人と思われる少女が体中に様々な器具を取り付けられ、涙と涎、糞尿を垂れ流している。天音は思わず手で口を押え、込み上げてくる吐き気を堪えた。



「ハアッハアッハアッハアッ……」


 息を荒げ吐き気をやり過ごした彼女の目に……更に残酷な真実が映った。


 それは……肉片。


 様々に切り分けられた部位が水槽の中にぷかぷかと浮いており、黒い虚ろな眼球が恨めし気に天音を見つめていた。


 天音は洗面台へと駆け寄り、げぇげぇと胃の中の者をぶちまけた。    

 身体の震えが止まらず、自分が立っているのかさえ分からない。ぐわんぐわんと回る視界に天音はきつく目を閉じる。




「……大丈夫?」

「だ、いじょう、ぶ」


 翼の心配そうな声に、天音は無理矢理笑ってみせる……が、そういえば見えないんだったと笑顔を引っ込める。


「翼は大丈夫だった?」

「……私、見えないから……」


 目の見えない翼は口頭で説明されただけで、写真を見てはいないのだ。良かったねとも言えず、天音は「そっか」とだけ口にした。   


「……私たちどうなるの。あんな風に死んじゃうのかな?」

「…………」


 天音の口から初めて弱音が零れ落ちる。だがそれも仕方のないこと。ヒステリックに泣き叫ぶことも、正気を失ってもいない彼女らは、それだけで称賛に値するだろう。


「俺は抜け出すぜ」


 今まで黙っていた和真が口を挟む。


「どうやってよ。閉じ込められているのよ?」


「バッカじゃねーの。俺達には力があるんだろ?だったら、それを使って逃げ出せばいいだろーが。それに暫くは修行だけだかんな。力をつけてヤバくなる前に逃げ出す」


 まだ分かってもいない“力”を当てにして計画を立てるのはどうかと思うが、他にいい案も浮かばず天音も賛同した。


「そいつは置いてけよ。足手まといだかんな」


 和真は翼へ見下した視線を向け、冷たく言い放つ。


「私が連れてくわ。それならいいでしょ?」


 天音には翼を置いて行くという選択肢はない。もしそうした場合、目も見えず逃げ出すことも叶わない翼がどうなるのか……それを知って尚、見捨てることが出来るほど天音は冷淡にはなれないのだ。


「勝手にしろよ。俺は一人でも逃げ出してみせるかんな」



 和真が吐き捨てるように言った瞬間、パチパチと場違いな拍手が聞こえた。

 ぎょっと驚いた天音は音の出所を探して首を巡らす。もしかしたら、あの男に聞かれていたのかもしれない。蒼褪める天音たちの目が不気味な人物を捉えた。


 ソレは影から半分だけ飛び出した人形のナニか。


 漆黒のローブを目深に被り、歪な笑みを浮かべた不気味な仮面を被っている。どこか禍々しい雰囲気を漂わすその人物はズルリと影から這い出てきた。


「だ、誰だよ!!」


 強気な姿勢を崩さなかった和真の目からは怯えの色が見て取れる。仮面の人物が和真に目を向けると「ヒイッ」と情けない悲鳴を上げ、後ずさる。


「私は……そうだな仮面(ペルソナ)とでも呼んでくれ」


 皺枯れた年齢も性別も分からぬ声だ。仮面(ペルソナ)は3人を順々に確認し、天音に目を止めると話しかけてきた。


「単刀直入に言う。逃げたいか?」




 天音は考える。


 果たしてこの人物は信用できるかどうか。見た目は完全にアウトだ。怪しさ満載である。この人物も研究所の男と同類だという可能性もあるのだ。

 だが……自分達には差し伸べられた手を拒むほどの余裕はない。ここにいてもいずれ殺されるだけなのだ。それもとびきり残酷な方法で。

 

(どうしたらいいの……)


 知り合いも誰もいない未知なる世界でいったい何を信じればいいというのか。





 迷う天音を見透かすかの如く仮面(ペルソナ)が嗤う。


「迷う余地など無いだろうに、いったい何を躊躇(ためら)う?時間がない返事を聞かせろ」

「人を急かして考える時間を奪う……まるで詐欺師ね」


 せめてもの抵抗として嫌みを言うが、仮面(ペルソナ)はさも心外だと言わんばかりに首を横にふった。


「私が詐欺師なら、甘い言葉でお前たちを誘うと思わないか?私は何も約束しない。お前たちを雇い主の元まで連れていくだけだ。後は自分達で交渉することだ。ただ一言アドバイスするのなら、雇い主は実力を重んじる性格だということくらいか」


 もし、仮面(ペルソナ)の言葉が本当であれば悪い話ではない、と天音は思う。だが……この人物は怪しすぎた。そもそも異世界から召喚され、牢に入れられたその日に助けが来るなど一体どんな確率なのか。待ち構えていたとしか思えない。


 せめてもう少し情報を得られれば……そう思った天音は情報を得るべく口を開いた。


「……あなたは何の目的で此処にいるの?」


 その言葉に仮面(ペルソナ)は初めて迷う素振りを見せた。

 


(……守秘義務にでも抵触したのかしら)


 若干の不安を見せる天音の耳に苛立った声が飛び込む。


「俺は行くぞ!早くここを出せよ!」


 和真の空気を読まない発言に天音はイラッとする。

 言うなれば、目の前の人物は自分達が助かるための唯一の希望。天から垂らされた蜘蛛の糸である……その先に待ち受けるのが更なる地獄かは知らないが。それでも、威高気に命じていい相手ではない。


 選択肢を自分達に与えているかに見えるが……実質、それを持っているのは自分達ではなく相手なのだから。 


 天音が和真に苦言を呈しようとした矢先、仮面(ペルソナ)が静かに口を開いた。


「……見張ること。それ以上は言えない」


 天音は考える。

 肝心な事は何一つ聞き出せてはいないが、それこそが仮面(ペルソナ)が嘘を言っていないことの証明ではないのかと。少なくとも口先ばかりの輩よりも信用はできる。まあ、どの道天音に選択の余地はないのだが……それでも道中に逃げ出すべきかどうかの指標にはなるだろう。


 それに、雇い主は実力を重んじると言っていた。異世界人(じぶんたち)は強大な力を持っているという。その話が本当ならば厚待遇で雇ってもらうこともできるはずだ。


「一緒に行かせて下さい。お願いします」


 礼儀正しい天音の態度に、心持ち仮面(ペルソナ)の雰囲気が柔らかくなったように見える。


「敬語はいらない。今まで通りでいい。そっちの女もそれでいいか?」

「……いい。でも……私、目が見えないから……」


 俯いて唇を噛んだ翼の声は、そうと分かるほど震えていた。

 彼女には目が見えぬというハンデがあるのだ。不要だと判断されれば翼だけ置いていかれる可能性も否めない。

 

「おい、お前。その子を抱えてついて来い」

「はあ!?何で俺が!そんな役立たず置いてきゃいいだろ!」


「それを判断するのはお前じゃない。私の雇い主だ。お前の選択肢は2つ。此処に残るか、その子をつれてついて来るかだ」 


 仮面(ペルソナ)の雰囲気が変わり、辺りに(おぞ)ましい鬼気が満ちる。だが、それすらも頼もしく感じられ、天音と翼の目には明らかな好意が透けて見える。

 顔色を悪くした和真が慌てて何度も頷くのを確認した仮面(ペルソナ)は、全員を扉の前から下がらせた。



 ドガン!!!



 天音の自由を奪っていた扉が吹き飛び、彼女は呆然と仮面(ペルソナ)を見つめる。


(え……?まさかの物理攻撃なの!?)


 てっきり魔法で開けるものだと思っていた天音は少しガッカリしながら扉を潜った。




 魔法金属(ミスリル)を練り込んであるこの扉は、対魔法・物理共に普通のものより遥かに優れているのだが……天音はそんな情報を知る由もないので仕方がないのかもしれない。




 サイレンが鳴り響く中、天音たちは謎の人物・仮面(ペルソナ)の後を只ひたすら付いて行く。



 ――果たしてその先に希望はあるのか。





  

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