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孤高の半神狼

 乾いた風が白銀色の髪を乱し、2人の視線を遮る。

 時が止まったかのように見つめ合っていた彼らに、ようやく時間が流れ始めた。



 ガッシュは腕の中にいる少女を見つめる。


 今まで生きてきた中でもこれ程美しい少女は見たことがない。

 ひと房だけ黒いメッシュの入った眩いばかりの白銀色の髪に、神秘的な藤色の目。柔らかそうな白磁の肌は興奮のためか薄紅色に染まっている。ひと目で神獣だと分かる容姿だ。


 だが彼の心を強く揺さぶったのは美しい外見ではない。超越種(どうぞく)との出会い。それが彼から冷静さを奪った。


 彼が同族に会うのはこれで2人目だ。1人は竜王ヴィルヘルム。リーンハルトが独立する時に世話になった大恩ある人物だ。だが建国以降は会ったことはなく、同族に会うのは実に200年ぶりのことである。


 同族とは言ったものの、ガッシュは完全なる超越種ではない。種族名は超越種・半神狼。完全に目覚めていない半覚醒状態となる。だがそれでも、その力は世界最高峰の一角。竜種であろうと彼を傷つけることは叶わぬのだから。




 ガッシュはヴィルヘルムとルーファと違い、もとは寿命のある狼人族であった。

 進化してから寿命が無くなり、かといって他に生き方を知らない彼は、今に至るまで狼人族として生きてきた。


 それは彼にとって辛いものであった。


 共に戦った仲間も、共に国を築き上げた友人も今はもういない。その子供も、そのまた子供も同様だ。これが長命種が多い国であれば違ったのかもしれない。獣人族の寿命は種族差はあるが80歳~150歳。周りの者は老いぬガッシュを奇跡だと持て(はや)すが、彼にとっては苦痛でしかないものだった。



 何度か退位して長命国の多い北方の国に行こうかとも考えたが、ベリアノスの存在がそれを許さなかった。彼がいなくなれば、攻めてくるのは明白であったからだ。


 多種族を人とは認めぬベリアノス。


 ガッシュは今もまだ鮮明に覚えている。笑いながら女を犯し、遊びで仲間を切り刻まれたことを。母は彼を庇って死んだ。彼は復讐に身を投じ、辛酸をなめながら20年に近い歳月を仲間と共に戦い続けたのだ。


 そうして勝ち取った独立を、自由を、再び奪われるなどあってはならない。




 故に彼は最強の王として君臨する。


 圧倒的な“力”を持って。

 誰も彼の孤独を知らない。知られてはいけない。

 それは弱さだ。

 強さこそ彼の“象徴”なのだから。

 




 そんな彼の心の拠り所は竜公セルギオス。


 ガッシュより遥かに年長で、何故か建国時より色々と世話を焼いてくれる友人の1人だ。変わらぬセルギオスの容姿に安堵を覚えたのも1度や2度ではない。だが長命とはいえ、竜人族であるセルギオスにも寿命がある。もし彼が死んでしまったらと考えるだけでガッシュの胸はキリキリと痛むほどだ。

 


(……オレはいつまで正気でいられるのだろうか)

 










「英雄王ガッシュ……?」


 小さく呟かれた言葉にガッシュは我に返った。


「神獣様に名を知られているとは……光栄の極みだ」


 ルーファに笑いかけたガッシュはハタと気付く。彼の笑顔は人に言わせれば極悪極まりないらしい。

 笑っただけで子供には泣かれ、配下には土下座で謝られるのだ。酷い時には脅されたと難癖をつけられた事もある。更に信頼する側近からは無表情の方がまだマシだと言われる始末。


 はっきり言ってショックである。ガッシュからしてみれば、友好的に振舞っただけだというのに。



 ルーファの容姿が12・3歳なこともあり、ガッシュは泣かれることを覚悟した。

 どんなに英雄王に憧れている子供でも、いや、憧れているからこそ理想と現実とのギャップで激しく泣かれるのだ。悲しい条件反射である。


 そんなガッシュにとってルーファの反応は意外なものであった。




 上目遣いにガッシュを見つめる藤色の瞳は潤み、伸ばされた両腕が首へと回される。


「会いたかったんだぞ……」


 深紅の唇から放たれた甘い声がガッシュの耳朶を擽った。


 首筋に埋められた顔から熱い吐息が聞こえ、彼に甘えるように身体を擦り付けてくる。

 何よりガッシュを悩ますのはその芳醇な香り。本能のままに華奢な身体を掻き抱き、その香りを楽しみたくなる。


 だがこれは仕方のないことだと言える。ガッシュにとって同種の雌――半分は雄だが――に会ったのはこれが初めてなのだ。要は悲しき雄の本能であった。 


 そうとは知らないガッシュの尻尾は動揺の余りピンと立ち、その狼耳はピコピコと忙しなく動いている。

 引き剥がすことも抱きしめ返すことも出来ぬ彼は、現在自分の性癖について自問自答中である。ズバリ自分がロリコンかどうか……彼の悩みは尽きない。

 






 一方ルーファはというと……。


 憧れの英雄王ガッシュに抱っこしてもらえて、興奮の絶頂にあった。

 反射的にガッシュに抱きつき首筋に顔を埋める。


(……これが英雄王ガッシュの香り。嗅がねばならぬ!)


 スーハースーハーと荒い呼吸を繰り返し、変態行為に勤しむルーファ。他の獣臭がしないことで、ペットは飼っていないだろうと予測する。


 ならば次なる行動は決まっている――マーキングだ。


 悪い虫(ペット)が寄って来ないようせっせっせっせと身体を擦りつけ、自分の匂いをガッシュに移す。やがて自分の仕事に満足したルーファは顔を上げ、ガッシュに微笑みかけた。


 ガッシュもつられた様に笑い、再び見つめ合った2人の間に甘酸っぱい空気が……漂わなかった。




 突如、弾丸の如く飛び出した焦げ茶色の塊が、硬直しているガッシュの頭に噛り付いたのだ。


『このロリコンめが!ルーファを誑かすでないわ!』


 ルーファのマントに引っ付いていたラビである。


 普段のガッシュであれば余裕で避けるのだが、残念ながら今の彼は平静ではない。更にラビの言葉がガッシュの精神に多大なダメージを与えた。否定すればよいのだが、何故かその言葉が出てこない。その事実が彼の心を打ちのめす。


(……まさかオレは本当にロリコンに目覚めたのか!?)


 最早自分が信じれなくなったガッシュはよろめき、その口から沈痛な呻き声を洩らした。


「ガッシュを虐めたらダメなんだぞ」


 ルーファの尻尾が未だに頭に噛みついているラビに巻き付き、そのまま腕の中へと回収する。じっとりとした眼差しをガッシュに向けているラビを優しく撫で、ルーファは恥ずかしそうに続ける。


「それに……オレはガッシュになら誑かされてもいいんだぞ」


 頬を染め、熱を孕んだルーファの眼差しは危うい色気を漂わせている。その様子に、思わず禁断の扉を開きかけたガッシュは慌ててそれを閉め直す。


「……神獣様、お戯れを」


 どうにか返した返事は常に自信に満ちた彼らしくなく、硬く強張っていた。

 彼のアイデンティティーは絶賛迷子中である。



「ルーファスセレミィ。ルーファって呼んで欲しいんだぞ。話し方も普通がいいんだぞ」


 拗ねて頬を膨らます年相応な仕草を見せるルーファに、ようやくガッシュも冷静さを取り戻した。

 どうやら同族との出会いに舞い上がっていたようだ、と自己分析という名の逃避をした彼は、その申し出を快諾した。彼としても是非とも仲良くしたい相手であったのだから。


「分かった、ルーファ」


 そう答えるガッシュの尻尾は彼の内面を表すかのように激しく振られていた。



 


魔物暴走(スタンピード)がどうなったか知っているか?」


 本来であれば真っ先に確認しなければならなかった事柄が、すっかり頭から抜け落ちていたことに軽い自己嫌悪を覚えつつガッシュは尋ねる。


「もう終わったんだぞ」


 その言葉にガッシュは目を見張った。カサンドラ大迷宮の難易度の高さは有名だ。とてもではないが人種に攻略できるとは思えない。ましてや、その迷宮の暴走である。


『詳しくは後で話すつもりじゃ。その時一緒に聞けばよかろう』


 納得してない様子のガッシュにラビは素っ気なく言い放ち、会話を打ち切った。



 ガッシュにとってラビの存在も謎だ。

 先程からアカシックレコードを開いているのだが、文字化けして読み取れない箇所がある。ルーファを守ろうとしていることから悪い存在ではないのだろうと結論付け、思考を切り替えた。


 先ずは破壊されている外壁をどうにかしなくてはならない。民の安全を確保した後、ガウディを探す。

 ガウディの安否が気にかかり、開いたついでにアカシックレコードでカサンドラの現状を調べていたガッシュは、画面を奔る白黒の砂嵐と『ザーザー』という耳障りな雑音に顔をしかめた。


 苛立ちで気分が悪くなったガッシュはアカシックレコードを強制終了する。リィンを出立してから纏わりつく嫌な気配を追い払うように頭を振り、ルーファに声を掛ける。



「飛ぶぞ」


 その言葉と同時にガッシュは空へと舞い上がった。

 これに驚いたのはルーファである。ルーファは未だにガッシュが超越種であることに気付いていないのだ。


「狼人族って空飛べるの?」

「え?」


 外壁の上に降り立ちながら、ガッシュは自分が超越種だと教えていないことに気付いた。自分が気付いたのだから、相手も気付いたものだと思っていたのだ。


「あ~、オレは昔は狼人族だったんだが、今は超越種だ。まあ半分だけだがな」

「えっ!凄ーい!オレと一緒なんだぞ!」


 ヴィルヘルム以外に初めて会った超越種にルーファのテンションはうなぎ登りだ。それが憧れの英雄王ガッシュなのだから尚のこと。ルーファも理解しているのだ。人種には寿命があるという事を。いずれ別れが来るという現実をちゃんと知っている。


 それでもルーファの心には余裕がある。それは……帰る場所と待ってくれている家族がいるから。それがガッシュとの違いなのだろう。


「じゃあ、ずっと一緒にいられるね」


 何気ないルーファの言葉がガッシュの心を激しく揺さぶった。それは彼がずっと求めていた渇望だったのだから。

 いきなり強く抱きしめられたルーファは、嬉しくなってクスクス笑いながら抱きしめ返す。ガッシュとルーファに挟まれたラビは虫の息である。




『いい加減にするのじゃ、若造よ。時と場所を弁えんか』


 ラビの眼差しは今までになく厳しく、その口調は絶対零度の冷たさを持っている。危うく押しつぶされるところだったのだから、この反応も致し方ないのかもしれない。


「す、すまん」


 自分が浮かれているのを自覚しているガッシュは素直に謝り、外壁の応急処置を始める。とは言っても〈土柱〉を重ね合わせて穴を塞ぐだけであるが。

 ()()()が展開され、ものの数秒で元通りとはいかないまでも、外敵の侵入を防げるレベルで処置を終えた。


 超越魔法に魔法陣は存在しないが、属性魔法を使用する際には魔法陣を展開しなければならない。それは超越種であろう同様だ。魂に刻まれた魔法陣に魔力を通すだけの人種(ひとしゅ)と、自身で魔法陣を描かねばならない超越種では、同じ魔法であろうと難易度が全く違うと言ってもいい。


 ガッシュは狼人族であったため、その頃に使用できていた属性魔法は魂に刻まれている。自分で描く必要こそあるものの、書き写すだけであるため比較的簡単に使用可能だ。ただし、当時使用できなかった闇魔法は未だに使うことが出来ないでいた。



『ルーファそろそろ皆が来るでな、フードを被るのじゃ』


 ぼんやりとガッシュの作業を眺めていたルーファは、ラビの言葉にハッとしてフードを被り直した。


 迷宮を囲む内壁の内側から、地走竜(ラプトル)に乗った防衛軍が街中に散って行くのが見て取れる。恐らくは避難所を確認しに行ったのだろう。残りの面々は真っ直ぐにこちらに向かって来ている。その中にはガウディと“赤き翼”の姿があった。


「オレが神獣だってことは内緒にして欲しいんだぞ」


 ルーファは普段冒険者として生活していることを話し、口止めをする。最初は安全を考慮し渋っていたガッシュだが、ガウディが知っているという話を聞き、それならばと了承した。 


 ガッシュは30メートルの高さを誇る外壁から飛び降り、ふわりと地面へ降り立つ。魔法もなしに衝撃を完全に押し殺したその姿は流石英雄王である。


「ガウディ!」


 久しぶりに会う盟友の元気そうな姿に、ガッシュは笑顔で手を振った。


「ガッシュ!?来ていたのか!」


 ルーファと一緒にいる人物が誰か分からず、警戒していたガウディも破顔し地走竜(ラプトル)から飛び降りる。


 旧交を温める彼らの耳に、民の歓声が届いた。





 こうして前代未聞の魔物暴走(スタンピード)は幕を閉じた。











 その様子を遥か上空から見下ろす影がある。


 その姿は小柄でありながら怖気を感じさせ、目深に被った漆黒のローブは暴風吹き荒れる上空にありながら、僅かも揺らめくことはない。本来顔がある場所には白い仮面が歪な笑みを浮かべ、狂気を演出していた。

 

「クソッ!クソッ!クソッ!クソッ!何だあれは!何なのだあれはっ!」


 男とも女とも分からぬしわがれた声と同時に瘴気が吹き荒れる。

 今すぐ喜びに沸く人々を皆殺しにしたい衝動を抑え込み、仮面(ペルソナ)は憎々し気に息を吐きだした。


(迷宮を手中に収めようと()()()骨を折ったというのに……)

 

 ここに至って計画に狂いが生じたのを仮面(ペルソナ)は感じる。

 英雄王と神獣、この2人は危険だ。否、本当に危険なのは神獣の方だと自分の勘が告げている。今はまだ力をコントロールできていないようだが、長ずれば竜王以上の脅威に成り得るだろう。

 早急に殺さなくてはならない。何せこちらの主戦力は汚染獣なのだから。


「せいぜい残りの人生を楽しむといい」

  

 ひと際濃い瘴気が立ち上がり、仮面(ペルソナ)の姿を覆い隠す。瘴気のベールが消えた後にはいつもの日常が広がっていた。





        

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