英雄王との邂逅
迷宮に新たな秩序が生まれた。
憎しみを植え付けられた魔物はその楔より解き放たれ、“理解”を得る。
何故人種が憎いのか、何故人種を殺さねばならないのか――彼らは“理解”する。
それはある意味残酷な事なのかもしれない。
憎しみが消えても、彼らは人種を殺さなければならないのだから。殺し合うことにより世界のバランスを取っているがために。
人種を殺すことで負のエネルギーを減らす。そして……瘴気から生まれた自分達が死ぬことで、世界に魔力を還元するのだ。
それが彼らの役割。
ルーファは眼下から響く割れんばかりの歓声に、ニヤリと笑う。
魔物暴走だけでなく汚染獣まで退けたのだ。これは一気に冒険者ランクが上がるのでは、と期待に胸を膨らます。もしかしたら一気にSランクまでいっちゃたりして。
2つ名は何になるのだろうか……“白銀”のルウ、いやもっと強そうなのが良い。英雄はガッシュと被るし……うんうん悩み始めたルーファをチラリと見やり、子竜が話しかける。
『ルーファは冒険者が続けたいのじゃろう?』
その言葉にご機嫌で手を振っていたルーファはラビへと目を向け頷く。
『儂が話をするでな、ルーファは余計なことを話してはならんぞ?特に額の迷宮核を見られぬように注意するのじゃ』
迷宮核の価値は計り知れない。芸術品のような輝きもさることながら、その内に内包された魔力は最上位の魔物の核すら凌駕するのだ。知られれば、心無い者に狙われる可能性は高いだろう。
「でも……皆に隠し事はしたくないんだぞ」
『ほっほっほ。信頼する者には後でこっそり話せばいいんじゃよ』
流石はラビちゃん、と単純なルーファは尊敬の眼差しを向け了承した。
ガウディの命令で開けられ場所に、鷲獅子は迷うことなく着地する。翼を畳み地面へと伏せる鷲獅子の背から、待ってましたとばかりにルーファが飛び降りる。
当然運動神経皆無なため、こっそりと〈飛翔〉を使用している。
「みんなぁ!」
駆け出したルーファの見つめるその先にはバーンとアイザックが両手を広げ待ち構えている。笑顔でその横を素通りしたルーファは、ゼクロスの胸に飛び込んだ……固まった2人を残して。
「怪我は大丈夫?」
汚染獣がゼクロスがいる場所を襲った時は、もうダメかと思ったのだ。
地走竜の背に乗せられたゼクロスはピクリとも動かず、ラビに無事を伝えられるまでショックで動けなかったほどだ。その後はご存知の通り、暢気に観戦を楽しんでいたが。
「彼らが助けてくれましたから」
そう言って地走竜を目で指し示す。
「皆、ゼクロスを助けてくれてありがとう」
ルーファが御礼に頭を撫でていると、何故かその後ろに行列ができ始める。しかも地走竜だけではなく、他の魔物も並んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
まさか、これを全部撫でなければならないのか。ルーファは遠い目で延々と続く行列を眺めた。
『お前達、下がるのじゃ。ルーファは忙しいのでな』
苦笑を滲ませたラビの命令に魔物たちは哀愁を漂わせながらも大人しく従う。ルーファはパタパタと飛んできたラビを腕に収めると、お礼とばかりに撫でまくっている。
「そいつはルーファの知り合いか?」
正気に返ったバーンとアイザックが、いつの間にか背後から警戒するようにラビを見つめていた。ルーファがラビを紹介しようと口を開きかけた矢先、それを遮るようにラビが自分の正体を明かす。
『儂はカサンドラ大迷宮の主じゃ。お前さん方には迷宮核と言った方が通じるかのう』
その言葉に緊張が走る。
それも当然だろう。迷宮核とは迷宮の支配者なのだから。言うなれば、魔物暴走を起こした張本人。
周りを囲んでいた近衛騎士たちは武器に手をかけ、低く腰を落としている。
「全員下がれ!剣を抜くことは許さん!お前たちが敵意を向けているのが誰かをもう一度考えろ!」
ガウディの言葉に全員がハッとしたようにルーファを見つめる。ルーファが神獣であると知っている彼らは一気に蒼褪め、酷くぎこちない動きで姿勢を正した。
ガウディは緊張で身を強張らせているルーファの頭を優しく撫で、笑いかける。ルーファの後ろでは怒れる魔人3名が近衛騎士に殺気を振りまいているが……ガウディはその3名を見なかったことにする。
「すまなかった。彼らも悪気があったわけではないのだ。許してくれ」
ルーファは口を一文字に結び俯く。ラビと会った時、いつ死んでもおかしくない状態だった。それにも拘らず、ずっと独りで魔物暴走を抑え続けていたのだ。それなのに……。
悔しさの余りその目からは涙が零れ落ち、無意識の内にラビを強く抱きしめる。
『ルウ、ありがとうなぁ』
自分のために怒ってくれる人がいる。それはどれほど幸福な事であろうか。ラビは飛び上がり感謝を込めてルーファの顔をペロペロ舐める。
「くすぐったいんだぞ」
クスクスと笑うルーファにガウディは安堵の息を洩らす……が、彼の内心は汗だくだくである。気を取り直して膝を曲げたガウディは、ラビと視線を合わせると謝罪の言葉を口にする。
「部下が失礼をした。私はガウディ・ベラ・カサンドラ。カサンドラ王国の国王だ。貴殿の名を伺ってもよろしいか?」
『ラビじゃ。よろしく頼むぞぃ』
気を悪くした様子の無いラビに、どうやら出来た御仁のようだとガウディは胸を撫でおろした。
『ふむ。何から話そうかのぅ。魔物暴走がどうして起こるか知っておるかの?』
「魔物の間引きが足りなければ起こると認識している」
ガウディの答えは間違いではない。事実、魔物暴走が起こるのは未発見の迷宮が関わっていることが圧倒的に多いのだから。
『それは正解じゃが、ちと足りぬ。迷宮はな瘴気から魔物を創るのじゃ。そうすることで瘴気を魔力に還元しておるのじゃよ。瘴気が増えれば魔物が増える。こればかりは儂にもどうにもならん。精々、弱い魔物を大量に創ることで強力な魔物の発生を防ぐぐらいしか出来ぬのじゃ』
ガウディはここ最近の瘴気の増加に思い至る。
カサンドラ周辺ではないが、荒野の中央付近では汚染獣がかつてないペースで生まれ続けている。ガッシュから届いた親書でもそのことについて注意を促していた。
更に、先程襲ってきた汚染獣のこともある。不気味なモノが這い寄って来るような気がしてガウディの背に怖気が走る。
『今の瘴気濃度は〈大災厄〉直後と同程度ある。5千年間儂が浄化してきたにも拘わらず、じゃ。気を付けよ人の子よ。何かが起きておるぞ』
ゴクリと誰かが喉を鳴らした音がやけに大きく響く。
全員が理解した。これがただの魔物暴走ではないことを。世界規模の災厄の予感に重い空気が立ち込める。
「大丈夫なんだぞ!瘴気が増えてもオレが浄化すればいいんだぞ」
暗雲を切り裂くように、ルーファの明るい声が響く。
『そうじゃな。今回の魔物暴走もルウに瘴気を浄化してもらったことで収まったのじゃ。ルウを無理矢理攫ったことを詫びねばならんのぅ。すまんかった。儂も切羽詰まっておったのじゃ』
ラビは申し訳なさそうにガウディとバーン達に謝る。それは本心からの謝罪だ。ラビはバーンとアイザックの闇を垣間見たのだから。
事のあらましを聞いた人々は「流石はルウ様」と歓声を上げ、熱い眼差しを注でいる。ルーファは得意げに胸を張り、尻尾はご機嫌に左右に揺れる。
だがルーファは気付いていない。
それは英雄へ向ける憧れではなく、どちらかと言えば神聖なものに向ける祈りの方が近いことに。ルーファは自分はが思っているのとは別ベクトルに邁進していた。
そんな人々を冷静に見つめ、ラビは最後の仕上げをする。
『よいか人の子よ。ルウの浄化の力は神獣にも勝る程じゃ。汚染獣に対する人種の切り札となるじゃろう。絶対に守り抜かねばならぬぞ』
真っ直ぐガウディを貫く強い眼光に、彼は姿勢を正す。
「必ず守り抜くと誓おう」
その言葉に宿る覚悟にラビは満足そうに頷いた。
ラビの目的は2つ。
1つはルーファの身の安全。
ルーファの重要性を告知した今、これは守られることになるだろう。それが出来ぬ程無能であれば、カサンドラを滅ぼすことも視野に入れている。
もう1つは正体の隠蔽。
ルーファは神獣でありながら迷宮の主でもあるのだ。その利用価値は計り知れない。ルーファを手に入れることが出来れば、カサンドラ大迷宮をも支配可能なのだから。それは即ち希少な薬草も、鉱物も、魔石も有りと有らゆる富が手に入るという事。
ラビが迷宮の主として前に出ることで、ルーファの正体に言及されることを防ぐのが狙いだ。ただし今までの過程で嘘は1つも言っていない。ただ単に、迷宮の主が2人いるということを教えていないだけである。ちなみに、ルーファが(寝ている間に)瘴気を浄化したことも本当である。
ひと段落着いた所で、ラビの頭の中に魔物から通信が入る。念のために地表の様子を確認させに行かせたのだ。
『むっ!?大変じゃぞ。地表に汚染獣がまだ10体以上残っているようじゃ』
鷲獅子が素早くルーファを咥え背中に乗せる。
「オレも行くぜ!」
鷲獅子に飛び乗ろうとしたバーンとアイザックの足元から蔦が伸び、2人を絡めとった。
『重量オーバーじゃ。汚染獣が相手なら心配いらんわい。ほっほっほっほ』
天井に穴が開き、そこへ向かって遠ざかっていく鷲獅子を2人は苦々し気に見送った。
◇◇◇◇◇◇
ガッシュが力を解放しようとした矢先、異変が起こる。
突如地面に穴が開き、鷲獅子が飛び出してきたのだ。
魔物暴走かと思い警戒するが、後続の魔物がいないことを訝しく思う。もう1度鷲獅子に目を向けると、その上に紺色のフードを被った人物が騎乗しているのが確認できた。
(使役獣か?)
だがそれにしても状況がおかしい。
ガウディが汚染獣に気付いたのだとしても援軍が1人だけだということは有り得ない。というか汚染獣に対して1人で向かったとしても時間稼ぎにすらならないだろう。そもそもアレは味方なのか。
ガアアアアアアアアアアアアアアア!!
突如、全ての汚染獣が咆哮を上げ、警戒するように鷲獅子を見上げた。目の前で逃げ惑っている人種を無視し、汚染獣が鷲獅子に向かって動き出す。
飢餓の渇望に従うはずの汚染獣の変化に、ガッシュは驚愕する。彼が攻撃した時でさえ、このような反応は無かったというのに。
だがこれはチャンスだ。今まで救助を優先してきたために、汚染獣を減らすことが出来なかったのだ。一か所に固まってくれるのならば僥倖というもの。
ガッシュは勝負をつける為、一気に汚染獣へ向けて駆け出した。
最初に感じたのは光。
次いで神聖なる風。
瘴気が……浄化されている。
ガッシュは驚きと共に鷲獅子を――否、それを駆る人物を見つめた。
彼の足は止まり、ただその輝きを見つめている。何故か懐かしさを感じる温かな光に、歓喜がその身を貫き、感情のままに叫びたい衝動をグッと堪える。
彼の目は瞬きすらせずにその人物を見つめる。
白銀色の矢が放たれた時も、その矢が一瞬で全ての汚染獣を消し飛ばした時も、ガッシュの目に映るのはただ1人。
彼はようやく見つけたのだ。自分の同族――超越種――の存在を。
彼の足は再び動き出す。ただ1人を目指して。
「あれ……?」
汚染獣を倒したルーファは眩暈を覚え、そのまま鷲獅子の背から転がり落ちる。
――魔力酔い。
それは、急激に魔力を失った時に起こる現象である。人によって症状は違うが、大半は吐き気か眩暈のどちらかだと言われている。珍しいところでは酩酊してその場で脱ぎ始めた者もいたとか。
魔力酔いは慣れれば起こらなくなるため、魔力感知・魔力操作を覚え、魔法が使えるようになる10歳前後の子供に最も起こりやすいといえる。
ルーファは膨大な魔力に比べ、使用できる魔力量が少なかったために今まで魔力酔いとは無縁であった。だが、最近多くの魔力を引き出す術を覚えたために、今回初めて魔力が減ったのである。
『ルーファ!しっかりするのじゃ!』
墜落していくルーファの服を掴み、ラビはパタパタと翼を動かすが……悲しいかな、小さな子竜の姿では全く意味をなしていない。せめて迷宮の中であれば対応の仕様があったのだが。
ラビの奮闘虚しく、ルーファの身体はどんどん地面へと近づいて行く……
ボスン
間一髪、逞しい腕に受け止められたルーファはクラクラする頭を押さえ、ガッシュを仰ぎ見る。フードがずれ落ち、露わになったルーファの白銀色の髪がキラキラと光を反射している。
藤色と黒色の瞳が交わり、“英雄王”ガッシュと“迷宮神獣”ルーファスセレミィの運命の輪が回りだす。




