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初めての夜這い

 破壊の後が色濃く残る街並みが、まるで廃墟の如く佇んでいる。かつては賑わっていた大通りも、今は耳が痛い程の静寂が満ち、そこには生命の痕跡さえ感じさせない。

 瓦礫が山となり、時折吹く風が埃を舞い上げる。陥没し穿たれた地面に月明りは届かず、まるで死者を引き摺り込む深淵の如く仄暗い口を開いていた。


 血の跡も屍骸も何一つない、ただ空虚なるこの空間に10日前まで普通に人々が暮らしていたなど誰が信じるだろうか。10年前に打ち捨てられた街と言った方がまだ信憑性があるというものだ。


 果たして人々は何処へ消えたのか――その答えは迷宮にある。






 ガウディが魔物暴走(スタンピード)並びに汚染獣襲撃の終息を宣言した後、それで終わりとはいかないのが国というものだ。ガッシュのお陰で人的被害は軽微だったものの、建物の実に6割強が破壊されたのだ。


 幸いなことに迷宮城とその周辺は災禍を免れたが、そこには全ての民を収容できるほどの広さはなかった。食料の尽くは汚染獣に喰らいつくされ、飲料ですら事欠く始末。

 更に言えば瓦礫の所為で天幕すら張れず、かといって疲労困憊の民や兵を砂ぼこりが激しい地面に直接休ます訳にもいかない。積み重なる問題に頭を悩ますガウディへ、意外なところから救いの手が差し伸べられた。


 ラビが魔物暴走(スタンピード)のお詫びにと、迷宮10階層までを人種(ひとしゅ)へ解放したのだ。ラビの意思により安全階層へと変わり、ニョキニョキとタケノコのように家が生えてくる様は、まるで夢を見ているかのようであった。事実、その場に居合わせた者は皆等しく自分の頬を抓っていたものだ。


 家が無事であった者も汚染獣を恐れ迷宮へと避難し、地上はゴーストタウンと化しているという訳だ。ただし汚染獣を警戒し、今も尚外壁には多くの兵が交代で詰めている。


 ガウディも休む間もなく迷宮で采配を振るっていたのだが……シンシアーナに休むように言われ迷宮城へと帰還している最中である。ガウディが休まなければ側近も休むことが出来ないため、これは致し方ないことだといえる。明日からは復興で増々忙しくなるのだから。


 

 






 現在、ルーファは迷宮城の離宮にいた。



 他国の王であるガッシュと神獣であるルーファをこれ以上働かせるわけにはいかない、との理由から詳しい話は明日ということになり、彼らは早々に迷宮城へと案内されたのだ。


 この時にもひと悶着起きた。それはガッシュの休む部屋である。当然のことながら、ガッシュには最も格式の高い貴賓室が用意されたのだが……それに大反対した者が1人。そう、ルーファである。 

 ガッシュから離れたくないルーファが一緒に離宮で休むと言って聞かなかったのだ。ガッシュも苦笑1つで了承したために、現在ルーファとガッシュ、そして“赤き翼”のメンバーが離宮で休んでいる。


 護衛に付けられた近衛騎士は離宮の出入口を守っており、内部には彼らしかいない。バーン達は連日の戦闘の疲れもあり、食事を取るとすぐに眠りについた。


 それの意味することは……ルーファの暴走を止める者がいないということだ。





 静まり返った廊下をルーファは枕を持参して移動中である。目的は“夜這い”だ。“夜這い”とは即ち、夜中にコッソリ好きな人のベッドに忍び込む行為のことを言うらしい。指南書によれば“夜這い”をすることによって、更に仲良くなれるのだとか。


 そんな訳で、ルーファはさっそくガッシュのベッドに忍び込むべく行動中なのである。


 本当はミーナも誘いたかったのだが、ガッシュを紹介している最中に鼻血を吹き出して引っ繰り返ったのだ。余程疲れていたのだろう。流石にこれ以上無理をさせる訳にはいかず、1人で“夜這い”に訪れた次第である。


 何の障害もなく扉の前に辿り着いたルーファは扉に耳を押し当て中の様子を探る。ベッドに入るまではガッシュにも気付かれる訳にはいかないのだ。物音がしないことを確認して、ソ~っと扉を開けて顔を覗かせる。 






 ガッシュは食事と風呂を済ませた後、用意されたガウンに袖を通し自室で酒を飲んでいた。ガウディからの差し入れである。


 廊下に気配を感じ側に立てかけてあった剣を取るが、それが誰か分かるとそのまま手を離す。一向に入って来ないことを疑問に思い声を掛けようかと迷っていると、ノックもなしに扉がそっと開かれる。


「どうした、眠れないのか?」


 顔を覗かせたルーファに声を掛けると、何故かショックを受けたかのように呆然としている。怖がらせてしまったかと、今度は凶悪な笑顔付き――本人はにこやかなつもり――で話しかける。


「入らないのか?」


 (しば)逡巡(しゅんじゅん)した後、トテトテと近寄ってきたルーファはガッシュの正面ではなく隣に腰を下ろすと、そのままガッシュの左腕に絡みつき、スリスリとすり寄って来る。


 出会ってからずっとルーファに抱きつかれているガッシュは、この行動が恋愛的なものではなく、ただ単に甘えているだけだと途中で気付いた。そうと分かればガッシュも安心(?)である。今では妹の様に可愛らしく思っている。


「あっ!お酒!」


 テーブルの上にあるお酒に手を伸ばそうとするルーファをガッシュは慌てて止める。


「ルーファにはまだ早い」 


 ガッシュは宥めるようにルーファの頭を優しく撫でる……が、それで治まらないのがルーファである。プルプルと震え狐耳をピンと立てると、キッとガッシュを睨みつけた。


「オレはガッシュと同い年なんだぞ!!」

「はあ!?」


 これは紛うことなき事実である。双方ともに御年235歳となる。


 ガッシュもルーファが自分と同様、時の流れから切り離された存在だという事は分かってはいたが、言動が幼いために12、3歳だと思っていた次第である。


 愕然とするガッシュの手からグラスを奪い、一気に飲み干すルーファ。3杯目を飲み干したところで正気に返ったガッシュが止めに入ったのだが……時すでに遅し。


「ガッシュぅ。お願いがあるんだぞ……」


 ルーファはガッシュの膝の上に跨り、その逞しい胸に縋りつく。膝丈まである大き目のシャツの裾が捲れあがり、むっちりとした太腿がむき出しになっている。


 ガッシュは無理矢理そこから視線を剥がし、努めて冷静な声で先を促した。


「あのね……オレをガッシュのペットにして欲しいんだぞ」

「ふあ!?」


 恥ずかしそうに告げるルーファにガッシュの思考は暴走する。


 ルーファに首輪をつけ、イケない事をする自分の姿を妄想し、即座にそれに蓋をする。再び開きかけた禁断の扉を鎖で雁字搦(がんじがら)めに縛り付け、頑丈な鍵をかける。


(落ち着け!落ち着くんだ!ヒッヒッフー、ヒッヒッフー) 


 思考とは裏腹に、全く落ち着けてないガッシュは上ずった声で尋ねる。


「ど、どうしてまたペットになりたいんだ?」


「本でね、ペットは家族だって書いてあったんだぞ。だから……ガッシュのペットになれたら、家族になれるかと思って」 


 ガッシュは咄嗟に手で顔を覆い自分の表情を隠した。きっと情けない顔をしているだろうから。


 ガッシュにとって家族とは200年以上前に失われたものだ。

 王となってからも頑なに妃を迎えようとはしなかったのは、自分が超越種だったため。

 妻も子も自分を置いて死んでいくのが分かっていながら、迎える勇気がなかったのだ。英雄王と呼ばれながら、彼は自分の弱さに自嘲する。


 それでも“家族”に憧れが無いと言えば嘘になる。だが……それは叶わぬ願いだと思っていた。


 ガッシュはルーファを引き寄せ抱きしめる。それは、自分の情けない姿を晒したくないためか、それとも温もりを感じたかったためか……彼自身にすら分からない。


「……オレも家族になりたい」


 彼は初めて自分が心の底から求めていた願望を自覚した。顔すら覚えていない母を、貧しくとも温かかった家を思い出す。同時に彼の心は……満たされる。


「じゃあ、今日からオレはガッシュのペットなんだぞ!」


 あくまでもペットに拘るルーファに苦笑を洩らし、ガッシュは藤色の目を覗き込む。


「家族というのは、お互いにそう思った時点で家族だとオレは思う。ペットにならなくてもオレにとってルーファは家族だ」

「ホント!?じゃあ今日からオレ達は家族なんだぞ!」


 嬉しそうに笑ったルーファはガッシュの唇にキスをする。ガッシュの頬が赤いのは酔いのためか、それとも……。



「よし!今日は飲むか!」


 ガッシュは照れを誤魔化すように立ち上がり、ルーファのグラスを用意すると酒を注ぐ。


「「乾杯!」」


 合わさったグラスがシャンッと澄んだ音を立て、中の液体が踊る。


 この日、孤独を抱えた王は安らぎを手に入れた。









 ベッドに降り注ぐ日の光でガッシュは目を覚ました。

 どうやら昨夜は飲みすぎたようだと()()()()()魔力を解放する。


 基本的に叡智ある魔物や超越種が酔うことはないのだが、魔力を抑えることで酔うことが出来るようになる。ちなみに、これは酔えなくなったと嘆くガッシュにセルギオスが教えた裏技だ。ルーファの場合は魔力を循環させているのではなく、駄々洩れのため普通に酔っぱらっているだけである。


 ガッシュは起き上がろうとして、違和感に眉を顰める。

 右腕が動かないのだ。否、正確には右腕の上に何かが乗っている。嫌な予感がしてそっとその原因を探すと……ベッドの上に広がる白銀色の輝きが目に入った。


 一気に覚醒したガッシュの目が挙動不審に動き、額から汗が流れ落ちる。

 ゴクリと唾を飲み込み、そっとシーツを捲るガッシュ。


 パジャマを着ているルーファが目に入り、安堵の息を吐く。セーフである。

 だが、ルーファの足はガッシュのそれに絡みつき、右腕を枕に寝ているその姿は知らぬ者が見たら完全にアウトだろう。更に言えば、いつの間に脱いだのかガッシュはパンツ一丁である。


 ガッシュはしばらくは酒を控えようと決意し、改めてルーファを見つめる。とても同い年とは思えない幼い容姿だ。彼は28歳までは人として生きたので当然と言えば当然かもしれない。


 ルーファを見つめるだけで、昨日までずっと胸の内にあった冷たい氷の塊が、溶けて消えていくのが分かる。

 信頼できる仲間も、友人もいる。それでも埋められない孤独があった。



「……温かいな」


 無理をしているつもりは無かった。

 いや、それが分からぬ程、心が摩耗していたのだ。生まれた時から寿命のない者と、ある者――その精神の在り方は違うのだから。それが短命種なら猶更のこと。彼の心は知らないうちに蝕まれていたのだろう。


「んっ……」


 僅かに身動ぎしたルーファの目がゆっくりと開かれ、その藤色の瞳に映し出されたガッシュの表情は驚くほど穏やかだ。


 挨拶をしようとしたガッシュの狼耳に隣の部屋――ガッシュの部屋は居間と寝室に分かれている――の扉が開く音が聞こえた。既に彼はそれが誰なのかも把握している。


 一気に蒼褪め、慌てて服を着ようと動き出すガッシュ。だがそれを邪魔するようにルーファがガッシュの首に腕を回した。


「おはよ~」

「ルーファっ、今は不味いっ!」


 無理矢理振り払うことのできないガッシュはそのまま……








 ガウディは朝一番にガッシュの部屋を訪れていた。


 大陸有数の大国であるリーンハルトの王ガッシュは、自分とは比べ物にならいほど格上の存在である。本来なら、晩餐会を開き自ら持て成さねばならぬ相手なのだが……流石に為すべきことが多く昨夜は時間が取れなかったのだ。ガッシュからも気にするなと言われていたため、甘えさせてもらった形だ。


 その為、朝食だけでも共に取ろうとガウディ自ら誘いに来たのである。


 ノックをするが応答がない。まだ寝ているのだろうかと扉を開けるガウディ。

 部屋の中央に置かれたテーブルには2つグラスが転がっている。


(…………)


 無表情にツカツカと部屋を横切り、寝室への扉をノックもなしに開けようとするガウディに、フューズが横から声を掛ける。


「へ、陛下流石にそれは……」


 その忠言はまるっと無視され、バターンと思い切りよく扉が開かれる。


 そこには……絡み合う男女の姿が――。


「ガッシュゥゥゥゥゥ!貴様、ルーファ様に何ということを!!」

「ま、待て!誤解……ちゅぅ」


 空気を読まないルーファの挨拶に、状況はどんどんと泥沼化していく。俯きブルブルと身体を震わすガウディに、これは不味いと言い訳(しんじつ)を口にするガッシュ。


「誓って何もしていない!」


 その慌てぶりにガウディの心に疑念が募る。そもそも、その台詞を吐いているのがパンツ一丁の男である。真偽を確認するために、ガウディはルーファに目を向ける。

 ルーファは頬を染め一言。


「昨夜は凄かったんだぞ……」



 無言で抜き放たれる剣。


 後ろからガウディを羽交い絞めするフューズ。


 飲みすぎて記憶の無いガッシュ。




 正に混沌という名に相応しき様相を醸し出していた。

 ガウディと楽しそうに追いかけっこを始めたガッシュに、ルーファは満足気に頷き、一冊の指南書を取り出す。


 そのタイトルの名は――『一夜を共にした男を喜ばす言葉百選』

  

    

  

 


  

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