神獣サラシアレータ
バッカス火山王国――この国には神獣サラシアレータの神域が存在する。
彼女の神域は天然の洞窟を利用して作られた王都ランドアースを更に深く深く潜った場所にある。地下数百メートルという場所にありながら、その場所は奇妙なほど明るい。それもそのはず、そこは吹き抜けとなっており、下から見上げれば、まるで空の一部を切り取ったかの様に見える。
差し込む太陽の光を反射して色取り取りの水晶がその場を飾り、正に神域の名に相応しい壮麗でいて玲瓏なる領域だ。
サラシアレータは鳥型の神獣ではあるが、普段は人化して過ごしている。
その姿は緩くウェーブがかった白銀色の腰まである長い髪に、藤色の垂れ目がちの大きな瞳をを持つ、年の頃15.6歳の美少女である。カトレアと同様に髪のひと房をいつも簪で留めている。
その簪は彼女のお気に入りで、炎の神獣の二つ名で呼ばれる彼女のために作られた逸品だ。赤い鳥を模った宝石を中心に、緑でできた小さな葉っぱが鈴なりに垂れ下がっている。動くたびにその葉がシャラシャラと澄んだ音色を響かせ、何とも涼やかだ。
一見、優し気な容貌をしている彼女の気性は……激しい。敵対するものは皆等しく業火に焼かれ、灼熱の海に溶け消える。同時に彼女は誇り高く、愛情深い一面を持つ。
最も崇められている神獣がカトレアであるなら、最も民に愛されている神獣はサラシアレータである。他の神獣が人種を見守り、導く存在であるのに対し、彼女は人種と共にあることを望んだ神獣なのだ。
サラシアレータは神域へと戻り、そっと安堵のため息を吐く。
(ルーファはまだ見つかってはいないようネ)
ルーファを家出するように唆したのは、何を隠そうサラシアレータ自身である。彼女は憂いていたのだ。ルーファの行く末を。
最初に違和感を感じたのは、いつだっただろうか……彼女は記憶を思い起こす。
ルーファが幼い頃、行方不明になったことがあった。
その日、サラシアレータはいつもの様にルーファの元へと遊びに来ていた。
いつもであれば、カトレアの神域から彼女の神域へ直接繋がっている転移陣を利用するのだが……偶々用事があり、ノースティアで買い物をした後、ギガント王国の王城にある転移陣を利用して帰ったのだ。
ルーファはノースティアへと飛翔して行くサラシアレータをこっそりと追いかけていたのだ。
だが、ルーファの移動速度は遅く、案の定はぐれてしまったのである。そのまま引き返せば良かったのだが、ルーファは物珍しさに外で遊び始め、足を滑らせて川に落ちてしまったのだ。
10日間川を流され続け隣国エルシオンの国境近くで、河原で大泣きしているところを森人族の国境警備隊により発見された。
ルーファはその頃はまだまだ子供で、長い時には1月近く眠っていることもあった。流されている間はずっと眠っていたようである。
ルーファがいない間カトレアは塞ぎ込み、ヴィルヘルムは荒れ狂った。
それからだ。
ヴィルヘルムがルーファに対して一層過保護になったのは。
最初の変化は軽いものだった。以前は、ルーファのSランク冒険者になる夢を笑いながら聞いていたのが、危ないからという理由で否定し始めたのだ。
サラシアレータもその意見には賛成だったので何も言わなかったが。
それから、外に関する書物が消えた。お気に入りの本は〈亜空間〉に仕舞っておいたので無事だったようだが、それ以外の本は見る間に処分された。
以前にヴィルヘルム自身がルーファへ買ってきた外国のお土産もどんどん無くなった。
……ルーファの元へ行く度に、部屋が広くなっていくかのようだった。
いつからだろうか、ルーファが自分の夢を語らなくなったのは。
いつからだろうか、ルーファがあまり笑わなくなったのは。
以前は目をキラキラさせて外の話を聞いていたのに、今では寂し気に耳を傾けるだけである。
サラシアレータがルーファを逃がす決心をしたのは、ルーファが放った言葉が原因。
彼女は流石に可哀そうになり、今度一緒に街に行こうと誘ったのだ。もちろん、彼女がヴィルヘルムを説得するつもりであった。あの時ルーファはこう言ったのだ。
『オレは神域から出れないんだぞ』
愕然とした。“出てはいけない”ではなく“出れない”と言ったのだ。
その時彼女は悟ったのだ。ルーファを守るはずのこの神域が、同時にルーファにとって優しい牢獄であるのだと。
ヴィルヘルムは知っているのであろうか。彼の行き過ぎた愛情がルーファの心を少しずつ、少しずつ殺しているのだということを。
サラシアレータはルーファに1冊の本を渡した。
それは、貴族の家に生まれたがために、自由を失った男が家を飛び出し、冒険者として大成する物語。ルーファは何度も何度もその物語を読み返していた。自分をその男に重ねて。
『サラちゃん、オレも冒険者になれる?』
そう聞いてきたとき、サラシアレータは嬉しく思った。まだ、ルーファの心は折れていないのだと知って。彼女はルーファに人化の練習をするように勧める。流石に、子狐の姿では冒険者にはなれないのだから。
そして、カサンドラ大迷宮に関する冒険譚と地図を渡し、行き先を誘導した。ヴィルヘルムの目が届かないであろう大陸西部が望ましいと考えたからだ。そのためにサラシアレータが選んだのが、迷宮王国カサンドラである。
ルーファは英雄王ガッシュに憧れているので、彼が治める獣王国リーンハルトの近くだと説明すると、直ぐに飛びついてきた。
ルーファは秘密にしているようだが人化できるようになったことは、すぐに分かった。服はサラシアレータが用意しようと思っていたが、人化できるようになったら父親の服を着ると言っていたので見送った。
(サイズは大丈夫なのかシラ?)
かなり不安だったが、あまりしつこく聞けばルーファに怪しまれるかと思い、その言葉を信じることにした。どうせルーファにはあの男を付けるつもりなのだ、いざとなれば彼がどうにかするだろう。
ルーファの家出が近いと知り、サラシアレータは1人の男を呼び出した。叡智ある魔物のくせにSランク冒険者として活躍しているフェンである。
「お前がオレ様を呼び出すなんざ珍しいじゃねぇか。依頼か?」
「違うワ。近況を聞こうと思っただけよ。それと、あなたにとっていい話を聞いたから、報酬は次回の依頼を無料でいいワヨ」
「怪しいな。何か裏があるんじゃねぇのか」
「あら、なら話は終わりヨ」
そう言ってサラシアレータは扉を指さし、小声で、せっかくヴィルヘルム様の情報を教えてあげようと思ったのに……とさも残念そうに呟く。
「ま、待てっ!今なんつった!」
あっさり引っかかるフェンに、サラシアレータは罠にかかった獲物を見つめる狩人の如き目で微笑む。
「帰るのではなかったのかシラ」
揶揄うように囀るサラシアレータを悔しげに見つめ、フェンは頭を下げる。
「勘ぐって悪かったよ」
「フフっ。まあいいワ。許してあげる」
サラシアレータは少し冷めてしまった紅茶に手を伸ばし、その香りを楽しむ。フェンが焦れて口を開こうとした瞬間、秘密の話をするかのように身を乗り出し声を潜めた。
「実はね、ヴィルヘルム様がとても希少な鉱石を探しているらしいワ」
「……鉱石を?何でまた」
「さあ、そこまでは知らないワ。でも、あの方が欲しがるぐらいだもの、きっと凄い鉱石なのネ。もし、あなたがその鉱石を手に入れたら……あの方はあなたに感謝するのではないかしら」
「おおおおおおぉぉぉぉっ!どこだっ!その鉱石はどこにあるっ!!」
呆れたようにため息を吐いたサラシアレータは、処置なしとばかりに首を振る。
「馬鹿ネ。それが分からないから探してらっしゃるんじゃない。ただ……」
そう言って言葉を止めたサラシアレータをフェンは急かす。
「おいっ!早く教えろよ!」
「ただ、カトレア様の神域近くの原魔の森を調べてるみたいなのヨ。行ってみたら、憧れのヴィルヘルム様に会えるかもしれないワネ」
彼女がそう言葉を終えた時には、すでにフェンの姿は何処にもなかった。
「頼むワヨ、フェン。依頼はルーファを無事にカサンドラに届けること、よ」
誰もいない室内にサラシアレータの声だけが響いた。
サラシアレータは閉じていた目を開き空を見上げる。ぽっかりと開いた空のキャンパスに青と白の双子月が輝いている。片割れの白く丸い月はどこかルーファを思い起こさせ、彼女はその手を月へと伸ばす。
「ワタクシにできるのはここまでよ。ルーファ……未来は自分でつかみ取りなさい」
そう呟き、月をそっと包み込むように手の平を握りしめ、彼女は祈りを捧げる。
(どうかルーファが無事でありますように)