嵐の前の静けさ
2人の男が廊下を歩いていた。
広い廊下だ。天井は優に2階分を超え、幅も大の男が10名並んで歩けるほどだ。廊下の所々に工芸品や絵画が飾られ、訪れる人の目を楽しませている。だが、最も目を引くのは天井に直接描かれた壁画だろう。
深紅の体躯と黒い鬣を持つ神秘的な竜が、1人の男に王冠を授けている様が描かれている。リーンハルト誕生の瞬間である。
その男こそ英雄王ガッシュ。現在、廊下を歩いている内の1人だ。
ガッシュは後方を歩く側近バハルスへ振り返ることなく声を掛ける。
「全員揃ったか?」
「滞りなく」
そのまま無言で歩く彼らの前に騎士に守られた扉が見える。ガッシュに気付いた騎士が恭しく扉を開け、敬礼する。
「ご苦労」
一言騎士に声を掛けたガッシュが入室すると、そこにはリーンハルト6将と宰相であるマイモン・シェラーソンが膝をつき控えていた。その大仰な態度にガッシュは僅かに眉を動かすと、仕方なしに命じる。
「席に着け。始めるぞ」
ガッシュは会議の度に行われるこのやり取りを好んではおらず、何度か止めるように指示したのだが逆に形式や伝統の重要性を説かれ、現在に至るまで変わることなく続いていた。
「まずは私から。3体の未知なる魔物の件ですが……陛下がおっしゃられていた通り頭の中から〈魔物調教〉の魔道具が見つかりました」
あらかじめ通達がいっていたのか、マイモンの報告に騒めく者は無い。
この情報はバーンとアイザックから齎されたものだ。
ガッシュでも把握しきれていなかった研究所という巨大犯罪組織。合成獣のみならず、汚染獣の研究にも手を出しているという話しだ。
アカシックレコードで検索するも、ノイズに邪魔され拠点を発見することは出来なかった。
合成獣、汚染獣、アカシックレコードのノイズ……全てが今回の事件に合致する。
既にガッシュは確信している。
一連の事件は人為的に引き起こされたものであると。魔物暴走ですら瘴気を増やすことによって人為的に起こした可能性も否めないのだ。
研究所の目的が分かれば、対応策も取れるのだが……。
ガッシュが考える可能性は3つ。
1つは証拠の隠滅。
迷宮内に研究所が巣くっていたことから、カサンドラを滅ぼし証拠を葬り去ろうとした。
1つは迷宮の入手。
研究素材を求めて迷宮を手に入れようとした。
1つは神獣の入手。
正体を隠してはいるものの、既に近衛騎士を始め100に近い人がその正体を知っているという。どこかで漏れたとしてもおかしくはない。
そして何よりも重要なのが、人為的な犯行だとすれば再び狙われる可能性が高いという事だ。
(……ルーファに手出しをさせはしない)
無意識に殺気が漏れ、ガッシュは獰猛に笑う。
室内の温度が急激に下がったように感じ、全員が畏怖の目を向ける――頼もしくも恐ろしい彼らが王へと。
「……研究所という犯罪組織がある。魔物、人種、汚染獣を使用し実験を繰り返しているようだ。その中の実験体に合成獣という魔物がいる。今回発見された未知なる魔物だな。中には、魔物と人を融合したものもあるらしい。マイモン、情報局を動かし研究所を探れ」
「畏まりました」
彼らは詳細を問おうとはしない。情報の入手経路も分からず、研究所という組織の信憑性すら定かではないというのに。
今までもガッシュは情報局すら知らぬことを知り得、起きてもない犯罪を未然に防いできた。どうやって情報を得ているのか誰も知らない。故に彼は神に選ばれた戦士なのだ。アカシックレコードの存在が彼の神聖を高めていた。
故に誰も彼の言葉を疑わない。それは神から与えられし情報なのだから。
「これから話すことは他言無用だ」
ガッシュは鋭い目で周りを見渡し、ひと呼吸おいて話し始める。
「カサンドラに神獣様が到来した」
ガタンと音を立てて椅子が倒れ、今までとは種類の違う興奮の騒めきが広がる。
「おお!」
「まさか!!」
「信じられない!」
顔を紅潮させ、口々に驚きの声を上げる将軍たちの姿にガッシュは苦笑した。神獣に見放された地として5000年以上が経過しているのだ。それは無理もない反応だろう。
ガッシュが手を上げると、騒めきは潮が引くように消えていく。全員が落ち着いたのを確認し、ガッシュは続ける。
「彼女は戦う力を持たない。研究所が狙っている可能性も否定できない。そこで、オレはしばらくの間メイゼンターグに拠点を移す。異論のある者はいるか?」
神獣を敬い守ることは神獣信仰国では常識である。例えそれが隣国のことであろうと例外ではない。全員が神獣の身の安全を最優先とすることを当然のことのように受け止めた。
だが問題もある。
未だ瘴気の濃度が高く、メイゼンターグどころか他の対汚染獣軍事要塞でも転移陣と通信の魔道具が不通となっているのだ。そのため、連絡は弾丸鳥――弾丸の如く速い小さな魔鳥――で行わざるを得ない。飛竜もいるが、彼らはいざという時の戦闘力だ。伝令で疲弊させる訳にはいかない。
幸いなことに、弾丸鳥はカサンドラとメイゼンターグで3羽しかいなかったが、帰り際にラビから10羽ほど譲り受けたので、数に余裕がある。
――ここにリーンハルトの方針が決定した。
会議を終え、自室に戻ったガッシュは通信の魔道具を手に取る。
盗聴防止の魔法が組み込まれてはいるが、完全に防げるとは言い難い代物だ。暫し逡巡した後、それを起動させた。これ以上に機密性の高い連絡方法など、直接会いに行く以外に存在しないのだから。
【久しぶりよな、ガッシュ】
間を置かず、若々しい男の声が応える。親しみのこもったその声音にガッシュは破顔する……とは言っても相手――竜公セルギオス――からは見えないが。
「少し耳に入れたいことがある。いいか?」
【……何ぞあったか?】
セルギオスの雰囲気が変わり、声に鋭さが増す。
「カサンドラ大迷宮の主に、瘴気濃度が〈大災厄〉直後と変わらない程増えていると言われた。汚染獣の発生率が増している。それに……」
知恵ある汚染獣が発生している可能性を伝えようとしてガッシュは押し黙る。実際にその存在を確認した訳ではなく、カサンドラへ向かう際に起きた妨害行動と、ルーファの予言からの推測に過ぎないのだ。
しかもその動きは研究所と連動しているように思える。人と知恵ある汚染獣が共に行動している、もしくは従えている……ハッキリ言って眉唾にしか聞こえない。
【それに?言い淀むなど其方らしくない】
「悪い。これは……可能性として聞いてくれ。知恵ある汚染獣が発生しているかもしれない」
結局ガッシュは、預言と研究所のことは伏せることに決めた。
話してもいいのだが……眉唾感が一気に増す気がしたのだ。ガッシュもルーファから直接聞いたのでなければ信じなかっただろう。ルーファの言葉には魔力が宿っていた。それが真実だと納得するほどの力が。
一向に口を開く様子の無いセルギオスに痺れを切らし、ガッシュが声を掛けようとした矢先、ようやく応えがあった。
【……わしらも今、勇者召喚について調べておるが、アカッシクレコードが全く機能せん。気を付けよ。叡智ある魔物が汚染獣に喰い殺されておる。知恵ある汚染獣は……】
一拍置いてセルギオスは続ける。
【既に産まれておるぞ】
通信を終えガッシュは深く椅子へと腰かけた。
事態は思ったよりも悪い。最悪だと言っても良い。
叡智ある魔物を喰らったのであれば、一体どれほど力を増しているのか……。ベリアノスの動向も気にかかるが、ガッシュは王軍の半数を6つある対汚染獣軍事要塞に送ることを決めた。
ガッシュは窓へと歩み寄り空を見上げる――暗雲立ち込める空を。これから起こる未来を予兆するかの如く、黒き雲の狭間より稲光が空を切り裂く。
――嵐が来る。巨大な嵐が。
◇◇◇◇◇◇
……ザザン……ザザン
青い海、白い砂浜、燦燦と照りつける太陽。
空には雲一つなく、潮風がヤシの葉を揺らしながら通り過ぎていく。
どこまでも続くサラサラの白い砂浜に、木で編まれた椅子がポツンと置かれている。誰も座っていないかに見えたその椅子の上に、よく見れば小さな子狐が乗っている。派手なアロハシャツを羽織り、黒い海パンを履いた子狐は野生を忘れたかのようにお腹を天に向け寝転がっている。
子狐が口をぱっかり開くと側に控えていたゴブリン(♀)が、恭しい手つきで口の中に果実を入れる。もしゃもしゃと咀嚼する子狐の斜め後ろには、ゴブリン×2(♂)が葉でできた団扇でせっせと風を送っていた。
ペロリと口を舐めた子狐が再びウトウトと目を閉じようとした矢先……影が差す。
「何やってんだルーファ!」
行き成り首根っこを摘まみ上げられたルーファは悲鳴を上げる。
『バーン君!?何故ここに!』
ここは迷宮198階層をプライベートビーチへと改良したものである。本来であれば誰も入って来れないはずなのだが……。ちなみに199階層は家を建てる予定なのでそのままにしてある。
ルーファの疑問を解決するかのように、バーンの後ろからひょっこりラビが顔を覗かせた。
『裏切ったな!ラビちゃん!』
バーンの手から逃れようとジタバタと暴れながら、ルーファは叫ぶ。
『何が裏切ったな、じゃ!修業はどうしたんじゃ修行は!』
南国にありながら、寒風吹きすさぶラビの目は非常に冷たい。その視線に耐えられずサッと目を逸らしたルーファは言い訳を口にする。
『こ、これは休憩なんだぞ!英気を養ってたんだぞ!』
『2日もかの?』
ルーファが神域を創ったのが3日前。修行を開始したのも3日前になる。
『だってぇ!だってぇ!この本何書いてあるか全っ然っ分かんないんだぞ!それに……使える魔力も増えないし!』
ルーファが〈亜空間〉から取り出した「空間魔法に関する考察」が砂の上にドスンと落ちる。
そう……ルーファは盛大に挫折していた。ルーファには圧倒的に根性というものが足りなかったのである。ちなみに、真面目に修行した時間は僅か3時間足らずであった。
ひょいっと横合いから伸ばされた手が、砂を払いながら本を拾い上げる。
「これはちょっと難しいですね~。大丈夫ですよ~、私も一緒に教えますからね~!」
ミーナがバーンからルーファを取り上げ、優しく撫でる。
「そうですよ。1人では無理でも、皆と共にすればきっとやり遂げられますから」
ゼクロスが歯を剥き出しにして極悪人面で嗤う……が、本人的には爽やかに笑ったつもりである。
『み、みんなぁ』
2人の優しい言葉に感動に目を潤ませているルーファだが……どちらにせよ待っているのは勉強地獄だという事に本狐は気付いていない。
いつの間にか側に来ていたアイザックが、ルーファの喉を擽っていた。
「あまり甘やかすなよ。つけあがるだけだぜ」
アイザックの手を跳ねのけ、ビシビシおでこにデコピンをくらわしているバーンに前足で応戦していたルーファは、その言葉にひらりとミーナの腕から抜け出しバーンを睨みつける。
『よく見るがいい!抜ける様な青い空に、太陽の光を反射して輝く海を!そして……これだ!!』
パサリとバーンの頭の上に何かが落ちる。
これこそルーファの3時間の修行の集大成。努力の結晶である。
現在、欲望に負けた男女3人+子狐1匹が波打ち際で遊んでいる。
彼らの身に着けている水着こそ、ルーファが〈万物創造〉で作り出した修行の成果なのだ。ルーファのアロハシャツと海パンも当然同じ様に創った物である。何たる力の無駄遣いであろうか。
余談だが、魔装で作り出さなかったのは演算能力が必要とされるために出来なかったためである。〈万物創造〉も演算能力を必要とするはずだが……それは同じ権能を2つ使うことで強引に補っている。
「いくぜ!それっ!」
バーンから放たれたビーチボールがくるくると回転しながら飛び、狙ったかのようにミーナの豊満なバストに中ると、それをゆっさゆっさと揺らす。ガン見する男2人を他所にルーファがボールを追いかける。
『えいっ!!』
尻尾で弾き返したボールに、逸早く覚醒したアイザックが追い付き、思いきりそれを打つ――鼻の下を伸ばしているバーンへと。
ボールと熱いキッスを交わしたバーンは海へと転がっていった。その後を追い、笑い声を上げながら次々と海へ飛び込む彼らは実に楽しげである。
そんな彼らを神官服をきっちり着込んだゼクロスが無言で見つめていた。
『行かんのか?』
「私は神官ですから」
戒律を重んじるゼクロスは己を厳しく律する。
『ほっほっほ。良いか若いの。偶には仲間と遊ぶことも大切じゃろうて。それにより深まる絆もあるのでなぁ』
ラビはそっとゼクロスに海パンを握らせた。
現在、欲望に負けた男女4人+子狐1匹+子竜1匹が波打ち際で遊んでいる――。
 




