絶望を告げる使者④
先に目を覚ましたのは地竜……否、迷宮竜だった。
微睡の中にいた彼は何かに引っ張られるように浮上した。眠りの海から抜け出し、その目がゆっくりと開かれる。
最初は何が起こったか分からなかった。ここが輪廻の果てなのか……そう思い深い森と燦燦と輝く太陽をぼんやりと見つめていた。空に浮かぶ繭――迷宮核――を見るまでは。正気に返った彼は慌てて起き上がり、状況を確認すべく辺りを見回す。
彼は大きな大きな岩の上にいた。それは、かつて自分であった抜け殻。
ここにきて漸く彼は理解した。自分が生きているのだと……大分縮んでいるようではあるが。
額をペタペタと触れば、以前と同じ迷宮核がそこにあった。
迷宮核に意識を向けると、それを通してルーファが自分を転生させたのだと理解した。
彼は歓喜する。蘇ったことに対してではない。ルーファの眷属になれた事に言葉にならない喜びと共に、母の胎内にいる様な安堵を覚える。
しかも、本来なら眷属とは主に逆らうことができぬ間柄のはずだが、その支配関係が破棄され、対等の間柄に書き換えられていたのだ。
たとえ支配関係が無くとも、彼がルーファに害為すことはあり得ない。彼はルーファを愛しているのだから。これは……創られた者にしか分からない創造神への感情。
彼は空に浮かぶ繭を見つめこれからどうするのかを考える。
当然のことながら最も優先すべきはルーファだ。
ルーファを傷つけるものを排除せねばならない。
――魔物暴走を止め、ルーファの友人の安全を確保する。
友人が傷つけば、ルーファはきっと泣いてしまうだろうから。
行動方針が決まった彼は戦いの映像を呼び出し、状況を確認する。未だに魔物は暴走しているようだが、ルーファが主となったことで迷宮の暴走は止まっている。今ならば魔物を正気付かせることが出来るだろう。
魔物に攻撃を止めるよう命じる……が、何故かその命令はキャンセルされた。支配権がルーファに移っていたためにできなかったのだ。恐らくはルーファの許可が必要なのだろう。
仕方なしに状況を把握することに努め、彼はルーファの目覚めを待つことにした。
彼は見つめ続ける。30階層が突破され、20階層、10階層と続く……。
竜は汗を搔かないはずなのだが、全身の鱗がじっとりと湿っている様な気がする。今や魔物は1階層にまで押し寄せていた。
彼は落ち着かな気にウロウロと歩き回り、尻尾は苛立たし気にパシンパシンと地面を打っている。
だがそんな時間ももう終わり。
眩い光が空から降り注ぎ……羽化が始まる。
輝きを増した繭が徐々に徐々に解けていく。それは消えることなく広がっていき、オーロラの如く空を波打つ。隠されていた赤い迷宮核が姿を現し、小さな白銀色の炎が灯る。それは次第に勢いを増し、迷宮核を呑み込んで燃え盛る。
やがて全てが白銀色に染まり、ポンっという可愛らしい音と共に炎がシャボン玉へと姿を変えた。
彼が見守る中、ふよふよと降りてきたそれは地面に当たるとパチンと割れ、その中から寝息を立てた子狐が現れる。その額には白銀色の炎を宿す紅玉が煌めき、2本の尻尾がパタパタ揺れていた。
『ううん、むにゃむにゃ……それは伝説のトイレットペーパー……』
美しい光景に感動しながら魅入っていた迷宮竜は、余りにも残念な寝言にがっくりと両手を地面へと着ける。色々と台無しである。
どんな夢を見ているのか気になるところではあるが、時間がないこともありルーファを起こそうと揺さぶる。
『ルーファ!ルーファ!起きるのじゃ!!』
『我がトイレットペーパーキャノンを喰らうがよい……スゥスゥ』
ゴローンと寝返りを打ち、お腹を見せる子狐に迷宮竜は無言でお尻を向ける。
スパパパパパパパパパパパン!
容赦ない尻尾乱れ打ちにルーファは飛び起きた。
『な、な、な、何!?』
『ほっほっほ。気付いた様じゃな』
ルーファは目を見開いて迷宮竜を、その魂の輝きを見つめる。
『おじいちゃーん!!』
ルーファは自分と同サイズの迷宮竜に飛び掛かり、ゴロゴロと地面を転がる。やがて目を回した2匹はヨロヨロと起き上がった。
『うぷっ……ルーファのお陰じゃ。ありがとうな』
『おえっぷ……また会えてうれしいんだぞ!』
子狐の頭をナデナデする子竜。実に微笑ましい光景である。そんな2匹の目の前では、汚染獣が迷宮へ侵入する様子が放映されている。
『『…………』』
迷宮竜が無言で幾つかの映像を展開すると、カサンドラ防衛軍と魔物が戦い続けている。どうやら、汚染獣に未だに気付いていないようだ。
『お、お、お、おじいちゃん!ヤバいんだぞ!』
『落ち着くのじゃ。ルーファは箱庭ノ神を持っておるかの?』
焦る心を抑え、ルーファは自分の力を感じようと目を閉じる。
『う~ん、オレが持っているのは迷宮ノ神なんだぞ』
『聞いたことのない魔法じゃが、恐らくは箱庭ノ神の上位魔法じゃろうて。急いで魔物に戦いを止めるように命じるのじゃ!』
『人を襲っちゃダメなんだぞ!!』
前足を映像に突き付けて、キリっとした顔(?)で命じるルーファ。
(ギャアアアアアア!)
(ガアアアアアアア!)
(ドゴ!ズカ!バキイイイ!!)
目の前には相変わらず戦い続ける魔物の姿が映し出されている。
どうやら上手く力を使えないようである。本来であれば補助機能である魔法陣が発動し、魔法の行使を助けるのであるが……超越種の力が徒となった。補助機能が使えないルーファは自力で学ばなければならないのだ。
『どうしよう!?どうしよう!?』
『落ち着くのじゃ。儂に箱庭ノ神を使う許可をおくれ。そうすれば魔物暴走を止めれるはずじゃ』
ルーファの許可を得て、迷宮竜は箱庭ノ神を発動させる……が、何かに阻まれたかのように使うことが叶わない。
(……何が違うのじゃ)
迷宮竜は考える。
かつては自分の眷属に箱庭ノ神の権能の一部を付与して迷宮の管理を任せていた。それは、主である自分が望んだから出来たことに他ならない。自分が管理者として生み出し、名を与えた魔物たちだ。
『ルーファ!儂に名を付けるのじゃ!それで繋がりが確定されるはずじゃ!』
『そんな急に言われても……え~と、え~と』
悩み始めたルーファに迷宮竜は一喝する。
『急げ!時間がないぞ!』
汚染獣が咆哮を上げ、一番近くにいた負傷兵が餌食となる。その近くには……ゼクロスの姿があった。
『ラビ!迷宮のラビ!』
ルーファの迷宮核からラビの迷宮核へと光が放たれ、吸い込まれるように消えていく。一瞬ラビの迷宮核に白銀色の炎が宿り、直ぐにラビの魂へと溶け消える。
ラビは感じる――迷宮と自分が繋がったのを。
ラビの命令は即座に魔物へと伝えられる。人種への攻撃を中止し、汚染獣の攻撃から生き残った人種を安全な場所へ連れて行くように、と。
2匹が固唾を飲んで見守る中、汚染獣が積層型魔法陣へ捕らわれる。
『いけっ!そこだ!頑張れ!!』
映像の前に座り込み、ルーファは前足をシュッシュッと動かす。その前にはスナック菓子が広げられ、観戦モード全開である。
余談だが、ルーファの〈亜空間〉は2種類あって、その内の1つは時間停止の空間である。基本的に、物を入れる時はこちらの〈亜空間〉を使用しているので劣化や腐敗の心配はない。
スナックをパリポリ頬張りながら応援するルーファの姿に、ちょっと危機感が足りないと思うラビであったが、彼も現在子竜。その精神年齢は肉体年齢に引っ張られていた。
ルーファの横に腰を下ろし、スナックを摘まみ始めるラビ。お菓子を貪る音がいやに大きく響いている。
ラビは喜び合う人と魔物の姿を見て、その有り得ぬ光景に改めてルーファの異常性を理解する。
いくら迷宮の主の命だからと言って、それは本来不可能なこと。魔物には人を憎む本能が刻まれているのだから。ルーファは魔物の魂に刻まれた本能ですら書き換えたのだ。
(……恐ろしい力じゃ)
ラビは素直にそう思う。それは世界のバランスを崩す力。
だが同時に誇らしい気持ちが込み上げる。この方こそ自分の創造神にして、主であるのだと。ルーファのためならば、世界すらも敵に回して見せよう……。
『むっ!?これはちと不味いのう』
ラビは新たに侵入してきた8体の汚染獣を映し出す。
『遂に我が力を見せつける時が来たようだな……』
すっくと立ちあがり走り始めたルーファを地面から伸びた蔓が絡めとる。暴れるルーファを簀巻きにしつつラビは尋ねる。
『……何処へ行くつもりじゃ?』
『決まってるんだぞ!皆を助けに行くんだぞ!』
『ルーファよ、ここは200階層じゃ。歩いて行くとなれば1月はかかるぞ?それに階段はあっちじゃ、あっち』
ラビはルーファの進行方向の逆側を指さしてため息を吐く。しょんぼりと大人しくなったルーファを解放し、ラビは深層の魔物――鷲獅子――を呼び寄せる。
『これに乗って行くぞ。派手な方が良いじゃろう?』
『おお~!流石ラビちゃん分かっておるではないか』
悪い笑顔(?)で頷き合い、意気揚々と鷲獅子の背に乗り込む2匹。
大空を羽ばたく鷲獅子の前方に転移陣を発動させようとして、ふとラビは気付いたことを尋ねる。
『ところで人化しなくても良いのかの?』
『あっ!ダメダメ!ストーップ!』
慌てて人化して服を着始めたルーファにラビは不安を覚える。この子は本当に大丈夫であろうか、と。
下へ落ちないように気を付けながら着替えていたルーファは、パンツを履こうとして自分のお尻を見る。
『あー!た、た、た、大変なんだぞ!!』
『どうしたのじゃ?』
何となくルーファに慣れたラビに動揺は見られない。慣れとは恐ろしいものである。
『見て見て!尻尾が2本に増えてるんだぞ!!』
ピョンピョンと嬉しそうに飛び跳ねるルーファのお尻にはふさふさの尻尾が2本揺れている。ようやく尻尾が増えていることに気が付いた様である。
どことなく迷惑そうな鷲獅子の視線には気付いていない。
ルーファの母であるカトレアは、9本の尻尾を持っている。尻尾は力が増すにつれて増えていくのだ。今まで増えたこのとないルーファは感動で目を潤ませる。尻尾の数が2本になったということは一人前の証なのである。
『ほっほっほ。良かったなぁ、流石はルーファじゃ』
ラビに褒められ、満更でもない様子のルーファだったが、このままでは狐人族に見えないのでは、という事実に思い至る。どうにかして1本にしなくてはならない。
うんうん唸りながら目を瞑って念じてみると、意外にもあっさりと1尾へと変わった。
着替え終わったルーファは自分の格好を確認して満足気に頷く。
「うむす。完璧なんだぞ!」
どこまでもマイペースな1人と1匹は、どこまでもマイペースに救援へと向かった。
ルーファとラビの関係を分かりやすく説明すれば、カサンドラ大迷宮の社長がラビでオーナーがルーファといったところです。




